意味の無い有意義な時間
寝不足だ。
学校までの道のりがとても遠く感じる。
湿度は低く、過ごしやすい陽気の朝だと言うのに雲一つない空が非常に鬱陶しい。
目の下にはクッキリとクマが出来ている。
昨日の夜は、寝てるんだか起きてるんだか分からない睡眠の境界線を行ったり来たりしていた。これを寝れたというか、寝られなかったと言うかは人それぞれだとは思うが、熟睡と呼べないことは確かだ。横になっていただけ、がピッタリだ。
これなら普通に徹夜した方が楽だったな。
「しんどい……」
「そうね……」
僕の独り言に反応したのは、隣を歩く現乃さんだ。
たなびく銀髪は美しいが、その光の反射でさえ目に刺さる。何故か、彼女も寝不足のようだった。目に見えた変化は無いが、調子は悪そうだ。横顔から覗く翡翠の瞳はどことなく眠た気である。
僕と同じ理由で寝不足になっているとは思わないが、訳を聞いてもはぐらかされるので何か事情があるのだろう。
そんな訳で、通学途中は僕ら二人テンションが上がらずにピリピリとしていた。
もちろん、それをお互いに気遣わせることはしないが、やはり予測不能な事態に対してはいつもより対応が雑になる。
「ヘイ!そこの君ちょっと良いかい?」
「……何よ」
「俺は君の二個上、つまり君の先輩な訳だけど、今日の昼にでもヒィ!?」
チャラい先輩が現乃さんに話しかけたと思ったら、悲鳴をあげてガクガクと震え始めた。
「何?今日の昼に一緒したいの?もしかしてそんなことのために理崎君との楽しい楽しい通学のひとときを邪魔したの?刈るわよ、その首」
低い声で淡々と喋る現乃さんからは、恐ろしい殺気が放たれていた。その程度ならまだ良いのだが――良くは無いけど――いつの間にか取り出したリトリビュートの切先を先輩さんの首元に沿わせていたのだ。
放っておくと前科一犯を頂戴することになるので、仕方なく現乃さんを止める。
先輩さんは這々の体で逃げ出していった。
「ごめんなさい」
「別に良いけどさ、あんまり殺人は褒められたことじゃ無いからね」
「心しておくわ」
口を開くことさえ億劫になって来たので、そのあとは一言も喋らずに、黙々と通学路を歩いた。
◇
教室に着いてからは、海や内宮さんとの雑談に興じる。
昨日も一昨日も、彼らと朝を過ごした。
海と僕で話す中、所々で内宮さんがツッコミを入れるスタイルだ。現乃さんが来てからは、ツッコミ担当に僕が配属することが多くなった。
ある意味黄金比率である。
海はいつの間にかクラスの中でも一目置かれる存在となっていて、クラスメイトとも良く談笑している。カリスマ性に富んでいるのかね。羨ましいもんだ。
その点、僕と言えば休み時間はボーッとして過ごすことが多い。休み時間は、次の授業の準備をする時間だから、クラスメイトと話している暇など無いのだ。早速、矛盾したことを言っているが、建前などそんな物である。
現乃さんが来てからは、ボーッとする暇も無くなったけどね。一人ぼっちの僕に見かねたのかも知れないが、休み時間の度に話しかけて来るのだ。やっぱり、休み時間はクラスメイトと交流をはかるべきだと気付かされた。とても楽しい。
でも、現乃さん。
クラスメイトが話しかけてきてるのに、それを断ってまで僕に構わなくて良いんだよ。
嬉しいけどさ。
……あれ。
僕ってもしかして友達少ないのかな。学校で海と内宮さんと現乃さん以外と会話した覚えが無い。
朱島はちょっと別枠だけど。
事務的な会話位はあるけど、記憶の中では三回ほどしか覚えが無い。三人が――特に海がそういった話をしてくるので、それで事足りるのだ。
本格的に、自分からコミニュケーションをはかるべきだろうか。だがどうすれば良いのか分からない。
