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一章 四

一章 四




 春の雨が上がって、山の装いも花霞みに淡く染まる。雨と陽光の恵みに蕾は膨らみ綻ぶ。そんな桃源の光景も台無しにするものが目の前にあるのは、どうにかなんねぇのかよ。

「おい、何をしてる」

「あ。樹宝さん」

 折れそうな白く細い手足で木に登ろうとしている姿を見つけて、俺は眉を顰めた。

 あれから数日。相も変わらずこの小娘は落ち着きがねぇ。

「この林檎を、取りたくて」

「それは林檎じゃねぇよ」

 そこに実っていたのは一見、赤く熟れた林檎だ。けど、違う。その実の正体を教えてやろうかと口を開いた時、背後から気配と声がした。

「おやぁ、止めた方がいいよぉん。くふ。それぇ、毒があるからぁ」

「ビオルさん」

 音もなく小娘と木に近づいたビオルさんは無造作に毒林檎だと言ったその実をもいだ。

「このままだとねぇ。これは火を入れる事で薬になるのぉん。毒も薬も紙一重って事だよぉ。うふふ」

 鳩の血を固めたような真紅の林檎を手に笑う姿は人間どもが語る物語の悪い魔法使いのようなものに見えるらしい。何時だか精霊の一人がそう言っていた。

 だが、小娘はそんな姿も見慣れたのかそれよりも興味深そうに毒林檎を見つめている。

「お薬になるんですね」

「そぉ。うふ。実はぁ、リトさんの飲んでるぅ、薬にも少し入っているんだよぉ? これの粉末ぅ」

「え!」

「加熱してぇ、工程を踏めば万能薬に近い素材に変わるからねぇ」

 おいおい小娘、何でそこで目を輝かせてんだ? さっきの「え!」は怯え慄くものじゃなく、すっげぇ食いつくもんだった。ビオルさんの方に枝に乗ったまま身を乗り出すな!

「……くふ。後でぇ、興味があるならぁ教えてあげるぅ。という訳でぇ、樹宝さんや、リトさんを降ろしてあげてぇ」

「……何で俺が」

「…………」

 いつものように声が低くなるかと思ったんだが、何故かビオルさんは少し考えるように黙った。

 それから、ニィィっと笑う。これは、ちょっと不気味だった。

「じゃあ……私がぁ、降ろすねぇ?」

「え?」

「樹宝さんがやらないならぁ、仕方ないじゃあないかい」

「そ、れ、は……」

「じゃあ、リトさん。おいでぇ?」

 ビオルさんが両腕を広げて小娘へ手を伸ばす。何でだ。何か、よくわからんがムカムカする。しかも、

「あ、はい」

 待て小娘!

「きゃっ?」

「あらん……。ふふ、どぅしたのぉ? くふん」

「樹宝さん?」

 軽かった。いつも思うんだが、こいつ本当に中身あるんだろうな? よくわからないが、俺は気がついたら手を出していた。小娘の身体を抱えて木から下ろす。

 仕方ねぇだろ。ビオルさんにこんな事させられるか!

「ビオルさんがやる事じゃない」

「……ふぅん? そぉ? うふふ」

 そうだ。だから仕方なく、やったんだ。それだけの事だ。そのはずだ。

「あは。じゃあ、手間を省いてくれてありがとぉん」

「いえ……」

 どうしてか。俺はビオルさんから咄嗟に目を逸らした。何でそんな事しちまったのか、わからねぇ。

「樹宝さん、ありがとうございます」

 地に足をつけた小娘が俺の袖を引いて言う。

「……ビオルさんの手を、煩わせるんじゃねぇよ」

 それが何かさっき感じたもんとは違う『胸焼け』を引き起こす。おい、あの数日前の毒物クッキー、毒性が強すぎるだろう。まだ胸焼けが頻発するぞ。

「あ、はい。気をつけますね」

「ふん」

 しまりのない顔だ。小娘が襲来してから、何回も見たことがある顔だ。今更それがどうしたってもんなのに。

 その顔見てると、何で、こんなに落ち着かねぇ……。

 見ていてそうなら、視界から外せばいい。なのに、おかしい。視線が外せないって何でだよ?

「さぁ……、お昼にしようかねぇ、今日はガレットだよぉ」

「わ! あれ、私好きです」

「うふふ。じゃあ、作った甲斐があったねぇ」

 ひらりと翻るローブ姿に続く形で俺と小娘は歩き出す。ビオルさんが作っていた小屋はもうほとんど出来上がっている。後は家具とかそういうもんを揃えるだけらしい。

「新居が落ち着いたらぁ、作り方を教えてあげるぅ」

「本当ですか? 嬉しい!」

 明るく弾んだ小娘の声に、何故か俺は苛つく。多分、ビオルさんに馴れ馴れしいからだ。

「おい、ビオルさんに手間を掛けさせるなって言った筈だ」

「手間じゃないよぉ。むしろぉ、そうしないと私が毎日ずっと作りに通わなきゃあいけなくなっちゃうよぉ?」

「……」

「うふ。私だってぇ、新婚のお邪魔はしたくないものぉ」

 いや、違う。新婚とか、俺はこの小娘を嫁にした覚えなんか無い。そう、いつものように言おうとした。口を開いた。なのに。

 声が出なかった。何でだ? わけわかんねーよ!

