芸能プロダクション
出かけると豪語していたくせに、鷹也は、昼食が終わる頃にのそのそと起きてきた。
「……おはよ」
僕があげたパジャマのズボンだけを履いて、鷹也は罰が悪そうに僕の顔を見た。
僕は、ふんと顔を背けると、鷹也がむっとしたのが見えた。
「おやじ、俺と翠は午後から出かけるから、今日は二人きりでのんびりしろよ」
「え?」
と、驚いた声を上げたのは父だった。
「ど、どこに行くんだ? 二人で」
「翠はどこに行きたい?」
鷹也が振ってくる。
「え? ゆ、遊園地に行きたい」
とっさに答えてしまった。
「遊園地?」
鷹也が嫌そうに眉をひそめる。
「絶対に遊園地。そこじゃなきゃ嫌だ」
「分かったよ……」
鷹也が肩をすくめた。
「あたしたちも……」
「俺は翠と二人だけで行きたいんだよ」
玲子さんが何か言おうとすると、有無を言わさぬように強引に遮った。玲子さんは傍目にも分かるくらい真っ赤になった。
「そう……気をつけてね」
申し訳なさそうに僕の顔を見てほほ笑む。
僕は、どういう顔をすればいいか分からなかった。
「うん……」
そうだったのか。鷹也は、父と玲子さんを二人きりにさせたかったんだ。
そう思うとご飯を飲み込むのがなかなかできなくて、いつまでも噛んでいた。
食事がすむと、車を回してくると言った鷹也は駐車場に取りに行った。
僕の心は相変わらず塞いだままだった。
「翠」
家の前でうじうじしていたら、例のボロ車で鷹也が現れた。
「ほら、早く乗れよ」
「うん……」
助手席に座ると、鷹也はおもむろに携帯電話を取り出した。
「遊園地行くなら、真由葉も誘うか」
何気なく言った言葉に僕は耳を疑った。
「え……?」
無意識に顔が強ばる。二人きりで行きたいってさっき言っていたのに。
たちまち、イライラした感情が込み上げてきた。
「僕、行かない」
顔を背けたが、鷹也は聞いちゃいない。
「あ、真由葉いる? これから遊園地に行くんだけど――。あっ、翠、待てっ」
僕はドアを開けて、外へ飛び出した。
そんなに遊園地に行きたいなら、真由葉と二人きりで行けばいいっ。
ワガママを言っている事は分かっていた。鷹也は何も悪くない。けれど、我慢がならなかった。
僕の事だけ見ていて欲しいのに。
僕は走りながら、このまま大吾のところに行こうかと迷った。その時、ポケットの携帯電話が鳴り出した。
「わっ」
大きな音に驚いて出ると、叔父からの着信だった。
しまったと思っても後の祭りだった。
『翠? 今どこにいる?』
「外にいます……」
先日の事を言われるかと思ったが、その事には何も触れなかった。
『ちょうどいい。今から迎えに行くよ。外ってどこなんだ?』
僕は安堵しながらも、複雑な心境で辺りを見渡した。家の近くである事は間違いない。
結局、駅の近くで待ち合わせをする事にした。叔父は機嫌がいいらしく嬉しそうに、すぐ行くから絶対に待ってろよ、と言って電話を切った。
駅に着いてから驚いた。さっきまで話していた叔父の車はすでに止まっていた。
「叔父さん……」
「翠っ」
叔父が車から出てくると、周りの人たちが色めき立つのが分かった。無理もない。叔父は、完璧な容姿とスタイルの持ち主だった。
母よりも若く、まだ三十代後半だろう。長身でくっきりとした顔立ちは、遠くからでも映える。ちらちらと若い女の子が叔父を見ながら通り過ぎた。
「ちょうどよかった。紹介したい人がいるんだ」
「え?」
叔父は僕の腕をつかむと、強引に車に押し込んだ。
すぐに車を発進させる。いきなりスピードを出すので、僕はひやりとした。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「はい……」
「ますます姉さんに似てきたな。よく言われるだろ」
叔父はうれしそうだ。
前を見て欲しいのに、時々、僕の顔をじっと見る。
僕は緊張して顔を逸らすと、叔父の寂しそうな声がした。
「俺の事嫌いか?」
「え?」
「ひどい事言ったから……」
