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逆鱗に口付けを

 佳佑は矢子に最近の出来事を話した。


 大学でサキコが噂を流した事。

 それによって友達がいなくなり、今現在とても居心地の悪い思いをしていること。

 タクヤという友達とのやりとり。

 彼の事情と、教えてくれた噂の出所である戸田望らしき人物の情報。これは、戸田望の態度からほぼ確定になったはずだ。


 とりあえずひと通り話し、佳佑はカモミールティーを飲む。

 矢子も倣ってカップに口をつけ、温められた息をゆっくりと吐いた。


 話を聞きながら、矢子は段々と苛立ってきていた。

 危ない事はやめなさい、そう言った筈だ。後先を考えずに危ない橋を渡って、ギリギリの場所にいるのに気付かずに笑っている能天気さ。


 だが一方で、実害を被っても彼が対応できない理由もわかっている。

 父親のことだ。繋がっている、もしかしたら大事にされている、その呪縛から逃れる事が出来ない。


 ────自分と同じ……。


 祖母に愛されていたと思い込んでいる自分と同じ。

 本当はそうではないと、とうに解っている。


「自業自得ね。戸田望さんがああなったのは、あなたが自分でそうなる様に仕向けた結果だわ」

「…………」


 佳佑が項垂れる。

 媚びを売って可愛らしく笑いかけ、時に触れて見返りを貰いながら、心を奪った。その結果が今の戸田望との関係だ。

 みんながみんな、割り切れるわけじゃない。

 他の大人達がそうしなかっただけで、執着を持たせる様に構い続けたのは佳佑自身だった。


「……あなたは下手くそだわ。だから言ったでしょう、悪い事はやめなさいって」


 今更言っても仕方のない忠告を、力無く繰り返す。矢子は今、彼を責めたくて仕方がない。

 胸の奥で自己嫌悪と不快感が膨らんでいくのを、止める事が出来ない。


 俯く佳佑を横目で見ながら、矢子は急須に残ったカモミールティーをカップに注ぎ足し、一口飲んだ。

 出過ぎたカモミールが渋味を増して口内に広がる。


「他の人とは、どうしたの」

「他のも……切った。オレからはもう連絡してない」

「それだけ?」

「……うん」


 矢子は思わず目を眇めた。


「あらそう。パパにはやめるって言った?」

「しばらく休むって……言った」


 マズイことがわかっている。叱られるのがわかっていて白状する子供みたいに、佳佑は首をすくめて呟いた。


「じゃ、またやるわね」


 矢子はフンと鼻で息を吐く。

 様子の変わりように、佳佑がビクリと震えた。


 この感じには覚えがある。


 定期的にスイッチの入るこの時の矢子は、自暴自棄で投げやりで、少し恐ろしい。止めどない怒りや悲しみが入り交じったように、それを別の衝動で流すように感覚的な言動をする。


 ただ、何かに足掻く矢子の気持ちが、過去を聞いた今では少しだけ想像できた。

 彼女はこわがっている。


 ──……なぜ気付かなかったんだろう。


 矢子のカップを持つ手を見ると、僅かに震えていた。何かを抑えるように指先に力が入り、真っ白に変色している。

 彼女は恐れている。そしてずっと震えている。佳佑がこういう話をしている時、怒ったようなふりをしながら、きっといつも震えていたのだ。


「オレはもうやらないよ」


 そう決意したのは本当だ。

 真っ直ぐに矢子を見て言うと、彼女は顔を歪めた。


「……あなたは、年寄りの怖さがわかってない」


 苦痛を堪えるように、矢子は下唇を噛んだ。


「あいつらはね、自分に先がないのをわかってるの。だから同じ所まで引き摺り下ろして、閉じ込めておこうとするのよ。新しいものを見ないように、他に目が行かないように。愛されてると思っても、それは愛じゃない。あなたは訳もわからず、ただ堕ちていくだけよ」


