共通の生き方
「ねえ想也君、起きてる?」
「……起きてるよ」
月が空の頂点でしんしんと光を反射している。あの空はスクリーンに表示されているだけの作り物だが、それでも美しいと感じる。
燃やされてしまった物を部屋の隅に追いやって、なんとか一人分は寝るスペースを確保したが、やはり狭い。
それもそのはず、一人分のスペースに二人がいるのだから。
「実咲さん、起きてるの?」
「起きてるわ」
先生は、気にするな、深く考えるなと言っていたけれど、こうして目を瞑ろうとすると、あの光景がフラッシュバックする。
あの光景――僕が人を殺した瞬間。
脳裏にこびり付いて取れない。手から、鼻から、耳から、目から、離れない。あの時の感触、匂い、音。その全てが僕に纏わり付く。
リトリビュートの性能のお陰か、人を切ったとは思えないほど軽い感触だったけど、これほど重くのしかかってくる感覚だとも思わなかった。
狭い部屋の中で背中合わせに密着する僕と実咲さんを隔てるのは、暗い空間だけ。
狙撃手がいるかも、と考えるとリビングで寝るわけにもいかないし、別々に寝ると襲撃時に対処が遅れるかも知れない。その一瞬が明暗を分けることも有る。
実咲さんから説得されて確かにその通りだ、と納得してしまったのでこんな状況になっているわけだ。
「ねえ、実咲さん」
「なあに?」
「愚痴と言うか、悩みと言うか、僕の昔話を聞いてくれるかな」
「……勿論」
僕は話した。
家族を殺された事。その家族を殺した男が、僕が殺した男であること。僕が保持能力の強さを誤って、孤立していたこと。
「――僕は、人を殺したいと思っちゃダメなんだ。僕の保持能力は想像を現実にする力だから。殺したいと思ったからと言って、相手が過程さえ省いて即死する、なんてことは無いけれど、それを容易く行えるだけの能力なんだ」
僕は他人から怪物だと言われていた。人類の敵と同じだと。
それが嫌で、僕は人間であろうとした。人間らしくあろうとした。能力に呑まれること無く、奢ること無く、強化だけを死に物狂いで鍛錬して、『理想世界』に頼らず、使わずに生きていけるように、頑張ってきた。
でも――
「――僕は。人を殺した。実咲さんを守る為というのもあったと思うし、僕の家族の仇だったっていうのもあった。でも、実咲さんが殺されて、僕はただ殺したいと思った。殺したいと願った。実咲さんの事とか、家族の事が立ち入る隙なんて一分も無い位に、純粋に殺意だけで動いた。他人を殺す為に『理想世界』を使う事をずっと避けてきたのに」
「……」
人間でいるために、僕は人を殺さないと自分自身に誓った。
そして、僕はその誓いを一瞬にして破り捨てた。
「僕は今日、怪物になってしまったんだ」
自分に課したルールを反故にしたことが、重くのしかかってくる。
人を殺めるということは、自らの心を殺すに等しい。
事は単純で、受けたショックが想像以上に大きかったというだけの話なのだが、だからこそ、そう簡単に割り切ることが出来ない。
「……ねえ、想也君」
僕の言葉が途切れたところに、実咲さんがポツリと呼びかけの言葉を滑り込ませる。
「想也君が人を殺したのは、確かに事実よ。それは変えようが無いわ。でも、それは間違ったことじゃないと思う」
黒に満たされた部屋の中で実咲さんの声だけが響き、二人の呼吸が闇に吸われて消えていく。
「正しいわけでも無かったよ」
「そうね。だけれど、想也君は私を守ろうとしただけじゃない」
僕の力無い反論に、実咲さんは優しく応えた。
「私が勝手に想也君を庇って、私が勝手に死んで、想也君は私を守る為に戦って、私の為に人を殺した。全部、私の為にやったことで、全部、私の所為で起きた事よ。なぜ、想也君が悩まなくてはいけないのかしら。確かに、正しいことだとは言えないかも知れない。けれど少なくとも、悪いことをしたとは思わないわ」
