戸惑い
僕はおかしい。
鷹也が来てから、ずっと変だ。
鷹也と一緒にいたら、ドキドキする。
知られたら、嫌われるかもしれない。
気持ち悪いって怒って、出て行ってしまうかもしれない。
そう思うと涙が滲んだ。慌てて目をこする。
いつまでも部屋にいたら怪しまれるので、すぐに部屋を出た。
鷹也の事を思うだけで変になる。
でも、考えていたい。もっと声が聞きたい。
居間に入ると、父と玲子さんだけがいて、鷹也はいなかった。
「翠くん」
玲子さんが慌てて立ち上がって、ご飯をよそいでくれた。
「あ、ありがとう……」
鷹也はどこに行ったのだろう。きょろきょろすると、早く座りなさいと父に注意された。
「あ、あの、お父さん……」
鷹也の事を聞こうとしたら、玲子さんが困ったように言った。
「鷹也、急に仕事が入っちゃって。今日から一週間、泊り込みですって」
「い、一週間?」
鷹也がいないと聞いて力が抜けた。
「翠くん? どうしたの?」
「あ、お腹が痛くて…」
「大変っ」
玲子さんは血相を変えると、父の顔を見た。
「あなた、お薬はあるの?」
「薬を飲むほど、辛いのか?」
「だ、大丈夫だからっ」
僕は、箸も取らずに席を立つと、一目散に部屋に飛び込んだ。
「仕事って…何の仕事してんの?」
ドアにもたれかかって呆然とする。
「鷹也…会いたい」
顔を見たい…。
僕は膝を抱えた。
鷹也が買ってくれた紫陽花は元気に育っている。
目に届く場所に置いて草むしりをしていると、だんだん遠くの空が暗くなり、雲行きが怪しくなってきた。
鷹也が家を空けてから、五日が過ぎた。この五日間、何をしていたか覚えていない。
「翠くん、今晩の夕飯は何がいい?」
しゃがんでいた僕は、手袋を外して立ち上がった。
「翠くん?」
僕は、玲子さんの顔を見つめた。
「どうしたの?」
にっこりとほほ笑んだ時、口元がそっくりだった。優しくて薄い綺麗な形をした唇。
鷹也にとって誰よりも一番、身近で大切な人。
「何でもいいです……」
ぼそりと答えた時、
「俺は焼肉が食いてえな」
と、うしろで声がした。振り向くと、髪をさっぱり切って、真っ白のシャツにジーンズ姿の鷹也が立っていた。
鷹也は頭を掻きながら、メシ、とひとこと言った。
「メシって…あんた、仕事は?」
玲子さんも少し驚いた顔をしていた。
「ああ、早めに切り上げる事になったんだ。上がりだよ上がり」
笑ってから僕を見つめた。
目が合ってどきりとする。それから、心臓がやかましく鳴り出して、顔から火が出そうなほど熱くなった。
「翠も腹が減っただろ?」
そう言ってから僕の首に腕を絡めてきた。シャンプーの甘い匂いが香った。注意してみると、髪の毛は生乾きだった。
「鷹也、髪の毛濡れているじゃない」
玲子さんが指摘すると、鷹也は体を離した。
「あ、ああ…。真由葉のところで入ってきた」
「呆れた…。そんなにしょっちゅうお邪魔していたら、ご迷惑よ」
「いいんだよ。あいつが喜ぶんだから」
ちくんと胸に何かが刺さった。にやついている鷹也を見ると泣きたくなる。
まっすぐ家に帰らないで真由葉さんのところに行くなんて。だったら、ついでに夕飯も食べてきたらいいのに。
考え出すと、だんだんむかついてきた。あんなに帰ってくるのを楽しみにしていたのに、今は顔を見るのも腹が立つ。
ふん、と背中を向けて家に向かった。
お帰りも言いそびれてしまった。でも、僕なんかに出迎えてもらっても鷹也は喜ばないんだよね。いかにも女の方が好きって顔してるもんね。
縁側でサンダルを脱いでいると、ぐいと腕を引かれて僕はつんのめった。
「あぶ……」
危うくうしろに引っくり返るところだった。
「あっ」
瞬間、鷹也が胸で抱きとめた。
「なな…何……?」
「やっぱりな」
鷹也がニヤニヤした顔で僕に言った。
「な、何が……やっぱりだよ…」
「お前さ、よく女に間違われたりしないか?」
「え?」
「華奢だし、顔なんかも好みなんだよな。あー、ちくしょ。お前が女だったらいろいろイタズラしちゃうんだけどね」
こちょこちょと僕の脇の下をくすぐる。僕は笑おうとしたけど、笑えない冗談だった。カーッと顔が熱くなる。
僕は腕を振り上げると、思いっきり鷹也の胸を殴った。
「ってーっ」
鷹也が大げさに仰け反った。
「何すんだ、このやろう」
「何すんだじゃないっ。バカっ」
「俺は昔からバカなんだよっ」
何を思ったのか、鷹也はいきなり僕を担ぎ上げるとサンダルを投げ飛ばし、階段を駆け上がって、僕の部屋に飛び込んだ。ベッドに投げ出された僕は怖くて体を丸めた。
「た、鷹也っ」
「寂しかったか?」
「へ?」
「お兄ちゃんがいなくて寂しかったんだろ? だから、庭でうじうじと草むしりなんかしてたんだろ」
決め付けたような言い方をする。
僕はむっとした。草むしりは好きでしている事だ。
「お前さ、家にこもっていないで外へ出ろよ」
「僕は家にいるのが好きなんだっ」
「そうか? 俺から見たら、いかにもかまってくださいって顔に見えるぜ」
「放っといてよ。もう、僕の事なんかどうでもいいだろ。出て行けよっ。出て行けっ」
鷹也を部屋から追い出すと、
「翠っ」
と、ドアの外から鷹也が怒鳴った。
「どこか、行こうぜ。行きたい場所考えておけっ」
「なっ」
廊下がシーンと静まり返る。顔を出すと、すでに鷹也はいなくなっていた。
鷹也が何を考えているか、分からない。




