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薔薇には毛虫がつきものだ

 大学は冬休み。

 佳佑は自宅マンションの一室で携帯を握りしめていた。


 過去を清算して前を向く。

 そう決めたあの日から、矢子には会っていない。

 年末年始、お互い忙しくしている間に、年が明けた。矢子は仕事、佳佑はバイトとレポートと年明けのテスト勉強だ。やるべき事は山のようにあった。


 ひとつ伸びをして、柔らかな毛足のカーペットの上で組んでいた足を伸ばす。

 矢子に貰ったシルバーのアンクレットが揺れた。


「矢子さん……ごめんね」


 小さな折りたたみテーブルの上に倒れ込みながら呻く。

 自分の行いが、彼女を傷つけているとは思っていなかった。やめろと言われていたのは、ただの心配だと思っていた。

 子供だった矢子と違って、自分は逃げる事が出来る。

 多少痛い目を見たとしても、父親を切り離す事が出来る。


「大丈夫、大丈夫、だいじょうぶ……」


 テーブルの上に突っ伏したまま、携帯を弄る。

 暇な時間を見つけてはちょこちょこと作っていたメール。オジサン達へ、そして父親への言い訳を書いたものを、数日前、新年の挨拶と共に彼らへ一斉に送った。

 受信ボックスを眺めていると、未読メールが今も溜まっていく。


 佳佑は出来るだけ丁寧に、自分の状況や思いを文章にした。

 今まで誠実さや感謝を欠いていたことに反省し、素直に言葉を綴った。


 謝罪、感謝、彼女が出来たこと、大切にしたいこと、女装をやめたいこと、そしてまた謝罪。

 一斉に送りはしたが、一人一人に出来るだけ、思い出も交えての言葉も添えた。


 それだけしても、まだ怖かった。

 よく知らない他人とぶつかるのは怖い。知っていても怖い。

 本心を見せるのも怖い。なあなあで過ごしてきた相手の怒りを買うのも怖いし、執着や恐喝も怖い。

 そして何より、父親に失望されるのが怖かった。


 手が震える。

 震えながら、ゆっくりと溜まった受信メールを開いていく。


 佳佑は緊張した面持ちで、一通一通目を通していった。

 メールを読む佳佑を、暮れかけた午後の日差しが暖かく照らしながら沈んでいく。


 ──どんな罵倒や恐ろしい要求があるんだろう。


 覚悟して読み進める。

 何通も開き、順に読んでゆく。

 会ってくれ、殴らせろ、それくらいの要求なら、出来るだけ飲むつもりでいた。


「えっ……」


 ────だが。


 そこには、罵倒や脅迫はひとつもなかった。


「なんで……なんで?」


 何通も読んでいくうち、佳佑は自分の思い上がりに気付いた。

 彼らは誰一人として佳佑を責めず、諦めたような返信が言葉少なにあるだけだった。

 そもそも返信が無い人も多かった。ありがとうなんて書いてあるお人好しもいた。


 その中でも特に、共通して書かれていたある言葉に、佳佑は心臓を掴まれたような気持ちで息が詰まる。


『知ってた。よくある事だよ。だって君は“違う”からね』


 君は違う────。


 なぜだろう。

 ひどく寂しくなった。

 あのコミュニティに所属していたわけではないことは、自分でもわかっていたのに。むしろ一緒にするなと、ずっと思っていたのに。


 引き留められると、悲しまれると、そう思っていた。

 誰も、本気で自分を必要とはしてくれていないのだ。


 彼らは若者の移り気な性質に、振り回されたくないのだろう。

 ましてやこんな、切羽詰まりもしない、能天気なガキになんて。


 ──オレは与えてるつもりになっていただけで、仕方なく相手してもらっていたんだ……。


 唐突に、そう実感した。


 メールを全て読み終え、呆気なく終わったことに安堵し、切なくなった。

 父親からの返信もない。

 もう用がないからだ。


 父は強要しない。基本的には興味すらない。性対象の曖昧な息子に、場を提供してくれただけ。どうしろとも、どうなれとも言われたことはない。

 ただ、女装した時に、母に似ていると褒めてくれただけだ。生まれて初めて、目を見て頭を撫でてくれただけだ。


 自分の存在が、そこに確かにあると感じていた。

 もっと笑ってくれて、目を見てくれて。叱られたり、呆れられたりしてみたかった。

 そうなっても失われない関係が欲しかった。


 追撃メールを送りたくなるのを、ぐっと堪えた。

 今すぐ、やっぱり女装すると電話したくなるのを我慢した。


 ──あんな奴にも、オレは愛されたいのか。


 自分がひどくちっぽけで、子供に思えた。


「誰かと話したい……じゃなきゃ、変になる」


 自分のこと、矢子のこと、悲しいこと、辛いこと。誰かに聞いてもらいたい。

 だけど、こんなこと相談できるのって────。


『会いたい』


 簡潔なメッセージを打つと、目を閉じて突っ伏し、腕の中へ顔を埋めた。泣くのも面倒くさいくらい、脱力している。


 暖かな太陽に照らされていると、佳佑はいつの間にか浅く眠っていた。

 眠りながら、“彼”を待つ。

 しばらくして、


 ピンポーン。


 呼び鈴が鳴った。

 起き上がって玄関へ駆けると、すぐに扉を開け────


「イテッ」


 と、顔を出した途端、いきなり頭をはたかれる。


「おい。二度とこんな文面送ってくんじゃねーぞ」


 そこには、冷ややかにこちらを睨みながら携帯の画面を突き出す、タクヤの姿があった。


「あれタクヤさん、よくウチがわかりましたね」

「お前な……位置情報付きで送っといて何言ってんの」