母が亡くなって三年以上経つのに。
「叔父さんはひどい事言っていないです。僕らが気付かなかったから……」
母の事は口にすると、今でも悲しくなる。
「翠が気にしていないならよかった」
叔父は安堵したように言って、音楽をかけた。聞いた事もないジャズで僕はすぐに退屈になった。
窓の外を眺めていたら、車が止まった。
「翠、降りて」
「は、はい」
車から降りて、僕は眉をひそめた。
「ここ……」
母が生前、お世話になった芸能事務所だった。
「叔父さん?」
「社長が翠に会いたいんだってさ」
「え……」
母が亡くなって以来、一度も来ていない。
母はあまり仕事の話はしなかったが、父は社長には頭が上がらないと、たまにぼやいていた。
あの頃、立派に見えた建物はさびれて目に映った。白っぽい壁は排気ガスで灰色に変色し、ところどころヒビが入っている。
叔父に手をつかまれ、エレベーターで七階まで上がった。
ドアを開けると、受付に女性が座っていた。
「こんにちは」
叔父が挨拶をすると、女性はいらっしゃいませ、と丁寧に言ってから僕を見つめた。
「かわいらしい子ね、新人さん?」
「え?」
何も言えないでいると、彼女はにっこり笑って、ドアの向こうへ行ってしまった。
「あ……」
「連絡はしてあるから、翠は心配しないでいいよ」
叔父が手を握ろうとしてきた。僕がうしろに隠すと、叔父がむっとしたのに気付いた。僕は不安でいっぱいだった。
「いらっしゃい」
低く落ち着いた女性の声がして、僕は顔を上げた。久々に会う社長は前より派手に見えた。髪は短く切り、黒いパンツスーツで身を固め、僕と叔父をドアのある部屋へ促した。
「入って」
背中を押されて中に入った。叔父とソファに座り、一人がけのイスに社長が座った。
「会えてうれしいわ。春奈の息子がどうなったのか、ずっと気になっていたのよ」
僕は緊張していた。
逃げたいのに、逃げ出せなかった。
「綺麗な顔をしている。絶対、売れるわよ」
社長の言葉に、僕の体は凍りついた。
「え……?」
叔父が僕の肩に手を載せる。
「翠、タレントになりたくないか? お前なら俳優でもモデルでも何でもできるぞ」
「何? 何を言っているの……?」
僕の声は掠れて頼りにならなかった。
「お小遣いはもらっているの? 和男の安月給じゃ、あなたを養うだけで精一杯でしょ」
社長が猫撫で声で僕に語りかける。僕は小さく首を振った。
「もらってないのね? 仕方ないわよね。でも、あなたがデビューしたら、きっとうまくいく。和男だって、楽になるわよ」
くすくすと笑う。
「お、叔父さん……」
「いいのか? 翠、お前の家、これから大変だぞ」
「な、何の事…ですか?」
「あれ? 義兄さん話してないのか? おかしいなあ」
叔父の言い方にひやりとする。
「な、何?」
叔父と社長は顔を見合わせると、わざとらしく肩を上下にさせた。
「義兄さん、会社、辞めたんだぞ」
「え……?」
「あら、知らなかったの? ひどい父親ね」
社長が呆れたように言ってから、机の上にあるタバコを手元に引き寄せた。かちりと火をつける。たちまち、部屋中に煙が舞った。
「先週、辞めるって自分から言ってきたのよ。なぜだか分かる?」
分かるはずがない。父は毎日、僕と玲子さんが作った弁当を持って同じ時間に家を出ていた。
首を振ると、
「あなたを芸能界に入れたいって打診したら、あいつ、断ったのよ」
苦々しく言ってタバコの煙を吐き出した。
「え……」
「あなたは話題性もあるしね。第一、春奈の子供はあなたしかいないの。それを売らないでどうするの」
「俺も前からずっと考えていたんだ。お前には素質があるんだよ」
「あなたは磨けば光る原石なの。自分を見てくれる人がいるって、本当に快感なのよ」
赤い口紅が迫ってくる。僕は首を振りながら、立ち上がった。
僕は……売り物じゃない。
二人が間抜けな顔で僕を見上げた。
「あっ」
叔父が叫んだ。
「待てっ、翠っ」
僕は部屋を飛び出した。




