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木曜日の美少女

「お疲れ様です、田中様」


 薄暗い店内。フィッティングルームから着替えを済ませて出てきた中年の女性に、矢子やこつぼみ はにこやかに声をかけた。

 白いブラウスに黒いズボン、引っ詰めて結わいた長い黒髪の真面目そうな彼女に、田中と呼ばれた中年女性は微笑み返す。


「今日のハーブティーはジンジャーにしようかしら」

「ありがとうございます、すぐにお持ちいたしますね」


 矢子が頷いて、奥の給湯室へ引っ込む。


 ここはリラクゼーション店『りらっくす』の店内。駅近の古びたモールの中にある店で、最近は新しく出来た駅ビルに客を取られ気味だ。

 平日午後の今、店内は閑散としている。

 リラクゼーションという、マッサージでもエステでもない、微妙な立ち位置の存在ということもあり、なかなか集客はままならない。


「矢子さん、お疲れ」


 ふいに、施術せじゅつ後のハーブティーを入れていた矢子の背後から声がかかる。

 振り返ると、休憩に出ていた小柄な女性、店長の橋本が手を振っていた。


「ね、もう来てるよ、美少女・・・

「……あぁ、佐伯さえき様」


 矢子の脳裏に、可愛らしい服を着た色白の少女が浮かぶ。

 彼女は毎週木曜日の午後、必ずやってくる。しかも──


「やっぱり矢子さんご指名だって。待ってくれてるから、田中様のハーブティー、代わるね」

「ありがとうございます」


 礼を言って、ハーブティーを乗せたトレイを橋本に渡すと、給湯室から出て受付へ向かった。

 受付の椅子を覗くと、長い栗色の髪を腰まで伸ばし、白いフリルのついた甘めのブランド服に身を包んだ、お姫様のような美少女がちょこんと腰掛けているのが見えた。


「佐伯様、大変お待たせいたしました」

「あ、矢子さん! えへ、また来ちゃいました」


 矢子の営業スマイルに、こちらを向いて全力で微笑む美少女。

 揺れる長い睫毛に、右目の下には色っぽい泣きボクロ。綻んだ頬は赤く、弧を描いた唇はふっくらと柔らかそうだ。


 こんなとんでもない美少女が、なぜか矢子を気に入り、毎週通ってくれている。その理由に、矢子は思い当たる節がないわけではない。


「今日はいかがなさいますか?」

「うーん、今日は時間があるんで、60分の足のコース、やってもらおうかな」

「オプション等はよろしいですか?」

「オイル、つけてください」

「かしこまりました。それでは先にお会計を────」


 メニューを見ながらの慣れたやりとりの後、奥の施術室へ案内する。

 スカートが汚れないよう、佐伯には施術用のジャージに着替えてもらい、カーテンで仕切られた施術室の中央に置かれた、大きなリクライニングチェアに横になってもらう。

 軽く足を拭いたら施術のはじまりだ。


「体勢、お辛くないですか?」

「大丈夫です」

「では、始めてまいりますね。ごゆっくりお休みくださいませ」


 寒くないよう身体に毛布をかけて、佐伯の足の前に座り、足先に巻きつけたタオルを剥がす。

 彼女の足の指には、綺麗な黄色のペディキュアが塗られていた。

 毎回、違う色。時には模様やらストーンやらくっついていて、矢子はタオルを開けるのがいつも楽しみだった。


 ペディキュアを見ながら、オイルを手にとり、温めながらゆっくりと佐伯の足に塗り付けていく。

