特性
目覚まし三号に耳朶を叩かれ、いつもより早い時間に起きる。
遮光機能を解除して、朝の新鮮な空気を取り込もうと窓を開ける。
生暖かい湿気を多分に含んだ風が部屋に充満する。実に不快な風だ。
空は蒼く澄み切り、雲の一つさえ表示されていない。快晴と言う言葉がよく似合う色合いをしていた。
だと言うのに、風はどこでそんなに水分を抱きかかえてきたのか、まるで雨が降り出す直前のような匂いをしていた。
これは間違いなく『ハズレの日』だけど、僕の胸中はこの青空のように清々しい気分でいっぱいだ。
世界は自分の目を通して見た映像だ。
自分と言うフィルターを通さなければ感知することは出来ない。
昨日よりも周りのものが色鮮やかに見えるのは、僕が昨日より綺麗になったからだろうか。
うん、こんなことを言って感傷に浸ろうとしたけど僕の柄じゃないや。
制服に着替えてから、カバンを持って部屋を出る。
現乃さんはまだ寝ていた。
クッションに頭を埋めてうつ伏せの態勢だ。
黒いクッションの上で、銀の長髪が窓から差し込む人工陽を煌びやかに散らす。
現乃さんの首が回り、あどけない顔が晒された。
この寝姿を撮影したいぐらいだが、逮捕への第一歩になりそうなのでやめておく。
「現乃さん、起きて」
「……うぇ?…………おはよう」
「おはよう、顔洗ってきて」
時刻は六時半。
いつもより三十分早い。
現乃さんのことについて、昨日の時点で決めきれなかったことを話すためだ。
朝ごはんの支度を済ませながら、現乃さんが洗面所で顔を洗うのを待つ。
ほんの五分ほどで戻ってきたので、そのまま朝ごはんにする。
朝食は、パンとスクランブルエッグと紅茶にしてみた。朝食らしいメニューだ。
「いただきます」
「いただきます」
ケチャップをかけて、スクランブルエッグをパンの上に乗っけて頬張る。
うむ、美味い。
「そういえば昨日言い忘れてたんだけどさ、現乃さんこれからどうするの?」
「や、やっぱり私ここに居たら迷惑?」
「違う違う。僕はこれから学校だけどさ、現乃さんはやることないでしょ?」
「……まあ、確かに。でも、お掃除したりとか役に立てるから、ね?私、他に行くところないのよ」
「いや、だから出てけとかそういう所に着地するつもりは無いから。ずっとここに居れば良いよ」
不安がっていた現乃さんだが、見ず知らずの誰かなら未だしも、僕が現乃さんにそんなことを言うはずがないじゃないか。
僕の理解者に対してそんな恥知らずな真似はしない。
一転してぱあっと明るい雰囲気を醸し出し始めた現乃さん。
まだまだ笑い方はぎこちないが、魅力的である。
「流石に、掃除とかするって言ったって、現乃さんだって四六時中家に閉じ籠っててもつまらないでしょ?」
家で甲斐甲斐しく働く美少女メイドって感じ。アリだな。実に良い。
こんどメイド服を創ろう。着てくれるかは分からないけど。
待て、先に創ると、まるで僕がメイド服を常時家に置いているド変態みたいになってしまう。
しかし、現乃さんのメイド服姿は凄く見たい。
「確かにそうかもしれないけど……あの島に居るよりはずっと楽しいし」
「それなら、尚更楽しい事をしなきゃ。せっかく外に出られたのに、また閉じ籠ってちゃ変わらないじゃん」
「理崎君が居れば別に大丈夫よ?」
「いやいや、僕だって仕事で居なくなることも結構あるからね?」
「それは……困るわ。でも、外に出るって言っても何をしに出れば良いの?」
「そうだなー。例えば学校に行ってみるとか」
「理崎君と一緒の所なら良いけど」
僕が通っている学校は、能力技術高等専門学校。保持者の為に設立された保持者の為の学校だ。
入学条件はただ一つ。
保持者であること。
それ以外の条件は無い。
そんな学校にも、『編入』の概念は存在する。
保持者は、思春期に入る前に自身の保持能力に覚醒し、気付く。基本的には生まれつきのものなのだ。
ただ、例外として何故かは解明されていないが思春期の真っ只中や、終わった頃に保持能力に目覚める人も居る。
そういう人々は、途中からでも能力技術高等専門学校に編入学させられるのだ。
能力技術高等専門学校は三年制と五年制に別れており、三年制は一般教養コース。
五年制は能力者育成コースと工学コースだ。編入の場合、年齢によって何処に行くかが決まる。
十五歳、つまり高1ならそのまま編入だ。
この時点では、コース分けされていない為問題はない。で、それ以上になった場合、すなわち高2相当になると選べるのは能力者育成コースか工学コースの二つになる。
どちらも嫌な場合は、高1から始めることになる。
下手をすれば『二十四歳、学生です』ならぬ『十九歳、高1です』が実際に起きる。
僕はまだ高1だし、現乃さんが編入してくるとすれば、特に問題はないだろう。
まあ、実年齢を考えると二十四歳どころじゃ済まないのだけど。
「なんか失礼な事を考えてる気がするわ」
「い、いや、そんなことあるわけないじゃ無いか。ははは」
ジト目で指摘された。
無表情プラスジト目とか興奮しちゃうね。
しかし、一つ気になることがある。
現乃さんは、保持者なのか?
