|銃魔《ガンスミス》
空はいつも灰色だ。
地球から眺める空は何時だって鉛色で、綺麗な青空なんて偽物しか知らなくて、だから僕の知っている空色はどんな時でも濁った白だ。
太陽光は薄い雲で拡散され、真っ赤な太陽が何処にいるかは大雑把にしか分からないし、黒い影はボヤけた輪郭しか持たない。光があれば影がある。あやふやな光には、あやふやな闇しか付きまとわない。
地面は茶色で、木々は緑色だ。果実はピンクや橙色にもなるし、季節によっては一斉に色めき立つ所もある。世界は色に満ち溢れていて、様々な色彩が世界を塗りつぶしている。
でも、この世界には青色が無い。
髪の色が青い人間はいるし、美しい蒼の花弁を咲かせる花も、珍しい青色の果実を実らせる果樹も、全身の鱗がサファイアの様に光を反射させる怪物すら、地球には沢山いる。
でも、青い空だけは無い。
この世界には『空色』が足りない。
ずっと昔から人間たちは頭上を見上げれば、偽物と本物の二つの空から押さえ付けられてきた。
晴れという言葉の意味すら、地球では変わってしまった。
雲が薄い時を『晴れ』と呼ぶようになった。そう呼ぶようになってしまった。
一般人は、晴れと聞くと『青空』を思い浮かべる。作り物で偽物の、どうしようもないくらいに美しく高く汚れ無い澄み切った――様に見える空を。
保持者は晴れと聞くと、『曇り空』を思い浮かべる。薄く、薄く、引き伸ばされて布一枚分の厚さしかないような水蒸気の塊が覆う空を。どうしようもないくらいに濁っていて、白の濃淡が何処までも続いていく殻のような本物の空を。そして、その下で繰り広げられる凄惨で悲惨で陰惨な命のやり取りを。
あと少し手を加えれば、すぐにでも青が見えそうな雲にそれでもなお手が届かないでいる。
僕らはそんな世界で生きている。
そんな世界に生まれ落ちて、ぐずぐずになって死んでいく。寿命で死ぬ人もいれば、事故で死ぬ人も居て、殺されて死ぬ人がいる。
一生、偽物の青空しか知らないまま、此の世を去る人が殆どだ。
昔、テレビで保持者のコメンテーターがこんな事を言っていた。
『私は見た事がありませんが、地球でも青空というものはそこにあったらしいですよ。私は『シャンデリア』でしか見たことがありませんがね。だからこそ、私はそれが見たい。ただそこにあるはずのそれをこの目で見てみたい。やはり、我々はいつ死ぬか分からない生き方をしていますから、戦う理由は大なり小なり各々が持ち合わせていますが、私はそれが理由ですね。しかしながら個人が戦う理由は時代やら何やらで千差万別でしょうが、人類と言う括りにおいて目的がブレた事は人類歴発足時から一度たりとも無いのですよ。二百年間もの間、我々は『当たり前』を取り戻す戦争を続けているのです。空と大地と海とを分かつ地水平線の先までを取り返さない限り、この戦争は終わらないでしょう。これは人類が自然に対して仕掛けた闘争――負ければ、きっと二百年後には我々の足跡など風と波と木に押し潰されて、世界から無かった事にされてしまうでしょうからね』
そんな風に言って笑っていた保持者は五ヶ月後に地球で消息不明になった。
コメンテーターだけでなく、多くの保持者が毎日のように地球に降り立ち、その内の数パーセントは二度と戻ってこない。
生と死の狭間の世界に、僕らはおっかなびっくり立っているのだ。
◇
先生との模擬戦で一対六にも関わらず敗北を喫した日の放課後。
お金稼ぎと戦闘経験の二つの意味を兼ねて、僕、実咲さん、海、内宮さん、護人、ローウェルさんの計六人一チームでERCに赴き、討伐依頼を受注して地球へと降り立った。
今日の仕事はアーマーベアの討伐だ。
アーマーベアと聞くと、あの島で出会った影から怪物を生み出すヤツを思い出してしまうが、あれは例外だ。あんなのがワラワラと普通に居るようなら、人類はとっくの昔に滅ぼされている。
「え? 昔の空が凄かったか? うーん、普通よ?」
「そうなの?」
「想也君たちは本物の青空を見たことが無いらしいけど、本物だからって美しいって訳じゃないわ。むしろ、青空では無いけれど、夜空は『シャンデリア』の方が断然綺麗で澄んでるわ。月以外の星があんなにたくさん見えるなんて、山奥にでも行かないと無理だったもの」
「うわー、なんだか聞かなかったら良かったな」
「無い物に対する憧れって美化が多分に入ってしまうから。それと同じくらい、昔の事も美化されるけど。何故そんなこと聞くの?」
「んー、昔、テレビで戦う理由が昔の空を見たいからって人がいてね。実咲さんなら昔の空を知ってるかなって思ってね」
「普通って聞いてどうだったかしら?」
「ちょっとだけショックだったけど、僕の理由とはぜーんぜん違うからねー」
「ふーん」
薄い太陽光の降る森林の中で、僕と実咲さんは葉っぱの隙間から覗く曇り空を眺めながら話していた。
目撃情報をもとに予想出現地点が討伐依頼書に記されているとはいえ、実際にアーマーベアに遭遇できるかどうかはその時の運だ。警戒を続けながら森の奥へと歩を進めているが、2時間たった今でも開敵には至っていない。そして見つからないまま、適当に歩いていると犬も歩けば棒に当たるように、多種多様な怪物に遭遇する。遭いたいのは熊だよ。別にもう猿だの狐だのとは遭いたくない。人数的に戦闘は避けられないし、その度に時間を浪費することになる。
――ガウンッ!ガウンガウンッッ!!
