一章 五
一章 五
「私、帰る所なんて無いですから」
俺は気がついたら、小娘の小麦色の瞳を真っ向から睨みつけていた。
「ほぉ。そうか。つーことは、不要品を押し付けてきたって事だよな。そんなのは」
嗚呼、言うべきじゃねーって、思うのに、
「俺だっていらねぇ!」
小娘の目に涙が溜まっていく。当たり前だ。けど、言っちまったもんは元には戻らない。身を翻して丘を駆け降りていくその背を、俺は追えなかった。
「なんっっって事を言ってるんだい?」
「痛っ!」
スパン! と良い音が後頭部への衝撃と共に舞い降りた。
「ビオルさん」
「樹宝さんや、どぉいうつもりぃぃ? 事とぉ次第によってはぁ」
「俺は!」
人間一人、煩わしさこそ覚えても他のものなど覚えるはずも無いと思っていた。
「樹宝さん」
呼び声に開いた瞼。広がる視界に飛び込むのは、蒼い天と小娘の笑い顔。
「……何だ」
人間なんてろくなもんじゃねぇ。特にこんな小娘は尚更。
痩せすぎで、気味が悪りぃ暗所の白花。初めて見た頃はそうとしか思えなくて、いきなり嫁になるとかこの小娘頭おかしいんじゃねーのか? って印象で。
今だってそれは変わってねぇ、……はずだった。
「ビオルさんに教えてもらって作ったんです! パウンドケーキ」
両手で差し出されたハンカチの上に鎮座している黒い物体。
「待て。ココアパウダーは使ったか」
「いいえ!」
「そんで何でこんな色になるんだよっ! 焦げてんだろ!」
「外側剥げば食べられるからってビオルさんが!」
「殺す気か! っいい加減一つくらい成功したもん持って来いよ!」
作る食いもんは、焦げる、使う調味料を間違える、生焼け、その他と明らかに失敗作ばっかだ。こんな奴だってのに、何で……。
「水! 小娘お前、俺を殺そうと企んでるわけじゃねーだろうなっ?」
苦い、不味い、噎むせる。何で俺は毎回こんなもん食ってる?
水で流し込みながら俺は毎回そう自分に問い掛けていた。その答えはずっと変わらねぇのに、何でか俺自身が他の答えを探してるような奇妙な感覚。俺の為に作られたんだから俺が食わなきゃ意味がなくなっちまう。それだけの理由のはずなのに、何で他に理由を探してるんだ?
「ごめんなさい……。でも、いつも食べてくれてありがとうございます!」
「……ふん」
何で、俺は。
「俺に食わせる為だから仕方なくだ」
その筈なのに、
「はい。でも、嬉しいです」
何で、こんな小娘が嬉しそうにしてると、満足しそうになるんだよ!
「樹宝さん?」
「何だよ」
思わず頭を抱えそうになった俺に、小娘が声を掛けてくる。
「あの、実は今日はもう一つあって」
「……本気で俺を殺す気じゃないのかお前」
勘弁してくれ。一つでのたうつ程不味いんだぞ!
じろりと小娘を睨むと、一瞬怯んでからそれでも小娘が作ったらしいものを差し出してきた。
「食べて、下さい」
ふわんと届いた香りは、焦げた独特のあれではなく。
バターの香りと砂糖、そして小麦粉にミルク。甘くどこか優しいもので。きつね色のまあるい形。月の様なそれは初めて見た時は真っ黒な消し炭だった。
「クッキー、もう一度作ってみたんです」
禍々しい黒檀ではなく、綺麗な月の色が誘いかける。
「食べて、くれますか?」
「……これも俺にか」
「はい」
まるで祈るような仕草で小娘がこちらを見つめているんだが、これは取れる選択肢なんか最初から一つしかないだろう。
「食えばいんだろう。食えば!」
砂糖と塩、バニラビーンズと胡椒が間違っていない事を真剣に祈りつつ、俺はそれを一枚手にとって口に運んだ。
「……」
「…………」
「……」
「え。あ、の。え。嘘。間違えてないですよね? お塩とお砂糖!」
慌てる小娘の声がどこか遠い。
口の中に広がる味は、甘いから塩じゃねぇと思う。
ただ、甘い。甘い。どうしてこんなに強い甘みになるのか。
「小娘、どれだけ入れた」
「ビオルさんに教えてもらった通り、普通の分量だけですよ? あの、大丈夫ですか?」
普通? これが普通と言いやがるのかこの小娘。
口の中に広がった甘さが、どんどん膨れ上がって広がっていく。もしかしてこれも毒なんじゃねーのか?