現乃さんは黙っていても他の人が話しかけて来るから論外として、海は海で参考にならない。気付いた時には会話か始まっている、それほどに自然な話の導入は僕には思いつかない。やはり、美男美女はコミニュケーションと言う分野において無類の強さを発揮できるようだ。相手の警戒心の度合いが変わるからね。
因みに、内宮さんはこれまた別の意味で論外である。系統は現乃さんと同じで話しかけられているタイプではあるが、挙動不審になってまともな応答が出来ていなかったりする。僕の上位互換と言っても良いくらいだ。流石の僕も、話しかけられれば普通に会話できる。多分。
頑張るのは今度でいいや。
「お前ら、席につけ」
いつの間にか教室に現れた一井先生の声がした。
「一つ、連絡がある。今日の体育は中止だ。代わりに、臨時の健診が入る」
「定期健診ならこの前終わりませんでしたか?」
「だから臨時なんだろうよ。政府からの勅命じゃなかったら適当に俺がデータ作って提出するんだがなぁ」
政府からじゃなくてもやっちゃマズイことだと思う。にしても、なんでこんな時期に政府がそんなことを言い出したのだろうか。
『あの島』にいく前に、定期健診は済ませた筈なんだけど。
「ま、そんなに時間はかからねえ筈だから、いつもより早く帰れると思ってくれ。じゃ、午前中はいつも通りだから適当にやってくれや」
予鈴が鳴るのと、先生が教室を出ていくのはほぼ同時だった。
まあ、ただの健康診断だ。あれやこれや考えた所で健診がなくなるわけでもないし、健診自体が嘘で、グラウンドに集められて、「これからみなさんには殺し合いをして頂きます」と言われるよりも低い可能性を信じるなど無駄以外の何物でもない。医者の指示に従っておけば終わるのだから、何も考えずにいても良いだろう。
きっと採血とかするんだろうな。
嫌なんだよね、注射。強化すれば針は刺さらないけど、本末転倒も良いところだし。
注射自体は無痛だが、注射という行為が嫌いだ。自分の体に異物が入っていく感覚は中々慣れない。
でも、高等生にもなって注射が嫌だと駄々をこねる真似なんてしたら、白い目で見られるだろうから男らしくどっしりと構えよう。
「健診なんてあるのね。臨時とは言っていたけど、こういうことは良くあるのかしら」
「どうなんだろうね。僕も初めての事だから。でも、先生の言うとおり、そんなに時間は掛からないよ。定期健診の時は十分くらいだった」
現乃さんの疑問に僕は答える。
人間一人分の大きさの箱に入って、十秒数えれば骨格の歪みから、癌の位置まで丸わかりだ。採血だけはする必要があるみたいだけど。採血分まで箱で済ませられる様に出来なかったのかね、技術者の方々は。
まあ、血液の情報とは別に血液サンプルが必要になるらしいから、どう頑張っても簡略化は無理だと結論づけられているらしいけど。
ここら辺は昔、テレビでやっていたから知っている。
血液の情報、つまりDNAなどを解析することは現在の技術力では容易だ。また、クローンを作ることも容易いと言われている。いろんな法律で禁止されているのでクローン製造は不可能だが、事実上は可能だ。
例えば、A君と言う超能力系を持つ保持者が居たとしよう。
このA君のDNAを採取すれば、A君のクローンが作れる。完全に同じ、瓜二つの人間が存在する事になる――と思いきや、そうはならない。
不思議なことに、複製体A君が同じ超能力系を持っているとは限らないのだ。
矛盾を孕むが、全く同じ別の人間、と言う文言が一番当たりに近い。
薬剤を処方する時などに、複製体には異常が出なくても、本体には異常が発生する事があることから、採血は必須なのだ。
この場合の複製体とは、血液のことだが。
結構昔にやってた内容だけど、覚えているものだね。
「二百年も経っているのに、妙なところで名残があるのね」
「僕は昔を知らないから何とも言えないけどね」
今日の一二限は地理だっけか。
