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二章 三

二章 三




「ごめんねぇ。もうちょっとでぇ、他の部分も終わると思うからぁ」

 作りかけの家。その台所で食事の仕度をしているのは、全身を布で包んだ人。

 自称樹宝さんの配下。樹宝さんいわく、風の精霊さんでお兄さんみたいな人。

 今、腰掛けている丸い背もたれのないイスもこの人が作ってくれた。

「あの、ビオルさん」

「なんだぁい?」

「私に、出来る事……」

 手を止めて、ビオルさんがこちらを見る。と言ってもこちらから見ると口許しか見えないんだけど。

「うん?」

 言葉を止めた私に先を促すみたいに小首を傾げている。

 出来ることありませんか? そう言い掛けて言葉を切ったのは、違うかなって思ったから。

 だから、言い直そう。

「私に、お料理とかお家の事、教えていただけませんか?」

「あらまぁ……。くふ。勿論だよぉ。でも、自分から言うのは偉いと思うよぉん」

 ぽふぽふと軽く頭を撫でられた。ような……。

 でも、相変わらずビオルさんは目の前でテーブルに向かってパンを捏ねている。

「ふふ。風の精霊こにぃ、代わりに撫でてもらったのぉ。どうやら、視えなくても感じる事はできるんだねぇ」

 どっこいしょ。練り終えたパンを型に入れて窯かまの蓋ふたを開けて温度を見てからビオルさんはそう言った。

「私は別としてぇ、大体の場合はぁ、精霊たちが姿を故意に見せない限りぃ、リトさん達には精霊の姿が見えないんだよぉ」

「そうなんですか?」

「うんぅ。樹宝さんもまぁ、別格だけどねぇ。それ以外の普通の精霊ではっきり姿を見られるのは高位の子。この位にいる子たちはぁ、好きに姿を見せたり隠したりできるよぉ」

 そう言いながらビオルさんは私の目の前のテーブルにボウルや色々な調理器具を並べていく。

「中位にいる子はぁ、見せる、のが精一杯かなぁ。故意に隠すのは出来ないねぇ」

「?」

「人間にもねぇ、精霊や妖と相性の良い子っていうのがぁ、稀に居るんだよぉ。昔はもっと多かったんだけどぉ、今は稀になっちゃった。まぁ、そういう子はねぇ、精霊が姿を見せようとしなくてもぉ、『視える』んだよぉ。で、高位の子はその子の目からも自分を隠せるんだけどぉ、他の子は無理なのぉん。リトさんみたいなぁ、普通の子に自分を視認させるので精一杯ぃ」

「難しい、ですね」

「うふふ。そのうちわかるよぉ。それで、さらに下位の子になっちゃうとぉ、いくら頑張ってもねぇ、自力でリトさんたちに自分を視認させる事もできないのん」

「…………」

「そういう子たちにとってはぁ、視える子はとぉっても大切ぅ。誰だってねぇ、自分の存在を認めてくれる相手は大事なんだよぉ」

 どきっとしたのは、多分その下位精霊さんのお話が、自分と似ているって思ってしまったから。

 私も……認めて欲しかった。けど、その為に私は何をしただろう?

