大事な話3――理想と現実
える、しっているか
もうすぐ30話になるのに
ヒロインと出会ってから一週間も経ってない
「それは、どういうこと?」
現乃さんは『不老不死』と言った。
老いて死ぬことのない、いつの世の権力者たちもこぞって追い求めた理想。
そして、女性ならば誰もが羨む永遠の若さ。
それを、彼女は持っていると言った。
僕の能力でさえ、叶わせることの出来ない夢の様な話だ。
「…………理崎君。最後まで聞いてくれる?途中で投げ出さないで最後まで、真剣に」
嘘だと取り合わないだとか、現実味が無いとか、ふざけるなと憤慨するとか。
元よりそんな真似をするつもりはない。
しかし、不安を拭い去ることは出来ないのだろう。それは、いくら拭おうとも内側から滲み出てくる物だから。
彼女は真面目な声色になってこちらを見つめてくる。
翡翠色の瞳が不安げに揺れるのを見て、僕は目を逸らすことが出来なくなった。
ゆっくりと頷いて、現乃さんが語りだすのを待つ。
彼女は深呼吸をしてから、信じられないような事を訥々と零し始めた。
「私はね、理崎君。私は、ERCという会社にも、魔法系、超能力系、保持能力、能力技術高等専門学校そのどれらにも聞き覚えも聞き馴染みも無いのよ」
それはとてもおかしい事ではないか。
今の時代に生きているなら、必ずどれか一つは見たり聞いたりする機会があるはずだ。
それほどまでに僕たちの生活と密接している、切っても切り離せない存在なのだ。
インターネット、テレビ、ラジオ。ありとあらゆるメディアの中の一つさえ持っていれば必ず接するのが先に彼女が言ったものたちだ。なぜなら、現在の人類の根幹を成すものだから。
「さらに言えば、私は、地球のほとんどが怪物に支配されていて、人類のほとんどが宇宙で生活しているだなんて、昨日一昨日まで知らなかった」
「えっと……それはやっぱり記憶喪失とかそういう事なのかな……?」
恐る恐る質問を投げかけてみるも、
「違うわ。そうじゃない。喪失じゃなくて、元から知らなかった。知ることが出来なかったのよ」
即答してくれたが、言葉が震え始めていた。
「ねえ貴方、理崎君。もし、私があの島で200年以上も閉じ込められて、生き永らえていたとしたら。貴方はどう思う?」
単語の一つ一つを発するたびに翡翠の瞳が儚げにぶれて、涙が零れそうになっている。
濡れる眼を押し留めながら、彼女はゆっくりと、探るように続けた。
「――私を化け物だと、怪物だと、そう思う?」
グラスを握りしめる彼女の手は、細かく震えていた。
◇
僕は。
彼女のその震える呟きを耳にして、どう言葉を返そうかとか思う前に、一つの共感とでも言うか。デジャヴ、既視感の様なモノに頭を乗っ取られていた。
この人は。
この女性は。
この現乃実咲という人間は。
なんて近いんだ、と。
僕と同じだ、と。
ただ、そう思った。
怪物かどうかなんて、不老不死が化け物かどうかなんて思考の彼方へ追いやられていた。
昔の自分を見ているようだった。
いや、つい先ほどまでの僕と、目の前で僕の返事を口を固く閉ざして待つ現乃さんは重なって見える。
人に拒絶されるのが怖くて仕方が無い。
彼女は、自分が否定されるのを恐れているはずだ。
昔の僕がそうだったように。
今の僕と違うのは、諦めてしまったかどうか。
僕はどうせ離れられるなら、と嫌われても仕方が無いと考えてしまう、こんなさまになってしまった。
彼女は、僕と同じような悩みを抱えて、胸を抉るような苦悩に苛まれている。
なら、僕は彼女にどう答えてあげれば良いのだろうか。
苦悩を取り除き、憂いを解消し、緊張を和らげ心の奥底からの安心をその手に握らせることのできる『正解』は、どんな言葉を組み合わせば作れるのだろうか。
沈黙は金と言うが、時と場合によっては水銀にも成る。
沈黙は毒だ。静けさは、心を削る。
ささくれた荒縄で擦る様に、心は掠れていくだろう。
だから、早く答えなければ。
でも、なんと答えればいい。
このままじゃ、僕と同じ道を辿ってしまう。奈落に続く、深淵に落ちる崖が待つ道だ。
考えろ。
彼女は、どう答えて欲しいんだ。
いや――
――昔の僕は、どうして欲しかった。
あの時の僕が求めていたのは何だった。
今の僕は、それを誰よりも知っているじゃないか。僕と彼女が重なるのなら、僕は誰よりも彼女の望みを分かってあげられる立場にいるはずだ。
「現乃さん。現乃実咲」
「……はい」
「まず最初に聞いておくよ。君は、自分自身を人の形をした化け物だと、怪物だと思うの?」
「それ、は。だって、私は歳を取らないのよ……ッ!薄気味悪いって思われるに決まってるじゃない!私が化け物じゃないっていうなら何だっていうのよ!」
「確かに君は化け物だ。不老不死なんて、普通の人間じゃない。怪物以外の何物でもない」
現乃さんは、弾かれたように僕を見る。
