潔癖
僕の母親は、若い頃、女優をしていた。
父は、母のマネージャーをしていて、そこで知り合い結婚した。
母が亡くなって、三年が過ぎた。
父は今も芸能事務所で働いていて、森本玲子さんとは、そこで知り合ったと聞いている。
玲子さんは、エキストラ女優だ。
父に、好きな人が出来たからと打ち明けられた時は、信じられなかった。
お父さんの中にはお母さんはいないのかな、と思った時、僕は絶対に母のことを忘れないと誓った。
母は、庭で花を育てるのが趣味で、仕事が休みの日はたいてい庭にいた。
庭を見ると、母と過ごした楽しい日々を思い出す。
今年も、紫陽花が綺麗だ。
掃除がすんだら花を摘もう。
思いにふけっていると、鷹也が部屋に入ってきた。
リモコンをとるなり、畳に寝転んだ。
「おい、テレビが映らないじゃないか」
寝転がっていた鷹也がリモコンをカチカチ押して言った。
無視していると、
「聞こえてんだろ?」
いつの間にか背後に立っていて、僕の手から掃除機の柄を奪った。
「やめろよっ」
「テレビが見たいんだよ。今日は、おふくろが出ている殺人事件の再放送があるんだよ」
知ってる。
玲子さんが出ている番組は父がすべて録画しているし、僕も先週の土曜日に、いやいや見させられた。
そのドラマで、玲子さんは目撃者の一人として登場した。
パジャマ姿で頭にカールを巻いて、「ええ、夕べ、ものすごい悲鳴を聞きました。怖くて、一睡も出来なかったんですよ。どうしてくれるんです?」と聞き込みに来た刑事に訴えていた。
父はうれしそうな顔でじっと見ていて、玲子さんがどうだったかは覚えていない。
僕は言い合うのも面倒くさくて、抜いておいたテレビのコンセントを入れてあげた。それから、掃除機をかけ始めると、ぷつりと電源が切れた。
「あれ……?」
振り向くと鷹也がコンセントを抜いていた。
「鷹也っ」
「鷹也じゃない。お兄ちゃんって呼べよ」
鷹也がコンセントを放り投げた。
「邪魔しないでよっ」
「音がうるさいんだよ。これからテレビ見るのに、何でお前は掃除機かけてるわけ?」
これが二十五歳のせりふだろうか。
「僕の方が先だっただろっ」
「兄の言う事が、優先に決まってんだろ」
「なっ」
開いた口が塞がらない。何か言おうと思ったがやめた。絶対に言い返される。
僕は掃除機を持って背を向けた。
部屋を出る時、鷹也が言った。
「お前、潔癖症だろ」
「え?」
「異常じゃねえか」
失礼な言い方にカチンとくる。でも、何も言わずに無視してやる。
「弱虫め」
いちいちむかつく。
鷹也を睨むと、すでにテレビを見ていた。
大きく深呼吸をして部屋を出た僕は、掃除機を片付けて、庭へ向かった。