後ろで、身じろぎする音がする。
実咲さんが体をこちらに向けたみたいだ。
くぐもっていた声が、よりクッキリと聞こえるようになった。
「想也君がどれだけ悩んでいたのかは共有なんて使わなくたって、完璧とは言えないけれど分かるわ。貴方は、怪物と呼ばれて、恐れられるのが、怖がられるのが、避けられるのが怖いのでしょう?」
そうだ。その通りだ。
独りで、人と人の間で押しつぶされそうになって、言葉を心に突き立てられていた。
怪物と同じだと思われるのがたまらない程嫌だ。
正体不明の何かを見るように見られるのがこの上なく嫌いだ。
「貴方は私に言ってくれたわね。『例え、怪物であったとしても、君は君だ』って。私も同じよ。人を殺したとしても、怪物だったとしても、私には何の関係も無い。理崎想也と言う一人の人間がそこに居るだけ。私なんかの為に頑張る優しい人間よ」
喉が痛い。
目頭が熱い。
声が震える。
僕がどれだけ望んでも欠片も叶わなかった『理想』を、実咲さんが叶えてくれた。僕を認めてくれた。
月の光から目を背けるように体を回転させ、実咲さんと向かい合う。
布団に投げ出された銀髪が月光を仄かに蓄え、翡翠の両眼の中に月が浮かぶ。
眼を閉じれば、次の瞬間には消えてしまいそうなほど、儚げだった。
実咲さんは僕の手を取って、両手で包み込むようにして言葉を紡いだ。
「だから私は恐れることも怖がることも避けることもしない。私は絶対に想也君の味方で居るわ。もしかしたら、多くの人は想也君の力を知ったとき、貴方を怪物と蔑み恐れ拒絶するかも知れないけれど、私は一生貴方の理解者で居られる。私は、それぐらいしかしてあげられないけれど」
「……うん。……とても、嬉しいよ。それにしても、実咲さんの一生ってどのくらいなんだろうね、あはは」
「ふふふ、一生は一生よ」
無限に続く一生。
限り無い。終わりが無い。
僕と実咲さんのやりとりだって、無限の時間からすればほんのちっぽけで無いのと同じなのかも知れない。
「実咲さん。こう言うのはアレかも知れないけど……無限に生きるって、どんな気持ちかな?」
「そうね……。思い出したく無い位には辛かったわ」
最低でも200年以上の月日を、独りで生きてきた。
楽しいことなんて殆ど無かっただろう。
「『今』は楽しいわ。『後』は分からないけれど……想也君がいれば、ずっとこのままの気持ちで居られる」
実咲さんは、孤独と不安を抱えて幾千幾万の朝と夜を繰り返して来た。
そして、一ヶ月ほど前から偽物の空の下で日々を過ごし始めた。
「また一人になるのは嫌よ。例え無限に続く生でも想也君となら、苦にならない。でも、それこそ夢幻の様な話よね。人はいつか死んでしまうのだから。想也君が死んだら私も死にたいけど……生き返っちゃうものね」
ふっ、と自笑した実咲さんの表情には、諦観が混ざっていた。
「だから、無限の命がどんな感じかと聞かれたら、不幸だって答えるわ」
「どうにかしたいとは思わない?」
「出来ることならね。私が死ねる様になるのが良いわ。まさか想也君に不老不死になって欲しいなんて言えないもの」
「じゃあ、僕がなんとか出来るって言ったら信じる?」
「出来るの!?」
ガバッと起き上がって詰め寄って来た実咲さんに気圧されつつも、僕は説明する。
「出来るかも知れないってだけだから。あと、出来るのは半分だけ」
「半分ってどう言う意味なのかしら」
「実咲さんが死ねる様にはならないってこと」
「想也君が私と同じになるってこと……。そ、それは私からお願いなんて出来ない。想也君に不幸になって欲しく無いの」