やる気出ないな。
よし、寝よう。
◇
「……僕は今日、何をしに学校に行ったんだ」
学校からの帰り道、僕はそのままERCに仕事を受けに現乃さんと道路を歩いていた。
海と内宮さんは用事があるらしく、一緒には居ない。
「丸一日寝てたものね。ノートはとってあるからあとで写しておいて」
「助かるよ……」
「当然の事よ。で、今日はどんな仕事を受けるの?」
「うーん、討伐系で良いのがあれば良いんだけどねえ。現乃さんはどんな仕事がしたい?」
「どんな仕事があるか分からないから何とも言えないわ」
「大体、討伐系と採取系の二種類かな。この前、海達と一緒に現乃さんが受けた仕事は討伐系だよ」
「なら討伐が良いわね」
ERCの居住区支部である巨大なビルに入り、高く広い壁に映し出されている数々の依頼を眺める。
うーむ、中々良さそうなのが無いなー。
数が膨大なので、お目当ての依頼を探すのにも一苦労だ。
チラリと周りを見渡すと、あちらこちらに僕らと同じ制服が見受けられた。
授業が終わった学生達が、仕事を受けにぞろぞろと集まっているのだ。あと三十分もすれば、そこら中を黒色の同じ制服が埋め尽くすだろう。その前に、早く依頼を決めたい。
ウンウンと悩んでいると、私服姿の男女四人組が、僕らのすぐ横を通って受付へと向かっていくのが目に入った。
彼らも保持者だ。学生でなくとも保持者は居る。日々の生計を、ERCの仕事によって立てているのだ。
いつか僕もあんな風に働くのかな。
……中々イメージ出来ないな。
「良さそうな仕事を見つけたわ。あそこに出てるけど、どうかしら。……理崎君? 聞いてる?」
「えっ?ゴメン聞いてなかった」
「何かあったの?」
「別に何も無かったけど。ただちょっと、将来、僕は何をしているのかなーって、ぼけっと考えてただけだよ」
「そう。それで、あそこにある仕事が良いと思うのだけど」
そう言って現乃さんが指差した先には、ミッドガルド周辺の怪物退治任務が張り出されていた。
ミッドガルド周辺の安全を確保するための重要な仕事だ。
強さ的にはケンザンウルフ程度の比較的弱い怪物しか居ないが、保持者にはそう感じるだけであって一般人からしたら十分過ぎるほどに脅威だ。一般人がミッドガルドの外壁を越えて街の外に出る事は余り考えられないが、特に禁止されているわけでは無い。
保持能力を持たない一般人、そう、一般人ごときがケンザンウルフなどに遭遇してしまえば、待ち受けているのは噛み砕かれ噛み千切られた末の死である。
保持者とて油断すれば勿論死ぬが、抵抗手段を持つのと持たないのでは天と地の差だ。
それだけの差があって、死ぬのは半ば運命付けられている様な物なのに、一般人がミッドガルドの外へ出て行く事が無くなる日はない。帰って来ることも稀だ。
そして、そういう人に限って「なぜ一般人を守らないんだ。これは怠慢だ」とか言い出すのだ。
政府に向けて抗議するならともかく、「地球奪還」を理念に創設されているERCに噛みつく人がいるのだから、何を言ったところで聞く耳は持っていない人種である事は確実だ。
ERCの運営方針は地球奪還であって、勝手に危険地帯へ入り込んで死ぬ人間を、わざわざ危険を犯して助け出す事が運営方針では無い。あくまで、個人としての保持者が良心から人助けをしていた。しかし、時間の経過と共に、それを当たり前だと声高に主張――勘違いし始める連中が出てきた。
少数派は多数派に押し潰される。
身の回りに保持者が多いから錯覚しそうになるが、保持者は完全に少数派だ。
人類の総人口から言えば、2%も居れば良いところである。
政府は、国民の血税によって成り立っている。そして、国民のほぼ全てが保持者では無い。どれだけおかしい事を言っていても、多数者が押し切ってしまう。政府としても、対処……というか対応策が限られ、ズルズルと一般人の合唱のような意見を却下出来なくなってくる。