―― 好き。好き。大好き。
甘い、甘い。物凄く甘い。毒より甘いものが季節外れの雪みてぇに降り積もる。
甘味料の甘みはもうわからねぇ。ただ広がっていくのは感情だ。
「樹宝さん?」
「っ!」
何だって言うんだ。どうしてこんな突然におかしくなりやがる?
どうかしてる。小娘の声が、届く度に俺たち精霊にはありもしねー鼓動が在って、それが大きく響く気がしてるし、何か知らんが顔が熱くなりそうだ。
おかしい。毒されてる。この小娘に。
「樹宝さん、大丈夫ですか?」
近寄るな。覗きこむな!
泣くな!
「甘すぎる、だけだ」
嗚呼、苛々する。泣くなこんな事で! 俺は、
「お前の泣き顔が見たいわけじゃねーんだ。これくらいで泣くな!」
どうして俺が毎回、あんな底抜けに不味いもんを食ってたと思ってんだよ。
それもこれも全部、この小娘の所為だ。
「ご、ごめんなさ」
「謝んな! 謝るくらいなら礼を言え。いつもみたいに、馬鹿みたいに笑ってろ!」
最悪だ。嘘だろ。在り得ねぇ……。
俺はどうやら、この小娘が好きらしい。
「それでどうしてああなるのぉ!」
ビオルさんは俺の頭を思いっきり叩いたハリセンとかいう物を、両手でギリギリ引き絞らんばかりで叫ぶ。
「あの小娘が、いつまでも自分を、いらねぇって、言ってるのが気に食わなかったんだ……」
悪夢みたいな現実に向き合ってしまってから、今日まで。
それでも認められなかった。認めるわけにはいかなかった。
「あのまま、小娘を俺は受け入れられない。受け入れるわけにはいかない。俺は」
「……」
「俺は」
「おい、小娘」
「何ですか? 樹宝さん」
出会った時と同じ大樹の下で座り込み、小娘は本を読んでいた。ビオルさんに師事してもらって小娘は薬学について学び始めたらしい。前から比べりゃ、随分顔色も良くなった。相変わらず細くて貧相なくらいの弱さだが、今は少し、日向の匂いがする。
「お前、どうしてここに来た」
俺が聞いた言葉が意外だったのか、小娘は小麦色の瞳を大きく見開いた。
それからどうしてか、俺には苦笑にしかみえないもんを浮かべて言う。
「ごめんなさい」
「何で謝る。俺が聞いているのは何でここに来たかだ。謝罪なんか要求しちゃいない」
「だって、樹宝さんに迷惑ばかりかけてますし」
「だから、そうじゃなくてだな」
何でそうなる。
この小娘、笑うのと同じくらい謝りやがるのはどうにかならないのか。
人間てのは何でこんなに面倒くさいんだ。押しかけてきた時点で迷惑なんてのは掛かってる。一つも二つも変わらねぇ。今更そんな事を気にしてどうするってんだ?
