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二章 二

二章 二




 想像していた人とは全然違った。

 想像していたような光景も無かった。

 でも、私は樹宝という名のこの精霊(ひと)に、恋をした。




「ビオルさん、こいつどうなんです?」

 真っ暗な中に、会話だけが聞こえてくる。

「うーん。命に別状はぁないみたいだけどぉ……。やっぱりぃ、木の上なんかに寝かせて無理させたのが良くなかったかねぇ」

 目を開けようと思ったけれど、瞼が重くて叶わない。全身を包む倦怠感は酷く馴染んだ感覚。

 また私は体調を崩してしまったらしい。

 樹宝さん、怒ってるよね……。

「んだよ……。ったく、驚かせやがって……」

 ああ、やっぱり怒ってる……。

「うふ。良かったねぇ。大したこと無くてぇん。まぁ、樹宝さんが心配するのも無理ないくらいぃ、つれて帰ったリトさんの顔色悪かったしぃ、あの咳じゃあ納得するけどねぇ」

 心配じゃなく怒っているんだと思います。そう熱で霞む意識の中でそう思い浮かべる。

「俺は別にこんな小娘の心配なんかっ!」

「あはは。まぁ、照れ隠しは置いておくとしてぇ」

「ビオルさん!」

「今晩の寝床は別のところに用意しないと駄目だろうねん。ちょっと行ってぇ、探してくるよぉ」

 風がふわりと動いて静かになる。あの布に包まった人は偉い風の精霊らしくて、いつも音も無く現れてはいつの間にか消えているから、多分今はここから離れたんだと思う。

「……はぁ」

 樹宝さんの溜息が聞こえる。峰のすぐ近くに立った市場に買い物に行ったけれど、途中で私はいつものように咳き込んでしまった。

 元々、樹宝さん乗り気じゃなかったのに、私がそんな状態になったから気分を害しても当たり前だよね。

 でも……。霞む無意識の中でも、あの光景だけは鮮やかに。

『何だその顔は』

 顔をしかめて、訝しげに。それでも、戻ってくれた。

 戻ってきてくれるなんて、思ってなかったの。置いていかれたんだと、思った。

 こんな身体の厄介者で、迷惑でしかないものなんて。

 だけど、戻ってきてくれた。

 それが……何よりも……。

「驚かせやがって……」

 もう一度、樹宝さんがそう呟いた。そして額に触れる感触。

 暖かくも冷たくも無い不思議な温度の手の主は、樹宝さん以外ありえない。

 触れた手はまたすぐに離れたけれど、顔にかかっていた髪をそっと払ってくれた。

 ねぇ、樹宝さん。私もそんなあなたに、驚いているんですよ?




 ぱちぱちと爆ぜる火の粉の歌。雨唄の冷たさを少しだけ遠ざけてくれているけれど、私は凍るような寒さと噎せこむような熱さに苛まれてる。

 意識は浮かんでは消えて、また浮上してを繰り返す。瞼は重く、指先も動かそうとしても私のお願いを聞いてはくれない。寒いという感覚と、身体の中が燃えるような熱さ。熱いのに寒くて、寒いのに燃えるように熱い。悪寒に背筋が震えて腰から痺れるような感覚。横たわっているのに、身体が痛む。掠れた呼吸が自分のものなのに、耳障り。

 助けて。お母様……お父様……。ああ、駄目。もう、二人ともいないのに。

 どうして。どうしてどうしてどうして?

 私は、どうしてまだ……。

「うげ。何だこれは」

 誰?

「おいおい。んとに、人間はめんどくせーな!」

 冷たい。額に何かが乗せられた。冷たい、何か。

 この声は誰だったかしら……?

