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冬が終われば春が来る

「スカートは色んな種類あるけど、矢子さんは細いからヒラヒラっとしたのがいいよ、きっと、たぶん!」


 橋本がそう言いながら、薄いモスグリーンのスカートをすすめてきた。左右に振ると、ふんわりと愛らしく揺れる。


 今日は橋本と共に買い物へ来ていた。

 というのも、「自分を好きになるにはどうしたらいいか?」の質問に橋本がくれた答えが、「オシャレして綺麗になる!」だったからだ。


「あんなイケメンに好かれて、素直に好きって答えられないのわかるよ。でもさ、好きなら彼の為にしたいこと、したらいいんだよ。女は多少胸張ってたほうがいいって」


 事情を知らない橋本は明るくそう言って、休日にショッピングへ連れ出してくれたのだ。


「……やっぱり、スカートじゃないとだめですか?」


 膝丈ではあるが、矢子はスカートを履く事に抵抗があった。

 上半身より少ないとはいえ、足には火傷の痕がある。タイツとブーツを履けばわからない、と押し切られて、矢子は恐る恐るスカートを手に取った。


「男心を掴むならスカート!」


 鼻息荒く宣言する橋本は、たぶん私情も交じっている気がする。


「あ、これ……」


 ふいに目に留まった白いふわふわのセーターを見て、矢子はユカを思い出した。甘めの可愛らしいデザインは、ユカにきっとよく似合うだろう。


「そーゆーの好き?」

「好きというか……佐伯様に似合いそうだなと」

「あー、なるほど!」


 橋本が納得したように手を叩いて、顎に手をやりふむふむと頷く。


「矢子さんに特にコダワリがないなら、寄せてみるのもいいかも。自分が着てるってことは、好みでもあるんだろうし……」

「そ、そうでしょうか……」


 さすがにこれはちょっと着れない、そう思った矢子の思考を察したのか、橋本はチッチッチ、と人差し指を振る。


「テイストだよ、テイスト! 矢子さんを引き立ててかつ、好みを取り入れる!」


 ふふふ、と楽しそうに笑うと、橋本は矢子の手を掴んだ。そして「そうと決まればこっちのもんよ」と言いながら、すごい勢いで店内を物色しはじめる。


 橋本の勢いに任せて試着を繰り返しながら、矢子は佳佑のことを考えた。


 佳佑は、今更オシャレなんかして喜んでくれるだろうか。

 普通の女みたいになった自分を、受け入れてくれるだろうか。


 いや、彼ならきっと喜んで受け入れてくれる。それはもう、今までの関わりで解っている。


 ──そうじゃないんだ。私がどうしたいか。

 継続して関わり合う、濃い関係に一歩踏み出せるかどうか、なんだ。


 彼に与えたいという気持ちは、出会ってから今も変わっていない。

 だけど、与えられた時に、自分は何を返せるだろう。


 彼に返せるものがあるなら、そう、ありったけ返そう。

 全身で、全力で、返していける自分になろう。


「おおっ、いいよそれ、似合う!」


 試着室フィッテイングルームのカーテンを開くと、待ち構えていた橋本が満面の笑みで頷く。

 矢子も笑って、くるりと一周してみせた。



****



 休日の何回かを、買い物やメイクの指南に費やした。

 繰り返すうち、早く佳佑に見せたくなった。会いたくなった。


 ──不思議だ。これが当たり前の感情?

