何気ない一日
「おはよー」
「おう、お早う。今日は早いな想也」
「まあ……ね」
「来て早々ため息をつくとは……なんかあったな?」
「いやあ、うん。あったよ」
現乃さんの編入から丸一日が経過した。
昨日は学校終わりに仕事をしたが、想定外の危機に見舞われる――なんて事にはならず、終始ほどよい緊張感の中で勤めることが出来た。
依頼内容はケンザンウルフ30頭の討伐。
所詮C-ランクの怪物なので一対一であれば、僕らからすれば余裕も良い所だが、どんなに弱くても数は力だ。
ケンザンウルフは個々の弱さを群れることによって補う。そういう性質なので、一匹見つければ近くに十倍はいると思って良い。
自分から探す手間が省けるとはいえ、続々と迫り来る狼を千切っては投げ、殴っては潰しとやるのは飽きる。
いくら数が力だと入っても、圧倒的力量差に加えて僕らは四人チームなので一人一人の負担も減っている。
僕らは運良く五十頭ほどの群れと早々にぶつかることが出来、あっという間に討伐も完了した為、移動時間の方が討伐時間よりも長くなった。現乃さんのERC登録カードを作るのが目的の一つだし、長いよりは短い方が断然良いので不満があるわけではない。
殺害したケンザンウルフの骸にカードをかざし、収納した。
実はERCのカードはあらゆる死体を収納出来る特殊な魔法系がかかっているのだ。あまり量が入らないのが難点だが、討伐達成を証明する為に必要なことだ。
そんなこんなで、『シャンデリア』行きの軌道エレベーターに乗って家に帰って来たのは夜の7時前だったのだが、ここからが大変だった。
夜も更けてきたしさあ帰ろうかな、と海と内宮さんに別れを告げて、僕と現乃さんで帰路をてくてくと歩いていた時のことだ。
楽しい時間ではあったが、僕ら二人を見る周りの目がビシビシと感じられて針のムシロ状態になった。まあ、現乃さんは可愛いしね?どっちかって言うと美人さん枠だけども。
で、そんな女性があたりが薄暗くなってきた頃に一人で居るのは中々狙われ易いらしく、男二人組に声をかけられていた。
僕は曲がり角を曲がった所の自動販売機で冷たい飲み物を二人分買っていて、現乃さんから見えない位置に居たのだが声だけは聞こえてきた。
男二人組はどうにかして現乃さんを誘いたいようだった。
お、ナンパか?
それなら、ここはいっちょ僕が横に割り込んで「やめろよ、彼女困ってるだろ」をやらねばならぬ。そうすれば、頼りない冴えないと陰口を叩かれていた僕の男らしさを現乃さんに見せつけることができる。好感度は急上昇だ。そうと決まれば助けに行こう。
取り敢えず、曲がり角を覗き込んで様子を見よう。
どんなヤツが現乃さんに声かけたのかな。
イケメンの場合は中指をおっ立てて追い返す。実力行使に出られると困るが、伊達に保持者やってないからね。返り討ちだ。
さーて、ドイツかなー?
……もしかして、腹を抱えて蹲ってる男と、リトリビュートを首元に突き付けられて震えてる男かな?
