独りの戦い
最初に襲って来たのは、喪失感。
今まで体の一部を構成していた、その一部がするりと消える。元から僕のものでなかったのに、片翼をもがれた気分になる。
残った僕の命はちっぽけで、まるで海の様にあった生命力は、今やコップ一杯程しかない。
さっきからしきりに頭の中に響いていた実咲さんの声もしなくなった。
これで正真正銘ひとりぼっちだ。
だけどこれで良い。
「死ぬ覚悟はできたかなっーと」
「そんなもの、してる訳、ないだろ」
「じゃあ生きる覚悟? どちらにせよ諦めないって素晴らしいですよねぇ。現実はそんなに甘くないぞーって、ねぇ」
「現実は甘くないなんて、知ってるよ。だからこそ理想を追い掛けるんだ」
どうにかこうにか立ち上がる。血に染まった服が肌に張り付く。やけに足先が冷たく、少しでも気を抜けば倒れてしまいそうだ。
背中を見せれば殺される。
この傷じゃ、ロクに殴ることもできやしない。
それでも僕は立ち向かう。立ち向かうしかない。
この理不尽に。
現実には、立ち向かうしかないんだ。
「『理想世界』」
ごっそりと魔力が持っていかれる。
完全詠唱出来れば少しは魔力も節約出来るんだけど、恐らく目の前のこいつはそんな暇は与えてくれないだろう。
あの槍の間合いに入れられたら、傷を負ってまともに動けない僕は一瞬で殺される。
だったらやる事は一つしかない。
徹底的にこの距離を保つ。
「させませんよ」
理想世界の発動と同時に、男が棘槍を投げて来た。正確無比な狙いの先は僕の心臓だ。
「――『圧縮』『形成』」
飛来する槍を横合いから無理矢理に突き飛ばす。
圧縮した空気をぶつけて、御丁寧に空気で道まで作ることで、なんとか直撃コースを免れた。
きゅいん、と甲高い音を立てて僕の側頭部を掠めていく。今の数瞬だけで、心臓が握り潰されそうな恐怖に襲われる。
上手く息を吸えないと騒ぐ身体を押さえつけて、続く攻撃に備えるために能力を行使する。
この男の攻撃は、速く、重く、純粋に強い。生半可な防御じゃさっきみたいに貫通されるのがオチだ。だからと言って、防ぎ切れる防御法を用意している時間もない。手っ取り早いのは概念武装で無理矢理に勝負を決める事だけど、果たしてこの男に通用するかは正直分からない。そもそも、 理想世界収納から概念武装を引っ張り出す隙を与えてくれない。
どうする。
僕の保持能力の中で最速の発動が出来るのは単純な武器創造だ。これを主軸として戦闘を組み立てていかないといけない。強力な概念封入を行う時間が無いから、封入できても一つ二つの単純な効果だけ。
まあ、今の僕の生命力じゃあ、そんな概念封入をする前に命が尽きるだろうけど。
「『武器創造』」
とにかく、手札にある物を上手く使うしか無い。
それが出来ないなら死ぬだけだ。
「――『回れ』」
「曲芸?」
創造した武器を僕を中心にして回転させる。用意する時間が無いのなら、出来る限り先に準備しておくしか無い。
「投げると逸らされるのは面倒だなーって、そう思ったんで直接行きますよ」
「『弾け』!」
男が踏み込んだと同時に叫ぶ。
周回していた剣達が棘槍の行く手を阻む様に殺到する。真正面から突っ込ませた数本は一瞬で砕かれたが、同時に槍の側面を叩けた。矛先が見当違いの方向へ向かったのを見てから、逆サイドから男の脇腹を狙って3本のレイピアを飛ばす。男は体勢を低く落として躱したが、ガラ空きになった背中を、なるべく脊髄のあたりを目掛けて追尾させる。
「ふっ!」
剣先が突き刺さる。
地面にだ。
男は一瞬のうちに後退していた。
「危ない危ない。いきなり動きが良くなった気がするなーっと。もしかして最初は手を抜いてたとか?」
「……さあ、どうだ、ろうね」
手を抜いてるわけがない。
そんな余裕はどこにもなかった。動きが良くなってるとか言われたけど、僕にはそんな気はしなかった。
「追加補充」
「はははっ、楽しくなってきたねぇ」
今の一手で砕かれた分の武器を新たに創造する。
共通を解除するまでは、無限の生命力から魔力を生成して使っていたから、僕自身の魔力を使うことはなかった。
そして今使っている魔力は作り溜めしていた余りみたいなものだ。
理想世界は魔力の消費がかなり多いから、発動後に武器創造や概念封入を行うことを考えると発動出来ても2回が限度だ。完全詠唱出来ればもっと余裕が持てるのだが、この場合は期待しないほうがいいだろう。