と、静かな森の中に銃声が立て続けに響く。
都合3発の銃弾を叩き込まれた2メートルほどの大きさの猫型怪物が命を貫かれ地に伏す。
高らかな笑い声によって戦闘の終了が知らされた。
「おーほっほっほっほ!! 私にかかればこの程度、どうと言うことはありませんわ!」
「今日の昼は何の役にも立ってませんでしたがな。と言うか、三発も必要でしたかな今の。二射目で致命傷、完全にオーバーキル」
「黙ってくださいませんこと? そもそも、あの先生が可笑しいんですの。私の攻撃を全て回避しましてよ!」
こんな調子でローウェルさんが怪物を射殺して回っている。
護人と海が近くで援護しているが、基本的にはローウェルさん一人で戦っている。理由は今日の対先生戦で力不足を実感したから。
僕と実咲さんは戦闘には参加せず、雑談をしているだけだ。もちろん、周囲の警戒を怠らずに、だが。
実咲さんの危険察知能力は僕らチームの中でも飛び抜けており、怪物の接近にもっとも早く気付く。あの島で鍛えられたらしいその特技はかなりの精度を誇り、強化の使用と相まって広範囲に渡る感知が可能となっている。まあ、強化してない状態で視線を感じ取れるくらいだから、そのくらいは出来るのかな。
実咲さんには強化の長時間連続使用の練習として、一時間以上ぶっ続けで索敵をし続けてもらっている。感知できた怪物が3体以上のときは内宮さんも加わって戦い、十数体以上の群れと当たったときは僕と実咲さんも加勢する形で、アーマーベアを探し続けている。加勢するのには危ないからと言う理由もあるにはあるが、一番の理由は時間短縮がしたいから、だ。
「いや、でもあのぐらい普通だと思うぞ。なぁ、想也」
「そうだね。ローウェルさんの攻撃は分かりやすいからなー」
「私の攻撃だと駄目ですの?」
「駄目っつーか――着眼点は悪くはないんだけどな」
先程の銃声はローウェルさんによるものだ。
しかし、ローウェルさんは銃を持たない。
「そうでござるな。拙者も最初は驚いたでござるよ。何故そんな戦い方を? 戦い方の理由が分かれば、改善点も出てくるやも知れませぬぞ?」
「そうですわね……。皆様、『銃』とは何のために存在しているとお思いですの?」
「はーい」
「挙手制にした覚えはありませんが……。では、秋川様」
「『殺す為』でござろう」
「そうですわね。正解ですの。では、次の問題。銃でどうやって殺すのでしょうか」
「そりゃあ、引き金を引いて――じゃねえか、実際に殺すのは『銃弾』だな」
「そのとおりですわ。銃の存在意義とは、殺すことを指先で可能にする――つまり殺しの簡略化、手の感触を衝撃のみにする――つまり罪悪感の軽減、圧倒的なリーチ――つまり相対の恐怖を無くすこと、等々色々と使用者にとっての本質的な意味が有りますが、突き詰めれば『弾をストックし、狙いを付け、一定の方向へ一定の威力の弾丸を放つ』の三つだけですの。逆に言えば、この三つさえ達成しているのであれば必ずしも銃である必要は有りませんの。そのほかの意味も後からついてきますわ。つまるところ、銃とは唯の『発射装置』にしか過ぎないのですわ」
「じゃ、じゃあ、ミリルちゃんは保持能力で銃の代わりを作ってるって事で良いの?」
「正確には、銃身と撃針部分だけをコレで作ってますの」
ローウェルさんが手をかざすと、目の前に強化して目を凝らしてようやく見えるくらいの透明な筒が出来上がった。
「超能力系と魔法系を組み合わせて作っていますの。私はこういう使い方しかしてないので、『銃魔』と呼んでいますわ」
「なるほどなぁ、銃身の長さは自由自在、引き鉄ってもんがねえから発射タイミングが判りづらいし、発射速度を火薬に頼ってる分、同じ大きさの物体を操ってぶつけるよりは魔力の消費が少ないな」
「さようでございますの。リロード自体有りませんし、銃弾の威力不足は如何ともし難いのですけれど、魔法系を付加させてカバー出来ますわ。本当に威力が必要な時は魔法系を使えば良いだけですし」
「しかし、致命的なデメリットが有るんですなぁ」
「その得意顔で指摘されると無性に腹が立ちますわ。……教えて下さらない?」
「デメリットは二つ。一つは発射タイミングですかな。確かに発射動作が無いのは優れていると思うでござるが、結局、撃とうとするのはローウェル氏ですからな。人を読まれたら意味が無いって所ですな」
「もう一つというのは?」
「狙いがバレバレなんでござるよ」
「私が今作ったのは見易くしてるからで、本来であれば見難いはずですわ」
「銃身が透明なのが問題なのでござるよ。銃弾の向き自体が見えてしまいますからな」
「……おっしゃる通りですわ」
「普通に戦う分には殆ど気にならないと思いますがな。先生の反応速度が速すぎるだけの話、恐らく距離によっては撃ったのを見てから瞬間移動で避けられる可能性がありますな。そもそも速すぎて狙えないって可能性の方が高そうですぞ」
見てからって言うのは難しいけど、避けるだけなら僕や海でも十分できる。
近距離戦闘が得意な保持者なら恐らく誰でも似たような事は可能だ。