「お前、生贄で寄越されたんだろう。どうしてだ」
峰に囲まれたこの土地。この丘。馬鹿な輩が一人もいないなんておめでたい考えは俺にはない。
いっそ誰も入れないように閉じてしまえと思ったことがあるくらいだが、ビオルさんにそれは止められた。代わりに一つ、結界を張る事にして。
「自分で選ばなけりゃ、ここには入れないのに、お前はどうして、ここに『入った』んだ」
ここに足を踏み入れることが出来るのは、確固たる意志をもって目指すものだけ。そう定めた。
「お前は何を思って、ここに足を踏み入れた」
「…………」
「お前のいた村、これまで同じように『精霊王の花嫁』を毎年出しているな」
「はい」
「だが、いつもは形だけだ。村で一番いい女を決めて祝うだけの事だった筈なのに、お前は生贄として来た。ここは、自らの意志で足を踏み入れない限り辿り着けない。そういうもんだ」
あの時の小娘の状態じゃ、到底峰は越えられるはずがない。どころか峰まで森を抜けることすら出来ない筈だ。あの結界に受け入れられなければ。
「自らの意志でここを目指す者。その意志が強ければ強いほど、『路』は拓かれる」
強く。狂おしい程にここへ来る事を望んだりしなければ、この小娘は俺の前に現れる事はなかった。その時、抱いた思いはきっと、何よりも強い思いだろう。
「どうしてお前は、そこまでしてここに来る事を望んだ。望まざる負えなくなった」
小娘の肩が、身体が、細かく震えてる。それを見たら、何かすげー気分が悪くなった。こんな話しなんて無かった事にしてぇと、思った。けど、逃げられねぇ。
俺が、この小娘を、非常に不本意かつわけがわかんねぇけど、好きな以上これを避けて通るわけにはいかねぇんだ。
「私、両親が亡くなって。それで……」
「…………」
「ろくに家事も出来なくて、何も、出来なくて……叔父さん達が、引き取ってくれたんですけど、何も出来ないから」
小娘が唇を噛み締める。白い顔が今はもっと白く見えた。
「……ごめんなさい」
「違う。俺が聞きたいのは、謝罪じゃねぇ」
何で謝る。わけわかんねぇよ!
「どうして、ここに来た」
「…………」
ビオルさんは深い溜息をついて頭を抱え込んだ。
「俺は」
「もういいよぉ……あー、もう、どこで育て方間違えちゃったのかなぁん」
ハリセンをローブの下に仕舞いながら、ビオルさんは溜息と同じくらい沈んだ声でそう言った。
「……リトさん、森を抜けたよぉ?」
行きも帰りも、理は同じ。強く望む場所へ。
「あの子のぉ、村まで、今のあの子なら帰りついちゃうよぉ?」
「それが、当たり前でしょう」
「はぁぁ……。ねぇ、樹宝さんやぁ」
「はい」
「馬鹿だねぇ……」
本当に呆れた声だった。ビオルさんはもう何も言わずに俺に背を向けて歩き出す。
その姿が消えてから、俺はそこに座り込む。
「……二度と来んなよ」
あの小娘がもう二度と来ねぇといいと思う。
「人間は、人間の中にいりゃいいんだ」
弱いくせに、ふてぶてしくて、天気より気まぐれで、手に負えねぇ。
人間なんてろくなもんじゃねぇ。何が何も出来ないだ。何が帰る所が無い、だ。
「何も出来ねぇ奴が何でどんだけ失敗しても、あんな毒物持ってくるって?」
不味いから、不味いとしか言えなかった。何度不味いって言ったと思ってる。その度にへこんで、けど呆れるくらいふてぶてしく、また性懲りも無く『俺に』って持ってきやがって。
不味い不味い。苦い。焦げてる。火が通ってねぇ。粉のまま。
でも、
「あんな心飲み込んじまったら、次から持ってくるもんがどんだけ不味くても、また食わないわけにいかねぇだろ」
―― 樹宝さんに食べてもらいたい。今度こそ、ちゃんと美味しいのを。
不味いのに、吐き出せなかった。そこに籠められたもんを感じ取っちまったら、出来るわけねーだろ! どんだけ性懲りも無く不味くても。それを作っている時に籠められたもんを感じちまったら。
強い、強い感情。想い。あんな強力な毒物、他にねぇっつの。
「そんだけ粘れるやつが、こんな所に来るんじゃねぇよ!」
何度失敗しても、諦めなかった。ビオルさんに習って、今では軽く薬師見習い並みの知識もある。それだって、夜まで教えられた事を繰り返して、暇があれば自分で調べてたのを知ってるんだ。
上手く出来なくても、だからって諦めなかった。馬鹿じゃねぇのか。あの日からこれまで、あいつは『出来ない』なんて泣き言、一つだって漏らさなかったってのに。 そんなやつが、何で『何も出来ない』って事になるんだよ!