「実咲さんが嫌だと言うなら僕はやらないよ。でも、約束したじゃないか。叶えられるお願いは出来る限り叶えてみせるって。だから君の願いを言ってくれ」
実咲さんは少しの間押し黙って、それから迷いつつも言葉を選びながら言った。
「死にたくても死ねなくなるのよ。それでも良いの?」
「そのぐらい、なんの問題もないよ」
「……じゃあ、お願い。私の我儘を聞いて頂戴」
僕の命に意味はない。
何もするでもなく、誰かと深く関わるわけでもなく、ただ目の前を流れる時間に乗って生きるだけ。これを生きていると言えるのだろうか。死んでいないだけでは無いだろうか。
なら、少しでも意味のある生き方をしたい。
誰かの為、何かの為、この為に生きているんだと胸を張って言える様になりたい。
「私と一緒に不幸になってくれますか」
「喜んで」
ぽすっ、と布団に身を任せた実咲さんは枕に顔を埋めて数回の深呼吸の後、僕を見た。
「具体的にどうするの?」
「こうするの」
僕は二重保持者だ。
二つの超能力系を保持しているとそう呼ばれる。珍しいことは確かだが、凄いことでは無い。同系統の能力で被ったり、殆ど使えない様な能力でも二重保持者と呼ばれるからだ。
僕もその例に漏れず、同系統の超能力系でダブっている。
一つは僕が多用する『共有』。
効果は生命力を除いた全ての力を五割まで共有することや、脳内で会話をしたりイメージを伝えられることだ。
そしてもう一つは『共通』。
この超能力系は人生で一度しか使ったことが無い。
効果は『共有』の上位互換。
あらゆる力を十割、つまり全て共有することができ、念話も勿論可能だ。
さらに『共通』は共有する力に生命力が含まれる。生命力は常に共有された状態になり、どちらかの生命力が尽きれば、もう片方も引っ張られる様にしてゼロになる。つまり死ぬのだ。
『共有』よりもリスクとリターンが増加しているわけだが、実咲さんに対して『共通』を使った場合、おそらくリスクの部分が消える。死んでも死なない人と『共通』すれば、多分僕も同じく死ななくなる。あえてデメリットを挙げるとすれば不老不死になることだろうが、僕にとってはデメリットでもなんでも無い。
これは仮定に過ぎないが、おそらく成功するだろうと思っている。
「『共通』。……はい終わり」
「何か変わった様には感じないわよ?」
「多分できてると思うんだけどね。僕もこの超能力系を使うのはほぼ初めてだからよく分からないんだ。実咲さんの生命力が大きすぎて、僕の生命力分が誤差みたいになってるんじゃ無いかな。僕の方は生命力が無限になった感覚があるよ。実咲さんが言ってた命が無くならない感じ」
僕の生命力がゼロになった時、無限側の実咲さんがゼロ側に引っ張られてくるか、それともゼロ側の僕が無限側に引っ張られるかのどちらかだが、そこは実際に死んでみないと分からない。
試すわけにも行かないし、こればっかりは仮定の域を超えることは無い。
僕が持っている超能力系だが使ったことが殆ど無い為、何が出来て、何が出来ないのかが未だに不透明な部分がある。
『理想世界』にしたって、かなりの時間をかけて発動条件を探ったし、それでもわかっていないことはまだある。
これからゆっくりと実験していくつもりだ。
「後悔しない?」
「するわけ無いじゃないか。実咲さんはしてるの?」
「ふふ、私もよ」
思わず見惚れてしまう笑みを浮かべてから、実咲さんは瞳を閉じた。
偽物の月が窓の奥から無限と有限を覗き込んでいた。
「ねえ、実咲さん」
「なあに」
「……ありがとう」
「お礼なら、この手を離さないでくれたら、それで十分よ」
そう言って、ゆっくり長くなっていく呼吸。目を閉じても、そこに実咲さんを感じることが出来る。
ゆっくり、ゆっくりと、意識を保てなくなり、眠気に耐えられなくなった。