落胆と絶望に染まった表情で、嗚咽を噛み殺す。
ボロボロと落ちる涙の出発点に、驚きはない。そう思われて当然だと考えていたのだろう。グラスを割れんばかりに握り締めて耐えているが、手の震えは止まらない。
僕は身を乗り出して、その手を上からを包み込む。柔らかな指先は、驚くほど冷たかった。
それを温めるようにしながら、僕は続ける。
僕が求めていたのはこの先だ。
「でも――」
「……」
現乃さんと目が合う。
涙のベールのその先で、翡翠の鏡に緊張した面持ちの僕が写っていた。
「――君は君だよ、現乃さん」
「え……?」
「確かに化け物かも知れない。怪物かも知れない。でも君は君なんだ。怪物だとしても、君なんだ。僕は君を怖がったりしない。軽蔑だってしない。化け物の君も、怪物の君でも、僕にとっては一人の現乃実咲と言う人間なんだ」
「で、でも……!」
「でもも何もない!僕は君の全てを受け入れる。化け物だからなんだ。怪物だから何だ!そんな小さなことで僕は君から離れない。約束する。誰かが君を怪物だと嘲笑うなら、僕は君の為にソイツと戦うよ」
「あり、がとう……!」
昔の僕は誰でも良いから、「君は怪物なんかじゃない」と、言って貰いたかったんじゃない。
「怪物でも構わない」と、そう言われたかった。受け入れて欲しかったんだ。
その一言を、どれだけ待ち望んだか。
心の底からの同意の言葉をどれだけ夢焦がれたか。
僕は怪物じゃないと訴えて、帰ってきた答えはマトモに取り合ってくれたものではなかった。
『黙れよ、怪物』か、怯えながら同意するかの二通りだった。
自身と他人の感じていることが全く同じであると確定することは不可能だ。
しかし、似たようなことを感じているのは分かる。違いは感受の強弱だけだ。
僕と彼女は全く同じ悩みではないかもしれない。
しかし、『問』とは答えを求めるために漏らされる。そして、この問いに正解はない。
強いて言うなら、問いに本心から応える事こそが『正解』だ。
僕と同じ苦しみは、現乃さんに味わわせてはならない。
「あー、その、つまりアレだよ。僕は味方だって事が言いたかったんだ」
一向に泣き止まない現乃さんを見て、不安になってきた。正直、口が回る方じゃないから、言いたいことがキチンと伝わっているのか定かではない。
「現乃さん……?」
「ふっ、ふふふふふ」
現乃さんは、泣きながら笑っていた。
頬は涙の跡で酷いことになっているし、目尻は真っ赤だ。
でも、笑っていた。
「ふぅ……もう、大丈夫よ。言いたいことはよく分かったわ」
「ほ、本当に?大丈夫?」
「すっごくすっごく嬉しかった。本当にありがとう、理崎君」
「い、いや、それなら良かった。っとと、ゴメン、手ぇ繋ぎっぱなしだった」
「あっ……」
慌てて手を離すと、現乃さんが名残惜しそうに短い声を漏らした。
まだ、落ち着き切ってなかったか。
でもこれ以上は恥ずかしくて無理だ。さっきは勢いで握っちゃったけど。
現乃さんはコホン、と可愛らしい咳払いをしてからいつも通りの無表情に戻った。
二百年間一人で生きてきて表情を浮かべる、と言う行為を出来なくなっていたようだ。
痛み、悲しみ、などは結構な頻度で顔に表れるのだが、笑顔などの表情が自然に作られることは殆どない。それほど、島で悠久の時を過ごすというのは大変だったのだろう。
これからの生活で徐々に取り戻して行って欲しい。
「確かに、理崎君は口上手では無いようだけど」
「まあね」
「ああいう時は、ただ黙って抱きしめる……っていうのもアリなのよ」
何がアリなんだ。
恥ずかしくて無理だな、僕には。
現乃さんが悩んでいたように、僕もまた悩みを抱えていた。
彼女が僕を受け入れてくれたのに、僕が彼女を受け入れない訳が無い。
本当は、凄く嬉しかったんだ。
貴方なら大丈夫、と言われて狂喜乱舞しそうなほどの喜びが胸を刺した。
心の表面は澄み切ったけど、深い奥の底では信じきれない自分が居たことも事実だ。
暗く冷たい僕が、浮かれている僕を突き刺すように訝しんで見ていた。
でも、今なら全身全霊を持って喜べる。
なんて言えばいいかわからないけれど、同じ苦しみを持ち、それを分かち合えた彼女なら信用も信頼も出来るだろうと思った。
僕の唯一の理解者になってくれた。
ともすれば涙腺が緩んで泣き出しそうな僕ではあるが――数分前の現乃さんのように泣き濡れてしまいそうではあるが――僕が瞼と頬を濡らしたところで、彼女のように艶美な濡れ顔になることはないだろう。
雨が降った後の泥濘のような顔が貼り付けられることは想像に難くない。
我慢だ、僕。
「僕は君が――」
「え?何?」
「いや、何でもないよ」
「……そう?」
あの島に居て良かった、なんて言おうとしてやめた。僕にとってはいいかもしれないけど、現乃さんからしたら苦痛の日々だっただろう。軽はずみにのたまうことではない。