「そんだけやれるやつが、居場所がねぇわけあるか」
帰る場所なんて、今のあいつならいくらでも作れる。あいつの帰るべき場所は、ここじゃねぇ。
ちゃんと、人間の中にいりゃいいんだ。
同じ時間と、気持ちを持てる人間同士で。それが、一番いいに決まってる。
あいつの事を、ちゃんと認めて、ずっと最期まで一緒に寄り添える、そんな人間と。
それは、俺には無理だ。俺はきっと……。
「樹宝」
ビオルさんじゃねぇ、静かな女の声。その声が誰のもんか俺は知ってる。
「何か用かよ。木涙。間違ってねぇだろ。お前だってこれが最善だっつーだろうが」
風の長はビオルさん。水の長は氷冠。火の長は炎天。そして地の長たるこの精霊は、唯一、俺に小娘から離れろと言い続けた存在。ビオルさん以外で誰よりも、遠い彼方の刻にあった痛みを覚えている。
「……二の舞を踏んで欲しくなかったから、あの子にあまり近づいて欲しくなかったけど、私が間違っていた」
俯いた視界にはただ地面と俺の衣しか映らない。振り向くのも何もかも面倒だった。
「遅かったのね」
木涙の声がゆっくりと染みるように俺の中に落ちてくる。
遅かった。そうだろうな。遅せぇよ。
「大陸の心は、この大陸全ての命から成る。人に触れ合えば、惹かれてしまうのはあなたたちの性だった」
「違げぇ」
「?」
「あの小娘だからだ。俺は、あの小娘だから……」
人間なら誰でも良いわけじゃ断じてねぇ。そんな節操ねぇ性質でたまるかよ。
本気でどうかしてやがる。くそ。関わるんじゃなかった。
最悪だ。まだ本当に生贄で寄越された方がマシだった。
あいつが、全部、自分以外の全部を恨んでるような奴だったら、やりもしねぇで何でも出来ないって言うような奴だったら、こんな事にはならなかったはずだ。
「樹宝」
「帰れ。何も心配するような事は無いはずだ。俺は、人間の小娘をここから追い出した」
あの小娘なら、幸せになるだろう。同じ人間の男と家族を作って、きっといつまでも幸せそうに笑ってるはずだ。
「樹宝さんやぁ」
蒼い空と大樹の木陰。春も終盤、夏の足音が聞こえそうだ。
「ビオルさん」
ぼーっとして、空を見上げてた俺に、ビオルさんが声を掛けてきた。
「まぁた敬語ぉ……。まぁ、それは後にしておこうかなぁん」
「……?」
「リトさんがぁ」
「っ」
あれから一切、ビオルさんはその名を出さなかった。俺もだ。
なのに、またその名を、聞いた。
「結婚するんだってぇ」
「……そう、か」
ビオルさんの声が遠い。晴れてんのに、夜が降ってくる。
「酷い物好きもいたもんだ」
「樹宝さんやぁ……、いいのぉ?」
「何が、ですか」
「リトさん、結婚しちゃうんだよぉ? 樹宝さん以外の人とぉ」
「あ……当たり前、でしょう。そんな、こと」
当たり前だ。何でそんな事をわざわざ聞くんですか。けど、何でか知らねぇけど、何でこんなに目の前が暗い。おかしい。ありもしない頭痛がする。
「情けない。これが今代の大陸の心か」
「アンタもうその男姿とんのやめればぁ?」
氷のような声音と烈火の皮肉が追い討ちを掛けてくる。声と共に森の新緑から青と赤の色彩が姿を現した。
「氷冠さんにぃ、炎天さんぅ。ちょっと言い過ぎだよぉ」
「馬鹿ビオ。アンタ、樹宝を甘やかし過ぎなのよ。言っておくけどわりと本気よ今の言葉」
「炎天に全面的に同意する」
「何でお前らが居んだよ……」
よりにもよって何で今。
「そんなの、今のアンタを見て、思いっきり罵倒する為に決まっているじゃない」
「ふざけんな」
「あらぁ。アタシ、ふざけているように見える?」
炎天が髪を掻き揚げながら欠片も笑みの色が無い金目を、歪ませた。獲物を狙う肉食獣の目とどこが違うのか。相違点を見つける方が難しい。
「アンタがアタシのリトちゃんにしてやった事、忘れる気なんかないわ」
「誰が誰のだって?」
「そんな顔する資格あると思ってんの? いっぺん焼かれてみるかこのボケが!」
炎天の言葉に言い返すより早く、氷冠が俺の目の前に水鏡を作り出す。
っていうか、ビオルさん今、水鏡作り出すの手伝ってませんでしたかっ?
