へっ、俺たちが死ぬわきゃねえだろうが
「んが……クソ眩しい……」
カーテン閉め忘れたかな、とぼやきつつ、時刻を確認するために彼は薄目を開けると上体を起こす。
森だった。
全力で森が広がっていた。何がどう全力かは分からないが、思いっきり森だった。
「…………え?」
寝起きの頭で、自分が森に居る事を理解するまでに数秒の時を要した光輝は周囲を見渡す。
驚くほどに森だ。これ以上ないというほどに森である。
どう見ても森です本当にありがとうございました。
「は? え、どうなってんの」
がばりと起き上がると、着古した高校時代のジャージが目に映る。どうもベッドで寝て居た時の姿のままのようだった。
とりあえず立ち上がってみるが、何も変わった様子は無い。手足を縛られてるとか、頭がだるいとかそういう事は無い。
「誘拐されたってわけじゃないよな……夢?」
ここ数年夢なんて見てねぇや、ウヘヘヘ。とどこか疲れたような笑いをこぼす。
とりあえずこんなリアリティ溢れる夢を見る事は無いと断定し、これが現実だと受け入れる。
しかし現実だとするとこれはどうしたことか。
誘拐と言う事は無かろう。うらぶれたサラリーマンなんか誘拐しても意味は無い。貯金? 老後の蓄え以外はガチャに消えたよ。
とすると夢遊病か何かだろうか。いや、さすがにないだろう。
こんなアグレッシヴ過ぎる夢遊病があってたまるものか。
「マジでどうなってるんだ……?」
その場に座り込んでうんうん唸っていると、横合いの森からひょっこりと中年の女性が姿を現した。
そして、光輝の姿に気付くと訝しげに声をかける。
「あんたこんなところでなにしとるんだね?」
「はぁ、なんか目が覚めたらここに居て……」
「なんだいそりゃ? どこに住んでるんだい?」
「梶原市です」
「聞いたことないねぇ」
これはだいぶ遠いところに来てしまったな……と光輝はネガティヴな気持ちになる。
隣県にまで来てしまったのだろうか。
「ここはどこなんですか?」
「うーん、名前もない森だね。あたしはほれ、この通り山菜を取りに来ただけでさ」
確かに女性の手に持っている籠には山菜が入っている。てんぷらにでもするのだろう。
「なんだかよくわからないけど、あんたここに座り込んでてもしょうがないだろ? うちまで来な。昼ご飯くらいはごちそうしたげるよ」
「あ、どうもすみません」
ここは好意に甘えようと光輝は立ち上がり、せめて荷物くらいは持たせてくれと頼んで山菜の入った籠を手に歩いていく。
「それにしてもこの辺りは自然が多いですね」
「珍しくもないだろ? あんた都会から来たんか」
「ええ、まぁ結構大きい街でしたよ」
両親の故郷共にそれなりの都会だった光輝からすると、こういった田舎は本当に物珍しいのだ。
こんな鬱蒼とした森なんて初めてみたくらいだ。
「うらやましいねぇ。どんなところだったんだい?」
「そうですねぇ。車はバンバン走ってますね、でも空気が悪いんですよ」
「人が多いからそこらへんはしょうがないねぇ」
「こういう空気の綺麗なところに居ると、空気がおいしい、って言う言葉の意味が分かっちゃいますね」
「ははは! ここらには自然くらいしかないからね!」
こりゃおもしろい、と言った調子で女性が笑う。光輝もなんとなく笑っておいた。
そして、たどり着いた村に光輝は驚く。
なにしろ、電気すら通っていないような村だったのだ。車の一つも見えやしない。
こりゃとんだド田舎だな……どうやってここまで来たんだ? と自分で首を傾げる。
「あの、この村に電話なんてものは……」
「そういうものは無いねぇ」
電信柱が無い辺りから察しては居たのだが、さすがに驚いた。
テレビもないし、ラジオもない。車も走ってないような有様である。オラこんな村いやなので東京へ出なくてはならないだろう。
「ほれほれ、ここがあたしん家だよ。誰も居ないから遠慮なく入っとくれ」
「あ、はい」
土木で出来た簡素な家だ。中に入ってみると薄暗く、明り取りの窓から入る光がどこかおぼろげな印象を与える。
確かに言葉通り1人で住んでいるらしく、他の住人が居るらしい痕跡は皆無だった。
「さて、あんたちょいと火ぃ熾してくれるかい。あたしはコイツをやっとくからさ」
「はいはい」
言われた通り台所に向かい……硬直する。
コンロなどあるわけがなく、あったのはかまどである。
硬直している光輝に不思議そうに問いかける声。
「どうしたんだい?」
「え、あ、いや、火打石はどこかなと……」
「ああ、そこの上の棚に置いてあるよ」