ERCがいかにシャンデリアの中でトップの企業でも、政府の影響を受ける。
ミッドガルド周辺の怪物退治は、政府からの依頼なのだ。
とは言え、命令だからやっているのも事実であるが、僕らの様な学生からすれば、『ミッドガルド』周辺で時間がかからずにお金が稼げるので助かっているのもまた事実である。
殲滅したところで、次の日には元通りの大群に戻っている怪物へ、場当たり的な攻撃を繰り返していても根本的な解決にはならない。
まあ、そもそも、殲滅するとは言ってもミッドガルド自体が巨大な為、それの円周部分に当たる外縁が広大で、全滅させることのできる範囲は極一部の地域だけだ。
「良いんじゃない?ミッドガルドに近ければ、そこまで危ない怪物も居ないだろうし」
仮に出てきても、僕が瞬殺する。そして逃げる。
「強化の練習の成果を見せる時が来た様ね。理崎君に比べたら全然出来てないけど」
「そりゃあ、簡単に追い抜かされたら立つ瀬が無いよ。現乃さんは凄いと思うよ?どのくらい出来る様になったんだっけ、強化は」
「即時発動くらいは出来る様になったのだけど、速さをイメージすると硬度が追いつかないわね」
「それだけ出来れば十分だよ。一週間で到達出来たなんて、流石は現乃さんだね」
申し訳なさそうに言う現乃さんだが、普通は強化の即時発動なんて1ヶ月くらいかけて習得する技能だ。
強化は保持者にとって切っても切れない関係にある。魔力の効率的な操り方、イメージの固め方、魔力配分――全ての能力の基礎を学ぶ、初歩にして奥義となる保持能力だ。
強化は保持者が人生の中で最も多く使用する魔法系だ。
まあ、魔法系に区分されているのは暫定なのだが。魔法系とは言っているが、魔法陣は必要ない。
どちらかと言えば、僕の『理想世界』に近い。イメージを魔力で強化する仕組みだ。
強化が下手な人は、発動までにラグがある。そのラグを消すだけで、普通は一ヶ月は掛かるのだ。
現乃さんは一週間でマスターしたが。
イメージすることに慣れないと、あっちを立てればこっちが立たず、と強化にムラが出来てしまう。
現乃さんは、身体機能を上げる時、素早く動けるように速度上昇をイメージすると、身体硬化が疎かになってしまうらしい。
これを解消するためには二つ同時にイメージする必要があるのだが、慣れるまではこれが結構難しかったりする。
例えば、何も無い所で練習として強化するとしよう。速く走りたい時には、対応する箇所に魔力を『速く動くイメージ』で行き渡らせる必要がある。銃弾を受け止めたかったら、『堅く強くなるイメージ』で体を覆わなければならない。
言葉の上では簡単に聞こえるだろうが、要は『速く堅く強く動けるイメージ』で魔力を体に溶け込ませれば良い。そうすれば、二つの効力を損なうことなく完璧な強化が実現できる。
だがしかし。
『目的』に対応して発動させようとなると途端に上手く行かなくなる。
高速で移動する物体を追いかけるとしよう。
それはとても速く、強化しなければ追いつけないほどのスピードだ。
速く堅く強く動けるイメージを維持したまま追いかける最中、「速く走って捕まえよう」と思う訳だ。すると、初心者はその思考がイメージに影響してしまうのだ。確固として保持しているはずのイメージが、いつの間にか思考の方向性に引っ張られて変わってしまう。
『速く動けるイメージ』だけが強化の効力になってしまう。
逆もまた然り。
攻撃を受け止めようとすると、身体硬化にばかり意識が傾いて、速度が犠牲になる。
異なる二つの効力を両立することは難しいのだ。
こればかりは、経験を積まないと改善出来ない。練習ではなく、経験。
家の中でどれだけ完璧に強化出来たとて、実際の戦闘では上手く行かない。