闇に落ちて行く感覚の中で、手のひらの柔らかさと体温だけが最後まで残っていて、男を殺した時の感触を忘れることができた。
僕はこの温もりを護れたんだ、と考えたのを最後に意識がプツリと切れた。
何気ない日常であるはずの四月二十八日。
この日は実咲さんが殺され、死んだ日だ。
そして、実咲さんを護った日でもある。
僕は、この日。
四月二十八日と言う『非日常の一ページ目』を忘れることは無いだろう。
何ヶ月後か、何年後か、何十年後か、何百年後かに、過去を懐かしんだ時に――もしかしたら、明日にでも後悔してしまうかは分からない。何であんなことをしたんだと、振り返ってしまう日が来るかもしれない。
でも、少なくとも、今の僕はそんなことは微塵も思っていない。
そして、そんなことは未来永劫想像すらしないだろうと、想像しないで生きて行こうと誓った。
◇
朝色が夜色を押し上げている頃、僕は目覚めた。
かなり熟睡出来た時のスッキリ感を感じていたが、睡眠時間としては短い。
もう一度襲撃される可能性が無きにしも非ず、と言った所だったので少し警戒していたのが原因かもしれない。
「うぅん……」
実咲さんが不意に声を漏らした。
僕の手は今だに実咲さんに捕まえられたままで、離してくれそうに無い。
距離が近過ぎて、息をする度に実咲さんの匂いが感じられてどぎまぎしてしまう。
良い香りだ。
あ、僕は匂いフェチな訳じゃ無いよ!
しかし、僕と同じシャンプーとかボディウォッシュとか使ってるのに、ここまで変わるものなのかな。僕からはこんな匂いしないぞ。
睡眠中の無防備な実咲さんは、オトコノコには刺激が強過ぎる。
起こすつもりはなかったのだが、実咲さんの手のすべすべ感と柔らかさが何だか楽しくて、にぎにぎして遊んでいたら実咲さんが起きてしまった。
何やってんだ僕。
「……おはよ、う」
「おはよう、実咲さん」
「……あれ、今……何時?」
眠気眼を擦りながら、実咲さんは上半身を起こして周りを見回した。
眠気眼と言うか、もう殆ど瞼は閉じていたけど。
「まだ六時前だよ。もうちょっと寝てても大丈夫だよ」
「起きる……。顔洗ってくるわ……」
フラフラと部屋を出ていく実咲さんを見送り、ごった返しになっている荷物を少し整理してから朝ご飯の準備の為にリビングへと向かう。
朝の心地よい風と朗らかな太陽光を取り込む大改装が行われたリビングは、真っ黒に炭化している所が所々に散見し、シックな空間を演出している。
大穴を理想世界で塞いでしまおうかとも考えたのだが、それをやると色々問題が付随して来るので、昨日も使った『防御壁』で一時的に壁を創った。まだ誰かが狙ってないとも限らないからね。
「うわ、冷蔵庫もダメになってるじゃん。……当たり前か。中身は……まあ使えそうだな」
昨日は暗くて分からなかったが、どうやら爆発の中心はキッチンに置いてあるコンロだったようで、よく見ると爆発の中心点からある程度規則的な模様が床や壁に付いていた。
冷蔵庫は他の場所同様に真っ黒に染まっており、コンロとの距離もそこまで遠くない為被害は大きかった。そもそも冷蔵庫って爆発に耐え得るような仕様じゃ無いし。
爆発の衝撃で壊れて冷蔵庫としての機能は既に無かったがその密閉性のお陰か、中身はなんとか無事だった。
多少ダメでも火を通せば大丈夫だろう。
「とは言っても……そのコンロ自体が消し飛んでるしなぁ」
調理器具が無いので調理自体が出来ない。
どうしようかと迷っていると、スッキリとした顔の美咲さんがキッチンにやって来た。
「どうしたの?」
状況を説明すると、解決案が即座に提示された。
「キーモンキーを食べた時の空間オーブンを使ったら良いじゃない」
「確かに。あー、でも朝から魔力の無駄遣いはしたくないな」
と、ここまで自分で言っておいてピーン、と閃いた。