待ってくれ現乃さん。
ナンパされて嫌だったのは分かるけど、君から実力行使に出るのはマズイでしょ。
僕は焦りながら現乃さんを後ろから羽交い締めして何とか止まらせた。情けない声を出して、男たちは逃げて行った。
「――みたいなことが有ってね。しかもその後、二回も同じようなナンパに会ったよ。僕が隣に居るのにね」
「まあ、現乃は美人だからな。仕方ないっちゃあ仕方ない」
「相手も可哀想だった。現乃さんに声を掛けるともれなく半殺しだよ?警察が家に踏み込んでこないか心配だよ」
「捕まったら面会ぐらいはしてやるよ」
「捕まるとしたら現乃さんのはずなのに、僕が手錠を掛けられる気がするよ……」
「保持者専用の部隊が出張って来そうだな。っと、噂の現乃が来たぞ」
後ろを振り返れば、制服を身に纏う現乃さんが教室のドアを開く所だった。一歩ごとに揺れる銀髪に目を奪われる。
――そして、目が合った。翡翠色の双眸が僕を貫く。現乃さんはニコニコしながら僕の隣に座った。
「おはよう、理崎君。八雲」
「おー、お早う」
「おはよう、現乃さん。遅かったね?」
「また昨日みたいに絡まれたわ。直ぐに理崎君に追いつけるはずだったのに」
「まあ、現乃さんは美人だから仕方ないよ。昨日みたいって言ったけど、まさかリトリビュートは使ってないよね?」
「美人。……リトリビュートは使わずにやったわ」
「やる!?殺るの方じゃないよね!?」
「理崎君知ってる?ガードレールって思ったより柔らかいのよ」
「知らないよ!」
「俺としちゃ、どうして知ってんのか気になる所だがな」
「待って言わなくて良い」
「人をぶつけたら、ぐにゃってなったわ」
「ああああ聞こえない!」
「ぺしっ、って押したら飛んでいって強く当たったのよ」
「表現を柔らかくしてもダメだから」
飛んでいく、と言う言葉が出る時点でおかしい。押したら、は打撃。強く当たる、は激突の方が正しいだろう。擬音は全て濁点が入ると思う。
「まさかそれ一般人に向かってやってないよね?」
「同じ制服着てたわ。多分死んでない……はずよ」
「こりゃあ、想也のさっきの話が現実になる日も近いな」
「さっきの話?」
「僕が警察にお縄をかけられるかも、って言う話」
「許せないわ、そんなこと」
「うん、原因は現乃さんだと思うけどね。まあ、そんなことになりそうになったら徹底抗戦するけどね」
「良いわね。私と理崎君だけの楽園を作りましょう。私と理崎君なら出来るわ」
「現乃はともかく、想也は洒落にならない気がするから慎ましく生きてくれ」
やる時はやる男だよ僕は。
まあ、そんな機会無いだろうからただの冗談だけど。あと、僕より現乃さんの方が洒落にならないと思う。
朝の談笑の時間を過ごしていると、教室のドアが勢い良く開かれる。
スライド式のドアが跳ね返ってくるほどの力で開いた張本人は、転がり込むように教室に姿を見せた。
「お、どうした一葉。遅刻ギリギリなんて珍しいな」
「ごめん、寝坊、したんだ」
栗色の髪と息を整えながら、張本人もとい内宮さんは、ずれたメガネのまま答え、海の隣に座った。
「道の途中でガードレールがまるで人がぶつかったみたいにヘコんでたんだけど、何か有ったのかな。あはは」
「それ私よ」
「ああそうなんだ……ってええ!?」
「誰か人が近くに倒れてたりしなかった?」
「い、いなかったけど……」
「大丈夫みたいよ、理崎君」
「安心した」
今度、哀れな被害者に謝っておかないと。
「座れジャリ共ー!今日は全て楽しい座学の時間だ。適当に流せ。連絡事項は特にないから目ェ着けられない様に過ごせ」
相変わらず教師とは思えない発言をする我らが担任、一井先生がチャイムと同時に教室に現れた。そして、伝えるだけ伝えて教室を出て行く。あとは、入れ替わりに教科担当の教諭が来るだろう。
授業と言うのはつまらない物だが、自分の力を高めるためなので、手を抜くわけにはいかない。
今日の1•2時間目は物理だ。
大体の傾向として、保持者は理系であることが多い。授業も理系科目が多めで、現代文など文系科目に力を入れて受講するやつは殆どいない。
さらに、超能力系主体の保持者と魔法系主体の保持者を比べると、後者は座学――ペーパーテストの成績が良いことが多い。