一瞬の判断ミスが生死の分かれ目になる状況下で、イメージを確立させ続けることは容易では無い。
この強化が、イメージを全く揺るがすことなく完璧にこなせるようになったら初心者は脱却だ。
厳密な決まりは無いが、それぞれの習熟度をランク付けするとしたらこんな感じかな。
初心者がイメージを崩さないこと、つまり強化を発動できること。
初級者が強化を即時発動出来ること。
中級者が二つ以上のイメージを維持し続けられること、そして脳の強化が出来ること。
上級者が、体の各部に魔力を割り振り、それぞれの箇所で強弱を持たせた強化が出来ること。
現乃さんは、初級者と中級者の間くらいの位置にいるね。
僕は上級者くらい……だと思う。
最難関関門は脳の強化だ。魔力の扱いに熟達していないと、頭がい骨の中で魔力が行き場を失って、ポンッだ。結構シャレにならない。毎年それで一人や二人の初心者保持者がこの世を去っている。
しかし、脳の強化が出来るようになると、イメージがより固く維持出来、脳の処理速度が格段に上がるので上級者と同じことをするだけならあっという間に出来るようになる。
だが、上級者からはその『出来ること』の範囲が深くなり終わりが見えない。
強化の効力を二つとしよう。
全身なら二つ。
右腕と左腕に分ければ、四つ。
両手両足で配分を変えれば、八つ。
樹形図のように脳内で処理すべきことが増えていき、何処かでイメージが崩れてしまうと強化が途切れてしまう。
勿論、戦闘中などは必要に応じてコンマ数秒以下でイメージを変化させなければ、強化を十全に扱えているとは言えない。魔力の量は限られている為、常に全力で全身に強化なんてしていたら、他の魔法系を使う分の魔力が足りなくなってしまう。
その昔、超能力系を持たず、魔法系は強化しか使えない、周囲からは出来損ないの保持者と言われていた男がいた。
だが、その男は唯一使える強化を鍛え上げ、練磨に練磨を重ねて、『最強』の称号をもぎ取ったと言う。その後、行方不明となってしまったらしく、1ヶ月後に『最強』は新しく出てきた。しかし保持者の中では、尊敬を最も集めている男だ。
なんせ、才能に恵まれないと言われていたのに、ただ純然な努力のみで保持者の頂点へと上り詰めたのだから。
流石に、そのレベルまで強化を扱える様にしろと現乃さんに言うつもりは無いが、超能力系を持っていようがいまいが、出来ることを増やすべきだ。
「じゃあ、これにしようか」
依頼の番号を覚えて受付に向かう。
パーティ申請した後、滞りなく受理された依頼を達成するべく、僕と現乃さんはミッドガルド行きの軌道エレベーターに乗り込んだ。
◇
「現乃さん、斜め後ろ五メートルから近付いて来てる」
「了……解ッ!」
ミッドガルドを囲う様に連なる山々のトンネルを抜けて、広葉樹林が生い茂る中、僕と現乃さんは『キーモンキー』と呼ばれる猿の怪物と相対していた。
現乃さんの訓練を兼ねているので、僕は余り手を出さない。
キーモンキーのランクはC-。
見た目はニホンザルで、体長は大きくても一メートルに届かない。獣らしい爪と、鍵の様に見える硬質化した尻尾が特徴だ。
単体での強さはDランクのケンザンウルフと同程度かそれ未満。現乃さんなら十分に余裕を持って戦える相手ではあるが油断は禁物だ。
キーモンキーはケンザンウルフよりも厄介な性質を持っている。
群れる。とにかく群れているのだ。
ケンザンウルフとて、群れぐらいは作るが、キーモンキーは一グループ当たりの総数が軽く五十を超え、単体で活動することが無い。だからこそ、ケンザンウルフよりもランクが高く設定されている。因みに、百匹単位になるとランクがもうひとつ上がる。
リトリビュートを振り抜き、後方から迫っていたキーモンキーを切り捨てた現乃さんは、