 俺は古木の大樹を見上げてそんな昼間の出来事に、何度も同じ問いを投げかけている。夜の空には砂金を散らしたような星と真珠みてぇな白い月。まるで……。

「いや、ねぇよ。ねぇだろ。どうかしてる」

 何で一瞬あの小娘の顔思い浮かべたんだ? ねぇよ。まさかあれが月とか。

「ねぇ! 絶対……」

「なーにが無いのさ。樹宝?」

「うおっ……。いきなり出てくるんじゃねぇよ、炎天(えんてん)

 振り返れば極楽鳥みたいに忙しい色彩のやつがそこに居る。

 無造作に結い上げた赤い髪は炎をそのまま糸にしたみたいな色彩で、小娘とは正反対の凹凸のある身体の線を強調するような露出の多い衣を纏っている。闇夜の中でもその金色の瞳は猫のようにきらりと光っていた。

「ねぇ、何が? 何が無いって?」

「うっせ。お前に関係ねーだろ」

「あはー。そういう事言う? 言っちゃう? へー」

「何だよ」

「リトちゃんに泣きついちゃおうーっと。樹宝にいじめられたー! って言ったらきっと優しくしてくれるし」

「やめろ! 人聞き悪りぃ事いうんじゃねーよ!」

 いじめられてんのはむしろ、俺の方だろうが!

「んで? もういい加減に覚悟決まったわけ?」

「覚悟?」

「え。……うそ。ちょっと、マジ?」

 無いわーって目で見てんじゃねーっつの! 何だって言うんだ?

「~~樹宝!」

「何だよ」

 ぐしゃりと赤い髪を掻き乱し、炎天は猫の金目を光らせ俺を睨みつけてくる。

「ここまで鈍いとか、本当にアンタって……。ビオルが心配するわけだわ。何で大陸の心ってのはどいつもこいつも……」

「おい?」

「受け入れる覚悟が無いなら、無自覚な内に距離を置かないと辛くなるわよ」

「さっきからお前は何を言っている?」

 炎天は今度こそ溜め息の塊を吐き出した。

「バーカ」

「なるほど。喧嘩を売っているのだけはしっかりわかった」

「まさかアンタが、まだリトちゃんに対する覚悟どころか、自分の心もわかってない馬鹿だとは思わなかったわよ。このバカ樹宝」

「お前なぁ! さっきから何、見当違いの事ばっか言ってやがる! 俺があの小娘に何だって? お前こそバカも休み休み言え」

「あっきれた! この期に及んでまだそれ? この腑抜け精霊!」

「誰が腑抜けだ!」

「アンタ以外だれがいるのよ!」

「炎天……いい加減にしろよ。お前も氷冠も、俺が人間の小娘なんぞに情を向けると本気で思ってんのか!」

 俺が? 馬鹿馬鹿しい。あってたまるかそんな事。

「じゃあ聞くわ。アンタは、リトちゃんをどうするつもりなの」

「どうもしねぇ」

「へぇ……最っ低!」

 ちりっとひりつく様な熱気が炎天から吹き付ける。炎を紡いだようなその髪が風も無いのに揺らぐように舞う。金色の目は苛烈なほど強く俺を睨みつけてくる。

「どうもしないと言うなら、アンタ、最低。共に歩む覚悟も、歩まぬなら人の世に返す事もしないと言うなら、アンタは前の『大陸の心』と何も変わらない」

「お前っ」

 俺の言葉など聞かず、炎天は瞬きのうちに、立ち消える陽炎のように姿を揺らがせそこから消えた。後に残された俺には、果たし状よろしく叩きつけられた言葉だけが残される。つーか、何だよ。

「何で小娘一人で、そこまで俺が言われなきゃなんねーんだよ!」

 よりにもよって、先代と同じとか抜かしやがった。そこまで言われるような事を俺はした覚えなんざねぇ!

「別に俺は好きであの小娘を無理やりここに引き留めてるわけじゃねーし! あいつが、帰るって言わねぇから仕方なく……。くそっ」

 あの小娘が居たいつーから、置いてやってんじゃねーか。それでなんで俺がこんな風に言われなきゃなんねーんだよ。おかしいだろ。しかも、先代の大陸の心と同じとかほざきやがった!

 たった一人の人間の願いを叶えようとして、人間も精霊も全部の生き物巻き込んで心中しようとした、あれと、一緒? ふざけんな。

「わっけわかんねぇっつの!」


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