 叩かれた頭を撫でながら笑うと、呆れたように返される。


 もしかしたら、彼は同性愛者ゲイで佳佑のことが好きなのかもしれない。それをわかっていて思わせぶりな文章を送り、会いに来させた。


 自覚して彼の気持ちを利用する自分は悪魔のようだと思いながら、彼を部屋に招き入れる。


 ──戸田望に恨まれても当然だ。


 佳佑は今、自分の狡さに開き直っていた。

 揺さぶられる寂しさに押し流されて、誰か自分を好きな人に甘えてしまいたい。この狡さは、もう治らないかもしれない。


「コンビニで酒買ってきたんだけど、飲む?」

「うわっ、気がきくぅ! タクヤさん大好き!」

「やめろ気持ち悪い」


 タクヤが片眉を吊り上げる。呼びつけた事も、本当は怒っているのだろう。でも、来てくれた。

 佳佑は苦笑いしながら、タクヤの持って来た酒の入った袋を受け取った。ふたりは小さなテーブルを囲んで床に座ると、缶のチューハイを開けて飲み始める。


「ツマミとかないの。呼んどいておもてなしとかないの」

「なんもなーい」

「まったくお前はさぁ……」


 呆れ返りながら、袋の中から柿の種やらチータラやらを取り出す。


「で、なに? なんかあった?」


 友達を部屋に呼ぶなんて初めてだ。その理由もわかっているタクヤは、素っ気なく尋ねながらも心配してくれている。

 わざわざ呼びつけるなんて、異常事態だと。


「うん……あのさ。今更遅いかもしんないけどさ」


 躊躇いがちに口を開いた佳佑は、逸らしたくなるのを必死で我慢しながらタクヤの目を見つめた。


「オレのこと全部話すから、味方、なってよ」


 だいぶ前に言ってくれた言葉を蒸し返した。

 ムシのいい話だと思う。情けなくて誤魔化すように微笑むと、タクヤは酒を飲みながら鼻で笑った。


「ほんと、今更な。俺がお前の味方じゃなかった時なんてあったっけ?」

「タクヤさん……っ!」

「それやめろ敵になるぞ」


 笑いながらごめんと謝った。心の中で、今日呼びつけた事も、信じなかった事にも、ごめんと付け足す。


「で、なにしたらいいの?」

「愚痴聞いて欲しい」

「え……なんだその女子みたいな味方」


 誰でもいいじゃん、そう言いながら、タクヤは佳佑の方へ体ごと向けて聞く体制に入った。そんな様子に笑いながら、佳佑も話し出す。


 ──全部話すから。

 その言葉通り、佳佑は今日までのことをゆっくりと話し出した。



「オレは自分が恥ずかしい……」


 酔っぱらった佳佑が、赤い顔で呟いた。彼は酒に弱い。

 項垂れて猫みたいに丸まりながら、まだ2本目の梅酒サワーをやっと飲み干す。


 自分が今までどれだけ他人の気持ちに疎かったのか、甘えん坊のガキだったのか。今日の出来事も含めて、思うままにつらつらと愚痴り倒した。


 タクヤはそんな佳佑を横目で見、チータラのチーとタラを分離させて遊びながら鼻で笑う。


「別に何も恥じることなんかない。まっとうに生きりゃいいんだ」

「オレらのできる”まっとう”って、どんな?」

「そーだな……働いて、税金納める。そのために勉強する」

「……フツーだな」

「フツーが一番」


 そうに決まってる、笑いながら言って、せっかく分離させたチーズとタラを一遍に口の中へ放り込んだ。

 佳佑は飲み干した缶を弄りながら話す。


「さっき説明したけどさ、オレ、普通になりたいの。普通になって、彼女と普通に幸せになりたい」

「ふーん」


 興味なさそうな反応のタクヤに、佳佑が唇を尖らせる。

 だが、タクヤには別の思いがあったようで、明後日の方を見ながら思案するように酒を口に含むと、ゆっくり飲み下した。


「お前が変わろうとしてるのは、いい事だと思う。でも、変わったら変化してしまう関係もあるよ」

「どういうこと……?」


 佳佑がきょとんとしながら尋ねた。

 タクヤは缶の中のハイボールをくるくる回した。泡がシュワシュワと音を立てて消えてゆく。


「彼女はそれを望んでんのかね? 自分がどこか壊れてると思ってるなら、私はいらないって思うんじゃない? 考えるってそういう意味だろ」


 その言葉に驚いたように目を見開く佳佑。


「え、うそ。オレがいるから辛いって事じゃないの?」

「お前ね……いや、辛いのも事実だろうけどさ」


 タクヤは呆れながら胡座あぐらの上に頬杖をつくと、佳佑をじっと見詰める。


「相手に幸せになって欲しいなら、俺だってきっと離れるさ。好きなら尚更」

「……そう、なのかな」


 足りない何かを補い合う、そのバランスが崩れたら、一緒にはいられない。相手の事を想うからこそ。


 佳佑は複雑な顔をして缶をあおり、中がカラになっていることを思い出して意味もなく振った。

 その様子を横目で見ながら、タクヤは聞こえない程の小さな声で、つまらなさそうに呟く。


「だからお前等(ノンケ)なんか好きになっても、良い事ねぇんだ……」


 ──その時、テーブルに置いていた佳佑の携帯が震えた。

 遅れてやってきた、一斉送信メールへの返信。


「あー、追加はいりましたー。誰だろ?」


 ふざけながら言って携帯をとり────佳佑が固まった。


「おい?」


 顔を覗き込み、反応がないので携帯を見る。


『ユカちゃんへ。

 一度、どうしても会いたい。会って謝りたい。

 明日の午後、いつもの喫茶店、いつもの席で待っています』


 それは『ユカ』に無理矢理キスした男。

 矢子との接点を作るきっかけになった中年男性、『鈴木』からだった。





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