ここからが本当の意味で、僕一人の力で戦うという事になる。
「おや、攻めてこないのかなーっと」
「それは、僕のセリフだよ」
男が飄々と言った。
口調とは裏腹に、僕の内心を見通すかの様に鋭い眼光だ。呼吸の回数を数えられている気すらしてくる。
攻めたくても攻められないのだ。
下手に残弾を減らす様な真似は出来ない。
それに、僕が一瞬でも隙を見せたら即座に反応するくせに、わざと僕に 理想世界収納を開かせようとしてくる。
「ふーん」
適当な相槌を打ったかと思えば、音すら置き去りにする速度で一直線に突っ込んで来た。
リズムが独特で戦いにくい事この上ない。
真正面から迫る死線を弾き飛ばす。
剣が砕け散って、ダイヤモンドダストの様にきらきらと舞う。お腹の血が足を伝って靴を濡らしているのを、他人事の様に頭の片隅で感じた。
冷えた足先にはやけに熱く、夜風が熱を奪って過ぎ去る為か、すぐにぬるりとした気持ち悪さだけが残る。
感覚器が声高に叫ぶ異常と不快感を意識的に黙殺し、今にも倒れそうな我が身を叱咤する。
ギャリッ! と側面から耳障りな音が響く。
正面突撃を防いだと思ったら、弾かれた勢いを利用して薙ぎ払いの二撃に続いた。
剣を並列に4本重ねて斜面を作り、僕の体と攻撃の間に滑り込ませた。全てが半ばから折られたが、更に2本の大剣で下からカチ上げた。
折れた剣を4方向から突っ込ませるが難なく躱される。回避地点に、『置く』ようにレイピアを配置しておいたが、引き戻した槍に叩き落とされて壊された。
数度のやり取りの中で既に3回ほど死を覚悟した。
武器の操作の為に理想世界は常に起動状態にしてある。強力な概念封入を行う時間が無いのが逆に魔力の節約に繋がっている。武器創造を行い、壊れた分の武器は順次補充していく。なるべく剣系の武器を作る。レイピアなどの貫通力が有ればダメージを期待できるかと思ったが、そもそも当たらなさそうなので作るのはやめた。防御にも向いてないし。
いや、そもそも剣などの形をとる事自体がナンセンスだ。防御の為と割り切るならただの棒で良い。
盾を創造しようかとも思ったが、どうせまともに受けたら貫かれるか無理やり砕かれるから止めた方が良いだろう。
そう思った僕は、周囲の武器たちに先端を尖らせた円柱状の棒を追加で創造していく。
全長1メートル半ほどの杭が出来上がっていく。
形状が単純な分、簡単に創れる。魔力を出来るだけ込めて強度を上げておく。
都合12本の棒を創造し、僕を軸として周囲で高速回転させておく。
先に作っておいた剣類と、今作った棒がごちゃごちゃと空間を埋める。
魔力がゴリゴリと削られているのがわかる。今までは基本的に理想世界の常時発動なんてしなかった。概念封入さえしてしまえば問題なく効果を発揮するから、節約の為に一度ずつ能力を解除していたのだ。
武器を操る必要があるのに概念封入をする暇がない。
結果、理想世界を常時発動せざるを得ず、魔力が常に消費される事となっている。
既にこの武器創造で僕の保有魔力は底をつき、生命力変換による生命力の前借り――寿命を削って魔力を生み出している状態だ。それでも、今死ぬよりはマシだ。
「良いね。便利な保持能力持ってるなーっと。羨ましい限りだ」
「……」
「俺もそんな能力あったらなーっと。俺の能力なんて超ショボいのに」
「…………」
「……返答無し、か。死んだら喋る事も出来なくなるんだから、今の内に喋られるだけ喋った方がいいと思うんだけどなーっと。別に能力について話してほしいわけじゃ無い。世間話しようぜー」
喋る、口を動かす、なんて行為にほんの少しでも意識を割いた瞬間に槍が飛んで来そうだから話したく無いだけだ。
「ま、良いけどさ」
男はいつまでも返事のない僕の様子に肩を竦めて、諦めたようだ。
「あ、良く考えたら俺、遊んでる時間無いんだった。楽しくて忘れてた」
男が軽くそんな事を言った瞬間。
既に僕の目の前にいた。周囲で棒を回転させているのに、その隙間を縫ってきたのか。
瞬間移動と錯覚してしまうほどの速度だった。
「ッ!?」
目が合う。嫌な目だ。きっと蛇に睨まれた蛙はこんな気分なのかと、ふと思った。
槍が迫る。
僕の両脇を飛んでいた武器をギリギリのタイミングで全て割り込ませた。と同時に身体が綿毛のように吹き飛ぶ。
浮遊感が身を包み、一拍遅れて背中を強打する。
チカチカと明滅する視界、出来うる限りの深呼吸で酸素を必死に掻き集め、自分の状況を把握する。
