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野生の花は踏んでも枯れない

 街はクリスマス一色。

 電飾が木々を華やかに彩り、音楽が流れ、楽しげな雰囲気に包まれる。

 矢子の働くモールの中も例外ではない。

 セールの関係で朝から目のまわる忙しさだった。


 他人の誕生日なのに、不思議。


 矢子は常にそう思ってきた。好きだとも嫌いだとも、煩わしいとも惨めだとも、何も思ったことがない。

 けれど今年は違う。佐伯佳佑と過ごす。

 それだけで何か、特別な日のような気がした。


「矢子さん、お疲れ。この後ご予定は?」


 予約台帳と睨めっこしていた矢子に、手が空いたのか店長橋本が声をかけてきた。

 閉店間際のこの時間、予定といえばプライベートな話だろう。


「お疲れ様です。今日は、佐伯様と家でチキンを食べます」

「あら、お家デート? ってか、佐伯様あんな可愛いのに彼氏いないのかっ、もったいな!」


 佐伯ユカの正体を知らぬ橋本が、茶化すように言って笑う。


「橋本さんは?」

「わたしぃ? 年内は会うのも無理かな、お互い忙しいもん。年明けは福袋もあるし」


 百貨店やモールの年末年始は掻き入れ時だ。

 残念そうな橋本の様子に、ふたりが上手くいっていることを感じた矢子は微笑みながら頷いた。


「だからさ、年末年始、矢子さんも頼むよ! その代わり……」


 予約台帳の矢子担当の欄に、大きくバッテンを書く。


「今日はもうノルマ達成したのであがってよし!」


 ニッと笑うと、橋本は矢子の背中をポンと叩いて奥へ消えた。



****



 お言葉に甘えて、矢子は仕事場を後にした。

 予定より随分と早いので、佳佑はまだコンビニでバイト中だ。

 折角だから迎えに行ってみようか。そんな考えが浮かび、矢子はコンビニの方向へ足を向ける。


「クリスマスケーキいかがですかー」


 コンビニの前では、飾り付けされたツリーの横でバイトの女の子達がケーキを売っていた。中をチラリと覗くと、レジに佳佑の姿が見える。

 佳佑はすぐに矢子に気付き、軽く手を振った。

 腕時計を見る。もうそろそろあがっていい時間のはずだった。


 ──裏で待っていよう。


 そう考えて、裏手の道に回り込んだ時。


「お前……マッサージ屋の!」


 聞き覚えのある声がして、矢子はそちらに目を遣った。


 ────戸田望とだもち様。


 そこに居たのは、いつぞや矢子の店で暴れ、警備員に連行された中年男だった。

 彼は驚く矢子にゆっくりと近付く。


 矢子は自分が自然と後退りしているのを感じた。ジリジリと下がりながら、汗ばんだ手を握りしめる。

 体が恐怖を覚えているのか、自分でも制御できないくらいに体がぶるぶると震え出した。

 こわい、逃げたい。


「ユカに用か」

「ゆ………ユカさんに……」


 なんと言おう。誤魔化せない、ここでは警備員は来てくれない。

 矢子が思案していると、戸田望がモゴモゴしながら呟いた。


「……この前は、悪かったな」

「────え?」


 てっきり暴れ出すと思っていた矢子は、思いがけない言葉に拍子抜けした。

 蚊の鳴くような声で呟かれた言葉と、しおらしい態度。落ち着いて戸田望を観察しつつ、彼に声をかけようとした、その時。


「矢子さんっ!」


 佳佑の声がして、矢子の腕がグイと後ろへ引っ張られた。

 振り向けば、帰り支度をして裏口から出てきた佳佑が、戸田望を睨みつけながら立っていた。


 佳佑は矢子を隠すように自分の後ろへ庇うと、ぐっと背筋を伸ばす。