否定してくれ……と言う思いで言った言葉も無情に肯定され、光輝はあきらめの感情を抱きながら棚に置かれた火打石を手に取る。
使い方はなんとなくわかると思う。
火の付きやすいものを置いて、石で鉄を叩けばいいのだ。それで飛んだ火花で着火するわけである。
「よっ、ほっ」
使った事は無いが勘で使ってみると火花は熾きる。何度かやってうまいこと火口になる藁に火をつける。
「よし」
火さえ起きれば後は風が入るように調整してやればいいだけでさほど難しくは無い。
風の流れを理解できるだけの脳みそがあれば誰だって出来る。
「火ぃ点きましたよ」
「ありがとよ。ほんじゃスープを作ってあげるよ」
そう言って女性は切り刻んだ山菜を水の満たされた鍋に放り込む。あく抜きの要らない山菜だけを選んである。
そこに味噌らしきものを放り込んで、しばらく煮込む。
その間、女性と光輝は会話をする。
「へぇ、それで自分の家で寝たと思ったらここにいたんかい。そりゃ難儀だねぇ」
「ええ、まったくです。今日も仕事だっていうのに」
「ははは、お勤めのある人は大変だね。あたしらなんかはのんきに畑耕して行きゃ暮らしてけるもんだからね」
自給自足の生活を送っているようなのでそこまで楽なものではないのだろうが、その言葉自体に嘘は無いのだろう。
女性は朗らかな様子で険もなく、あからさまに怪しげな光輝を迎え入れて昼食を御馳走してくれるのだから。生活に余裕がある証拠だ。
「その年なら嫁さんもいるんだろ? 心配してるだろうし、早く帰ってやらなきゃだね」
「ははは……」
見栄を張って否定はしなかった。
「まぁ、3日に1本しか来ないけど町までのバスもあるこったし、町にさえ行きゃわかる事もあるだろうさ」
「バスですか。今日来るんですか?」
「明日じゃなかったかねぇ? ま、色々手伝ってくれたら一晩くらいは泊めてあげるよ」
「ありがとうございます……」
人のやさしさに触れた光輝はなんとなく感動的な気分になって、頭を下げる。
その後、振る舞われた昼食のスープはとてもおいしかった。
その日、光輝は一日力仕事などをして過ごした。
水を汲んで来たりなどの単純作業だが、男手が無い家ではありがたかったのだろう。
そうして日が暮れる頃まで過ごした光輝は、眠る前に一杯水でも……と水がめに寄ったところで驚愕に身を震わせる。
「誰だコイツ」
見覚えの無い顔が水面に映っていたのだ。
本当に全く見覚えが無い。自分の顔にすら似ていない。
「…………」
ニコッと笑ってみると水面の見知らぬ野郎もニコッと笑う。どうやら水の中に誰かが潜んでいるわけではないらしい。
まぁ、水がめにひそめる人間が居るとは思えないが。
しかし、だとするとこれは自分だという事になる。
整形した記憶もなければ、若返りの秘術とか今どき宗教団体でも言わないようなものに手を出した記憶は無い。
ならばこれがいったいなんなのか。光輝には理解できる事は無かった。
「……とりあえず寝よ」
もう時刻も遅い。と言っても日暮れ前だが。
しかし日没とともに眠り、日の出と共に起きる農村の生活ではすでにだいぶ遅い時刻だ。
そして、光輝は何も考えずに眠りについた。難しい事は明日考えようと思いながら。
翌朝、目が覚めると光輝は近所の川まで出向いて顔を洗った。
川面にはやはりだが見知らぬ顔が映っている。揺れる水面ではいまいち顔が分からないが、やはり別人だ。
「鏡とかあればいいんだけどなぁ」
どうもあの女性の家には無かった。わざわざ貸してくれと頼むのも変だし。
彼はため息を吐くと、額に手をやって米神を揉みほぐす。なにやら頭痛がするような気がするのだ。どう考えても心労が原因だが。
そこで、自分の手首に数珠がついている事に気付いた。
「こんなもん持ってたっけ?」
元々アクセサリを収集する趣味などなく、パワーストーンで肩こりがよくなって給料が上がらないだろうかと言う悲しい望みをかけていくつか作ったりしていたのだ。
しかしオニキスとクォーツ、そして小粒のラピスラズリで作られた数珠など作った覚えもなければ買った覚えもなく、不思議そうに首を傾げる。
「……?」
オニキスが5つ、クォーツが16。そして大粒のオニキスとクォーツたちを隔てるように、小粒のラピスラズリが1個ごとに入っている。
その数珠、と言うよりはブレスレットか。それに奇妙な違和感を感じた。
「なんだこれ、中に何か入ってる?」
確かに中に何かが入っている。そんな不思議な感覚を感じ取り、光輝は手を握る。
そして、手が開かれた時、そこには金貨があった。
「うわっほ……これ、マジでアルダリネン金貨?」
アルダリネン金貨。彼のプレイしていたオンラインゲームにおいてプレイヤーが使用する貨幣。
