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足の爪以外ぜんぶ

「いらっしゃいませ佐伯さえき様。お待ちしておりました」


 矢子やこつぼみが、笑顔を含んだ柔らかい声でお出迎えをする。

 完璧な営業スマイルのその先には、木曜日の美少女、佐伯ユカが立っていた。

 彼女はわずかに目を見開いて、パチクリと瞬きをした後、少し困ったように笑って頷いた。


「今日はお給料日前なので、30分の手のコースで」

「かしこまりました」

「オイルの、香りのつかないやつ。ホホバ?」

「はい」


 カーテンで仕切られたチェアに案内し、準備を整える。

 座った体勢のまま袖をまくって頂き、その正面に座って肩口から指先までをオイルで刺激していく。


 佐伯の手はほっそりとして白く、だけれども少し骨張っていた。指先は、手入れが為されているもののマニュキュアは塗られていない。きっとこの後、バイトに男の姿で行くからだろう。

 そうして足のペディキュア以外はすっかり男になってしまうのだ。


 ──面白い。

 と、矢子は心底思った。

 人の秘密を握った面白さもあるが、それ以上に、佐伯ユカの存在が面白かった。


 矢子がそんなことを考えながら施術しているのを、佐伯は座ってじっと見つめている。

 珍しい。いつもは早々に寝たフリをしている。


「佐伯様、宜しければ目隠しをお持ち致しましょうか」


 思わずそんな提案をすると、佐伯は首を横に振った。


「いいえ、今日は矢子さんの施術を見ていたいの。いいかな?」

「もちろん、構いませんよ」


 和かに答え、施術を続ける。

 オイルを塗って滑らかになった肌に、指を絡ませ、緩急をつけて押し流し、老廃物の溜まる箇所を押して刺激する。コリコリとした老廃物が体内でプチュと潰れるたび、佐伯は小さくため息を漏らす。


「矢子さんって上手。気持ちいい」

「ありがとうございます」

「なんかね、痛い人とかいるの。痛くても気持ちいい時もあるけど、痛いだけの人」

「合う、合わないが御座いますから」

「そーなんだ」


 佐伯は可愛らしい女性然として、ふふと笑った。


「じゃあ、私と矢子さん、合うのね」

「……!」


 笑いながら、ふいに佐伯が手を動かして、矢子の指に自身の指を絡めた。恋人繋ぎのような恰好で、絡めた指の股を擦り付けるように動かされ、溜まったオイルがくちゅくちゅと音を立てた。


「……佐伯様」

「ユカでいいよ」

「いえ、佐伯様。施術が出来ませんので離していただけますか」

「うん。ごめんなさい」


 やけにあっさりと手を引く。

 矢子は営業スマイルを浮かべてひとつ頷くと、何事も無かったかのように再び施術に戻った。

 それを見て、佐伯は深く笑んだ。


「……内緒にしてね」

「何のことで御座いましょう」

「……ううん、なんでもないの」


 安心したように呟いて、佐伯は目を閉じた。

 30分は、あっという間だった。



 その日の蛍の光は、聴く暇が無かった。

 最後の客が長引いて、閉店過ぎにようやく終わり、シャッターの閉まったモールの裏口から外までお見送りをして店に帰ってきた。


 秋の夕刻、なにも羽織らず外へ出れば、存外寒かった。

 震えながら店に帰ると、店長橋本が迎えてくれる。


「おー、お疲れ様。裏やっとくから帳簿たのむ」

「はい」


 震えている矢子を見て、橋本が備品の片付けや水回りの処理を引き受けてくれる。まだ空調が作用している室内で、矢子は手をさすりながら帳簿をつけレジ閉めを行なった。


「ね、佐伯様ってさぁ」

「!」

「レズっぽい。矢子さんを見る目がやらしー」

「またそんなことを……お客様に失礼です」

「めんごめんご」


 戯けながらタオルを洗濯袋に突っ込むと、橋本は手をパンパンと叩いた。その時、


「おい、お前ら。経費削減、光熱費節約。早く帰れー」

「わっ、すみません、本庄ほんじょうさん」


 ふいに、このモールのフロアマネージャーである本庄が顔を出した。しかめっ面の本庄は、厳しいことで有名だ。目を付けられても面倒臭いので、さっさと切り上げることにする。