これらは能力の種別に起因する。
魔法系は魔法陣を展開し、発動する過程で、計算式が入る。必要な魔力をどれだけ消費し、どの制御に用いるのか。それらを全て式で操る。魔法陣とは、ありとあらゆる魔力と物理法則の方程式の集合体でもあるのだ。まあ大体の人が、公式を覚える様に丸暗記しているわけだけど、それだと応用が効かなくなる。自身の戦闘力を高める為に、魔法系を得意とする保持者――魔法系保持者は、必死に勉学に取り組むわけだ。
なら、超能力系保持者はどうなのかと言うと、よほど使えない能力でなければ魔法系保持者ほど勉強しない。
イメージするだけで使える能力に方程式も物理法則も有ったもんじゃ無い。
超能力系は使えば使うほど慣れていき、その分強くなって行くので、勉強に費やす時間を超能力系にかけた方が効率的だ。
魔法系を使うにしても、丸暗記で十分だったりする。
特に僕なんてね、『理想世界』で魔法系の代わりだろうが超能力系の代わりだろうが、費用対効果が恐ろしく悪いだけで出来ることは出来るからね。手を抜くつもりは無いが、だからと言って勉学に打ち込むことは無いだろう。正直、どうやって授業をサボるか考えている。
しかし、最低限ペーパーテストで赤点を上回らないと夏休みなどは補習で連日学校通いの刑に処される。理系科目は日々の積み重ねなので、一度コケたら在学中は補習室の主として周囲に認知されること請け合いだ。まあ?最終手段はカンニングですよね。僕の能力を持ってすればカンニングなど容易い。我ながらゲスい考えだし、留年するわけでもないから多分やらないけど。
僕は軽く流す程度に、真面目に不真面目に授業を受けるとするかな。
◇
そんなこんなで7・8時間目。
化学、数学と来て能力学の時間だ。
能力学は、保持能力に関わる基本的な知識についての講義だ。
魔力とはなにか、超能力系、魔法系の発動手順、魔法陣の構成、その他諸々エトセトラを総ざらいする。
確か前回は超能力系、魔法系の発動関係諸々だったかな。
なにやら難しそうな言い方をしてしまったが、保持者なら誰もが知っている常識の話だ。小等生の『生活の時間』と同じである。今更やる事でもないし、魔力に関してはそもそも殆ど解明されていないので踏み込んだ話になると『現在研究中』が文頭に必ず乗っかってくるし。
教卓に立つのは初老を迎えた男性。
白髪の混じった黒髪黒目と、やけにくたびれているように見えるスーツ、柔らかい物腰と、年季の入った片眼鏡に凡庸な杖が特徴的なおじいちゃん。その風貌を一言で表すなら老練の執事だ。
「では、授業を始めます。常識の話を繰り返す様で、皆さんには退屈でしょうが、能力学は前期だけなので少し我慢してください。前回は保持能力についてでしたが、編入生もいますし、少し復習をしましょう。では……内宮君。超能力系と魔法系の発動手順を簡単に説明してください」
白羽の矢が立った内宮さんはおもむろに立ち上がって答えた。
「は、はい。ま、魔法系は想像、強化、現実化の手順を踏みます。た、対して超能力系は想像、現実化の二工程です」
「ありがとうございます。補足しますと、魔法系の想像は紙に書いた魔法陣などで代用可能だと言うことはご存知と思います。通常、我々が用いる場合には空中に魔力で魔法陣を展開し、そこに魔力を込める訳です。強化はこれに当たります。魔法陣は大気中、水中のどちらにも展開可能ですが、それは1から魔法陣を魔力によって形作っているからでありまして、この場合に『どんな魔法陣を作るか』という想像が必要な訳です。極端な話、魔法陣を前持って作り置きしておけば想像は要らないです。次に強化ですが、これは先に話した通り魔法陣に魔力を流す事を指します。現実化は、魔法陣の起動に必要な規定量の魔力を強化によって流した後に、魔法陣に溜まった魔力を消費して、魔法陣の効果を発動することです」
魔力と魔法陣の関係性を例える時、しばしば電気と電化製品で比喩される。魔法陣はプログラムだと言う人もいる。
感覚的な話なら電気で例えて良いのだが、現実的には魔力は電気とは全く違う動きをするので、ネット上では議論の対象だ。