保持者の定義として、超能力系、もしくは魔法系を行使出来ること。または魔力に自発的に干渉することが出来る人物、とされている。
保持者でなければ、僕と一緒の学校に通うことは叶わない。
現乃さんは不老不死だと言うだけで、保持者ではない可能性がある。
永遠に老いない一般人、と言うのもなんだかしっくりこないけど。
無意識の内に発動した超能力系と言う可能性もあるが、それも考えにくい。魔力を使う必要のある魔法系は論外として、イメージで発動する超能力系なら、と思ったが、いかに不老不死を実現する超能力系だろうと、本人が望まないのに発動などしないだろう。
現乃さんが深層心理で老いたく無いと、とても強く願っていたとしたら――いや、そんなことあるわけ無い。
彼女は、あの島を『地獄』だと言った。
助けがくる見込みもなく、現状の打破など出来るわけもなく、ただ日々を逃げ惑いながら過ごす。
その苦しみの中で、生きることは苦痛のはずだ。わざわざその悲痛を長引かせようと心の奥底から思うわけがない。
と言うことは、現乃さんは自身の意思に関わらず不老不死に成ってしまった。
そんなもの、まるで『呪い』ではないか。
永劫にも等しい一生を生き永らえさせ、怪物の跋扈する島に縛り付ける為の呪いじゃないか。
現乃さんが、何をしたと言うのだ。
ただの女の子に、背負わせるには余りにも重い荷物だ。
僕がその呪いを少しでも取り除いてあげないと。
覚悟を改め決心するが、そんなことをした所で目の前に積まれた問題が解決することは無い。結局、手と頭を動かして一つ一つ切り崩すのが近道だ。
差し当たって、現乃さんの不老不死が能力に区分されるかどうかを検討しよう。
保持能力ではなく、それでいてデタラメなチカラ。
「となると……特性、か?」
「また知らない単語が出てきたのだけど。特性って?」
「簡単に言えば、個人個人の特徴かな。その人だけが持つ、保持能力とは別の特殊能力みたいなものだと思えば良いよ」
特性。
超能力系、魔法系とも異なる効果、とでも言い表そうか。
超能力系に似ているが、特性は後天的に取得可能であると言う特徴がある。
常時発動型の超能力系と考えて問題ない。
しかし、超能力系とは違って特性は発動させる事を意識しなくても自動的に起動する。
さらに、超能力系ほどの直接的な超常現象は起こせない。
あくまで、計算が少し得意になるとか、走るのが少し得意になるとか、火属性の保持能力の威力が少し上がるとかその程度の、補助効果レベルの物だ。
人の『得意不得意』、『慣れ』で片付けられる程度の話だったのだが、その昔に『鑑定者』と呼ばれる超能力系に目覚めた保持者が特性の存在に気付いた。
鑑定眼は目視した万物の情報が数値として見ることが出来る能力である。言葉だけはとんでもない能力に聞こえる
が、実際はそんなに便利な能力でも無いらしい。
で、その保持者が超能力系と魔法系とは違う名称が表示されていることに気付き、それを特性と名付けた。
僕も幾つか持っているし、内宮さんや海も勿論持っている。
内宮さんの例で言うと、彼女は『魔力変換』の特性を持っている。
そしてこの特性の一番の特徴は、保持者ではない一般人が持つことの出来る力だと言うこと。
ただし、その人にとってあり得ない特性を持つことは無い。
例を挙げるなら、一般人が魔力変換や、魔力消費量低減の特性を獲得することは無い。持っていても使い道が無いし。
「――こんな感じかな。最低限、強化だけでも使えれば良いんだけど」
「魔力自体よく分からないから何とも言えないわ。そう言うのが簡単に分かる方法ってないのかしら?」
「一つ、あるにはあるけど今は無理かな。夜なら良いんだけど」
「そう。……もう一度確認するけれど、保持者じゃないと理崎君と同じ学校には行けないのよね?」
「行けないね」
「それは、とても困るわ」
うーん、と少し唸った後、現乃さんはいつの間にか最後の一口となったパンを美味しそうに飲み込み、顎に人差し指を当てて、
「今の所はどうしようも無いわね」
と、呟いた。
保持者かどうか分からないことには方針も定まらないし、確かめる手段がないわけでも無い。
なら、今日の夜にでも調べて、その時に改めて考えればいい。