と言うのも、ローウェルさんの戦闘位置が中距離から遠距離な事もあって着弾まで少し時間が掛かるので、至難の技……って程でもないのだ。
まあ、そもそも極端な話をしてしまうと炎槍や土槍、氷弾などでも魔力の込め方によっては銃弾と同じかそれ以上の速度で飛ばせるので、わざわざ銃に頼る必要が無い。威力も段違いだし。
魔力をあまり消費せずに一定の威力が確約されたまま戦えるという点はとても優れていているけどね。
「気を落とさず、技を磨き上げればいずれは高等技術となりそうですな。デメリットと言うには相手を選ぶ欠点でござるし、そもそも通常の保持能力でさえ当たらないのであるからして、特別劣っている訳ではないですからな」
ローウェルさんの保持能力――『銃魔』は実際のところ、そこら辺の怪物を相手取るだけなら十二分な性能を確保している。流石に高ランクの怪物相手となると、攻撃性能とかそういうレベルじゃなく基礎スペックの差で勝負にならないのだが。人間が強化して限界を超えた運動能力を手に入れてもそれを鼻で笑うような強さを振り翳すのが人類の敵だ。
「強いてデメリットを挙げるとすれば、火薬臭くなることぐらいですぞ」
護人が半笑いで茶化す。
ローウェルさんも自身に火薬の匂いが染み付いていることは理解しているので、消臭剤と香水をいつも持ち歩いている。
「私はこの香りに慣れてますわ。良い香りだと思うのですけれど、淑女としてはアウトなのが悩ましいところですわ」
「そもそも淑女は火薬の臭いを良い臭いだとは思わないのでは」
「それを言い始めたら、淑女は怪物と戦ったりしませんわ」
「まあ、そうだな」
そんな調子で雑談交じりに森を進むこと十数分。
背の高い木が群生している地域に入ったところで僕らは引き返すこととなった。
ここにくるまでに既に二時間以上経過している。帰りにも同じだけの時間が掛かると仮定すると、今のうちに戻らないと暗い夜道を歩くことになる。地球はすべて雲に覆われている為、夜の森は一寸先が見えないほど暗い。もちろん、強化すれば足をどこかに引っ掛けて転ぶような真似はしなくなると思うが、視界は大きく制限されてしまうだろう。光で道なき道を照らそうものなら腹を空かせた怪物達に自分の居場所を喧伝することになる。
危険を避けて暗闇の中を隠れながら進もうにもこの人数ではそう容易い事ではない。
既に足元が良く見えなくなってきているし、ここにくるまでに襲ってきた怪物の死骸はカードに収納してあるから、アーマーベアを探し出さなくても金銭的にはプラスになるのでさっさと帰ろう。
「ん……皆止まって。何か近づいてきてるわ」
撤退し始めてから20分ほどで、実咲さんが皆を呼び止めた。どうやら索敵範囲内で何かを感知したらしい。僕も軽く強化しているが、怪物の接近に全く気付けない。どれだけ遠い所にいる怪物を見つけたんだろうか。実咲さんの感知速度なら奇襲を受ける可能性は格段に減る。が、用心に越したことはない。信じてない訳じゃなくて、心構えの問題だ。
「何匹いるかは分かる?」
「ごめんなさい、そこまで正確には分からないの。せめて、もっと近くまで来れば分かるのだけれど……。少なくとも、一匹二匹では無いわね。さっきまでに戦った怪物よりは格段に強いわ」
「良いよ、来てることが分かるだけで十分凄いから。皆、油断しないでね」
「一葉、俺の後ろから離れんなよ」
「や、八雲君も離れすぎないで」
「私の射線に入ったら、諸共撃ち抜きますわよ秋川」
「なぜ拙者限定!? あと拙者だけ様付けがないのは舐められてると見てもよろしいのですかなこれは」
「よろしくてよ」
「んん、なかなか倒錯的ですな。舐め回されるというのは淫靡な響き」
「そこまで言った覚えはありませんわ!」
「あと三十秒で遭うわよ。準備しなさい」
実咲さんの鶴の一声でいがみ合っていた護人とローウェルさんがピタリと言い合いを止めた。馬鹿なやり取りをしていても、その身に危機が迫っているとなれば否が応でも引き締まるし無駄口も叩かなくなる。
命の価値が著しく低くなる世界に浸り続けている僕ら保持者は超人的な力を持っているけど、決して超人そのものではない。人並みに痛みも恐怖も感じる。ただそれを表に出さないように努めているだけで、出来ることなら命のやり取りなんてしたくない。
茶化し合って、互いの心を日常に近づけるのだ。それが『普通』なのだと心に教え込むように、冷静に、陽気に、自分を振舞う。
死にたくない。
そう思うのは、当たり前のことだ。
自分達は何があっても勇気と度胸を使いこなし、窮地を脱し、死線を潜り、生還する。誰もが根拠のない自信を心に引っさげて、此処に来る。現実を誰よりも間近で見ながら、心で違う場所を見る。
世界は、何の保証もしてくれていないのに、自分だけは大丈夫だと思い込む。
そんなこと、絶対にないのに。
対敵まで二十秒となったところで、僕と海の索敵範囲に多数の敵が入り込んだ。
「おい想也」
