神竜と豆の人間
給食のスープに入ってた色とりどりの豆が苦手でした。
まずそうな人間だなあ、と思った。
と、思っていたのだが、どうやら口に出していたらしい。
「神竜さまは、人間がお好きなのではないのですか」
自分に捧げられた人間は問うた。
「人間なんて美味くもないもの、好きなわけないだろう。中でもお前は特にまずそうだ」
自分に人間が捧げられるようになってから数百年、こんなにまずそうな人間は久しぶりに見た。人にしては、背はひょろりと高い方だろうが、服から覗く手足は細く、骨に皮を貼り付けたようだ。きっと服に隠れた胴体も同様で、肩も、鎖骨も、あばら骨も、背骨だって浮き出て見えるに違いない。それから、頬をこけさせて、落ち窪んだ目で、絶望したような視線をこちらに寄越している。
「人間はまずいのですか」
「そうだ。というか、ほとんど骨と皮の生き物がうまいわけがないだろう」
「でも、神竜さまは捧げられた人間を食べると聞きました」
「そりゃあ人間は貴重な魔力源だから、多少まずくたって捧げられれば食べるさ」
人間で言えば、まずい豆だって、貴重なタンパク源だから、肉がなければ我慢して食べるだろう、と付け足してやると、「村では豆は主食ですから、うまいとかまずいとか考えたことはありません」と言われてしまった。ううむ、そうか。
「しかし、まあ、一般的には、豆はあんまり食べるもんじゃない。つまり、自分は人間は別に好きじゃないが、他のがないから食べるだけだな」
「神竜さまにとって、人間は豆ということですか」
「そうだな」
「それでは、神竜さまにとっての肉とは何ですか」
「ううーん……?そうだな、魔力のこもった綺麗な水、あとは魔物だな。人間がもつ魔力より沢山の魔力がこもっているから、それらはうまいと思う」
もっとも、この辺りに魔力のこもった水が湧く場所などないし、魔物がうじゃうじゃいるわけではない。ごく稀に、たまーに、ものすごく珍しいことに、山を越え、谷を越え、よく茂った森を越えて魔物が自分の方へ辿り着くことがある。そんな魔物を食べて、自分は長らえているのである。
「魔力のこもった綺麗な水、というのは、どんなものですか」
「魔力を多く持つものが見れば、キラキラ輝いて見えるぞ」
魔力をあまり持たない人間には、太陽に透かして見たって、普通の水に見えるだろう。飲んだところで人間の舌では魔力の味を感じることも出来ないだろう。
ここまで考えてふと人間を見ると、はて、こんな顔だったかなと思った。今度は口には出さなかったし、まずそうなのは変わりない。しかし、なんだか人間の絶望が薄れているような気がした。
すると、人間は服のポケットから指の長さ程の小さな瓶を取り出した。中には透明な液体が入っている。
「……それはもしかして、こんなふうに?」
「それは……」
それは確かに綺麗な水で、魔力がこもっていた。小瓶全体が満遍なく輝くのを見て、うまそうだな、と思った。
「神竜さま、お願いがあります」
「なんだ」
「もしこの水をうまそうだと思ったのであれば、これは差し上げます。かわりに、私を食べないでいただけますか」
「いいぞ。まずいものとうまいもの、どちらかをとれと言われれば、当然うまいものをとる」
「ありがとうございます」
人間が小瓶をこちらへ差し出したので、自分は尾を動かして、そこへのせてもらった。
ところで、この瓶の中身を人間はどこで手に入れたのだろう。それから、人間はこの水が輝いて見えることを知っていた。不思議なことに。
「人間よ」
「はい」
「この水、どこで手に入れた?魔力のこもった水が湧く泉というのは、大概大型の強い竜がひとりじめしているものだ。それこそ、自分のような小型の竜では太刀打ち出来ないような、とても大きな竜だ」
情けない話だが、自分は竜の中でも体が小さく、魔力のこもった水が湧く場所を争える強さも狡猾さも持ち合わせていない。それでもって、人間の集落の近くに追いやられて数百年、なんとか長らえている状態である。
「それは村の湧水に私が魔力をこめたものです。水が輝いて見えるなどと口走ったらすぐに異端扱いされ、神竜さまへの捧げものにされてしまいました。神竜さまのお話で、私は魔力を多く持っているのだと初めて知りましたが」
なんでもないことのように言うが、自分にとっては、ものすごく、すごいことだぞ、それ。
「お前、すごいやつだな。魔力の輝きが見えるほどの魔力量なら、王都で一流の魔術師になれるんじゃないのか」
「そうなのですか? もし神竜さまの温情で助かったなら王都に行ってみたいとは思っていました」
「ああ、自分が保証しよう。お前はなかなか見どころがあるぞ。小型とはいえ、竜が保証するのだから、自信を持てよ」
しかし、王都までの道のりは長いことだろう。この人間の痩せ細り方では、王都に辿り着く前に死んでしまいそうだ。こんな掘り出し物、滅多にないというのに。
「そうだ、自分の背に乗っていけばいい。王都までの道のりは長いし、その間に死なれては、寝覚めが悪いというものだ」
「それはありがたいことですが、神竜さまにとっての利点がありません」
「なに、お前が普通の人間くらいに太って、魔力を使っても平気になったら、自分に魔力のこもった綺麗な水をたらふく飲ませてくれたらそれでいい」
がりがりの今の人間では、魔力を水にこめるなどすればすぐに疲れて死んでしまうだろう。幸い、今の自分には魔力の余裕があるし、貰った小瓶の中身もある。人間など、ちょいとそこらの猪や熊の肉を食わせればすぐに太るのだ。近い将来、うまいものがたらふく食えるなら、少しくらいの苦労は進んでしよう。
「そんなことで良いのならば喜んで。私の命続く限り、私をひとりじめしてもいいですよ」
「ひとりじめ?」
「大型の竜は、おいしい湧水をひとりじめするのでしょう。神竜さまに旅に付いてきて貰えれば、私は心強い。そして神竜さまは魔力のこもったおいしい水がたらふく飲めます」
人間が、人間を泉の代わりと思えと言っている、と自分は理解した。大型の強い竜がひとりじめしているものを、小型の自分がひとりじめできるなどと聞かされれば、そんなに魅力的なことは他にない。
「……自分はお前を食べないと言ったが、それでは結局お前を生かしながら食べているようなものだぞ」
「一度は神竜さまに捧げた身ですから、食べられないでいることに感謝しています。丸飲みにされてしまったら、王都に行こうと思うことすら出来ませんでしたから」
「それでは、自分はお前を王都まで連れていく。お前は自分に魔力をこめた水を飲ませる。と、これでは対等でないから、お前が困ったときには力を貸してやろう。まあ、小型の自分に出来ることは多くないが、な。その度にまた水を飲ませてくれたらいい。さあ、そうと決まれば早速旅立つぞ。自分の速さでも、王都までは数日はかかるのだから」
と、その前に腹ごしらえをしなければ。貰った小瓶の中身を飲み干すと、こもっていた魔力が自分の躰に行き渡るのが感じられた。かなりの量の魔力がこもっていたようだ。翼の先まで満ち足りて、力強くはばたける予感がする。
「しっかり捕まっていろよ、人間」
背に乗せた人間を振り落とさないように。慎重に、しかし、力強く。そして、速く。でも、優しく。
数百年ぶりに自分は空を駆けた。
それから人間は竜を連れた者として名を馳せ、立派な魔術師となり、毎日竜にうまい水を飲ませた。めでたしめでたし。