「彼女に、何かご用ですか」


 真っ直ぐに戸田望を睨み上げながら、ハッキリとした声で言い放つ。

 男らしく相対するその態度は、戸田望をひどく混乱させた。

 今までの佳佑からは考えられない。男性として女性を守ろうとする、凛とした姿。弱々しく守ってあげたいユカの姿からは程遠い。


「いや……用っつぅか……その」

「用がないならもう彼女に構わないでください」


 畳み掛ける佳佑の言葉は刺々しい。

 彼の中で警戒心が膨れ上がっていくのを感じ、戸田望が後退る。


「佳佑さん、私なら大丈夫ですから。戸田望さんは何も──」

「矢子さんは黙ってて」


 フォローしようとした矢子を見もせずにピシャリと黙らせると、佳佑は続ける。


「あんたがオレの大学でしてくれたことを知りました。おかげでオレは今、すげー大変。マジで、ふざけんなよ」


 佳佑が拳を握りしめた。その手はぶるぶると震えている。

 恐怖ではない、怒りで。


 矢子は彼らの間に何かあったことを察した。

 様子から、佳佑が不利益を被ったのだろう。けれど、何があったのか矢子は知らない。


「ごめん、ごめん、ユカ、あれは違う、違うんだ」

「なにが違うって言うんだよ!」


 大声を出した佳佑に、矢子と戸田望は驚いて、一瞬竦みあがった。

 コンビニの表通りで、人がザワつくのがわかった。クリスマスの喧噪で紛れてはいるが、ここでやりあっていたらいずれ人が来てしまう。


「佳佑さん!」


 服を引っ張って止めようとするが、彼は動かない。


「なんでわかんないんだ。何度も言ってますよね、オレは女じゃないって! あんたのものにはならない、お金で割り切ってるって! 皆それで納得してくれるのに、なんであんたはわかんねーんだよ!」


 噛み付くように叫ぶ佳佑。

 戸田望は最初、苦渋の表情を浮かべていたが、その言葉にじわじわと怒りを滲ませた。


「みんなってなんだよ……」


 呆然と呟いて、佳佑を睨み返す。


「みんなってなんだよ、みんなじゃねぇよ、俺のこと見ろよ! 俺のことだけ見てよ! はじめて好きになったのに、俺が好きだって言ってるのに、なんでみんななんだよ、お前は、他の女とは違うだろ、嬉しいって、言ってくれたじゃねぇか!」


 ……そんなこと言ったっけ。

 涙目で叫ぶ滑稽な中年を見ながら、そう思う自分がいる。

 こいつをひどく傷つけてやりたい、そんなことを考える自分がいる。


 自分のことを好きだと言うなら、簡単に傷つけられる。何を言えば一番嫌がるだろう。大嫌いなんてありきたりだ。もっと、後悔したくなるような────


「佳佑さん」


 ふいに名前を呼ばれ、はっとする。

 隠すように後ろへ追いやった矢子が、佳佑の片腕を両手でぎゅうと掴んでいた。その顔は厳しく、悲しそうだった。

 自分の背後に彼女がいたことを、すっかり忘れていた自分に驚いた。


 ────オレ、今どんな顔してたんだろ。


 前に、タクヤに『サセ子と同じ顔してる』というような事を言われた。

 自分の中にある、どす黒く加虐的で傲慢な何か。それらが連鎖して襲ってきている気がした。

 因果応報、そんな単語が脳裏に浮かぶ。


「……もう、いいです。とにかくオレはもう、ユカじゃない」


 力無く言って、矢子の手を取る。

 佳佑の手は驚くほど冷たくて、矢子は少しぎょっとした。


「もう、オレにつきまとわないで」


 ゆっくりと諭すように言って戸田望を見ると、なぜか彼は項垂れていた。


「こんなはずじゃ……サキちゃんは、大丈夫だって……こんな、つもりじゃ」


 サキちゃん?