都合十数本の武器が全て砕かれていた。
杭は破壊されていなかったが、端の方が欠けていた。
なんとか防ぎきれたか、と安堵した瞬間左腕に違和感があった。
「熱っつううう……ぃぃいっだッああああぅぅぐ」
二の腕のあたりが半分ほど断ち切られている。
血が噴き出しているせいで断面は確認できないが、骨までは達していないようだ。
右腕で庇う様に抑え、少しでも血が流れ出ないようにする。持っていないと、そのままぶちんと落っこちてしまいそうだ。右手からやけにクリアに脈が伝わってくるが、ジンジンとした痺れが左手を包み、手先がうまく動かない。
人間ってこんなに血が出るんだ。
ぼんやりとそんなことを考えながら、続く攻撃を防ぐ。
右足首を狙う突きを、体の外側に向かう様に逸らす。杭を3本合わせて逸らすのがやっとだ。
ぐるりと回転しながら、左の脇腹に迫る一撃を束ねた杭で打ち返し、僅かな間隙に尖端を割り込ませる。
相手の攻撃を防ぎながら、同時に逆サイドから攻撃を加える。
僕の操る杭は宙に浮いているから、攻撃の方向に制限がないことが利点だ。
空中を乱舞する武器と、その悉くに対処し打ち払う男。
一合のやり取りの度に、背筋が凍る。足の動き、目の方向、槍の持ち手にかかる力、僕の目の前にいる敵の情報を血眼になって捉え切る。半ば無意識的に行われる予測を、武器の操作に反映する。
考えることを一瞬でも放棄したら、死が僕の首筋に噛み付くだろう。
「ヒュー、ヒュー、ヒュー……」
喉がおかしな音を出している。
ギャリギャリと周囲で線香花火のような火花が飛び散り、網膜の裏にこびり付く。
命のやり取りが時間という概念を何倍にも希釈していた。
永遠に続くと思っていた攻防は、しかし唐突に終わりの合図を告げる。
軽石をハンマーで叩き潰したような、空気を含んだ音が響いた。
――1本の杭が、壊れた。
ああ、まずい。
加速する思考が外界からの情報を肉体にフィードバックする最中、心がぽつりと呟いた。
度重なる衝突によって、少しずつ杭に蓄積されていったダメージがついに限界へと達した。
残り、11本。この近距離高速戦闘のさなかに、新しい杭を創造する余裕はない。入ってくる情報を処理し、死を遠ざけるだけで精一杯だ。
1本なくなれば、その他の負担が大きくなる。加速度的に綻びが大きくなっていく。
残り10本。
男は獰猛な笑みを浮かべ、強烈な一撃を繰り出す。
残り8本。
熾烈を極める猛攻の前に、何とか追い縋ろうとする。敵の攻撃にこちらの攻撃を重ねることで、勢いと手数を削いでいたが、その戦法が崩れ去ろうとしている。
残り5本。
反撃のための武器が砕かれた。
多分、あと2,3回打ち合えば抵抗手段をすべて失うだろう。
「クッソオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
叫ぶ。負けたくなかった。
もうどうしようもなくなった。
諦めてはいない。この意識が途切れるその瞬間まで抗い続ける。
だけど、抗う手段はすでに正面から打ち破られ、僕に残された物は何もない。
ついに全ての武器が砕かれた。
理想を願ったところで、何も変わらなかった。
現実は大きく強く、そして冷たい。
死にたくなかった。
もう少しだけ、生きていたかった。
実咲さんと、あと少しだけ。
「中々やるねー。中の上ってところかなーっと」
尻もちをつき、動けなくなった僕の眼前に棘槍の切っ先が突き付けられる。
何か手がないか、あたりを見回してみたが、逆転できそうな案は閃かない。
逃げることすらも不可能だ。
「俺も少しだけ本気出しちゃったもん。いろいろと甘いけど」
男はそう言って腕時計をちらりと確認した。
「うわ、10分経ってる。遊んでる場合じゃなかったー。ってなわけでさよーならー」
そんな軽い言葉とともに、槍が振り下ろされる。
こんなあっけなく、僕は死ぬのか。
嫌だ、嫌だ。
泣き出しそうなほど嫌だけど、でも、実咲さんが無事なら、僕はそれでいい。
僕は、誰かの為――実咲さんの為に生きたと胸を張って言える。
それなら、僕はそれでいい。
そう思った。
目は閉じなかった。
「――っと」
振り下ろされた槍が、僕の寸前で止まっていた。
何故か。そんなのは、察しの悪い僕でもわかる。
誰が。この目にありありと映っている。
――実咲さんだ。
「間に合った……ッ!」
銀色が、闇を払う様に、そこにいた。