魔力が無いなら捻り出せば良い。
無から有は作れないが、別の有から有を創れば良い。昨日だってそうした。生命力を代価に魔力を搾り出した。そして、今の僕は生命力が無くならない。
つまり、魔力が尽きることは無い。
「やっぱりそうしようか。冷蔵庫から使えそうな物を出して」
「分かったわ。火を通せば全部大丈夫よ」
「はい、『理想世界』――『空間』、『熱』、『三十分』、『空中固定』」
「あれ、詠唱はしないのかしら。家にいる時はいつもしてたわよね。確か、詠唱しないと魔力消費が多くなるとか」
「ん、ご飯を作り終わったら話すよ」
冷凍庫の中身は魔力を利用した仕組みによって鮮度を保っていたわけだが、その機能が失われていたため、いつもより少しだけ念入りに熱を通すようにして調理した。塩や胡椒などの調味料の類は熱波からは逃れられず、今日の朝ご飯は素材の味を楽しむ味付けだ。偶にはこういうのも悪くない。
『理想世界』で大きめのお皿とテーブルを新しく創造して、ついでに椅子も二つ創る。
流石に床で直に食べるのはこの状況では無理だろう。
調味料や食材そのものも創造は出来るけど……すっごい不味い。食べられないことはないが、餓死直前でも躊躇う位には不味い。
何故なのかは未だに分かってない。
そんな訳で、味は質素な朝食の時間となった。
「今まで、朝は魔力の無駄遣いが出来ないとか言って殆ど『理想世界』を使わなかったのに、何でいきなり大盤振舞いし始めたのかしら?」
「簡単に言えば、僕も不老不死になったからかな」
朝ご飯はほぼ全て実咲さんに平らげられた。
食後の小休憩に、辛うじて壊れていなかった洗面台から汲んできた水を飲みつつ、僕の魔力の浪費の理由を説明する。
「なるほど……不老不死になると魔力が使い放題になるの。ご飯も美味しく出せたら完璧な能力ね」
「欠点それだけって、どんだけ凄い能力なの僕の保持能力は」
「あながち間違いでもないでしょう?」
「結構穴だらけだよ。想像以上のことは出来ないからね」
とは言え、『理想世界』の使い勝手は飛躍的に向上した。今までは日に二回も使えば保有魔力はほぼすっからかんになり、概念武装なんて言ってしまえば魔力不足で常に中途半端な出来だったのだ。
燃費の悪さが目下の課題だった『理想世界』に、俄かには信じがたいアプローチで解決方法が目の前に転がってきた。
「ん?でも私も不老不死だけど、魔力は無限じゃないわよ?」
「あー、そうか、説明してなかったっけ」
「してもらってないわね」
「人間は生きてるだけで魔力を自然発生させてるんだ。これが保有魔力ってヤツだね」
「それは知ってるわ。この前授業でやってた所よね。逆に、世界に存在する魔力は外部魔力って言うんでしょう?」
「そうそう。魔力って言うのはあくまでも生命活動の副産物みたいなものなんだ。つまりだよ?生命力から魔力が作れるってことは、副産物としてでは無く、魔力の為だけに生命力を消費する事も出来るんじゃない?って話」
「それって私にも出来る?」
「うーん。どうだろ。練習すれば、出来ると思うよ」
「あ、出来たわ」
「……マジか」
生命力の変換をなんの苦もなく一発で成功させて、一瞬にして保有魔力量が膨れ上がった。
美咲さんと共通してるから分かるけど、今の美咲さんの保有魔力量は、僕の全快の時の5倍位にまで増大していた。
生命力は勿論減ってない。
「思ったりよりたくさん増えたわね」
「練習すれば効率は上がると思うよ。これのメリットは一瞬で『保有魔力が』『大量に』増える事だからね」
言ってみれば、自然回復で増える保有魔力は、生命エネルギーを消費した結果残った搾りカスみたいなものだ。
生命力を直接変換するということは、それだけロスが少ないという事だ。