「何だって俺がこんな小娘の世話しなきゃなんねーんだ」

 そう言うのに、声の主はまだ傍に居る気配。額に乗せられた何かから一筋冷たいものが滑り落ちる。

 多分、水。額に乗せられたのは水を含んだ手ぬぐいみたい。

 冷たくて気持ち良いけど、その余分な水が流れる感覚はちょっと不快。

「ちょっとぉ、樹宝さんや、そのまま乗っける子がどこにいるのぉ」

「ビオルさん」

「ちゃんとぉ、絞ってから乗せてあげなきゃ駄目だよぉ」

 新しい声の相手がそう言ってすぐ、額に乗せられたものが取り上げられた。水がしたたる音がして、また額にそれが乗せられる。

 この人たちは、誰? お父様やお母様じゃない。村の人でも、ない。ああ、そうだ。

 ここは、村じゃなくて。

「ビオルさん、こいつすげー熱い」

「そりゃ熱出して寝込んでるんだからぁ、当たり前だよぉ」

「けど、すげー震えてる」

「悪寒がするんじゃないかねぇ。冷たいのとぉ、熱いのがきっと一緒になってるんだと思うよぉん」

 するりと布擦れの音がした。額に乗せられた手拭いとは逆に乾いた感触が水が伝ったこめかみや首筋を拭う。

「そうそう。あんまり汗が酷いようだったらぁ、そうやって拭ってあげてねぇ」

「……ビオルさん」

「何だいぃ?」

「何で俺が」

 樹宝さんが拭ってくれたんだ……? てっきり、あの布の人だと思ってた。

 ぼんやりとした考えがぐるぐるする。それでも、ここが村じゃなくて狭間峰を越えた場所で、此処に居る二人が、樹宝さんとビオルさんていう布の人だって事は思い出せて。

「だってぇ、リトさんは樹宝さんのぉ、お嫁さんだしぃ」

 自分で言っておいてだけど、どうしてこの布の人はあのお嫁さんです宣言を認めてくれるのかな?

「だから……俺は一度もそれを肯定してないんですが!」

 うん。当たり前だよね。でも、樹宝さん。それなのに、どうして……。

「樹宝さん、声が大きいよぉ。リトさんの頭に響いて痛くなったらどうするのぉ」

「っ」

 あ。樹宝さんが息を飲む気配がした。それから少し、声を抑えて樹宝さんがビオルさんに何か抗議してるけど、ずっと静か。

「じゃあ、私は帰るからぁ。リトさんが目を覚ましたらぁ、このお薬とぉご飯あげてねぇん」

 布の人がいなくなってから、どれくらい経ったのかわからない。

 いつの間にか私は眠っていて、そしてまた意識が浮上してを繰り返す。今はいつで、ここが何処か夢と現を行き来するように混ざってわからなくなる。

 ふと、熱さも寒さも不意に治まった凪のような一時がやってきて、自然に私は瞼を開く。

 火の灯りが届かない闇漂う洞窟の天井を背に、萌黄色の明るい草色が目に映って、色違いの瞳が顰められつつ私を見下ろしていた。

「気がついたかよ。小娘」

 迷惑そう。なのに、上手くいえないけど、違う。叔父様達が浮かべていた表情とは、同じ迷惑そうなものの筈なのに。何で樹宝さんは……。

「樹、宝さ、ん」

「薬だ。飲め。そんでまた寝てろ」

 頷いて起き上がろうとしたけど、身体を起こすほどの力は入らない。両腕に力を込めても、棒切れよりも私の腕は役に立たなかった。

「ごめ、な」

 ごめんなさい。迷惑かけて。私はどこに居ても、迷惑ばかりかけてる。謝る言葉も満足に言えない。

「ったく」

 私が言葉を言い終わる前に、樹宝さんが舌打ちする。けど。

「これでいいのか」

「……」

 そっと肩の下に差し入れられた手、腕が私の上体を起こして支えてくれた。もう一方の手で、お薬の入っているらしい木製のコップを口許に持ってきてくれる。

「おい? 何なんだ……。どうした。痛むのか」

 どうして。私の事、好きじゃないって言うのに。どうして……。

「おいおい。マジで何なんだ。泣くな!」

 熱い。私の目から熱い液体が零れたのを感じる。私、泣いてる?

「…………何なんだよ小娘」

 舌打ちするのに、そっと抱き起こしてくれて、面倒だって言うのに、何度も手拭いを替えて汗を拭ってくれた。どうして?

 どうしてあなたは……。

「ああもう、何が不満だ小娘。泣いてりゃ誰かが何とかしてくれると思ってんのか。言わなきゃわかんねーんだよ、俺はっ」

 だから言いたい事あんなら言えよ! って樹宝さんは言う。弱りきったような声音で、眉をしかめて。けど、しっかり抱いていてくれる。

 ずっと、傍に居てくれる。

「樹、宝さん」

「何だ」

「ありが、と、う」

 夢のような楽園じゃない。病も憂いも無くならない。私はいつものように自分の脆さに苛まれてる。

 楽園で優しく明るい笑顔で歓迎なんてしてもらえなかった。帰れ、って言われた。

 でも、

 私、

「樹宝さん……」

 あなたは、優しい。

「何だよ。いい加減、薬飲め」

「はい」

 この人に、恋をしました。

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