でも彼女と逢えて良かったと、心からそう思う。
「ほら、もう寝ようよ」
「一緒のベットね」
「ブッ!それはダメ!」
「じゃあ他にどこで寝ればいいのかしら。まさか、ソファーで雑魚寝?」
「流石の僕も、そこまで言わないよ」
「ほら、一緒のベッドしかないじゃない」
「だからそれは無理だってば、ん、ちょっと後ろ下がってて」
「……なにするの?」
現乃さんに少しどいてもらって、テーブルを移動させる。
そして発動する――僕の保持能力。
基本的なことは強化と変わらない。
発動のコツは人それぞれだが、強化は体の身体機能を魔力で補うイメージで発動する。
同じような事を、より固くイメージする。
想像を強く強くその細部まで描写し、輪郭を固める。
自分の存在そのものに魔力を通す感覚で全身に魔力を満たす。
詠唱によって魔力が世界に融けて行く。
集中の糸の先には、一種の高揚感が結びついていた。
「抱け、幻想。描け、空想。夢想を心に、理想をこの身に。彼方と此方の世界を写せ――『理想世界』」
フォン、という軽い音と共に、毛布と布団が突然空中に現れる。一式揃った睡眠具は、バサッとフローリングの床に落ちた。
何の変哲もないただの布だ。
特に概念封入はしていない為、そこまで疲れてはいない。
やろうと思えば、横になるだけで明日の朝までぐっすり眠れる疲労回復効果を持たせた布団も創れる。
頑張れば『寝たら最後死ぬまで眠り続ける布団』も創れると思うが、それは布団じゃなくて処刑道具に区分される思う。創るつもりは無いが。
創れたとして、現乃さんが寝たらどうなるのだろうか。
死なないんだから、眠り続けるだけか。
「…………こういうのも出来るのね」
「そんなに沢山は出来ないけどね。ってことで現乃さんはここで寝て」
「……分かったわ」
何処か不満そうな現乃さんに苦笑する。
僕らは互いに理解者になれたけど、それだけで一緒のベッドに入るほど距離が縮まった訳じゃない。
正直、僕の理性が弾け飛ぶと思うからやめてほしい。ただでさえ現乃さんは美少女なんだ。据え膳食わぬは男の恥とはよく言うけれど、実際にそんなことをして問題にならないのはアニメの中の主人公だけだ。一般人は据え膳を食べ終わった後に、人生と前科を代金に持って行かれる。
何が困るって、僕の目の前の据え膳は超高級料理に匹敵する。齢十五で前科は欲しくないが、それを踏まえてもいいかな?と思ってしまいそうになるのが問題なのだ。
まあ、そんな風に思っているのは僕だけだ。
ごめんなさいそんなつもりじゃ無かったの、と言われる可能性もある。
「ところで、このクッション使ってもいい?」
いつの間にか、現乃さんは四角い黒のクッションを胸に抱えていた。
どこから持って来たのか――いや、どこにあったのかは予想がつくけど。
「それ僕のだよ?」
「何か問題があるの?」
そう言って、さらに強くクッションを抱いた。
あのクッションが僕だったら良いのにな。
「因みに、使うって何に?」
「枕」
言われてみれば、僕が想像――創造したのは布団、タオルケット、掛け布団だけ。
枕を創るのを忘れていた。
なるほど枕代わりにクッションを使うというのは妙案だ。
大きさも枕にしては少し大きめにはなるが使えないことはない。
しかし問題が。
あれは僕のお気に入りのクッションだ。
家にいる時はいつも、アレを抱えながらテレビを見ている。
「使うのはいいけど……いつも使ってるやつだよそれ。枕なら僕が新しく作るけど」
「大丈夫ようん、ホント大丈夫。理崎君も疲れてるだろうし、全然オッケーだから私。むしろ大丈夫よホントに」
一度クッションに目線を落とした後、やけに早口で捲し立てられた。
まあ、大丈夫だって言ってるから良いんだけどさ。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
電気を消し、自分の部屋に戻る。
今日は学校の授業で体育も無かったし、依頼も受けていないから元気が有り余っていた。
体は元気だが、精神的な疲労が心に纏わりついていた。
しかし今はそんな汚れもきれいさっぱり洗い落とせて清々しい気分だ。
『理想世界』を発動したことで魔力を大量に消費して軽い倦怠感を覚えたが、元気が有り余って寝れるかどうか分からなかったから丁度いいだろう。
布団に潜り込み、中が自分の体温でぬくぬくと温まって来たあたりで眠気に襲われた。
部屋の四隅が遠くに広がっていく錯覚に陥りつつ、僕は瞼で視界に蓋をする。
今日は久しぶりにいい夢が見られそうだ。
読んでいただきありがとうございます。
理想世界の完全詠唱がまさかただの布団に使われるとは思わなんだ
もっとかっこいい場面で出せば……でもこんな感じで良いのかな
アドバイス、ご指摘があればよろしくお願いします。




