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オレと私の境界線

 佐伯佳佑さえきけいすけ二十歳はたちの大学生だ。

 一人暮らしのアパートは、バイト先には近いが、大学からは少し離れていた。

 自転車で30分ほど。電車を使えばなんてことのない距離だが、定期代がもったいないので中古の安物マウンテンバイクで運動がてら、鼻歌まじりに通学している。


「けーすけ、はよー」

「おう」


 朝イチでの講義を受けるため教室へ入ると、先に来ていた何人かが声をかけてくる。

 輪の中に混じって荷物を下ろしていると、露出度の高い服を着た女が佳佑の隣りの席に陣取った。

 髪を明るく染め、濃いめの化粧に今流行なのか赤い口紅。胸元の大きく開いたセーターにミニスカート。


 ──正直、女装したオレのが可愛いから。

 そう言いたくなるくらいのケバケバしい媚びた化粧と服装だ。

 サキコ、という名の彼女は、皆から影で『サセ子』と呼ばれていた。


「ねえ、けーすけ。なんで返信してくんないの?」

「返信? ごめん、見てなかったや」


 佳佑の携帯には、毎日何通もサキコからのお誘いメールが届いていた。もちろん、個別に音もバイブも切って、一切見ていない。サキコから有用な情報が来るわけがないので、確認などもしていない。ブロックしても差し支えないが、それは一応、念のためしていなかった。


「今週末さ、えっちゃん達とみんなで遊ぼうってメールしたの」

「あ、そう」

「え、冷たい。そこは乗って?」

「ごめんバイトある」

「えぇ〜いつもそれぇ〜」


 サキコがむくれながら足をばたつかせた。

 明らかにあざといその仕草に、佳佑はウザそうに顔をしかめた。


「じゃあ、デートして」

「じゃあってなんだよ。やだよ」

「ひどーい」

「アナタこの講義とってないよね、どっかいって」


 いい加減相手するのが嫌になってシッシと手を振ると、サキコはむくれたまま席を立った。

 諦めないからね! 等と言いながら去って行くのを無視してノートや筆記用具を出す。


「お気の毒。一回くらい抱いてやればいいのに」


 やりとりを見ていた後ろの席のタクヤが、苦笑いしながら話しかけてきた。

 佳佑がジト目で振り返る。


「気の毒って、どっちが?」

「もちろんお前」

「だよな」


 あははと笑い合ってひと息つくと、佳佑はまた渋い顔をする。


「ここまでしつこいのは初めてだよ……」

「あー、意地になってんじゃん。人数誇ってたし」

「そーゆーの無理。きもい。病気こわい」

「わかる、俺もそれで断った」

「タクヤにも……!」


 佳佑が目を見開いてタクヤを見た。彼はうんうんと頷く。

 呆れてものが言えない。佳佑はああいう女性が一番嫌いだ。なんであんなことをするのか理解できない。普通に彼氏を作って、普通に愛し合えばそれで幸せになれそうじゃないか。ケバい化粧を取れば、たぶんサキコの顔はそんなに悪くない。


「まあ、けーすけを落とせば自慢できそうだもんなぁ」


 所詮、顔か。

 うんざりしながらも、その顔を最大限利用して、女の格好をしている自分はどうなのか。

 佳佑は苦虫を噛み潰す。


「……にしても、お前って──」


 タクヤが何か言いかけた時、教室の前方の扉が開いて、この講義の教師が入ってきた。

 会話は途切れ、佳佑は前を向くと講義のために前方に集中する。

 そうしながら、頭の片隅では、全く違うことを考えていた。


 サセ子は、オレのどこが気に入ったんだろう。

 一回くらい抱いてやったら、本当に大人しくなるのか?

 それって、好きでもなんでもないんじゃん。だったら、肌を合わせる理由がない。そんなの気持ち悪い。

 そもそも、好きって何だろう。

 自分は人を好きになったことがない。

 だいたい、好きになるって、どこをどう好きになればいいんだろう。

 女はみんな自分より可愛くない。年上がいいのかも、年下がいいのかもわからない。ましてや女か男かすら、自分の求めるものが曖昧であやふやだ。

 たぶんそれは、自分自身があやふやだからだ。


 佳佑は一旦思考を切って、ため息を吐いた。

 何かが心の中で煮込みすぎた鍋みたいにぐちゃぐちゃになっていた。


 そもそも自分は普通じゃない。女装して、悦んでいる変態だ。常人の定義に当てはめるのが間違っているのかもしれない。普通じゃない恋愛でいいじゃないか。

 でも、普通ってなんだ。普通なんていくらでも覆る。そんなものに左右されたくない。そんなものに、自分を決められたくない。あるがままでありたい。あるがままってなんだ。それは佳佑か?ユカか?