「樹宝、見ろ」
氷冠の声に前を見て、視線を逸らしたくなった。
何だよこれ。何で俺はこんな顔してんだよ。
睨み付けるような目でも、ガキじゃあるまいし、何で泣きそうに見えるんだ! 俺がなんでこんなみっともねぇ顔しなきゃなんねーんだよ!
「樹宝」
「……今度はお前か。木涙」
揺れた草の影から染み出す、雪解け水みたいに音もなく、もう一人。
四大最後の精霊が現れる。
「あの子がここを出てから、大陸がざわめいて落ち着かないわ」
「っ……」
「おかげで、このままだと夏に大地が荒れるの。どう責任をとってくれるの?」
「何で俺が!」
「貴方が」
「お前が」
「アンタが」
「樹宝さんがぁ」
「大陸の心だから」
理不尽だ! 何で俺なんだよ! 何で、俺の心なのに思うようにならねぇんだよ!
「樹宝さんやぁ。ごめんねぇ」
「なっ、んで、あなたが謝るんですか! ビオルさん!」
夏の足音運ぶ風で、フードが揺れる。風に遊ぶ緑青の髪と白い肌。極上の弦楽器みたいな響きをもつ声音が、悲しそうなのは何でだ。何で。だって俺は先代みたいに人に狂ってない。あの小娘だって、同じ人間の中で暮らして、結婚する。誰も悲しむ所なんかねぇだろう?
「どうっ、して! どうしてだよ! 何が駄目だっつーんだよ! 間違った事なんて無い筈なのに! 人間なら同じ人間と番えるのが一番だろ! 同じもんは同じもんの中で、同じ時間をっ」
「アンタって本当に馬鹿じゃないのー? 訊くけど、それのドコにリトちゃんやビオルの喜ぶ要素があるって言うのよ」
「なっ」
「大概にしときなさいよ、この自己満ブラコン」
「ちょ、炎天さん!」
「樹宝の馬鹿を、甘やかし過ぎでこんな馬鹿にしたビオルは黙ってなさい」
炎天がびしりと俺の前に指を突きつける。
「あんまりヘタレて無様晒すと本気で焼くわよ。アンタは自分が何かわかってんの?」
俺が何か? そんなモンはわかりきってる。だからこうしたんじゃねーか!
「わかってるなら、言いなさい。アンタは『何』なの」
「俺は大陸の心。この大陸の映し身だ。そんな事は」
「そうよ。アンタがこの大陸の全て。でも、それじゃ正解二割」
「は?」
「アンタは『樹宝』でしょう。リトちゃんやビオルが、ずっとずっと聞いているのも優先しているのも、全部、アンタ。『樹宝』よ」
炎天の奴が何を言っているかわかんねぇ。
「樹宝さんやぁ。大陸の心とかぁ、そういうものじゃなくてぇ、樹宝さん個人としてそれは幸せなのぉ?」
幸せ?