「超能力系についてですが、こちらは魔法系よりも簡単で単純です。想像と現実化の二つしかありません。魔法系は良く『即応性に欠ける』といわれますが、これは超能力系と比べて、の話です。魔法陣の構築時に効果を変えることは出来ますが、一旦現実化してしまうと、あとから効果を付け加えることが出来ません。これに対して、超能力系は現実化した後の物を想像で変更することが出来ます。超能力系は円の様に密接に関係しており、魔法系は一直線に連なる関係性だと思ってください」
そう言いながら先生は、黒板に直線の矢印と、円周に二本線を足した矢印を描いた。
「さて、ここまでが復習です。今日は魔力について進めていきます。現在、魔力はその原理と法則の殆どが謎に包まれています。近年の研究では、魔力は新しい原子だとする説が有力視されています。何故それを保持者が扱えるのかは今だ解明出来ずにいますが、いつの日か真理に辿り着ける時が来るでしょう。まず、魔力が初めて人類に確認されたのは【災害】後から十数年経過した時です。誠に遺憾ながら、その当時の魔力に関する文献、電子情報などの研究データ全てが紛失しており、その出自については依然分からないままです」
ネットじゃ、良く陰謀論として名前が上がる出来事だ。政府が魔力に関するデータを隠している、とかね。
何処かのでかい宗教団体なんかは、魔力は神によって授けられた奇跡だ!なんて言ってたりする。まあ、分からないものに神を持ちだす事は有史以来幾度と無く有ったことなので突拍子もない事を言い出したわけでは無い。因みに、その宗教団体の方に「なんでその神様とやらは【災害】を止めてくれなかったの?」などと言おうものなら親の仇を見る様な血走った目で睨みつけられて、大声で神の御技がどれほどのものなのかを聞くことになる。
恐ろしいね。何が恐ろしいって、このご時世にその宗教に入信している人が相当数存在していることだ。一人宗教関係者を見たら周りを囲まれていると思え、がネット上での合言葉だ。間違えて会合場所に潜りこまない限りそんな自体には陥らないはずだが、気を付けるに越したことはない。
「本当は、魔力について深くまで話をしたいのですが、現状では、謎が多くわからないことばかり。教師として、確かでは無いことをあなた達に刷り込んでしまいかねない事に嫌悪感を覚えます。なので――」
先生は方眼鏡をひょいと持ち上げ、微笑を浮かべて続けた。
「――今日の授業はこれで終了です」
「「「よっしゃああああ!」」」
教室中が湧き立った。
先生は苦笑気味だ。
「周りは授業中なので静かにしてくださいね?では、私はこれで」
颯爽と教室を出て行く先生を見送りながら、僕も席を立つ。自由席システムの所為で教科書を置いて帰ることが出来ないので、仕方なく鞄に教科書を詰め込む。
「どこ行くの理崎君?」
「帰ろうかな、と。仕事は昨日したし、家でダラダラしようかな〜って」
「そうしましょう。ご飯の支度もあるし」
つい最近、ご飯は現乃さんの担当となった。単純に僕が作るより美味しいからだ。現乃さんは僕が作った方が美味しいと言い張っていたのだが、現乃さんのご飯を食べることがいかに幸せなのかを自分でも何言ってんのか分からなくなるくらいにベタ褒めしまくっていたら、それはそれは嬉しそうに引き受けてくれたのだ。偶に僕が作るのが条件らしいけど。
「お、帰るなら俺も帰るぞ。一葉も帰ろうぜ」
「うん!」
「ところで想也。暇なら遊ばないか?」
「それは良いけど何処で遊ぶの?」
「言われてみれば特に無い。現乃と一葉はどうするんだ?」
「一緒に決まってるじゃない」
「私も……」
「そういう事ならゲーセンとかは無しの方向で。どっか出掛ける?」
「特別行きたい所があるわけでも無いんだよな。特に女の喜ぶ場所は心当たりが無い」
「それなら、理崎君の家で良いんじゃない?理崎君は元々、家で寛ぐ予定だったのだし」
「お、そりゃいいな。想也の都合が悪く無ければ邪魔していいか?」
「え、あ、うん。いいよ」
あ、でも僕と現乃さんが一つ屋根の下同棲生活してることは秘密にしてるんだった。家に来られたら間違いなくバレる。
「よっしゃ!なら菓子とか買って行かないとな!」
あああでも海が凄い乗り気だ。内宮さんも楽しそうにしている。どっ、どうしよう。今からやっぱ無しで、とは言えないよ。
う、現乃さーん!ちょっと来てー!