その下には、ノネム銀貨とドゥラットー銅貨があるが、プレイヤーにはほぼ無関係な話だった。
プレイヤーが扱うのはアルダリネン金貨か、オボロイ白銀貨のみ。そしてオボロイ白銀貨は課金アイテムであって、ゲーム内貨幣とは少し違った。
「うーん……」
なぜ自分がこんなことが出来るのか? それは光輝には分からない。
ただ、自分が身に着けているブレスレット。そこに大量の金貨と、自分がプレイしていたゲームのアイテムが収められている事が分かったのみだ。
オニキスとクォーツの違いは、元となったキャラクターが男性だったか女性だったかで区別されているらしい。
ちなみに彼のプレイしていたゲームで男性キャラは不人気だ。装備出来ない装備があったり、そもそもデカくて邪魔とか、走り方がキモイとか酷い理由も多々あった。
それに倣って光輝のキャラの大半が女性キャラだ。残る男性キャラは男性キャラじゃないと出来ないことのためとか、男性キャラの方がこの装備はカッコいいからと言う理由で造られたものだった。
「しかしなぁ、どういう事なんだろう」
考えてみると、ここはオンラインゲームの世界ではないのだろうかと光輝は考える。
何ら証拠はないが、こんなことが出来るからそうだったらオモシロいのにと言う考えでそう言う発想に至った。
「うーん……そうだとすると、時代が問題、だよなぁ」
ゲームにおいては4つの時代を行き来する事が出来た。
人間が大規模な戦争を繰り広げている時代、PvPエリア。
人間が平和を謳歌し、最も富み栄えていた、バザールエリア。
ごく一般的なMMOらしく冒険したりできるノーマルエリア。
そして、レイドボスに挑む事が出来るボスバトルエリア。
ゲーム中では古代文明の超魔法力で移動できるという設定だったが、この世界でもそうなのか。
そうだとして、この時代ではそれが使えるのかは定かではなかった。
一応ゲーム中ではどの時代でも使えるようになってはいたが。
そしてそれらの時系列、ボスバトル、バザール、ノーマル、PvPと言う順序になっている。
ノーマルを基準として、87億年前の世界創生の時代、バザールの1億2000万年前、現代、800年前、と言う年代だ。
もしも時間移動が出来なくて、今がバザールの時代だとすれば何の問題もないだろう。しかし、現代から見て800年前の戦争当時だったらどうするというのだ。
スキルや特技があるので殺される事は無いだろうが、そんな凄惨な時代を生きたくは無かった。
「あー……考えてもしょうがないな。確認するしかないんだから」
ため息を吐くと立ち上がる。今は何の時代ですか? と聞いても答えは返ってこないだろうから、いろいろな情勢を調べる事で確かめるしかないだろう。
そうだとすると、この村では余計にやりにくい。必然的に、町に出る必要が出てくる。
「さて……俺の強さはどうかな?」
意識を集中し、自分のステータスその他を確認する。
彼のプレイしていたオンラインゲームはスキル制だ。レベルは無いため、ステータスもスキル値に依存する。
そしてステータスは、あらゆるステータスが最高値だった。
「全キャラのスキルが統合されてるって考えるべきか」
だからと言ってごり押し出来るほど甘い世界ではないが強みなのは確かだ。
「魔法や特技なんかに関しても……使えそうだな。アイテムは……あー、どうしよう」
強力過ぎて目立つという事は無いにしても、修理の手段が無い装備品が多い。
何より武器や防具は全て消耗品だ。使っていればいずれ壊れる運命にある。使わずに温存しておくのが正しい選択だろう。
「使えるのは普通の金属製武器が大半になるか。防具に関しても、強化品に課金装備は使えないな」
強化品に関しては課金する事で行えるものだ。一応無課金でもできるがマゾ過ぎると話題だ。
この世界ではそんな事は出来ないだろう。根本的にどうやって強化するのだという問題がある。
「課金アイテムも使えないな。もとからロクに使ってなかったから大丈夫だけど」
一時的に足を速くしたり、所持重量やインベントリを増やしたり、PvPで倒されてもアイテムをドロップしなかったり。
ゲームに直接的に影響の出ない課金アイテムが大半だった。
「参ったな、縛りがでかい」
大半の装備は自作出来るからいいとして、素材の足りないものも多い。何より生産するための設備が無かった。
これはどうあっても町に行かなくてはなとため息を吐く。
「よし、今日、バスが来るらし……バス?」
バスなんて本当にあるのだろうかと首を傾げるも、聞いてみないことには答えは出なかった。