「多いね。少なかったらローウェルさんに任せようと思ってたけど、これは全員でやろう。皆本気でやって。絶対に油断しないように」
僕が皆に警戒を促し、言い終えるか否かのタイミングで、前方に屹立したドラム缶を5,6個集めてワイヤーで束ねたような太い幹の大木が折られた。
ブチブチと湿り気のある音と共に、地面から3メートル程の高さの部分でベッキリと分かれ、重力に従って僕らに襲い掛かる。
「『炎剣』」
海の右手に炎が出現し、剣を形作ると同時、逆袈裟に振り切った。
海の保持能力によって、水を含んだ生木が圧倒的火力によって燃やし斬られ、爆発により水蒸気を発生させつつ吹き飛ばされた。
焦げ臭い煙が地面を這って逃げていく。
「避けろ!」
息をつく暇も無く、木々の奥から直径30センチ程の角の取れていない石が高速で飛んでくる。都合8発の岩石が、僕らを囲むようにして襲い掛かる。速度と位置関係から、海は撃ち落とすことは無理だと判断、回避を選択した。
僕達全員、既に強化は済んでいるが、それでも直撃すればノーダメージとは行かないだろう。戦闘不能に陥ってしまうかもしれない。
各々が回避行動を取ろうとしている中でしかし、一人だけ『迎撃』の為に動いた。
「んん、ここは拙者が。色々彩れ『色彩詠唱』」
護人だ。
ポケットから3センチ四方の焦げ茶色の色紙を取り出し、無造作に頭上へと放り投げた。数は八枚。
空中の色紙はそのまま飛んで行きそうなほど軽やかにヒラヒラと舞うが、やはり重力に打ち勝つ事は出来ず段々と高度を下げる。その間にも僕らを狙う岩石は空気抵抗を振り切りながら一直線に向かってくる。
護人は焦ることなく、しかし即座に続けた。
「――『焦げ茶色』」
ゴパンッ、ゴパンッ!!と言う破砕音を伴って、合計八つの岩石が全て撃ち落とされた。
放られた焦げ茶色の色紙から土槍の様な2メートルほどの、整えられた形状の岩製の槍が発射された。色紙一枚につき槍一柄の数で以って、飛来する岩を真正面から破砕、貫通し、勢いをそのままに岩石の通り道を辿るように木々の奥へと消えていった。防御と攻撃を両立させた、正しく『迎撃』だ。
地面には、攻撃を行い使命を果たした真っ白な色紙が八枚落ちていた。
「おお、あんな簡単に貫通出来るとは。密度の低いスカスカの岩だったようですな」
「避ける必要なかったな。相変わらずこういう事は頭おかしいほど得意だなお前」
「拙者、これしか出来ぬので。て言うかそれ褒めてるんですかな」
以前、護人のチーム内での役割は微妙な立ち位置にいると表現した。微妙な、と言うか特殊な、か。
護人は殆ど何でもこなせる。上手い下手を別にすれば何でもそこそこに出来る。近距離も中距離戦も遠距離も全てだ。勿論、それ自体が特殊なわけではない。そんな事が出来る保持者は幾らでもいるし、僕も似たような事は出来ると思う。
だが、護人は有る事が得意ではない。そこが他の保持者との決定的な差だ。
その差とは、攻撃が当たらない事。本当に笑ってしまうくらい攻撃が当たらない。本人からしたら笑い事では無いと思うけど。
そして、回避も苦手だ。回避を行うと、何故か自分が不利になる様に躱してしまう。
でも、そんな護人はある一つのことだけは得意だった。回避も攻撃も上手くいかない護人が、それを補えるだけの一つに自分を特化させた。
それが、迎撃。
魔法系には大別して種別がある。攻撃系、防御系、支援系の三つだ。
海の『炎剣』などは攻撃系。
内宮さんの『岩壁』などは防御系。
みんなが使っている『強化』は支援系である。
護人は、攻撃系の魔法系を防御に使う。そして、護人にはその才能があった。
近距離を捨て、中距離戦と遠距離戦に全てを注いだ。相手に攻撃する事では無く、相手の攻撃を自分の攻撃で相殺する事に主眼を置いて、それだけを努力してきた。
護人の持つ超能力系も護人のスタイルにマッチしていた。
こと撃ち合いに限れば、僕らのチームで最も上手いのは秋川護人だ。
……最も強いのは、内宮さんなんだけど。
仕方ないね。幾ら相殺できても、相手の攻撃が途切れなければ迎撃用の攻撃が出来なくなっちゃうからね。僕だって無理だし。
「……で、今のは全部迎撃する必要あったか?」
「まあ、言われてみれば三つ程落とせば後はしゃがむだけで十分な気もしますな。しかし、見間違いと言うことがないとは言えないのであるからしてですな」
「いや、俺の判断が間違ってた。回避してバラけて各個撃破の可能性は有った。お前の判断が正しかった」
「おおう……。リスクリターンはそこまで考えてはいなかったんですがな。ただ危ないなと思ってやっただけでして」
「それで良いんだよ。指示を出して、それが危険に繋がる様ならその指示は間違いだったって事だ」
「海。反省するのは良いけど、敵が来るよ」
「ああ、そうだな」
大木をへし折ったのは、丸みを帯びた鎧の様な甲殻で、首回りから足まで隙間無く覆った巨大な怪物。体長は2メートル半を優に超え、獰猛な目付きで僕らを視界に収めていた。
人類種の敵――怪物。
その一種、人類からは『アーマーベア』と呼称される熊のような怪物がそこに居た。