 彼女の足は白く、細く、よく手入れされて剃り跡もない。すべるように滑らかで、柔らかく、手に吸い付くようだった。


 そして──────女性の足より少しだけ、重い。


 いくら見た目が完璧な美少女とはいえ。

 いくら最初に書いてもらったカルテに『佐伯ユカ』と署名されていたとはいえ。

 肉体は、骨格は、誤摩化せない。


 彼女の足は、完璧に美しい────美少年・・・の足だった。


 けれど、矢子はそのことを口にも表情にも出したことはない。

 佐伯様は佐伯様であり、男でも女でも、どっちでもいい。

 強いて言うなら施術の時に、妊婦か生理中か等を気にしなくていいくらいか。


 そしてたぶん、彼女が自分を指名する理由はここにある、と矢子は思っている。

 今まで面倒くさい確認をされたことが何度もあったのだろう。

 矢子は言わなくていいことは言わない。気にもしない。そのドライさが気に入られている理由だろうと思う。


 矢子は、オイルの染み込んだ佐伯のふくらはぎを、力を込めて疲れを流すように一気に滑らせた。

 ふにゃふにゃとした柔らかい彼女の足の脂肪と筋肉が、形を変えて矢子の手に吸い付きながら押し上げられる。


 まだ若い佐伯の肉体は、疲労とは無縁な気がした。

 だが彼女は施術後にいつも、とろんとした顔で「きもちー……」と呟く。


 彼は、彼女は、きっと寂しいのだ。

 純粋に疲労を癒したいお客様が大半だが、中にはこうした、他人との肌のふれあいを求めてやってくる方もいた。

 そういった人間はすぐわかる。

 だって、私だってそうなのだ、と、矢子は思う。


 目を閉じて、佐伯の肉体と体温を感じ、その大きなうねりと流れに身を任せる。

 やがて奇妙な一体感が生まれる。

 矢子と佐伯の肉体の境界線があやふやになり、溶け合ってひとつになる。

 どこからが自分で、どこからが他人なのかわからない。わかるのは、この肉体の流れを阻害している部分だ。矢子はそこへ向かって手を伸ばす。揉み解して、それを身体の外へと押し出してやる。


 オイルの水音を響かせながら足指の合間に指を絡ませると、ふいに佐伯の身体がビクリと震えた。

 矢子はそっと目を開ける。

 トランス状態が解けてしまった。

 再び目を閉じようとしたとき、


「はぁ……きもちい……」


 佐伯の口から漏れた呟きに、矢子は心の中で頷いた。


 私も、気持ちいい。



****



 本日の業務は終了し、モールの中には蛍の光が流れている。


「矢子さん、今日はもうあがっていいよ」

「はい。レジだけ閉めときますね」

「あんがとー」


 もぐもぐとお菓子を頬張りながら、業務報告書を書く店長橋本。

 佐伯の後からぱったりと客足が途絶え、暇だったふたりはすでに閉め作業の大半を終わらせていた。

 毎日こんな感じだと困るが、たまに早く帰れるのは嬉しい。

 いそいそと帰り支度をすると、橋本に挨拶して店を後にする。


「冷蔵庫の中、なにか食べるものあったかしら。まあ、今日はコンビニでいっか……」


 そんなことをぼんやりと考えながら、駅前の商店街を突っ切って、少し古びた住宅街へと歩く。

 駅の反対側は駅ビルのおかげで開発が進み、綺麗で住みやすく整備されているのだが、反対側のこちらはまだまだごちゃごちゃとしていて地価も安い。故に、家賃も安く、小さなホテル街なんかもあったりする。治安がいいとは言い難いのだが、駅近が職場の矢子にとっては都合が良かった。