「元々自分の物だったものから魔力を作ってるわけだから、外部魔力みたいに馴染ませたりする必要もなくて、すぐに使えるんだ」
「デメリットは何かしら」
「一つは生命力を消費すること。生きるのに使う生命エネルギーにプラスして魔力の為に消費するわけだからね。限りある命の消費速度を早める事になるよ」
「想也君は昨日もやったんでしょう?不老不死になる前から。でも、特に変わったようには見えなかったわよ」
「うん。生命エネルギーは生命活動の為に消費されてる。でも、それ以上に生命エネルギーを使わなくちゃいけない。そんな時は、二つの方法を選べるんだ」
「二つの方法……?」
「生命活動に必要な生命エネルギーを少なくするか、この先使うであろう生命エネルギーを前借りするかのどっちか」
生命活動に必要な――必要不可欠な要素を無理矢理横取りする様な事をするわけだから、鼻血が出たり、腕や足が動かなくなったり、意識が朦朧としたりする。
ただ、生きるか死ぬかの殺し合いの最中に自ら隙を作るような真似をすれば、生命力を使う使わないの話ではなくゼロになってしまう。
そんな時は生命力の前借り――つまり、寿命を消費するのだ。
「じゃあ、想也君は私の為に寿命を削って戦ったって事よね」
「え?ああうん、そうなるね」
実咲さんの為というか、僕が生命力変換をしたのは実咲さんが狙撃された後の事だし、寿命を削ったのも必要に駆られての事だ。
しかし実咲さんはそんな風に受け取ったらしい。
「問題は、この寿命の削られる量なんだよね」
「どの位?デメリットなのだし、私が今増やした量だと三ヶ月くらいかしら」
「この量だと……僕だったら寿命3年分かな。僕は生命力変換の特性を持ってるから、他の人だと2倍か3倍は寿命が減るんじゃないかな」
「そんなに!?」
実咲さんは予想だにしていなかったようで、幼児のように目を丸くした。
「これがデメリット二つ目。割に合わない変換効率の悪さだよ」
「確かに多用出来る物じゃないわね、これは」
「まあ、僕らはこのデメリットを考えなくて良いから楽だよ。今すぐに、大量に、寿命を削っても良いと思う様な状況じゃないと使わない方法なんだよ、本来はね」
まさに昨日の僕がその例に当たる。
必死だったなあ。あの時も一、二年分の寿命は持ってかれたと思う。
一番良いのは、生命力変換を使わなくちゃいけない状況に追い込まれない事なんだけどね。
「ん。生命力変換をチョットだけ使って、その保有魔力と外部魔力を混ぜて使えばかなり効率が良いんじゃない?どうしてもあとちょっとが足りない時とか。やったことはないけど、保持者って外部魔力を使えるんでしょう?この前、一葉に聞いたの」
「外部魔力と混ぜてる暇があるときに生命力変換をするって言うのが間違いな気がするけど……。そもそもこの生命力変換を出来る人自体、稀なんだ。あと、内宮さんに魔力変換の事を聞くのも間違い。内宮さんは『魔力変換効率5倍』の特性持ってるからね。一定以上の量を一度に使わなければ魔力が事実上無限だから」
「想也君は『魔力変換』の特性は持ってないの?」
「持ってないなあ。と言うか、外部魔力を混ぜるってこと自体ができないんだよね。何故か保有魔力と混ざらなくてさ」
練習自体はずっと行っているのだが、どうにも上手くいかない。同じ魔力ではあるが、まるで水と油の様に弾かれてしまうのだ。
まあ、例え『魔力変換』の特性を持っていたとしても、『理想世界』を使うとなればあまり意味が無いわけだけども。
「まあ、僕は生命力変換をしなくても保有魔力量だけなら最低でも内宮さんの3倍はあるからね。どうしようもないくらい少ないってわけじゃないし、今はもう魔力量に関しては考える必要が無くなったから」