「なに?」
僕の小さいながらも必死の手招きに気付いた現乃さんを呼び寄せて、海達に聞こえない様に小声でコソコソと内緒話をする。
「マズイよ現乃さん!僕らが一緒に住んでいる事は秘密にしてるんだ。洗濯物とかそのまんまじゃんバレちゃうよ」
今日に限って、リビングに現乃さんの服が畳まれている。その中には、下着も有る。女性物の下着を持っていることが万が一露見すれば、待っているのは社会的な死だ。
誤解されることは確実だし、僕の評価は女性用下着の収集癖が有る変態か、形から入るタイプの女装癖を持つ度し難い変態の二択だ。
「……安心して。なんとかするわ」
しかしそこは現乃さん。
僕の言いたいことをいち早く察し、直ぐに了承してくれた。頼りになるね。
となれば、僕はなるべく時間を稼ぐのが仕事だ。
「どうした想也、行かないのか?」
「今行くよ!現乃さんはちょっと寄る所があるから少し別行動になるってさ!」
「そういう訳だから先に行くわ」
そう言って教室を飛び出して行く現乃さん。
頼んだぞ。
「お菓子買うならついでに夜ご飯も買うつもりだけど良いかな?」
「勿論だ」
「なら出発〜」
◇
お菓子と食材をたんまりと買い込んで、重さに耐えながらやっとこさ僕の家に到着した。
海と内宮さんは、購入した食材の量を見て大層驚いていたが一週間分なんだな、と納得してくれた。
違うんだ、これ1日分なんだ。
時間は十分ほど稼げた。十分あれば充分だ。
あとは何食わぬ顔でマンションに入り、家のドアを開けて何の痕跡も残っていないリビングで楽しくゲームなりなんなりすれば良いのだ。
現乃さんは、マンションの入り口のところに居た。家のリビングに、先に現乃さんがいたらおかしいから当たり前だが。こそっと現乃さんの体に触れて『共有』を発動する。
〔助かったよ現乃さん!〕
〔万事抜かりないわ。うふふふふ〕
あれなんか嫌な予感がするぞ。
まあ気の所為だろう。現乃さんが隠蔽工作してくれた筈だし。
ぞろぞろと3人を引き連れて、エレベーターに入る。五階のボタンを押し、無意味に監視カメラを眺めながら、体が重くなる感覚を味わうこと十数秒。スライドするドアをくぐり抜けて狭い通路を歩く。等間隔に並ぶ同じドアを五枚ほど通り過ぎれば、『理崎』が印刷されたネームプレートが見えてくる。
「ここが僕の家だよ」
「早く入りましょう」
「おっけー!いらっしゃーい!」
ドアを開け放つ。
僕の目に飛び込んできたのは、リビングへと続く道に、脱ぎ散らかされたと思しき服。
散乱している妙に皺のついた服は全て女物で、中にはブラジャーなどの女性用下着もあった。
満身の力を込めてドアを閉めた。
ドバン!と言う開閉音が、通路に反響した。
強化していないのにこの反応速度とは、自分で自分を褒めたい。一瞬の出来事で、何が落ちていたのかなんて分からないハズだ。
「ははは、部屋を間違えちゃったみたいだ」
「今のは……?『理崎』って掛かってるぞ?」
「す、スカートとブラと黒レースのパンツが見えた気が」
あっ、ダメだ内宮さんがバッチリ見ていらっしゃった。
〔現乃さんんんん!?どういうことだいこれは!?朝、家を出る時はあんなんなかったよねえ!?〕
〔時間が無い割には頑張ったわ〕
〔何頑張ってんの!?僕がやって欲しいことと真逆だよ!〕
