地震
月曜日、久しぶりの快晴だった。
いつもより少し早く起きた僕は、雨戸を開けて網戸にした。家中に日の光を入れる瞬間が好きだ。庭に下りて深呼吸をした。
鶏を開放し、卵を確かめる。いつものように取って台所に入ると、玲子さんが立っていた。
「おはよう」
「お、おはよう、ございます」
「パジャマ、ありがとう。ちょうど合う大きさだったよ」
「はあ…」
Lサイズを選んでおいてよかった。
僕は卵を渡し、彼女のする事を見ていた。手際がいいとはいえない。もたつきながら野菜を切ったり卵をひっくり返したり、見ているこちらがはらはらした。
「もしかして、料理嫌いなの?」
ぼそりと言うと、玲子さんの手が止まった。
「嫌いじゃないけど…苦手なの」
「じゃあ、僕が作るから、玲子さん手伝ってくれる?」
「いいの?」
「うん……」
「助かるわぁ」
玲子さんは肩の荷がやっと下りた、という風に笑った。それを見て、彼女なりに気を遣ってくれていたのだと知った。
「翠くんがお料理得意でよかった」
うふふと玲子さんがイタズラっぽく笑う。どう答えればいいのかと迷っていた時、ふらりと足元がふらついた。立ちくらみだろうかと思ったとたん、ぐらぐらと体の揺れを感じた。
「え……?」
瞬間、大きく横揺れが始まり、食器棚が揺れ始め、玲子さんが悲鳴を上げた。
「あ……」
僕はその場にしゃがみ込んだ。突然の事で声が出ない。シンクに活けておいた花瓶が倒れて、床に水が流れ出した。
「じ、地震?」
割と大きな横揺れが数秒続いた。
「大丈夫かっ」
揺れが治まった頃、父が飛び込んで来た。
「あ、あなた…」
父は玲子さんをしっかりと抱きしめ、ガスの栓を締めると僕を見た。
「翠は? ケガは?」
「だ、大丈夫…」
ドキドキしていた。地震の揺れも怖かったが、父と玲子さんの絆も見せつけられた気がした。
少しして、パンツ姿の鷹也が台所に入ってきた。
「今さ、地震あった?」
だらしなくお腹を掻いている。僕は目のやり場に困ってうつむいた。
「あったわよ。けっこう、揺れたんだから」
玲子さんは、興奮気味に答えてから、父と密着している事に気付いて体を離した。
「そんなに揺れたか? おふくろ大丈夫?」
「あたしは、大丈夫よ」
まだつかんでいた父の手を離し、うっすらと頬を染める。
鷹也は肩をすくめると、まだへたり込んでいる僕を黙って見下ろした。
「あー、じゃあ、真由葉に電話しなきゃ」
「え……?」
鷹也は居間にある電話機に手を伸ばすと慣れた様子でプッシュホンを押した。
少し待ってから「真由葉いる?」と親しげに言った。
「おー、お前、大丈夫か? ケガとかしなかったか?」
突然、声質が変わった。
「俺は大丈夫だよ。うん。びっくりしたな。ちゃんと机の下に逃げたか?」
聞いた事もないような声色で、真由葉という女の人を気遣っている。
僕はふらふらと鷹也のそばに歩いて行った。
鷹也は電話を切ると、何? と言って僕を見た。
「今の…恋人……?」
「ああ? ああ、まあ、そうだな」
歯切れの悪い返事をしてから、少し照れたような顔をした。
「お前には関係ないよ」
ひらひらと手を振り、居間を出て行く。
「ど、どこ行くの?」
追うと、鷹也は面食らったように振り向いた。
「朝刊取って来るんだよ」
何言ってんだ? と玄関を出て行く。
真由葉のところに行くかと思った。
急に胸がドキドキする。
地震の時とは違う心臓の速さに驚いた。
何だろう。鷹也に恋人がいたって不思議じゃないのに。だけど、家族である僕が怖くてしゃがみ込んでいたのに大丈夫か? って、聞いてくれなかった。
食事をしている間も新聞を見ている鷹也をちらちら盗み見ながら、不満に思った。
何で、僕だけ…。