右足を軸にして回転しつつ、前から襲い掛かろうとしていた二体を真一文字に刈り取った。
現乃さんが振るう大鎌――リトリビュートの切っ先は鋭く、更に両刃となっている為、先端部分さえ刺さってしまえば運動エネルギーをそのままに傷口を押し広げるように刃が食い込んでいく。
創った本人が言うのもなんだけど、えげつない。
切っ先を突き刺す様に攻撃しなくても、有る程度の相手までなら刃を引っ掛ける様にして奥から手前にリトリビュートを引けばスッパリ刈り斬れる。
黒い大鎌が刃を赤黒く染めながら死を振りまく。追従するように揺れる銀髪を目で追っていると、いつの間にかキーモンキーは全滅していた。
リトリビュートの先端から怪物の血液が滴って、血だまりでピチャンと音を立てた。
五十体以上の死骸が短時間で殺された為に、溢れ出す血液が土に染み込み切れていないようだ。
頭上に覆い被さる雲が太陽を遮り、四時過ぎだと言うのに辺りは薄暗くなってきた。
ミッドガルドの周りは雲が無いから太陽が見えるけど、ちょっと離れると、常に空を雲が押さえつけている。
戦闘終了まで十分ほどだったが、少し目を離した隙に足元は泥の様にグチャグチャになっており、足の踏み場が無くなるほどにキーモンキーの死骸が散乱していた。
薄暗さとあいまって、意識していないと転んでしまいそうだ。
「……ふぅ。流石に疲れたわね」
現乃さんの溜息が血だまりに吸い込まれた。
僕は殆ど見てただけなので全然疲れていない。
数が多い敵は、常に周囲を警戒する必要が有るので疲れる。連戦しているのと同じ事でもあるしね。
しかし、継戦能力の低さは保持者としては致命的なので、鍛えられる時に鍛えておくべきである。
現乃さんには偉そうに講釈を垂れたが、継戦能力に関しては『理想世界』を使うとほぼ皆無の僕が言えたことじゃ無い。
やめて。そんな尊敬の目で見ないで。
流石理崎君は凄いわね、とか手放しで褒めないで。
でも嬉しい。
「お疲れ様。あとは、カードに収納して帰ろうか」
「分かったわ。……なにか、今の戦闘でアドバイスとかあるかしら」
「うーん、リトリビュートの刃に固執し過ぎかな。現乃さんは実感が持てないかも知れないけど、キーモンキー程度なら柄の部分で突いたり薙いだりするだけで殺せるから、無理に刃で斬る必要は無いよ」
「そう。参考になったわ」
会話を終える頃には、辺りを埋め尽くしていたキーモンキーの死骸は一体残らず消えていた。血だまりを越えて、リトリビュートを消しながら現乃さんが戻ってきた。
「これ、食べられるわよね?」
「ちょっと待って。取り敢えず確認しておくけど、『これ』って何のことかな?」
「ん」
短く答えながら、現乃さんが後ろ手に隠していた物を露わにする。
下半身の無くなった、キーモンキーの死骸だ。
「いっ……やぁ……止めておいた方が良いんじゃ無いかなぁ。食べられるとは思うけど、美味しくないと思うよ……?」
「下半身の方が良かったかしら」
「上半身が美味しくないって言ってるんじゃ無いからね!?」
「一回だけ!一回だけ食べて見ましょう!火を通せば絶対大丈夫!」
「なんでそんなにやる気なの!?」
「昔、他の怪物を食べたことあるけど、この怪物は食べたこと無いのよ」
「怪物を食べる事自体に忌避感とかは無いんだ……」
「食感は気になるわね」
ただ味が気になるだけらしい。
調理すれば大丈夫だとは思うけど、わざわざ怪物を食べなくても良いんじゃないか。
だがしかし。
怪物は美味しい、と言う噂をネットで見かけたこともある。
現乃さんはキーモンキー以外の怪物を食べた事があるらしいから、特殊な病気などに感染して死に至る可能性は低いだろう。
中には、おっそろしく不味い怪物が居るらしいがそれはそれで笑い話になるだろう。
笑い話をする相手なんて殆ど居ないけどね!
