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神ノ山

神ノ山 番外編 重陽 女郎花

作者: 青空

政の中心である都の夜の町に、客呼びの声と、上質な着物を纏った男共の声が飛び交う様を木枠の奥から眺めている女たちが、誘うようにして白い手で手招きしている。

暗い行灯の光の下、木枠の奥のその姿を捉えるには、強い光をあててはいけない。

明かりを消して目を慣らせてみれば、はっきりとその姿を捉えられるだろう。

真昼の明るさが、夜の暗闇を一層黒く染めるように、それは相反するものとして、存在し続けてきた。




帝に仕えている高僧は、昨日訪ねてきた客人を連れ、周りに己の弟子数名をおいて夜の町に繰り出していた。

この手のことに無関心な客人は、連れられるがまま、高僧の贔屓の店に入っていく。

馴染みの芸子は、丁度一仕事終えたところで、一行は待つことなく、座敷にあがることができた。

席についたところで、酒と料理が出され、例の芸子が障子を開けて、三つ指をついた。

「ようきはりましたなぁ。僧侶様からご指名いただいた、竜胆どす。存分に奉仕させて貰いますさかい、今日は楽しんで行っておくれやす。」

きらびやかに着飾り、口元に艶やかな笑みをたたえ、紅をさしたその口からつむぎ出される言葉ひとつひとつで、僧侶たちを魅せると、摺り足で上座に座る高僧と、客人に寄っていく。

「あんまり来てくれはらんさかい、寂しかったわぁ。にしても、今日はほんにええ男連れてますなぁ。こんな綺麗な黒髪、見たことありまへん。羨ましいわぁ。」

高僧に酒を注ぎながら、芸子はその隣に目線を移す。

客人はすりよってくる芸子を横目に、用意された焼き魚の骨を綺麗に取りながら、ぱりぱりとした皮のまま、魚の身を頬張った。

ほのかな塩味と山椒の風味が、脂ののった魚の味を一層引き立て、客人はその美味しさに舌鼓をうった。

高僧が、嫉妬の目線を客人に投げかける。

「あんまりいじめてくれるな。この御人は、このような店に慣れてないのだ。」

言葉の意図を汲み取って客人に酌をすると、笑って高僧に近づいた。

「いややわぁ。僧侶様が一番、ええ男に決まってますやろ。わっちにこないなこと言わせるの、あんさんだけです。」

途端に機嫌の良くなる高僧に、客人は陰で溜め息をつくと、厠のために立ち上がった。



座敷に戻る途中、客人は誤って別の部屋に入り、そこでもの哀しげな様子の女が座っているのをみた。

微かな行灯が、幼げな横顔に影をおとし、幻想的な雰囲気を醸していたが、女の座している布団や、乱れたその着物を見ると、先程までのことが、いやでも予想され、客人は何とも言えない気持ちになった。

女は横を向いて無表情に客人を見やると、その目から無言のまま、涙の粒を落とした。

雫が、はだけた肩や胸に咲いた菊の花をつたっていく。

暫くお互いを見ていたが、先に女が目線を落とすと、立っていた客人を座らせた。

裏方に酒を頼むと、布団をどかし、着物を整えながら客人に対して座った。

「このまま帰すのは店の恥。情けないところをお見せした分、私に奢らせて下さい。」

芸子には珍しく、都の生まれの女ではないらしい。

酒がくると、端整な顔の客人を見ても顔色ひとつ変えずに、堅い表情のまま、酒を注いだ。

「君は、ここで何をしていたんだい。」

女は途端に傷ついた顔をして、今にも溜め息をつきそうにしたが、客人を自身で引き留めたことへの詫びのつもりか、これっきりの付き合いだと腹を決めたのか、自分の事を話し始めた。

「私には意中の相手がいました。でも、私は家族のためここで働かなくてはならなくなりました。違法を犯したのはそのためです。早くお金を貯めて、ここを出て、好きな男と添い遂げたい。ありふれた話ですが、私には辛い事実です。」

またほろりと涙を流す。

「その身体の痣は…。」

「目がよろしいのですね。この黄色の痣は、私の夢をまもるためについたものです。」

そういえば、と女が生けられた菊の花を持ち出して花を摘むと、客人の持っていた酒に浮かべた。

「重陽という習慣をご存知ですか。長寿を願った祭なんです。こんな話の後にあれですが、是非、召し上がって下さい。」

客人は美しい黄色を楽しみながら、酒を味わった。

「うん、美味しい。人から労られながら酒を飲むってのは、何だか新鮮だね」

客人が笑うと、つられたように女も笑う。

「美味しいお酒、ご馳走さま。もう行かないと。連れが煩いだろうからね」

「ええ。引き留めてしまってすみませんでした」

「今日のことは、聞かなかったことにするよ。お互い、その方が気が楽だろうから」

「ありがとうございます。最後にひとつ、名前を教えてもらっても」

「ああ、私は…」




数日後、客人は高僧の屋敷から帰る最中、例の店の辺りを通って聞いた噂に驚いた。


自分が話していた女、菊が腹にややこを抱えて、穏やかな笑みをたたえ道端で亡くなったという。


真昼のこの辺りは酷く閑散として、人が亡くなったことなど、さして気にはとめていないようだった。


客人は菊からもらった菊の花をくるくると回して、つかの間、目を閉じた。


道端には風で飛ばされた葉が踊り、蜻蛉は番を求めて、飛んでいる。


菊の悲話は誰も知らないまま、やがては彼女の存在さえ、忘れられていくだろう。


それでいいのだ、と客人は思った。



菊はようやく闇から解放されたのだから。



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