 帰り道を歩きながら、ふいに、普段立ち寄らないコンビニが目に入る。

 たまには、こういうのもいいか。

 常に家と職場の往復で休日もどこにも出かけない矢子は、ちょっとした冒険のつもりで、そのコンビニに入っていった。


 ────と。


「おいてめぇ! ふざけんじゃねぇぞ!」

「や、やめ……っ、やめてください!」


 店内に入るや否や、入り口付近のレジカウンターで揉み合う、太った中年男性と気弱そうな細い男性店員が目に入った。店員はカウンター越しに胸ぐらを掴まれて涙目だ。

 他に店員も客もおらず、ヒートアップする男性を止める人間はいない。


 とんだ大冒険になってしまったな、と思いながら、矢子はカバンから携帯電話を取り出した。


 カシャッ。カシャカシャッ。


 シャッター音を響かせ写真を撮る。

 男性と店員が驚いて矢子の方を振り返った。

 矢子は無視して携帯を耳に当てがう。


「あ、もしもし警察ですか? 今、駅前3丁目のコンビニにいるんですが、中年男性が暴れて店員に暴力を──」

「て、てめぇっ……覚えてろよ!」

「……っ」


 男性は一度怒鳴ると、店員を突き飛ばし、矢子に体当たりしながら店から走り去る。

 矢子は少しよろけた程度だったが、細っこい店員は後ろに倒れて、レジ裏の陳列棚にガシャンとぶつかった。


「大丈夫ですか?」


 矢子がカウンターに駆け寄ると、店員は震えながら頷いて、顔をあげた。


「あ────」


 男にしては、やけに、綺麗な顔だった。

 色白でつるりとした肌に、大きな瞳と長い睫毛。右目の下には色っぽい泣きぼくろ。鼻筋は通っていて、少女のような柔らかな唇は恐怖から戦慄わなないている。

 どこかで見たことがあるような……。


「あの、お客様、あの……」

「はい?」

「電話、警察に、電話、したんですか?」


 よろよろと立ち上がりながら、店員が不安そうにきょろきょろと辺りを見回した。店内には、矢子と店員以外に誰もいない。

 矢子は自分の握っていた携帯に視線を落とす。


「あー。あれは、嘘です」

「えっ」

「嘘も方便です。でも、本当に連絡した方が良いかもしれませんね。一応、営業妨害ですし。証拠の写真、渡しましょうか」


 淡々と話す矢子は、動揺した様子もなく、にこりともしない。


「いえ、警察は……警察は、いいです。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」


 店員はどこかホッとした様子で、ぺこりと頭を下げてお礼を言うとカウンター内の倒れた商品を戻し始めた。

 矢子は何かが引っかかりながらも、とりあえずお弁当とお茶を取ってレジで会計をする。

 釣り銭を受け取り去ろうとすると、


「あ、待って下さい」

「はい?」

「これ──よかったら」


 暖かいルイボスティーのペットボトルを差し出して、店員はにっこりと微笑む。


「お礼です。ノンカフェインのがいいでしょう? あの、また寄って下さいね」


 ぱっと華が咲いたような微笑み。

 見惚れながら手を差し伸べてルイボスティーを受け取ると、わずかに指先が触れ合った。

 矢子は思わず、すり、と擦るように指で撫ぜる。

 店員が恥ずかしそうに顔を赤らめ、慌てて手を引っ込めた。


 あ────わかった。


 この手触り、この感触。


「また来ます。ありがとう」


 矢子はにこりともせずにくるりと踵を返すと、颯爽と店を後にした。


 あの綺麗な顔、目の下の泣きぼくろ。

 そっか、そういえば、男なんだっけ。


 矢子は脳裏に、今日の午後に来店した美少女を思い浮かべる。

 あっちは気付いたはずだ。

 だって、ノンカフェインのルイボスティー。わざわざそんなのを選ぶあたり、わかっていない筈がない。

 リラクゼーション業界では、カフェインは血管収縮やら冷えやら浮腫むくみやらの原因として事ある毎に揶揄やゆされている存在だ。

 だが実際、矢子はコーヒーを好む。ルイボスティーも飲んだことがない。


「まぁ、いいか」


 まぁ、いいか、だ。

 あの男性店員が木曜日の美少女であったとしても。

 矢子の存在に気が付いて、店での営業スマイルとのギャップに驚いたとしても。


 矢子はただ淡々と、仕事を全うするのみである。





【用語解説】

〈リラクゼーション〉:身体の部位に対応した手足のツボを刺激し緊張をほぐす。マッサージと混同されがちだが、資格の種類も理念も違う。民間資格。

〈ルイボスティー〉:ルイボスというマメ亜科の植物のお茶。健康効果が高く、妊婦や乳児に与えても問題ないとされている。独特のお味。


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