 当たり前なんて、誰が決めるんだろう。私はたった今、それを知ったばかりなのに。


 少しだけ垢抜けて、前よりも微笑むようになった矢子に、店の客の反応も変わった。

 常連の田中様になんて、「あらあら」と見た事のない笑顔で微笑まれた。それがとても恥ずかしかったけれど、嬉しくもあった。


 閑散としたモールの入り口近くで、集客の為にチラシを配る。

 普段邪見にする人々も、舌打ちする人々も、今日は少ない気がする。それは矢子が以前より堂々とした雰囲気を纏っているからかもしれない。


「げっ…………お前は」


 ふいに、聞き慣れた声がした。

 そちらを振り向くと、


「戸田望様!」


 買い物に来たのだろうか。

 そこには、逃げようと丸っこい背を向けた、中年男性の戸田望がいた。


「戸田望様、いらっしゃいませ!」

「おまっ、名前呼ぶのやめろよ」


 ギクリとした表情で、慌てて矢子に詰め寄る。

 矢子は営業スマイルで戸田望に向かってチラシを差し出した。


「いらっしゃいませ、戸田望様。今、ガラガラですよ」

「は?」

「うちの店、今、ガラガラです。どうぞ!」


 矢子の勢いに後退る戸田望の太い腕を掴んで、無理矢理引っ張る。

 驚いて振り払おうとした彼は、ふいに矢子が震えているのに気がついて力を抜いた。


「なんだよぉ……俺、お前の店、出禁なんだけど」

「いいんです。原因の私がいいって言ったら、大丈夫です」

「ほんとかよ……」


 戸惑いながら引っ張られ、店の前まで来る。

 橋本が驚いて駆け寄ってきたが、矢子が笑顔で制すと、心配そうに見ながら柱の影に下がった。


「30分のコースがオススメですよ」

「じゃ、それで……」


 渋々と財布を出して会計し、チェアに案内される。

 カーテンで仕切られた個室にふたりきり。以前にそうなった時を思い出しながら、矢子が彼の素足を拭き、話しかけた。


「私は、戸田望様がこわいです」


 手が若干震える。これは恐怖か、武者震いだろうか。


「おう……あの時は悪かったな」

「いえ。どうしてこんなにこわいのか、今はわかるんです」


 ずっと、突き飛ばされ暴れられたからだと思っていた。

 だけど、震えるのはもっと根本的なところだ。

 真っ直ぐすぎて、飾り気のない、責めるようなユカへの好意が恐ろしい。それを直視するほど、自分のあらゆるものが刺激される。


 自分も一歩間違えばこうなる。だけど、彼のように素直にはなれない。

 相反するようで同じ。同じ人を愛している。


「私は、少しだけあなたがすごいと思います」


 困惑したままの戸田望を見ながら、矢子は施術をはじめる。

 チェアは倒さず、彼と目を合わせたまま、ゆっくりと足にオイルを塗りつけ、老廃物を流していく。


「戸田望様は、ユカさんが好きなんですね。本当に、大好きなんですね」

「……」


 戸田望の毛むくじゃらの足は重くて、太い。懸命に施術しながら、矢子が微笑んで彼を見た。


「ユカと、付き合ってるのか」


 戸田望が質問を口にする。

 それはかねてより彼が一番聞きたかったことだろう。


「はい、付き合ってます」

「好きなのか」

「はい────好きです」


 矢子は出来るだけ誤摩化さずに、しっかりと答えようと思った。

 目を逸らさず、好きと口にする事から逃げずに。


 そんな矢子の様子を見て、戸田望が大きくため息を吐く。


「そうか……そうかぁ…………」


 そしてぐしゃぐしゃと乱暴に頭を掻くと、ぶるぶると犬みたいに頭を振った。


「じゃあ、俺は失恋だな」

「失恋です。渡す気はありません」


 矢子がハッキリ宣言すると、戸田望が力無く笑う。


「そうかよ……よかったなぁ。あぁ、あいつ……ユカは、いつかオッサンに堕ちると思ってたんだ。大人は汚ねぇから。けどさ、女かぁ。よかった、今のお前は、なんつーか、悪いやつじゃなさそうだし。俺、諦めなきゃな……そうかぁ」


 そう言う戸田望の顔は、なぜか、どこかほっとしているような気がした。報われない何かを、もう追いかけなくていい、その執着を手放す安心感と寂しさ。


「わかります、私だけはわかっています、戸田望さんの気持ち」

「お前にわかられてもな」


 力強く頷くと、戸田望が鼻で笑う。


「だってお前、俺からしたら恋のライバルだもの」


 恋の、ライバル…………。


 矢子は思わずポカンと口を開けた。

 そしてやおら吹き出すと、それは大笑いに変わる。

 声をあげて笑う矢子に、戸田望が慌てた。


「おい、おい、お前、ここは静かにしなきゃいけない店なんだろ、おい!」

「そう、そうですね、失礼致しました────あはは、恋の、ら、ライバル。ふふっ」


 大きくて丸い中年の戸田望と自分が、可愛らしい『恋のライバル』なんて言葉で形容されるのが、ひどく面白く感じる。


 大笑いすると、気持ちがスカッとした。

 戸田望には申し訳ないが、この笑いに頼って、まとわりつく憂鬱や不安も吹き飛ばしてしまえ、そう思った。


 そして笑い終わった時、目尻に涙を浮かべた矢子を半目で睨みつける戸田望がそこには居た。


「……なんだよう」

「いいえ。すごく、素敵」


 そう言って満面の笑みを浮かべる矢子を、戸田望は困惑しながら見つめる。


「へんなやつ……」


 ──その後、戸田望は施術を受けながら眠ってしまい、大イビキをかいて隣のチェアから苦情が来た。

 矢子はまた笑いながら、戸田望を見送った。



****



 ────決めた。


 明るくなった気持ちで、矢子はひとつ、思いつく。


 あなたに返す。あなたがくれた言葉を、気持ちを、受け止めて返していく。

 隣に立つ資格なんて、誰もくれない。だけどあなたが許してくれるなら、私が自分にその資格を授けよう。


 恋人になったら、出来る事はたくさんある。

 佳佑は全く対応していないけれど、例えば────

 女の恋人が大学へ会いにきたら、ゲイだという噂だけでも払拭できるんじゃないだろうか。


 迷惑かな。私みたいなのが彼女なのかって、周りは思うかしら。


 そう思われてもいい。

 本当に迷惑なら、どうとでも誤摩化せる。

 会いたい、そして力になりたい、行動したい。


 精いっぱい好きだと伝えるだけで、私にも彼にも、満たしていけるものが、きっとあるから。





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