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木曜日は巡る

 突き指のため、全治1週間。

 店で受付だけしているのも人件費の無駄ということで、橋本に謝られながらも、矢子は休暇を取った。溜まっていた有給を消化する形だ。

 1週間なんて長い休みは、学生の夏休み以来だった。


 フロアマネージャーの本庄には、かいつまんで事情を話した。

 戸田望は要注意人物としてモール全体で警戒されはするけれど、警察には突き出されない。別室での様子は大人しく、また矢子の突き指も半分は自分のせいだからだ。ただ、彼は出禁になった。


「なにしよう……」


 ふいに訪れた時間の使い道に迷う。

 本を読んでもいいし、ボーッとテレビを見てもいい。でも、すぐ飽きてしまうのは火を見るよりも明らか。矢子は仕事人間だった。


 和室に敷かれた布団の上で、仰向けに横になったまま、テレビ台にある小さなデジタル時計を見る。


 木曜日、午後17:00。


「あ、今日は木曜日か……」


 脳裏に事の原因である美少女を思い浮かべた。

 ユカは今日、店に行っただろうか。私がいない時は、橋本に施術してもらうのかな。一回ぶん、彼女に触れる機会が減るのは、ちょっと悲しい──


 そんな事を思いながら、ユカのことを思い出し、連鎖的にキスした感触を思い出す。矢子はゆっくりと自分のトレーナーをたくし上げ、片手をズボンの中に忍び込ませる。下着の中に指を入れた瞬間、


 ピンポーン。


 玄関の呼び鈴が鳴った。

 珍しい。宗教か新聞の勧誘か。この辺りにセールスは滅多にこない。

 ピンポーン、ピンポーン。

 続け様、呼び鈴が鳴る。しつこい。


「はーい」


 うるさいので追い返すために出るかと、立ち上がってドアスコープを覗くと


「佐伯様」


 そこには、美少女の佐伯ユカが立っていた。


「どうぞ、入って」


 そう言って招き入れると、玄関まで入ったユカは、泣きそうな顔で矢子を見つめた。

 身長のあまり変わらないふたりは、ちょうどいい角度で真っ直ぐに見つめ合った。


「矢子さん、戸田望のこと聞きました。ごめんなさい」


 深々と頭を下げる。長い黒髪が華奢な背中を滑って垂れ下がり、玄関の床に着きそうだ。


「気にしないでください、私なら大丈夫ですから」


 矢子が慌ててユカに声をかけ顔を上げさせようと肩を掴むと、ユカは首をぶんぶんと振った。


「いいえ。ずっとわかってて避けてるだけで、さっさと自分で何とかしなかったから、こんな事に……。矢子さんにまで迷惑かけて、本当、申し訳ありません。ごめんなさい」

「今のあなたに、どうにかできる事じゃないでしょう」


 懸命に謝るユカを見下ろして、ふいに矢子が冷たく言い放った。

 ユカの肩がビクリと震える。


「戸田望さんに、勝てると思ってるでしょう。あなたの方が上だと、そう思ってるでしょう」

「そっ、そんな事──」


 ない、とは言い切れなかった。

 ユカの知っている戸田望は、優しくて、ユカの言う事を何でも聞いてくれる従順な豚だった。怖い思いをしても、自分が本当は若い男であることも手伝って、どこかナメている。まだコントロールできるとタカを括っている。