朝食は食べ終わったので、食器を食器洗浄機に入れて、もう一杯紅茶を注ぐ。
うむ、実にいい香りだ。インスタントだけど。
「理崎君、学校に行くまでどのくらい時間ある?」
「ん?あと十五分くらいかな」
現在時刻は短針が7、長針が8を指し示した辺りだ。
学校に十分も二十分も早く着く必要はない。
言ってしまえば、遅刻ギリギリが一番良いのだ。
普通に歩けば授業開始を告げる鐘が鳴り響くのが先か、僕が教室に滑り込むのが先かのチキンレースになる時間帯に家を出ているのだが、そこは保持者。身体機能が違うぜ。強化バンザイ。
「昨日も言ったのだけど、合鍵が欲しくて……ダメかしら?」
「そう言えばそんな事言ってたっけ。うーん、マンションの管理人さんに頼めば今日中に作って貰えると思うから、今日の夜で良い?」
「大丈夫よ」
「じゃあそれまでは……はい、これ」
僕は、現乃さんに鍵を手渡した。
人差し指程の長さで、平たい柄の部分にギザギザの複雑な形が伸びている、何処にでもあるような何の変哲も無い鍵だが、その中には超小型のICチップが埋め込まれており、マンション自体に入る時に情報を読み取ることによって初めてマンションの入り口が開く仕組みだ。
カードキーでも、ペンダントでもICチップさえ組み込まれていれば良いのだが、役割としての鍵と一緒に形状としての鍵にも意味があるのだ。
やはり、一目見て用途が分かるようにするのは必要だ。
本当は、僕がこの場で『理想世界』を使って鍵をもうひとつ作るのが手っ取り早いのだが、出来ればやりたくない。
ただスペアを造るだけなら簡単なのだが、同じ物だとあとで問題が起きるかもしれない。
全く同じ情報を持った鍵が二つ同時に存在することはかなり危うい。
設定者側が想定していない事だからだ。
これを回避する為に、僕の能力で概念封入が必要になる。しかし、この概念封入がメチャクチャ魔力を持って行くのでとても疲れる。
今日一日何があるか分からないので、下手に消耗したくない。現乃さんが保持者かどうか確かめるのも同じ理由で夜にしたのだ。
僕がやらなくちゃできないわけでもないなら、やる必要はない。
「無くさないでよ?もしも何処か出掛けるなら、五時くらいには帰ってきてくれてると助かるかな。そうしないと外で待ってないといけなくなるから」
「え、ええ、ありがとう」
何故か言葉が突っかかっていたので不思議に思った。
彼女は信じられないような、少し戸惑った表情を浮かべていた。
「どうかした?」
「いえ……随分と信用してくれてるのね、鍵を渡すなんて」
「んー、まあ現乃さんなら大丈夫かなって思ったんだよ。それに――」
「それに?」
「――騙されたなら、僕が勝手に信じただけの事だよ。それはそこまでの話だったって事」
「絶対そんなことしないから安心して」
「別に疑ってなんかないよ」
まだ熱い紅茶を飲み干して、席を立つ。
もうそろそろ家を出るか。
「あっ、最後に一つ良い?」
現乃さんが僕を呼び止めた。
図書館の場所が知りたいらしい。
もちろん教えてあげたが……蔵書数が半端じゃないので一日じゃ調べきれないだろう
気軽に出かけるには躊躇してしまうほどには距離も離れているし。
平日の真っ昼間に、見た目十代の女の子が出歩いていたらどんな事件に巻き込まれるか分からないし、確実に補導対象だ。
そうなると色々と面倒なので、今日だけはなるべく出歩いて欲しくない。
「身分証明がないと借りられないよ?何調べたいのか分からないけど、使いたいなら僕の部屋にあるPC使っていいよ」
「ありがとう。今日は家にいることにするわ」
「うん、ゴメンね」
僕の懸念を察してくれたのか、彼女はアッサリと引き下がった。
家から出た方が良いと言ったばかりで、前言を翻すような真似をして申し訳なく思う。
「じゃあ行ってくるよ」
「いってらっしゃい」
ドアを開けて、小走りでマンションを出る。
今日も一日頑張ろう。
「『強化』」
魔力を漲らせて、走り出す。
不思議と足が軽く、強化などしなくてもいくらでも走っていられそうだった。
高く見える空から降り注ぐ光を一身に受けつつ、風を切る。
頬を撫でる粘つくような湿気は気持ちが悪かった。
読んでいただきありがとうございます。
アドバイス、ご指摘等ありましたらよろしくお願いします。