 眉を思い切り顰めて、振り払うように首を振って捲し立てた。纏めていた髪が乱れ、顔に影を作る。


「その先に残るのは、先立たれて置いていかれる自分だけ。未来なんてない、気がついたら、もう、取り返しのつかない年齢になってしまっているかもしれない……」


 カップを握りしめながら、ぶるぶると震える手を止めようとする。注ぎ足したカモミールがカップから飛び出して、指を濡らせた。

 辺りにリンゴのような甘い香りが広がる。


 矢子の感情は佳佑のことを離れて、矢子自身の、底知れぬ恐怖や呪縛へと移っていた。必死で何かに抗いながら、助けてと叫び、ここへ来るなと言っている。

 佳佑はそう感じて、黙って矢子を見ていた。


「私と、同じにならないで……」


 泣きそうに掠れた声で呟く。

 これまで、彼女がこんなに感情的になった事があっただろうか。


 佳佑は矢子の震える手に、自分の手をそっと重ねた。彼女の手が一瞬ビクリと跳ねて、カップから温いカモミールが佳佑の手にもかかる。


「オレは大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないわ。だって、私につかまってる」

「つかまったのは矢子さんで、オレがつかまえたんだよ。そうでしょ?」


 濡れた指先で手を撫でながら佳佑が問うと、矢子は首を振って黙った。


 ──私が佳佑さんを手放したくなくなったら、どうしよう。


 ふいに、矢子の心に不安が涌き上がった。

 女装をやめると言われてから、迫るような不安や恐怖があった。

 それはきっと、変わっていく先の佳佑が、停滞した矢子を捨てる事への恐怖。置いていかれる恐怖。


 『普通』になったら、もう私を必要とはしないかもしれない。


 そうなったら、きっと戸田望さんの執着なんて比ではない。

 お婆ちゃんのように、彼の目を塞いで閉じ込めてしまうかもしれない。いいえ、私ならきっと、手足を縛って目を潰すくらいしてしまう。

 愛はこわい。自分を失わせ、狂わせてしまう……。


 そんなことを佳佑に言っても、きっと「矢子さんはそんなことしないよ」と笑うだろう。自分でも、そんな面倒なことをするとは思えない。

 だけど、どこで歯車が狂うかわからない。


 沈み込んで固まった矢子を、佳佑が心配そうに覗き込んだ。

 反応がない。


「……ね、この話は一旦終わりにしない?」


 ティッシュで自分と矢子の手を軽く拭くと、佳佑はおもむろに立ち上がった。そして「お腹空いちゃった」と笑って冷蔵庫へ向かう。

 そういえば、ふたりとも働いた後にお茶しか口にしていない。思い出したように、矢子の腹がグウと鳴った。


「あはは。チキンあっためるね〜」


 すっかり冷めたチキンをレンジで温める。

 スープとサラダも用意し、酒の強くないふたりは炭酸水で乾杯した。


 ケーキは小さな手のひらほどのホールケーキだった。

 本来はレアチーズの白い土台に宝石のようにフルーツが散りばめられていたのだが、やはり相当崩れている。小さな砂糖菓子のサンタが、クリームの中で遭難しかけていた。


「メリークリスマス!」

「め、めりーくりすます……」


 にこにこと微笑み気分を変えようと頑張る佳佑に、矢子も必死で合わせる。

 だが空腹からか、すぐにふたりは黙々と食事しだす。あらかた食べ終えて満足するまで、まるでパーティーとは思えない静けさだった。


 しばらくしてやっと一息ついた時、ふいに矢子が立ち上がった。

 戸棚へ向かい、中に仕舞っていたものを取り出して佳佑に差し出す。


「これ、クリスマスプレゼントです」

「え!!」


 渡した小さな箱には、可愛らしいラッピングがなされていた。


「うれしい! え、うそ、貰えると思ってなくて、オレもあるよ! あ、うそ、嬉しい! 開けていい?!」


 仔犬のようにはしゃぎまわる佳佑に、矢子が微笑んで頷く。

 佳佑は自分のプレゼントをカバンから出すと、「交換ね!」と言いながら渡してきた。

 長細い箱は、中身が容易に想像できる。


「被りましたね」

「え?」


 呟く矢子に、ラッピングを丁寧に剥がしながら佳佑が笑顔のまま首を傾げた。


「わあ……! 意外!」


 矢子からのプレゼントは、足首に付けるアクセサリー、シルバーのアンクレットだった。

 佳佑の予想では、アロマとかポプリとか、下手したらお菓子の可能性を考えていたので、かなり意外だ。


「被ってないじゃん」


 佳佑からのプレゼントは、箱から見ての予想通り、ネックレスだった。ワンポイントで控えめな、普段使いできるものだ。


「素敵です。ありがとう」

「それなら仕事中も邪魔にならないでしょ。石はイミテーションだから安物だし、ガンガン使ってよね」


 アクセサリーに詳しくない矢子はよくわからないが、ダイヤのように見える宝石はキュービックジルコニアという人工石らしい。