「とにかく、気をつけなさい。私のことはいいから、自分の身は自分で守りなさい」

「……はい。すみませんでした」


 矢子の言葉に、いつになく感情があるような気がして、ユカは震えた。


「終わったら、帰って下さい」

「……っ」


 これで帰っていいのか、判断がつかずにユカは頭を上げた。

 矢子は髪を下ろして、トレーナーをたくし上げ胸元を掻いた。白いヘソが覗き、目を奪われる。

 いつもの真面目な様子から、今はなんだか雰囲気が違った。

 気怠く、けぶるような陰鬱な色気が漂う。


「まだ何か?」

「あ……いえ」


 赤くなりながら目を逸らし、動けないでいるユカに、矢子はゆっくりと近付く。目の前に立ち、顔を覗き込んだ。


「私、さっきまで、ユカちゃんのこと考えていたの。ユカちゃんとキスした時のこと」

「えっ……あ!」


 矢子はスルリとユカのスカートの中に手を入れた。指先を撫でるように這わせて、目的の場所を掴む。それだけで既に存在を主張しはじめているソレを優しく弄ぶ。


「あっ……ん、や、矢子さっ」

「喘がないでよ。男の子でしょ?」


 クスリと笑って耳元で囁き、刺激を強める。

 ユカは嫌がりつつも、しがみつくように矢子の両腕を掴み、耐えるように目を閉じた。

 下唇を噛み声が漏れるのを我慢する。段々と全身にぎゅうと力が入っていく。そしてやがて、スカートの下でビクリと大きく跳ねた。

 手に生温い感触が広がり、髪を乱したユカが震えながら矢子の肩に寄りかかって、荒く息づく。


「な、なんでこんなこと──」


 内緒にする約束だったのに、ひどい。

 涙目で睨むユカを無表情で見下ろしながら、矢子はスカートから手を引き抜いた。


「あなたってどっちなの? 女が好きなら、こんな事さっさとやめることね」


 軽蔑したように囁いて、ベタつく指をこれ見よがしに擦り合わせる。

 ユカは羞恥に赤くなりながら唸った。人と違う人々を、仲間のフリをして惑わせることへの、それは警告だった。


「……汚してしまってごめんなさい。よろしければ、お風呂に入ってから帰られてはいかがです」


 項垂れたユカを見て、矢子は脱力したように感情無く言った。先程までの色香は消え失せて、いつも通りの淡々とした雰囲気に戻っている。


 ユカは途端にこわくなった。

 ゾワリと肌が粟立つのを感じながら、矢子を見つめる。


 ──この人はヤバい。


 逃げた方がいい、とって喰われる前に────でも。


 なぜか、帰る気が起きなかった。

 あんなことをされたのに、確実におかしな人なのに、もっと近付きたい。

 こんな事を思う自分も相当イカレてる、そう思いながら、ユカは頷く。


「お風呂、貸して下さい。あとなんか、着替えも」

「適当なのでよければ。男物と女物、どちらがいいですか?」

「──男物で」


 なぜそんなものを持っているのかは、あえて聞かなかった。

 風呂場に案内され、タオルを渡されシャワーを浴びた。メイクも落とし、ウィッグもとってしまう。

 その間に、汚れた衣服は矢子が洗濯機で洗ってくれる。


 風呂から上がると、脱衣所の籠には男物の真新しい下着と、トレーナーの上下が丁寧に畳んで置いてあった。

 ユカは躊躇わずそれに着替える。


 そして『ユカ』から『佳佑』になる。


 佳佑が部屋へ戻ると、薄暗い和室の中央で、矢子が布団の上に座ってコーヒーを飲んでいた。

 男の姿になった佳佑を、ユカへ向けるのと全く変わらない視線で見上げる。チラと足の爪だけ確認すると、赤いペディキュアだった。


「お風呂、ありがとうございました」

「あぁ……よかったら、そちらに座って。何か飲まれます?」

「はい。じゃあ、同じものを」


 答えて、ダイニングの椅子に腰かけた。

 矢子が電気をつけて、湯気の出ているヤカンからお湯を注ぎカップにインスタントコーヒーを入れた。


「ミルクとお砂糖は?」

「いただきます」

「いくつ?」

「2つで」


 角砂糖を2つと、ミルクをたっぷりめに落とす。もはやカフェオレだ。佳佑へ渡すと、両手で抱えてふーふーと冷ましながら啜った。


「……悪かったわね」


 フワフワした茶色い猫みたいな佳佑の髪を眺めながら、矢子が申し訳なさそうに呟く。彼はきょとんとして顔を上げた。


「何がですか?」

「踏み込んだこと。あなたの問題で、私は関係ないのに、なんだか放っておけなくて。あなたの正体を知っていることも、知らないフリをし続けるつもりだったのに」


 自虐的に微笑んだ矢子を見て、佳佑が目を見開いた。


「オレのこと、ほっとけないって思ったの?」

「ええ。あまりにも危なっかしくて」

「そう──」


 答えながら、佳佑がにんまりと微笑んだ。


「うれしい」


 なぜだかわからないけれど、この上なく嬉しくて幸せな気持ちになった。そんな佳佑を見て、矢子は不思議そうに目をしばたたかせる。


「あなたって、時々、変だなって思うわ」

「時々なの?」


 女装癖の男子を見て、時々《・・》変だなんて、それこそ変な話だと佳佑は思う。


「てか、矢子さんに言われたくない」


 ぷうと頰を膨らませて、カフェオレもどきを啜る。

 その仕草はユカめいていて、短髪の少女にすら見えた。佳佑とユカの境界線は曖昧で、本人の線引きがない常態では、こんなにも混じり合う。その交わった箇所こそが彼本人なのだと、矢子は思った。


「可愛い」


 自分でも思わず、口をついて言葉が出た。

 柔らかな洗いたての髪を、指先でくすぐるように撫でる。佳佑は驚いて目を見開いたが、すぐに気持ち良さそうに目を細め、じっとする。

 矢子は片手で佳佑を撫でながら頬杖をつき、ゆったりと微笑んだ。


 しばらく撫でられた後、佳佑は意を決したように口を開く。


「ねぇ、矢子さん。お願いがあるんだけど……」

「なぁに?」


 赤くなりながらおずおずと申し出る様子に、矢子が首を傾げた。


「キスして欲しい。ユカだけじゃなくて、オレにも」

「あら」


 自分に嫉妬とは、面白い。

 子供っぽい独占欲でもわいたのか、それともただしたいだけなのか。どちらにせよ、彼に求められることに不快感はない。

 矢子は申し出を快諾した。


「手に出す方は、しなくていいの?」

「いっ──今はいい!」


 冗談を言うとさらに顔を赤くして真っ向から否定する佳佑を、矢子は本当に可愛く思った。




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