〔こればかりは理崎君の頼みと言えども聞けないわ。むしろ理崎君の為にやったのだから。うふふふふふふふ〕
〔笑ってる場合じゃないって!理由プリーズ!〕
〔早めに手を打っておかないと、ゴミがくっついちゃうんだもの。理崎君って、自分では気付いて無いみたいだけど〕
〔ますますわかんない!〕
〔とにかく大丈夫よ。少なくとも八雲と内宮なら〕
この間、実に一秒。
しかし、どれだけ高速で言葉を交わせても、意思疎通が成っていないなら意味が無い。
「ただいまー」
僕が混乱の渦の中心で無様に回っている最中、現乃さんは家に帰った時の定型句を口にしながら、ドアを開けた。
ああ、終わった。
「理崎君?手で顔を覆ってないで早く中に入って」
「……ウィス」
僕の虚無感などお構いなしに、現乃さんは散らかった服を回収しながらリビングへと消えて行った。
二人からどんな目を向けられるか戦々恐々だったが、僕の前を行く二人はとんでもない事を言っていた。
「現乃が想也と二人暮らししてるのは本当だったんだな」
「本当か信じられなかったけどね」
え。
いつの間に情報が漏れていたんだ。
「ちょ、ちょっと待って。何で知ってんの!?」
「……?そりゃ、現乃が言ってたからだが」
「は、初めて会った時に、ERCの取り調べの人の前で『同棲生活してます』って言ってたよ」
「そんときゃ、想也は担架の上で気を失ってたがな」
……最初から知っていたのか。
なら、良い、のかな?
「お、おおう。それなら良いや。このことは勿論他の人は知らないよね?現乃さん、ね?」
「知らないと思うわ」
「ちなみに、今日、海と内宮さん以外も一緒に来ていたらどうするつもりだったの?」
「それは……うふふ」
「誤魔化さないで本当のことを言ってよ」
「計画に変更は無いわ」
「この二人以外は家に呼ばないことを決心したよ!」
どんな誤解をされるかわかったもんじゃない。現乃さんが何故こんな勘違いを誘発させる様な事を仕出かしたのは、皆目見当も着かない。今回は事情を知っている二人だから良かったが同棲生活とか、思春期真っ盛りの世代なら噂になること間違い無しだ。余計な尾ひれがついて、有る事無い事装着したフルアーマー決戦用噂話が一人でに学校中を練り歩くだろう。そんなことになれば、声を潜めて後ろ指を指されるどころか、動物園で公開される珍獣の様に見世物になるのではなかろうか。
勿論、誤解しないで欲しいのだが現乃さんとそんな風に噂されるのは、僕個人で言えば嬉しい。現乃さんはどう思うか知らないが、僕は佳人と言って差し支えないほどの美少女と同棲しているのだから、嫌な訳が無い。
どんな風に噂されようが、鼻で笑いながら、
「そうなんすよ。羨ましい?ねえ、羨ましいの?一つ屋根の下で同じご飯を食べたり出来るけど、しかも相手は超絶美少女なんだけど、もしかして僕に嫉妬してる?ざまあああ!じゃあ僕は現乃さんと一緒に一緒の家に帰るんで!フォオオオオオオ!」
と、指を指してきた相手の前で高速反復横跳びしながら煽りまくる所存だが、問題は有る事無い事の、無い事の方が往々にして不幸を引き連れて来ることと、正義感と常識を振りかざした奴が出てくることだ。世の中には正論で相手を殴るのが好きな奴が居るものだ。
そんなわけで、
「このことは僕らだけの秘密にして!頼むよ!」
「別に言いふらすつもりは無いさ。な、一葉」