 得意げに説明する佳佑の顔は、女の子のユカだった。


「つけてあげる。オレにもつけて」


 佳佑が椅子に座る矢子の膝に左足を軽く乗せると、その体勢のまま首元にネックレスをかけた。

 矢子は佳佑の足首にアンクレットをかける。


「うれしい。ありがとう」


 アンクレットをつけた足を降ろして、矢子を見下ろしながら佳佑が微笑み、ゆっくりと柔らかく抱きしめた。

 矢子の頭は佳佑の細い腕の中へすっぽりと収まる。彼の匂いに包まれ、矢子の体の力はゆるゆると自然に抜けていった。


「恋人にアクセサリーを贈る意味、なんてものを見ました」

「ネットかテレビで?」

「ええ」


 胸の中で頷く矢子の頭を撫でながら、「なんて意味だった?」と尋ねる。くぐもった声がくすぐったい。


「大まかに言えば、相手を独占したい、というような意味でした。特にこういう、輪っかのやつは」

「なるほど。だから被った、って言ったの」

「そうです」


 矢子がもう一度頷くと、佳佑はふふふと笑った。


「そういう意味で贈ってくれてたりして」

「……ええ。たぶん」


 茶化す佳佑に、矢子は躊躇いながら肯定する。

 驚いて腕の中の矢子を見ようとすると、彼女は隠れるように胸の中に顔を埋めた。


 矢子は戸惑っていた。先程まであんなに不安がり執着を恐れていたのに、束縛を示唆する贈り物をしてしまう、整合性の取れない自分。

 けれど、どちらも本音だ。


「私、あなたを束縛したい。縛りたいと思ってる……お婆ちゃんみたいに」


 意を決して呟き、背中に手を回してしがみつく。

 誰かを自分のものにしたいだなんて、とんでもなく恐ろしい思考のように思えた。こんなことを思うのは、自分がきっとオカシイからだと思った。しかし一方で、至極真っ当な思考であるようにも思う。

 矢子がさらに強くしがみつくと、佳佑も応えるように腕に力を込めた。


「縛ってもいいよ」


 耳元に囁く。その言葉に確かな意志を感じて、矢子の体が震える。


「……サキコさんとタクヤさんは、あなたの事が好きだわ」

「…………うん」


 ふいに目を逸らしていた事実を呟かれ、佳佑が戸惑いながら頷いた。


「なぜ私なの?」


 他にも大事にしてくれる人がきっといる、なのに。


「私じゃなくてもいいでしょう」


 どこが好きなのか。それらをいくら並べ立てても、なぜなのか、には到達できない。言葉でなんて説明できない。


「わかんない。理由なんていらない。矢子さんがいいんだ」


 腕の力を緩めて矢子を見下ろすと、彼女も顔をあげて佳佑を見た。

 微笑んでみせると、顔を歪める。まるで泣く直前みたいで、初めて見る表情に胸を突かれた。


「……少し、考えさせてくれませんか」

「考えるって?」

「私が、あなたの人生にとってどうなのか……」


 それって、考えて答えの出ること?

 問おうとして、矢子の瞳が揺れているのに気付き、息を飲んだ。じわりと涙を滲ませながら、泣くまいと唇を噛んで堪えている。


 自分が、彼女のトラウマをこじ開けているのかもしれない。


 罪悪感で胸が潰れそうになった。

 腕の中の矢子は、なんだかひどく小さく見えた。


 今まで不思議で得体の知れない大きな存在だった彼女は、知るたびにどんどん小さくなる。

 そして等身大の大きさになって、今は守ってあげたいとすら思わせる。

 その彼女を、苦しめているのは自分だ。


「……オレのこと好き?」


 佳佑の問いかけに、矢子が躊躇いながら遠慮がちに頷いた。


「そっか……嬉しい、両思いじゃん」


 精いっぱい微笑みながら、矢子のおでこに軽くキスを落とす。矢子は嫌がる素振りもなく、目を閉じて受け入れた。


「ごめんね、オレのせいだよね。少しだけ待ってて。ちゃんと清算する。すぐ戻ってくる。そしたら答えを聞きにくるから」


 屈託なく笑って、静かに腕を解いた。


「泣いて帰ってきたら、矢子さん、オレのこと慰めてね」


 頬に手をかけてキスをする。名残惜しげに唇を離しながら「今日は帰るね」と囁いて、荷物を手にした。

 矢子が「……ごめんなさい」と蚊の鳴くような声で呟くと、気にするなというように首を振って笑う。

 そして座ったまま俯く矢子に手を振って、


「じゃあ、おやすみ! あったかくして寝るんだよー」


 と、いつものように明るく帰っていった。



 ……これが、少し前まで泣いていた弱々しい男の子だろうか。


 今や矢子よりもずっと強い。ただでさえ大変な思いをしていて、いっぱいいっぱいの状態なのに。矢子を気遣い、前に進もうと足掻いている。


 ──私は、彼よりも大人のくせに。

 なにをやっているんだろう。


 眩しい。成長してる。

 彼はいつの間にか、出会った時よりもずっとずっと大人になっていた。





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