「二時間以上探し回ったのに帰り道に遭うなんて、運が良いんだか悪いんだか分からないね」
僕らの今日の目標はアーマーベアの討伐だ。
この場で倒してしまえば依頼を達成することが出来る。倒すことができれば、だけど。
続々と、怪物が巨木を圧し折って現れる。その全てが同種だった。
一匹一匹、鎧の形状に微妙な差異があり、角張ったタイプから、剣闘獣の様に西洋の甲冑めいた甲殻を備えたタイプまで居る。
「…………多くねえか?」
「……こ、この程度の数に怯んでなどいられませんわ」
「実咲さん、今分かるだけで何匹いる?」
「えっと……8、9、12……見えてないのも含めて12匹ね。同じ怪物に囲まれてるわ」
「どうするんですかな、我等がチームリーダー殿。相手は待ってくれませんからな、五秒で決めてくだされ」
「……行けるか?」
アーマーベアは珍しい怪物では無く、割とメジャーな怪物に類し、ケンザンウルフやキーモンキーの様に群れる性質がないので基本的には単体で行動する。メジャーなだけあって対処法や弱点、習性などの様々な情報があっという間に手に入り、事前に準備をしておけばそこまで怖い怪物では無い。勿論、初心者キラーと呼ばれるだけの強さは備えているし、決して油断をして良い相手ではないが、一対一で勝てる様ならまず大丈夫だ。群れないから数の暴力に押されることがないからね。
僕が今までに同時に出会った数は最高で三体だった。
二体と遭遇して、戦っていたらもう一体が何処からか現れて三対一になった事ならある。僕が中等生だった時の話だけど、その時は速攻で逃げた。調子に乗って『ミッドガルド』から四時間以上離れた場所まで進んだ時の話だけど。
アーマーベア12体に遭遇するなんて僕の人生初の出来事だ。アーマーベアとケンザンウルフ同時とかは有ったけど、こんなにも大量に遭うのは初めてだ。
恐らく、逃げるなら誰も死なないし、もしかしたら無傷で切り抜けられるだろう。
怪物では無い、普通の生物としての熊の走行速度は、大体時速60キロメートル位だと言われている。対して、人間は平均して時速30キロメートルに届かない。普通の人間の最速でも時速40キロメートルに達しないのだ。しかも人間が最も速く走れる条件は舗装された平地に限られるから、森の中などの悪路では半分以下の速度になる。
熊に遭遇した時は、なるべく自分を大きく見せて威嚇しながらジリジリと後退するのが次善策だと言われている。最善策はまず遭遇しない事だ。
さて、此処で対比対象の性能を上げてみよう。
敵は熊型のアーマーベアに。人間を保持者に置き換えて考えてみよう。
怪物は人間とは比べ物にならないスタミナを持ち、持久走になればまず勝ち目は無い。
だが、短距離走となれば話は別だ。
強化の度合いと得意不得意はあるものの、本気で走れば100メートルで2秒を切れる。
対してアーマーベアは瞬発的な加速性能と最高速度で保持者に追いつくことはできない。速度ではなく、その体力と強靱さが売りの怪物なので、走るのは不得意なのだ。
なお、人間が幾ら威嚇してもかなり圧倒的な実力を見せ付けない限り、容赦なく怪物は襲い掛かってくる。ただの熊でもお腹が空いていれば襲ってくるし。
まあ、真正面から闘ってもいいんだけどね。
僕らは全員一対一ならアーマーベアを撃破出来る実力を持っているし。
僕らは6人でアーマーベアは12体。
仮に戦うとしたら、単純計算で一人当たり二体を相手取れば良い。
だがこれは複雑怪奇な実戦だ。
複数戦の怖いところは、6対12が局所的に変動し、一瞬にして1対12になってしまうところである。どんなに頑張っても回避不可能な状態に追い込まれる可能性が浮上する。そうなったらもう無理だ。
「俺は三体までなら同時にやって勝てる。お前らは?」
おお、流石B+ランク。
「僕は二体だよ」
『理想世界』を使わないで強化だけならね。かなり時間は掛かるけど。
それぞれの申告によって、実咲さんが二体、護人が二体、ローウェルさんが一体、内宮さんが二体と戦って勝てるという事が判った。内宮さんはこの距離で誰かに守ってもらうこと前提、実咲さんは『一度も死なずに勝てる』事が前提の話だ。
内宮さんは距離によってはこの程度の数なら殲滅可能だろうし、実咲さんは勝てるまで生き返って戦えば良い。
だが、内宮さんはともかく、実咲さんがそんな事をすれば周りからどんな目で見られるかわかったものではないから、絶対に避けたい。実咲さんとも良く話し合ったのでそういう戦い方はしない約束になっている。僕と同じ轍を踏ませてたまるか。
「……やるか」
「了解ですぞ」
「ふふん、やりますわよ」
「逃げようよぉ、八雲君」
「だが! 少しでも危ないと思ったら速攻で尻尾巻いて逃げる! 想也、『共有』頼めるか」
「うん。それじゃあ、『共有』っと」
チーム全員に触れて僕の超能力系保持能力、『共有』を発動させる。これで最大量の半分まで、生命力を除いたあらゆる『力』を共有出来るようになり、脳内での会話――念話が可能となる。