 疑問に思いながらも、佳佑は今のうちにと、矢子の手を引いて固まる戸田望の横をすり抜けた。

 彼はまだ何かブツブツ言っていたが、最早構う必要はなかった。ただ早くこの場を去りたい。佳佑は歩を早める。


 矢子は手を引かれながら、振り返って残された戸田望を見た。


 ──戸田望さんは今日、何しにここへ来たんだろう?


 前にもここへ来ていたことから、佳佑に会いに来たことは間違いなかった。

 もしかしたら今日、彼は謝りに来たのではないだろうか。

 だから最初に矢子に謝った。

 なのに、その目論見は失敗し、あんなに項垂れている。


 小さくなる戸田望の背中は寂しそうで、矢子はきっとそうだったのだろうと思った。



****



「────それでさ、あがる前にチキンを揚げてもらって、急いで来たんだよ。コンビニのも最近美味しいよね。あ、ケーキも買ったんだ。朝ケーキ屋さんで受け取って、冷蔵庫入れさせてもらったの。矢子さんは準備した? してないでしょ。来年はツリーとか飾りとか色々やりたいな、ちゃんと休みとって──」


 矢子のアパートへ着くまで、佳佑はずっと喋り続けた。時々、シャックリのように言葉が詰まったが、何事もなかったかのように続けた。

 繋いでいる手は少しも温まらず、指先は震えていた。


「着きましたよ。ほら、手、離して」

「あ、うん」


 部屋の前でそう急かすと、彼はゆっくりと引き剥がすように指を離した。指はガチガチに固まっていた。


 カギを開けて中へ入ると、いつもの家の匂いがする。

 落ち着く────。


「ふ……うぅ……」


 扉が閉まると同時、背後で佳佑の押し殺した呻き声が聞こえた。

 矢子が振り返ろうとすると、後ろから抱きしめられ身動きがとれなくなる。


「……佳佑さん?」

「ごめん……少しだけ、このまま」


 鼻声で呟くと、肩に顔を埋めた。

 水滴がポタポタと垂れてくる。胸元に回された手は、震えを抑えるように力が入っていた。チキンやケーキの入ったバッグがガサガサと音を立てて揺れる。きっと中身はぐちゃぐちゃだ。


 矢子は佳佑の心をほぐすように、ポンポンと優しく腕を叩き、撫でた。


 佳佑の心は、後悔や自己嫌悪、戸田望への怒りや恐怖、矢子への申し訳なさ──様々なもので一杯だった。抑えられない感情の渦に飲み込まれ、涙となって流れ落ちる。


「大丈夫、頑張ったわ。カッコ良かった。庇ってくれてありがとう」


 ゆっくりと言い聞かすように言って頭を撫でると、佳佑は肩口でコクコクと頷いた。


「矢子さんが無事でよかった、オレ、興奮しちゃって、ごめんなさい、矢子さん、ごめんね……」




 どれくらいそこに居ただろうか。

 しばらくしてようやく落ち着いた佳佑は、ゆっくりと体を離した。


「ケーキしまわなきゃ」


 鼻の頭を赤くして笑いながら言う。

 佳佑が冷蔵庫にケーキの箱を仕舞う間に、矢子はいつものようにお湯を沸かしお茶の準備をはじめる。


 ふたりでダイニングの椅子に腰かけたところで、矢子は口を開いた。


「話してください」


 矢子の淹れたカモミールティーを愉しんでいた佳佑の動きが、ピタリと止まる。


「戸田望さんのこと。それから、佳佑さんがさっき言っていた『今すげー大変』な理由も」


 じっと見据えると、佳佑は少しだけ視線を泳がせ、やがて諦めたように首を振って微笑んだ。


「どこから話そうかな……」


 湯気の立ち上るカップを持って、一口含む。

 甘いリンゴのようなカモミールの花の香りが、佳佑の鼻孔をくすぐった。





【用語解説】

<カモミール>:マザーリーフ、大地のリンゴなどの別名を持つ。甘く優しい香りの可愛いお花。効果は安眠、疲労回復、リラックス、風邪対策にも。

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