 堂々巡りだ────


 頭を抱えたとき、ポケットの中で携帯が唸った。

 教壇から見えないようそっと取り出して机の下で覗くと、タクヤからメッセージだった。


『お前って、男が好きとかじゃないよね?』


 ああ、まったく……。

 そんなにサセ子になびかないのが世間一般の常識では不思議なのかと、佳佑は内心舌打ちする。

 据え膳食わぬは男の恥ってか。


 肩越しに振り返って睨みつければ、タクヤは冗談だと言いたげに両手を広げてニヤリと笑った。



****



 大学から直でバイトへ。そんな日も珍しくはない。

 ただ、今日のバイトはコンビニではなかった。


 指定された駅に行き、予め用意してあったコインロッカーを開けて荷物を取り出すと、人目につかないよう多目的トイレへ入り、着替えて化粧をしてカツラを被った。

 最初は抵抗があったものの、今や手慣れたものである。


 今日は黒を基調としたワンピースに、黒髪ロングストレートのウィッグ。清楚かつゴスロリっぽい雰囲気だ。メイクは奇抜なことをせず、素材を生かす。ケバケバしいのは今日の相手は好まない。


「よっし、可愛い。完璧」


 鏡の中のユカが、満足そうに微笑んだ。

 今から佳佑はユカだ。ユカは可愛い女の子。声を高く。サセ子みたいにケバい仕草はしない。幼くて、思わせぶりで、柔らかく、小鳥のように。


 多目的トイレをそろりと出ると、並んでいる人もおらず、ホッと胸を撫で下ろす。

 着替えと教本の入ったリュックをコインロッカーに仕舞うと、意気揚々と駅から出て、待ち合わせ場所である喫茶店へ向かった。


「やあ、待ってたよ。ユカちゃん」

「お待たせっ」


 喫茶店の奥まった席でコーヒーを飲んでいた痩せた中年の男性が、こちらを見て席を立った。ユカは可愛らしく手を振ってみせる。

 テーブルに着くとリンゴジュースを注文し、男性に笑いかけた。

 彼はデレデレと鼻の下を伸ばしている。


「ユカちゃんは今日も可愛いね」

「ありがとう。鈴木さんも素敵だよー」


 心にもない。多少身綺麗にしていても、ただのオッサンだ。内心ペロリと舌を出す。


「どこへ行きたい? 欲しいものは?」

「うーん。あのね、ユカに似合う可愛いお洋服があるんだけど、ちょっと高くて手が出ないの──」


 言いながら、鳥肌が立った。

 これからこのオッサンに触られると思うと吐きそうだった。

 といっても、体を許すわけではない。手を繋いだり、あってもちょっと際どいところを触られたりする程度だ。

 オレはサセ子よりマシだ。と、自分を慰める。


 ユカは楽しそうに話しながら、やはり別のことを考えた。


 なぜサセ子は、オッサンは、他人と触れ合おうとするんだろう。

 オレに気持ちはないのに、それでも嬉しいんだろうか。気持ちいいんだろうか。

 それだったら、みんなリラクゼーションやマッサージに通えばいい。お金を払えば触ってもらえて、問答無用に気持ちいい。オレと触れ合うのと何が違うんだ?


 ──そうだ、あの矢子さんとオレはおんなじ。仕事で与えているだけだ。

 あの人、お店とそれ以外ではまるで別人だもの。


 本当の姿は、きっとあのコンビニでの方だろう。無表情で、無愛想。それが面白い。


 矢子のキビキビした動きを思い出し、心の中でクスリと笑う。不思議と肌に馴染む生温い感触が蘇る。

 どーせなら、ああいう人と触れ合っていたい、とユカは思った。


「──じゃ、そろそろいこっか」

「はぁい」


 話し終えた男がコーヒーを飲み干す。

 ユカも倣ってジュースを一気飲みすると、えへへと笑って唇に着いた水滴を指先で拭った。




 ────数時間後。

 女装のまま泣きながら走るユカがいた。


「キスされた! 気持ち悪い、きもちわるいぃぃっ」


 オエッとえづきながら立ち止まり、電柱の陰でペッと唾を吐く。

 雑に背負う荷物の詰まった重たいリュックが、ズシリと重心を変え、ユカはよろめきながら電柱に寄りかかった。


 こんな事は初めてだった。

 潔癖のケがあるユカには耐えられない出来事だ。鈴木は今まで強引な事もせず、人の良い大人しい客でしかなかったのに。


 もう何度も擦ってリップのはげた唇を、またゴシゴシと力強く擦る。けがれがとれた気がせず、泣きながら再び唾を吐き──


「……佐伯様?」


 ふいに、聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、そこには仕事帰りの矢子つぼみが立っていた。




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