いつもは連携の練習の為に使わないんだけど、非常事態だから使えるものは使っておく。
余った魔力を内宮さんに渡しつつ戦っていくのがベストだろう。
〔包囲が完了したみたい。多分12匹の内のどれかが群れのリーダーね。すぐに襲い掛かってくると思ったのだけれど、完全に囲めるまで待つだけの知能は有ったみたいね〕
早速、実咲さんから念話が飛んで来た。
〔どうするの、海〕
〔とにかく包囲を抜けよう。俺らの右前、一時方向が手薄だ。あそこを俺と想也でこじ開けて突破しよう〕
〔わかった〕
〔突破出来たら反転、多分物量に圧されるから少しずつ後退しながら確実に一体一体減らしていこう。互いにフォローを忘れんな。それと、撤退戦途中に横から他の怪物が乱入してくる可能性もあるからそれも気を付けろ〕
〔ラジャー〕
〔承知致しましたわ〕
〔気を付けてね、八雲君〕
〔貴女も気をつけるのよ、一葉〕
全員が改めて強化を掛け直し、海が動くのを待つ。
獲物を前にアーマーベアが何時までも我慢出来るはずもなく、一体が走り出すと、釣られるように他の11体も涎を撒き散らしながら後に続いた。
海が動いたのは、ほぼ同時だった。
〔行くぞ!〕
相対するアーマーベアに向かって、右手の炎剣を突き出した。海の炎剣は全長1メートル程で、アーマーベアまでは完全に届かない。だが、突き出しきった体勢のまま力を込めると、その刀身が一瞬にして二倍三倍に膨れ上がった。
炎剣の鋒が、地面を崩しながら四足走行するアーマーベアに当たった瞬間、剣が爆ぜた。爆煙と爆炎が巻き起こり、他のアーマーベアの注意が瞬きほどの時間だけ向けられる。
その刹那に内宮さんが割り込む。
「魔力を以って炎と成せ、炎を以って壁と成せ。六枚起動――『炎壁』」
僕らとアーマーベア達を隔てるように火の壁が反り立つ。
触れた物全てを焼却出来るだけの熱量を持つ――訳でもなく、実体も持たない火の板だが多少なりともアーマーベアに突入を躊躇わせる効果は発揮された。
身体能力を強化によって人間以上に引き上げた状態なら、それだけの時間があれば十分に逃げおおせる。
チリチリと肌を焼く熱に顔を顰めながらも、炎の壁に一箇所だけ開いた通り道を全速力で駆け抜ける。
〔一匹仕留めますわよ〕
海の攻撃によって怯んだアーマーベアにローウェルさんが銃声を二度轟かせる。
空中から放たれた銃弾がアーマーベアの両目に寸分違わず命中し、頭部を貫通する。通常の生物であれば即死のはずだが、偶然にも脳を通らなかったのか、それとも怪物の生命力の高さからか、視界を失って悲痛な声を上げるのみで死には至らなかった。
「刈り取れ、リトリビュート」
しかし、続く実咲さんの大鎌による一閃によって首を刈り取られ地に伏した。流石に怪物と言えど、頭と胴を切り離されてはどうしようもない。
確認している暇が無いので本当に殺せたかどうかは判別できないが、多分死んでいるだろう。
カードに収納しておきたいが、そんなことをしている間に囲まれてしまうので泣く泣く諦める。
これで残りは11体。
〔あれ、僕何もしてない〕
〔この程度、想也君の手を煩わせるまでも無いわ〕
〔よし!あと一秒進んだらいつも通りのフォーメーションでやるぞ!〕
海が急ブレーキをかけて向き直り、前衛の位置取りを開始した。僕と実咲さんがそこに加わり、ローウェルさんが中衛、内宮さんと護人が後衛に就いた。こういう時は、前に注意を向け過ぎると後衛が襲われた時に総崩れになる可能性が有るので、護人は内宮さんの護衛の様な役割だ。
迎撃を得意とする護人にぴったりの配役である。
「魔力を以って炎と成し、炎を以って槍と成せ――『炎槍』」
「魔力を以って氷と成せ、氷を以って槍と成せ――『氷槍』」
フォーメーションの完成と同時に後衛組からの氷炎の槍が、殺意を乗せて飛ぶ。
護人は二本の攻撃だったが、内宮さんはあの一瞬で十二本の氷槍を放った。
前衛に当たらないように配慮された軌道を描いて、今まさに追いつかんとしていたアーマーベアに衝突する。一匹につき六槍が激突し、その質量と貫通力を以ってして、絶命へと至らしめる。脳に当たる部分を氷に覆われたアーマーベアは、四肢の力を瞬時に失い、速度をそのままに地面を転がり、僕のすぐ側を過ぎて停止した。
残り9体。
護人の炎槍は、未だ健在のアーマーベアに狙いを付けて飛翔するも、着弾ルートを逸れて大木半ばまで突き刺さった。
そして、爆発。炎槍に蓄えられた熱エネルギーが一気に放出され、大木を内側から破裂させた。
上部を支えられるだけの太さを失った幹が、自重に耐え切れず倒れ込む。偶然にも他の大木に当たらず、地面まで一息に落ちた。丁度隣を走っていたアーマーベアを、まるで文鎮の様に上から押さえつけながら。
〔結果オーライだ! 援護頼む!〕
〔実咲さん左よろしく! 僕右!〕
まさか怪物がたったそれだけの事で行動不能になる訳も無い。身動きの取れなくなったアーマーベアにトドメを刺すべく前衛が距離を詰める。海がアーマーベアの首元に炎剣を突き刺している間、海に狙いを定めている他のアーマーベアの邪魔をする。