実際、僕も怪物の味に対して好奇心がある。
食の文化は挑戦の連続だ。
一見すれば食べられるかどうか分からない物でも、試行錯誤の末に食用となる物だってある。まかり間違っても蒟蒻レベルの難易度では無いはずだ。フグの様に、犠牲を出しながら進歩するタイプでは無いことを祈る。
「よし……!食べてみよう」
「そうこなくてはね。刈り取れ――『リトリビュート』」
現乃さんは上半身だけのキーモンキーを上に放り投げ、リトリビュートを何度か一閃させた。そして、その手に戻って来た時には片腕だけになっていた。
頭部と腹部を切り離したらしい。
そちら側はカードに収納して、彼女はキーモンキーの片腕だけを僕に差し出して来た。
「今回はこれくらいにしておきましょう。美味しいかどうか分からないものね」
「さて、それじゃあどうやって食べる?――あ、毛皮の部分は剥ぎ取っておいてね」
リトリビュートで器用に毛皮だけを剥ぎ取りながら、現乃さんは答えた。
「よく考えたら、調理器具なんて無いわよね」
「そう言えばそうだね」
「…………生?」
「ワイルド過ぎるからそれは止めよう。せめて焼こう」
「火でも熾す?ちょっと時間がかかってしまうけれど」
「それでも良いけど……ここは保持者らしくやるよ。――抱け、幻想。描け、空想。夢想を心に、理想をこの身に。彼方と此方の世界を写せ――理想世界」
炎系の魔法系でも覚えていれば良かったんだけど、持ち合わせが無いので『理想世界』で代用する。
「『空間』、『熱』、『十五分』、『空中固定』」
イメージを言葉と共に固定すると、中空のある一点の景色が歪んだ。
縦横奥行一メートルの立方体空間の中だけ百度を超える高温に成っている為、光が捻じ曲げられ、虫眼鏡を横から覗き込んだ時の様に熱空間の奥の景色がぐにゃりと歪んでいるのだ。
その旨を現乃さんに伝えると、納得した顔でキーモンキーの片腕――食材をリトリビュートの先端に突き刺した。
「つまり、オーブンって事よね」
そのままリトリビュートを熱空間に突っ込む。
哀れリトリビュート。Sランクの怪物の素材を使って創られた、僕が付与した中ではトップランクの概念数と概念強度を誇る現時点最強の武器が、バーベキューの鉄串代りだ。
うむ。熱伝導率は完璧だ。ちょっとやそっとの温度じゃあ持ち手が熱さを感じ取ることすらない。
バーベキューの時に備えて熱伝導率を低下させているわけじゃ無いんだけどね。
「……良い感じね」
焼け具合を見た現乃さんが、おもむろにリトリビュートを引く。
こんがりと濃いキツネ色になった肉を見て、ゴクリと喉が鳴ったのが聴こえた。
ちょっと美味しそうかも。
それにしても、もし他人が僕らを見ていたらどう思うかな。
殺した怪物の腕を武器に突き刺して何も無い空中に掲げ、定期的に揺らしながら無言で色の変わっていく腕を凝視し続ける男女。
……怪しい。
怪しいっていうか、ヤバいな。
まあいいや。
そんなことよりも、キーモンキーの気になるお味はどうなんだろうか。
一口サイズに切り分けてもらって、現乃さんと同時に口に放り込む。
こ、これは――
「――美味し……いや、うーん。不味くは無い、かな?」
「淡白な味ね」
「どっかで似たようなものを食べた気がするね。――堅い鶏のササミ?」
「それね。味付けしたら結構イケる気がするわ。塩胡椒だけでも良さそうね」
「素材本来の味を楽しむには物足りないってことだね」
「鶏のササミだもの」
今度からは調味料を持ち歩いた方が良いのかな。
「オヤツも済んだ事だし、帰ろうか」
「……そうね」
ミッドガルドに帰るまでに一度だけケンザンウルフに襲われたが、難なく撃退した。
シャンデリアに戻ってからも特に問題が発生することはなく、ERCとの仕事完了手続きは終了した。
何やらキャンペーンとやらで景品が貰えるらしく、住所を聞かれたので答えておいた。
何が貰えるのか楽しみである。
現乃さんは、食べ物が貰えると思っている様だが。
不特定多数に対するキャンペーンなら、そんなに良いものでも無いだろうし、食べ物である可能性は低いとは思うが、それを口に出すことはしなかった。
帰り道に夕飯を買った時、現乃さんに今日の稼ぎの半分を持って行かれそうになって慌てたのは秘密だ。
何食わぬ顔で了承したけどね。今日の仕事を達成したのは現乃さんだし。
せめてもの甲斐性だ。
因みに、この日は家に帰って歯を磨くまで、ずっと肉が歯に挟まっていた。
テストやレポートが重なっていて、時間が取れませんでした。
少しずつ、少しずつ進めていきたいと思います。