「私はぁ、『樹宝』さんがぁ、幸せだってぇ思ってくれるぅ選択肢が、一番嬉しいよぉ」
「俺が……幸せ」
「うふ。多分ねぇ、リトさんもぉ、他の誰かにぃ好きって言われるよりぃ、『樹宝』さんがそう言ってあげるのがぁ、一番喜ぶと思うよん。ねぇ、樹宝さん」
ビオルさんの声は、最上の弦楽器だ。するりと心に入って、そして、全部を引きずり出す。
「リトさんが好き?」
「……っ!」
知ってる筈なのに、問われた意味は何だ。わからねぇ。
黙り込んだ俺の胸元へ、トン……と軽くビオルさんの片手、人差し指が当てられる。
「今でも、好き?」
逃げられない。不意に何でか、そんな言葉が浮かんだ。
胸元に当てられた指はまるで、心を捕らえ、ただそこにあるものだけを、口にするようにと言っているかのようで。
「…………俺は」
今だって信じらんねぇよ! 嘘だったらいっそ良かったのに、俺の心は俺のモンなのに、思い通りになんかなりやしねぇ! 心変わりなんか出来やしねぇんだ。
「樹宝」
氷冠が木涙と視線を交わして俺を見据えてきた。
「覚悟が有るのなら、我らはそれを受け入れる。全て、その心次第と留めおけ」
「リトに限ってなら、私も異論はないわ。でも、一つ言うと……待たせる男は逃げられる」
「ったく、ちょっとビオル。もういいから連れて行きなさい!」
「そうだな。時間の無駄だ」
「このままだと、夏に荒れるどころか天災に変わる恐れがあるものね」
は?
「じゃあ、そうしようかねぇ」
「ビオルさん? あの、何を言って」
「はーい、じゃあちょぉっとお嫁さん貰いに行ってくるねぇ」
炎天の言葉を切欠に先程までの雰囲気はどこへやら。つか、マジでどこいったあの雰囲気!
「ビオルさんっ?」
風が動いたのを感じて、俺たちは風に支えられ舞い上げられる。
「樹宝さんやぁ、言っておくけどねぇ、私は……」
風が物凄い勢いで流れていく。地表は遥か下。峰よりも高く蒼に手が届きそうなくらい高く舞い上がって俺たちはどこかへ飛んでいる。
「そぉんな根性なしにぃ育てた覚えはないのぉ」
「根性なしって……」
「好きなひとをぉ、好きって言えないのは十分根性なしだと思うよん?」
「……」
「大丈夫ぅ、樹宝さんはぁ、同じ路なんてぇ辿らないからぁ」
「何でそんな事が言えるんですか」
それで一番傷ついたのはこの人なのに。
「あは。だってぇ、あの人はぁ、全部の人間を愛していたけどぉ」
轟っと耳元に鳴り響く風切り音。蒼天を駆けながら、先代の大陸の心に『創りだされた』ただ一人の人が笑う。
「誰も『特別』に『好き』になったりしなかったものぉ」
風がフードを剥ぎ取った。踊る緑青色の髪と白い肌。そして俺と同じように尖った耳と深紅の宝玉のような瞳。
「誰かを『特別』に『好き』になる。それを知ったなら、貴方は同じ路など辿らない」
だから、と。ビオルさんは笑う。
「貴方は、貴方の心のままに」
遮る物の何も無いこの人の微笑は久しぶりで、こんなに可笑しそうに―― 嬉しそうに笑ったのを見たのは、初めてかもしれないと、俺は思った。
眼下に見えるのは、花嫁衣裳を身に纏った姿。
野外で客が集まって新郎新婦を祝福しようと集まってるそこに、俺たちは舞い降りた。
「樹宝さん……?」
小麦色の瞳が俺を見る。信じられないものでも見るように。
「……おい、小娘」
「はい」
「お前は花嫁か」
「はい」
白金の陽色の髪にはベールと花飾り。そんな花嫁に俺は言った。
「お前は、誰の花嫁だ」