外部魔力も含めた総魔力量で考えると100倍以上の差を付けられてしまうけど、内宮さんが多過ぎるだけだ。まあ、一般的な保持者にも5倍くらいの開きがあると思うけど。
その代わり、魔力の回復速度は『生命力変換』を持っているから、普通の保持者よりは圧倒的に早いけどね。
お陰様で一晩寝れば魔力は大体全快する。
睡眠中って言うのは、生命力の消費が少なくなるから、浮いた分の生命力が魔力に回される。
保有魔力が多くないなら、『生命力変換』なんて持ってなくても一晩で全快するけどね……。
「そう。それじゃあ、疑問も解消された事だし学校に行きましょう」
「え、もう?」
「思っていたよりも話し込んでいたみたいね。ほら」
そう言って指された美咲さんの指の先には、デジタル時計に表示された7時20分の文字。このままだと遅刻する。
「悠長に話してる場合じゃなかった!」
歯ブラシを口の中に突っ込んだまま、ドタバタと部屋を駆けずり回り、カバンを荷物の山から掘り出して教科書を詰め込む。
実咲さんはいつの間にか準備を終わらせていた様で、椅子に腰掛けたままお茶を啜っていた。
「ゴメン待たせた!それじゃ行こうか!」
「頑張って走ればまだ間に合うわよ」
3分程で支度を済ませ、転がり出る様に家を飛び出す。
通路を抜ける風が体をなぞって何処かへと流れて行く。
風の吹いてきた方向へ小走りで向かい、マンションの外へ出ると、太陽と雲が手を組んで、地面に斑な
コントラストのスタンプを捺していた。
朝の匂いを肺いっぱいに吸い込み、慌ただしい喧騒を聞いていると、昨日の血生臭い出来事が夢か何かだったのではと錯覚しそうになる。
「想也君?」
僕らしくもないモノローグに浸っている所を、実咲さんに引き揚げられた。
深呼吸したまま動かなくなった僕を不思議に思ったのだろう。
「どうしたの?」
実咲さんはすぐ側にいる。これは夢でも幻覚でもない、れっきとした現実だ。
そして、昨日の全ても、これ以上ないほどに現実だった。柔らかな人の命を奪う感触も、鼻を突き刺す様な死の臭いも、僕に刻み込まれて消えることは無くなった。
だが、それで良い。そうでなくてはならない。
昨日を忘れてしまったら、僕は今日を生きることが出来ないだろうから。
昨日を無かったことにしたら、実咲さんとの約束を無かったことにするのと同じだろうから。
「何でもないよ。今日は『当たりの日』だなって、そう思ってただけ」
青く澄み切り晴れ渡る空、とまではいかないごく普通に雲の浮かぶ天井と、季節平均よりも湿気を含んだこれまた変わり映えのしない大気の流れ。
この世に変わらないものなんて無い、と言う言葉に一体どれだけの信憑性が有るのかは知らないが、これまでの短い人生の中で同じ様な朝を幾度となく体験してきた。
しかし、これまでの全ての朝をこんなにも透明な気持ちで感じたことはない。
気象条件ではなく、心象条件の差異が、朝を変えた。
例え雨の日であったとしても、この気持ちでいる限りこれからの日々は全て『当たりの日』になるだろう。
「「強化」」
僕らは走り出す。
人間の限界を超えて、終わりのない一生を――無限に続く日々の、その最初の朝を大急ぎで駆けていく。
やりたいことが沢山あって、そのための時間もたっぷりとあるけれど、さしあたってまずは学校に向かうところから始めよう。
君と僕の理想世界はまさに今この瞬間から広がっていく。
僕らは此の先どこまでも続いていく、長い永い道の第一歩目を時間に追われて踏み出したのだ。
お読み頂き有難うございます。
取り敢えず、第1章っぽいものが完結です。
くぅ疲。
書き溜めをほぼ消化しました。あと一話入れて、掲示板ネタを何個かブッ込んだら第二章に入ります。
第二章は今から書くんですけどね。
第二章の舞台は約一ヶ月後、新レギュラー2名を加えたいですね!