実咲さんの大鎌が振るわれ、アーマーベアは実咲さんに相対せざるを得なくなった。
僕も負けてられない。
素手で殺ってもいいが、非効率的の極みだ。武器くらいは出しておこう。
「『理想世界』――『武器創造』」
チリン、と、鈴の様な音と共に、僕の右手に1メートル半程の両刃剣を創造する。
今までは『理想世界』で行えることに名前を付けるなんて殆どしてなかったんだけど、ついこの間、実咲さんに「名前付けないの?」と素朴な疑問をぶつけられた事がキッカケで考案した。断る理由もなかったし、出来ることも増えて、混乱しない様に名称設定は行う事にした。にしても僕のネーミングセンスはそのまんまな名前が多いな。
「よっ……っと!」
瞬間的に強化に使う魔力を引き上げ、振り下ろされるアーマーベアの剛腕を引きつけて躱し、目を狙って突きを繰り出す。グニッとグチャッの中間くらいの感触が伝わってくる。右目は潰せたようだ。流石にこの即興の武器じゃ鎧の隙間を狙っても刃が通るか分からない。下手したら、武器が耐えられず折れてしまう。
下半身に回す魔力を増加させ、思いっきり地を蹴る。後ろに続くアーマーベア二匹にも同様にして目を狙い、視界を奪う。
〔トドメは刺した! 下がれ!〕
〔分かったわ〕
〔了解〕
〔氷槍準備できたよ!〕
〔現乃が居た方に牽制で何発か頼む! それ以外は想也が居た方の目が潰れた三体を仕留めてくれ!〕
アーマーベアを足場に跳躍し、一気に距離を離す。何時までもアーマーベアの近くにいては内宮さんが攻撃し難くなってしまう。
左隣を見ると、海と実咲さんも僕と同じ位の位置まで下がっていた。すぐ後ろにはローウェルさんが居る。
「――『氷槍』」
初撃を放った直後から次発の詠唱を始めていた為、本数を増やすだけの時間を掛けることが出来たようだ。30本近い氷槍が中空で突如として初速を得、海の指示通りに寸分違わず命中する。
一息で後退した僕らを追いかけようとしていたアーマーベアの出鼻を挫くタイミングで着弾し、その足を止める。牽制球以外の全てが眼球の痛みに呻くアーマーベアを確実に殺害していく。
残り5体。
バックステップを繰り返して、少しずつ後退する。
〔3匹追い掛けてきてるわ〕
〔3体!? 残りの2体は何処行った。……後ろだ!回り込んでやがった!〕
〔くっ……! 左右から来てますわっ!〕
〔俺が援護する! 想也と現乃は前から来てる3体を頼む!〕
陣形のど真ん中の辺りを掻き回されると、後衛と前衛の連携が取りづらくなる。
中衛の存在は、フォーメーションの維持の為に必要不可欠だ。居なくても問題無いが、居た方が安心出来る。例えば、前衛と後衛しか居なかったとして、その間に敵が入り込んでしまえば分断が完成してしまう訳だ。中衛は最低限、時間稼ぎさえ出来れば良い。
〔じゃあやろうか、実咲さん〕
〔任せて、想也君〕
〔僕が囮になるから、その間に宜しく〕
魔力を練り上げ、幹を足場にして迫り来るアーマーベア三体の丁度中心に飛び込む。自ら囲まれに行く形だ。
「もういっちょ、『理想世界』――『武器創造』」
囮と言うからには、敵の注意を引きつけなければならない。左手にもう一つ剣を創造し、左右に位置するアーマーベア達を狙って投げ付ける。
最後の一体には飛び蹴りを食らわせる。
投擲した剣は、ガンッ!と鈍い音を響かせて弾かれてしまうものの、僕を無視しようとしていたアーマーベアが僕に向き直る。
そうだ。
敵意を向けろ。
注意を払え。
僕だけを見ろ。
「まずは、一匹」
ボソッと呟かれた実咲さんの声を聴くことなく、アーマーベアが命を刈り取られる。首と胴を別たれて、呆気なく死んだ。赤黒い血が、壊れた蛇口から溢れ出てくる。魔法系で殺すと凍ったり焼き付いたりしてあまり血は気にならないんだけど、残念ながら実咲さんの持つ漆黒の大鎌――リトリビュートにそんな便利な機能は付けていない。
もっと便利な機能なら付与してあるけどね。
発動してなくても、圧倒的なまでの硬度と斬れ味はデフォルトだ。
「二匹目」
僕は囮だ。
本命は実咲さん。
僕に注意を向けてしまったアーマーベアは、背後から忍び寄る実咲さんに気付くことが出来なかった。
実咲さんの気配の消し方は一級品、ある意味では天才的とも言える。いや、天才的……じゃないか。そう言ってしまうのは憚られる。そう言って片付けてしまうのは、僕には出来ない。出来てはいけない。出来る権利が無い。
実咲さんのそれは、努力の結果だ。
努力せざるを得なかった。積み重ねざるを得なかった。必死の日々で培った経験が、今の実咲さんを形作っている。
実咲さんは、誇る事なんてしないけど。
誇れるような事じゃないわ、なんて言って。
「こっちを見てないと途端に楽になるわね、やっぱり」
実咲さんは一匹目を殺すと同時に二匹目に肉薄し、肩口から脇腹にかけて鎧ごと斬り裂いた。よっしゃ。
残った一体を僕と実咲さんで挟み込む。
「あー、やっぱりそうなるよね」
アーマーベアは実咲さんに前面を向けた。