 橋本が苦笑いしながら手をオッケーの形にして振った。

 終わりの合図だろう。こちらも閉め作業は終わっている。

 本庄にせっつかれながら、帰り支度をしてモールの従業員用の裏口から出ると、お互い挨拶をして別れた。


「それにしても、レズ、ねぇ……」


 今日あった出来事は、充分に同性愛的な画ではあった。オイルに濡れた指を絡ませあい、それを淡い間接照明が照らしている光景は、矢子にもなんだかくるものがある。


 だが、佐伯は肉体的には男性だ。

 心はどうかは知らないが、その場合も同性愛者というのか、矢子にはわからない。

 もっとわからないのは、なぜあんなことをしたのか、だが。

 それについて、矢子は言及しないでおこうと思う。なぜなら、不思議と不愉快ではなかったからだ。


「今頃、コンビニでバイトしているのか」


 ふいに、「また寄って下さいね」と笑った佐伯の顔を思い出す。

 あれから一週間。また寄るには丁度いいかもしれない。

 矢子は数百メートル先に見えるコンビニの看板を見ると、そちらへ躊躇いなく歩いて行った。


「イラッシャッセー」


 店内に入りレジに目を向ければ、見知らぬ茶髪の男性が立っていた。

 なんだ、今日はいないのか。

 では、出直す? いや、会いにきたわけでもあるまいし、買い物して帰ろう。

 そう思いなおし、コーヒーとヨーグルトを選んでレジに並ぶ。

 会計を済ませて店を出ると、


「待って! 待って下さい」


 背後から声がかかる。

 振り返ると、細くて綺麗な男性店員、つまり男性版佐伯が慌てて走り寄ってきた。


「今晩は。中にいらっしゃいましたか?」

「お、おく、奥に、飲料コーナーの裏」

「ほう」


 そんな所に人がいるとは、知らなかった。

 矢子が感心している間に、佐伯は呼吸を整える。


「この前はありがとうございました」

「あぁ、ルイボスティー美味しかったです」

「それは良かったです。……ええっと」


 佐伯の視線が泳ぐ。何か話したいことがあったのかと思ったが、そうではないようだ。


「じゃあ、これで。失礼します」

「わっ、ま、待って!」


 くるりと踵を返す矢子に、佐伯が慌てる。


「あーの、えっと。オレ、佐伯です。佐伯佳佑さえきけいすけ

「サエキケイスケさん。私は矢子つぼみと申します」


 知っているだろうけど。そう心の中で付け足す。

 美少女ユカに「内緒にしてね」と言われたので、矢子は言われた通り知らんぷりを決め込む。


 矢子が無表情で右手を差し出すと、佐伯は微笑んで手を握り返した。

 するっとした柔らかい感触と温かさ。

 やはり、あの佐伯様だ、と矢子は思う。


「これで、お互い顔見知り、ですよね?」

「そうですね」


 だからと言って、何か変わるわけでもない。

 佐伯様は佐伯様だが、バイトの佐伯様と美少女の佐伯様を分けて考えなくてはならないのなら、顔見知りになる必要も感じられなかった。


「では、お仕事頑張って下さい」

「はいっ!」


 今度こそと踵を返し颯爽と歩いていく矢子に、にこやかに手を振る佐伯佳佑。

 細いがどう見ても男性な格好の佐伯の、履き潰したスニーカーの下に隠された足指の爪を、矢子は思い浮かべる。

 そこには彼の本当の姿が詰まっていると、自分だけが知っている。


「今日は何色だったんだろう……」


 ただ一つそれだけが気になって、矢子はチラリと振り返った。

 振り返っても、ペディキュアなど見える筈もない。

 そこには華奢な一人の男性が、まるで何の違和感もないフリをして微笑んでいた。



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