「そうだね。約束する!」
「ありがとう、助かるよ!現乃さんも、あんまり言いふらしちゃダメだよ?」
「むう……理崎君が言うなら、そうするわ」
両手を合わせてお願いすると、二人とも快諾してくれた。
現乃さんは渋々、と言った感じで了承したけど。
「それに、噂とかになったらどうするのさ。現乃さんはどう思うの?」
「特には……。埋まったな、としか」
どうでも良さそうに答える現乃さんを見て、脱力してしまった。危機管理能力なさすぎないかな。
即答で嫌と答えられなくてホッとしてしまった僕ではあるが、厄介事を生み出したくは無いのでビッシリと自分を引き締めておこう。
「それじゃあ、この話は終わり!何して遊ぼうか!」
実は友人と放課後に遊ぶ、という事が久しぶりのなのでテンションが上がっている。
「テンション高いなお前。あそこに転がってるVRゲーム機に一票」
「わ、私も」
「なんか良いソフト有ったかなー」
「……あれってゲーム機だったのね。ただのヘッドフォンだと思ってたわ」
見た目は耳を覆う耳あてと、それ同士を繋ぐ強化プラスチックの橋から形作られている、ヘッドフォンと聞いた時に真っ先に思い浮かべる形状をしている。
その実、マイクロチップと配線がビッシリと張り巡らされた先端技術の結晶であり、人間の神経を流れる電気信号を読み取って仮想世界を作り上げる遊具だ。
昔、家にいる時が暇なので通信販売で買ってみたものの、あまり長続きしなかったのだ。
お買い得パックを買ったら四人分の『ヘッドフォン』が着いてきたし。こちとら一人だっつーの。
それぞれが『ヘッドフォン』を頭に装着する。現乃さんは、僕らがつけるのを見てから真似ていた。そして『ヘッドフォン』を有線接続する。あとはスイッチを入れて起動言語を言うだけだ。
「ってことで、ゲームは良いけどジャンルはどうするの?」
「それだが、俺に任せて欲しい」
「構わないけど、あんまりソフトの量は無いよ?」
「俺からの引き落としでソフトを新しく買うから大丈夫だ」
「ん、オッケー」
そう言えば、最近MMORPGの大型アップデートが有ったんだよね。僕が昔一ヶ月程度やってやめちゃったゲームなんだけど、なんて名前だったかな。『リアリズムヒーローズ』だっけ?十年以上アップデートを繰り返している大型タイトルだ。
楽しいことは楽しいんだけどね、こう言っちゃなんだけど、僕の保持能力的に、ゲーム世界より現実世界の方が自由度が高いんだよね。ゲームの世界じゃ『理想世界』は使えないし。
「よし、買ったぞ」
そうこうしている内に、海がソフトをダウンロードしていた。
なに買ったんだろう。
「起動するまでは何のゲームか秘密だからな」
楽しみだ。
こういう開けて見るまで分からないタイプの話の進み方は嫌いじゃ無い。
「「「「仮想起動」」」」
一瞬だけ浮遊感が身を襲い、目の前に企業のロゴが出現する。そして、そのロゴがたっぷり2秒ほど空中に張り付いた後、お湯の中に消える炭酸入浴剤の様にシュワッと消えた。
それと同時に目の前が真っ白に塗り潰されて――周りが真っ暗になった。
読んでいただきありがとうございます。
今回で書き溜めが無くなったのでヤバイです
意見等有ればよろしくです。(すぐに反映できる可能性が微レ存)
埋まる もしかして:外堀




