言いたいこと
学校に着いても上の空だった。
今朝の事が気にかかる。
真由葉って誰だろう。
鷹也の恋人だから、荒っぽい気の利かない女だと思う。
クラスの女子たちをチラチラと見てみる。
どんなタイプなんだろう。
その日、1日、授業が終わると、僕は教室を飛び出した。
大吾も一緒に帰ると言ったが、理由を話すのが恥ずかしくて、断った。
鷹也の彼女をどうしても見たかった。
いてもたってもいられず、学校から家に電話したが、誰も出ない。
真由葉のことを玲子さんに聞いてみるつもりだったのに……。
そして、はっと我に返る。
僕、なんでこんな事で電話したんだろう。
自分が恥ずかしくなってしまった。
おとなしく家に帰ろうと校門に行くと、人だかりが出来ていた。何だろうと思って近づくと、サングラスをかけた男が校門に寄りかかって中の様子を窺っていた。
何だかやばそうな男だ。スタイルだけは抜群だが、黒いサングラスがやばい。
目を合わせないように、こそこそっと通り過ぎた時、
「あー、翠っ」
と、親しげに呼ばれて僕は驚いた。
男は僕の腕をつかむと、強引に歩き出した。
「や、やめ……」
声が出ない。こんな時に限って大吾がいないなんて。
白っぽい車のそばに連れて来られると、男が乗れ、と命令した。
「や、ヤダ……」
「やだじゃねえよ」
と、聞き慣れた言葉遣いに耳を疑った。
「た、鷹也…?」
「ああ? 誰だと思ったんだよ」
一気に力が抜けた。心臓が止まりそうなほど怖かったのに。
「何で、あんなところにいたの?」
「お前を待ってたんだよ」
サングラスで目が見えないが、鷹也は少しだけ照れているみたいだった。
「ど、どうして?」
「いいから、車に乗れよ。目立つんだよ」
「目立つのは鷹也でしょ」
「誘拐しているみたいなんだよ」
実際そうじゃないの? と言いそうになったが、黙って従った。
「汚い車」
車の中はかすかにタバコの臭いがした。
座ってシートベルトを締めると、運手席の鷹也がサングラスを外した。一重の切れ長の目が僕を見つめる。
二人きりである事に気付いてドキドキした。
どうしたんだろう。
学校に来るなんて、思いもしなかった。
「あいつは?」
出し抜けに鷹也が口を開いた。
「え? あ、あいつって?」
「大吾だよ」
「だ、大吾はまだ学校にいるよ」
「そうか……。ならいい」
拍子抜けしたような顔をする。
「鷹也?」
声をかけたが、鷹也は黙ってエンジンをかけた。鈍い音がしてエンジンがかかる。ずいぶん揺れる車だった。
「ね、ねえ、どこ行くの?」
走り出した車は国道へ出た。
「ホームセンター」
「ホームセンター?」
気の抜けた声を出すと、鷹也がむっとした。
「花を買いに行くんだよ」
「え……」
「昨日、俺が踏み潰しただろ。悪かったと思ってるよ」
ふてぶてしいが、反省していたらしい。ちらりと鷹也を見ると、笑いが込み上げてきた。
「何だよ…」
「何でもない。ありがと」
少しでも気にかけてくれていたのだと思うと、すごくうれしかった。
二十分ほど走ると、ホームセンターの駐車場が見えてきた。車が数台止まっている。
入り口には花や野菜の苗木がずらーっと並べられていた。僕は楽しくて、手に取りながら鷹也を振り返った。
「ねえ、たくさん選んでもいい?」
「あ? ああ。好きにしろよ」
投げやりに言って、僕の手元を見つめる。
「それは?」
「これはペチュニア。気に入った?」
「よく分からん」
「鷹也は何色が好き?」
「え? ああ、青かな」
「青い花は、あんまりないかも……」
丈夫で育てやすい青い花を探しながら、ある一点で目が留まった。星の形を散らばしたような、薄青色の紫陽花に目が奪われる。
「それが気に入ったか?」
「え? あ、でも……」
鉢植えの紫陽花は結構な値段が付いていた。安い苗を買うつもりだったのに、2000円くらいする紫陽花では桁が違う。
「……高いから、いいよ」
そっけなく言うと、
「何言ってんだよ」
と、鷹也は鉢植えをつかんだ。
「あっ、鷹也っ」
追いかけると、会計を済ませた鷹也に、ほい、と袋に入った鉢植えを手渡された。
「あ、ありがとう」
「パジャマさ」
「え?」
「おふくろと俺の分、サンキュ」
鷹也がぶっきらぼうに呟いた。
「あ、うん。いいよ」
「ほら、帰ろうぜ」
鷹也が僕の手首をつかんだ。ぐいっと手を引かれ、指先が絡む。
「た、鷹也」
焦って見上げると、
「口が悪いのは分かってんだ。こういう性格なんだよ、俺は」
と、言い訳がましく言う。
「鷹也って、子供みたいだ」
クスクス笑ったら、額を小突かれた。
「ガキはお前だろ」
繋いだ手は、いつまでも離れなかった。
鷹也も、義弟ができる事を楽しみにしていたのかもしれない。
僕は、本当は少しだけ期待していた。
お兄さんってどんな感じなのか。
けれど、自分だけ幸せになってしまったら、死んでしまったお母さんが悲しむと考えていた。
「あ……」
不意に、痩せこけてベッドに横たわる母の目を思い出した。ずしり、と紫陽花が重くなった。
「どうした? 翠」
「何でもない…」
「翠……」
「うん…」
「お前さ、言いたい事があったらはっきり言ってもいいんだぞ」
「言いたい事って?」
「……分からないか」
鷹也はそれきり黙ってしまった。僕も車の中で静かに外の景色ばかり見ていた。