 お父様やお母様がいた時は、その優しさに包まれて。ただ、与えてもらった優しさに包まれているだけだった。

 身体がいうことをきかないからって、出来ないと思ったことは諦めて。

 でも、もしかしたら違ったのかもしれない。だって、私はここにいる。

 絶対に辿り着けないと思ったこの場所に、生きてる。

 それなら、もしかしたら、今まで私が諦めてきたものの中にも、出来たことはあったのかもしれない。

「だからねん。視えなくてもぉ、存在を感じ取ってくれるだけでもぉその子達にはとっても嬉しい事なのぉん」

「え?」

 ふわっと、くすぐったいような風が耳や首筋を撫でる。

「きゃ。ふふっ」

「ごめんねぇ。時々いたずらが過ぎるからぁん」

 ビオルさんがひらひらと何かを嗜めるように手を振ると、風が通り過ぎていく。空耳かもしれないけれど、小さな子供が笑うような楽しそうな声が聴こえた気がした。

「さてぇ。リトさんや。お菓子って作った事あるぅ?」




 黄色いハンカチに包んであった初めて焼いたクッキーは、瞬く間に空を舞った。

 青々とした草の絨毯の上に、散らばる黒い欠片。うう。落とさなくても口にして貰えるか怪しかったのに、これじゃもう絶対食べてもらえない。

 初めて自分の手で作ったクッキーは、窯から出した時点で絶望の色に染まっていて。 それでもビオルさんは言った。

『大丈夫だよぉ。死にはしないからぁ。食べさせても平気平気ー。あははん』

 だから折角焼いた初めてのお菓子。持って行ってごらん。

 いとも容易くけれどどこか優しい声音で送り出され、駄目もとのつもりで樹宝さんの所へ持って来たクッキー。持って来るまでものすごく緊張して、落とさないようにって、思ってたのに……。

 転んだ私を起こしてくれた樹宝さんが、物凄く呆れたような顔で見ている。その顔が、クッキーの話になって今度は信じられないものを見る目になった。

 うん。そうだよね。そうなるよね。わかっていたけど……。

「……~~っ! どけ!」

「え。樹宝さ」

 目の前に散らばっていた黒い塊に手が伸びる。掴んだそれを、握りつぶすでもなく投げるでもなく、樹宝さんは口に運んだ。

 え。やだ。それ落ち……。何、今の異音! クッキーにあるまじき音した!

 樹宝さんの顔色が見る間に変わる。血の気が引いて口許を押さえて。

 ……み、水! お水! ど、どこにっ?

 樹宝さん死んじゃうっ!

 どうしようどうしよう! どうしようっ。

 パニックになって辺りを見回して、きらっと光った水面に一目散。小さな泉に辿り着いて、何も考えずに両手を器のようにして水を掬って戻る。

 その水をそのまま差し出してから、ふと気付く。

 あれ? コップ……ない、よね。どうしよう?

 だけど、正気に返れたのもその一瞬で。水じゃない柔らかい感触が指や手のひらに当たって……。

 両手を押さえるように、けれど優しく包まれる。私の手を包んでいるのは、樹宝さんの手。

 その本人は、私の手に汲んだ水を飲んで……いる。

 え。待って。待って! 唇! し、舌っ?

 一生懸命に水を貪るように飲む樹宝さんは悪くない。けど、ちょっと待って! 本当に待って! ううう! 痛いよ! 心臓が痛い!

 物凄く早い鼓動は走った時よりも苦しくなる。死んじゃうかも、って本気で思ったけれど、顔を上げた橙と唐紅花の双眸と目が合った時はその比じゃないです。息の根が止まります。

 どうしよう。どうしよう? 何か熱い。熱出るかも……。

「おい」

 びくっと思わず肩が揺れた。うわぁ、樹宝さんが胡乱気にこっち見てる! ど、どうしようっ? どうしよう!

「不味かった」

 だと思います。でも、樹宝さん。

 そんな不味いもの、どうして食べてくれちゃうんですか! 私は何も言えなくて、ただ首からじわじわ熱くなって赤く顔を染めるしかなくて。

 手に触れた唇の感触、見上げてくる樹宝さんの水で濡れた唇に視線が引き寄せられちゃって、どうしていいのかわからなくなる。

 熱が出そう。でもきっと、これは熱さましのお薬でも治らない。鼓動が走ってないのに、苦しいくらい激しく鳴ってる。樹宝さんの事しか考えられなくなって、目が離せない。これ以上ここに居たら何かとんでもない事を口に出してしまいそうで、私は全体力と気力を振り絞ってそこからの逃走を試みる。

 結果、足はもつれて柔らかい草の海に飛び込む事になった。

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