まあ、同類を一瞬にして殺害する危険度を考えれば、既に自身の鎧で攻撃を弾けると証明出来ている僕より、リトリビュートの威力を危険視するのは仕方ないことかも知れない。
だからと言って、完全に無視して良いことにはならないんだけどね。
「セイッ!!」
正拳突き。
グーパンチ。
何の工夫も特徴も無い、唯の突き。
距離を詰め、震脚、引き手、腰の回転、インパクトのタイミング――万全の状態から放たれた攻撃は、アーマーベアの背骨を捉え、衝撃が内臓へと浸透する。
魔力を一瞬だけ強化に全開で使用した結果、渾身の一撃がアーマーベアを吹き飛ばす。
おお。日々の練習の成果が出てる。戦闘中に完全フリーな時間なんて殆どないから、真正面から同じことやれって言われても無理だけど。なんせ今の僕は魔力を全て攻撃方面に注いでた。ある程度硬度に割り振っていたとは言え、もしアーマーベアの攻撃を食らったとしたらタダでは済まない筈だ。
「三匹目……っと」
アーマーベアは吹き飛ばされたものの、いくらかのダメージは与えられたが、致命傷には至らなかった。
しかし体勢を立て直そうとするアーマーベアは、続く実咲さんの追撃によってトドメを刺された。
〔こっちは終わったよ〕
〔こっちも丁度終わった所だ〕
海の居る方では、アーマーベアがプスプスと焦げながら死んでいた。
ローウェルさんも内宮さんの援護射撃で終始優勢に戦えていたようだ。
これで全滅。
終わってみれば、全員無傷。完全勝利だ。
長い戦闘時間にも思えるが、三分にも満たない短い命のやり取りだった。
〔よし、後は死骸をカードで回収してさっさと帰ろう〕
戦闘音を結構響かせてしまったし、アーマーベアの血の臭いも大分拡散しているはずだ。ここに留まっていても、他の怪物が集まって来るのを待つ事になってしまう。
〔実咲さん、こっちに近づいて来てる怪物はいる?〕
〔多分いないと思うわ〕
その念話を聞いて、実咲さん以外の全員が強化を解除した。僕らの中で最も感知範囲が広く、感知精度の高い実咲さん以外が強化していても、魔力の無駄になるだけだ。回復出来るうちに回復させておきたい。
共有ももう解除しとこう。
「ふう。回収完了ですわね。残弾数も少なくなってきましたし、帰りはなるべく戦闘を避けて行きましょう」
「実包を収納の魔道具に仕舞っておくと、残弾数が分からなくなったりしないんですかなローウェル氏は」
「撃った数を覚えておけば良いだけですわ。……と言うか、秋川」
「なんでござるか。まさか告白でござるか? んん、これは参りましたなあ。や、拙者も罪作りな男ですな」
「ち、が、い、ま、す、わ!」
「じゃあ何ですかな。結婚の申し込みならまずお付き合いから始めるのが妥当でグバァ!」
「秋川の魔法系が私を掠めた所為で御髪の毛先が少しばかり焦げましたわ! 如何してくれますの!」
「うぐおおお。ゴ、ゴム弾でも肋骨折れたりするんですぞ……」
「私はいつ秋川から背中を撃たれるかとヒヤヒヤしていましてよ?」
「それは……。すいませんと言うしかないですな」
「……ま、許してあげますわ」
「んん、重畳、重畳。出来ればゴム弾撃ち込む前に許して欲しかった」
「スーパーボール三連射にして差し上げてもよろしくってよ」
「……早く帰るんじゃねーのかよ、お前ら」
「私もうお腹空いたわ。帰るわよ」
「ちょ、ちょっとまってよ実咲ちゃん!一人じゃ危ないよ!」
「想也君が助けてくれるから大丈夫よ。一葉も来なさい」
「きゃ! み、実咲ちゃん、一人で歩けるよ! 下ろして!
下ろして〜!」
実咲さんは内宮さんを肩に担いでスタスタと歩いて行ってしまった。強化してるから簡単に持ち運べるらしい。内宮さんは手足をジタバタとさせて抵抗するも、無駄だと悟ったのか項垂れて、担がれるがままになった。
うん。あれは本当にお腹空いてるんだね。
多分内宮さんを拉致すれば皆も直ぐについてくると思ったのだろう。まあ、拉致しなくても普通に帰ろうとしたと思うけどね。
〔想也君〕
〔ん? 何かな〕
共有では無く、共通側の念話が飛んで来た。
〔魔力を制限して戦えって命令、守ったわ〕
〔命令って言うか、お願いなんだけどね〕
〔命令が良いの。私は想也君の物だから。だから何だって命令して頂戴。……それはそれとして、何で制限するの?〕
〔だって何があるか分からないじゃん? 如何に少ない魔力で体を動かせるかが重要だからね。僕もそんなに出来るわけじゃないけど。悪いけど、戦うための事に関しては厳しくするよ〕
〔優しいのね、想也君は。ありがとう〕
〔…………夜ご飯何にしようかな〕
〔ふふ、そうね。何にしようかしらね〕
今日も、戦った。
今日も、生き残れた。
さあ、家に帰ろう。
「あ、あれ?何でそんなに笑ってるの実咲ちゃん。何か楽しいことでもあったっけ?」
「これが、『理由』だから」
「?」
「ふふっ――楽しい事があったら笑うのは、当然でしょう?」
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