見間違い
「ただいまー」
「お帰りなさい」
フヘヘ。
六時過ぎに家に帰ると、制服姿の現乃さんが出迎えてくれた。
何ていうか、家に帰ったら美少女がお出迎え、って言うのは男の夢だと思うんだ。
……呆けてる場合じゃなかった、そういえば聞くことが沢山有るんだった。
「にやけたと思ったら真剣な顔になってどうしたの?」
「い、いや、なんでもない」
取り敢えず、僕のミッションは現乃さんの事を聞くこと、これからの事を聞くこと、そして身辺整理だ。
現乃さんの事を聞くっていうのは最重要だけど、藤堂さんが記憶喪失だと言っていたからあまり収穫は得られないと思う。朝の時点ではいろいろ覚えていたようだから、最近の事ならわかるんじゃないだろうか。僕らと会う前の事がどうかは分からないけど、会ってからの出来事は覚えていると思う。
それと、これからどうするのかも聞いておかないと不味いだろう。
僕としてはこのまま居て貰っても一向に構わないのだけれど、世間の皆様がどう思うか……。
最悪、『記憶喪失と言う事に付け込んで自分の家に年頃の女の子を住まわせている。しかも恩着せがましく。お巡りさんあの男です』と言う事にも成りかねない。ていうか多分そうなる。問題にならない方がおかしい。
まあ、ここら辺はきっちり話し合っておこう。結果如何によっては誠に仕方のない事ではあるが記憶が戻るまで僕の家で共同生活……と言う事になってしまうかもしれない。が、良かれと思ってやることだ。相手の意見は尊重するから問題は無い。仕方が無いし仕様も無いのだから問題無い。
お風呂とかの話はその時に考えよう。
取り敢えず、仕方なく同意の上で一つ屋根の下二人暮らしになってしまった場合は匿名掲示板にスレッドでも立てておこう。
そして、三つ目。
身辺整理は実に重要だ。
部屋は綺麗にしてあるつもりだが、人様が居る以上更に綺麗にしておくべきである。
漫画、教科書、女体の神秘についての考察が図ありで纏められた神聖な教科書、PC内の学校用データ、PC内の女体の奇跡の軌跡が保存された貴重な動画、及び異性との接し方についてのシミュレーションソフトなど可及的速やかに管理しなくてはいけないものが沢山有る。今まで一人暮らしだったせいで封印が甘いから強化しておかないと。
……依頼に出かける前に一通り片付けておいたから現乃さんが家捜し的な事をしていなければ、まだバレては居ないと思うけど。
今までより厳重に管理しておこう。
「……?まあ、何でもいいけど早く入ってきたら?」
「あっ、うん。ただいまー」
靴を脱いで、手洗いうがいを済ませて自分の部屋に行き、教科書の詰まった重い鞄を投げ捨てる。毎日こんなに重い鞄を持ってたら肩が凝っちゃうよ。置き勉するか。
さて、早速部屋の整理をしたいのだけれど……。
「別にずっとついて来なくても大丈夫だよ?」
現乃さんが玄関からずっと僕の後ろをついて来ていた所為で実に困っている。
今僕の近くに居られるのは不都合だ。
いや、美少女が自分の近くにいるというのはそれだけで嬉しいけれど、今は離れていて欲しい。下手したら、近づいてすら貰えなくなるかもしれない。
「リビングの方で待っててよ、直ぐに戻るからさ」
「分かったわ」
特に何かを言うわけでもなく、素直に部屋から出て行った。……何がしたかったんだ。
まあいいや。
早速、積み上げられた教科書や漫画の間に紛れ込んでいる素晴らしきコレクション達を引っ張り出して、ベッドの下に隠す。
もちろん、一緒に漫画などを入れておくのも忘れない。所謂カモフラージュである。例えば、仮にベッドの下を覗かれたとしても乱雑に積まれた漫画本が僕のコレクションを覆い隠してくれるバズだ。
あんまり隠す場所を悩んでいる時間が無いから、ここくらいしか思いつかなかった。
大っぴらにゴソゴソやってる音がしちゃうと危ないだろうし。
そのうち、鍵付きの机でも買おうかな。
僕は本よりデータが多いから仕舞う量が少なくて楽だ。
いやー、これでひとまずは安心できる。
物が物だけにバレたら死ぬところだ。
特に、現乃さんに見つかるのはマズイ。
時代が進むに連れて人間の趣味志向は多様化の一歩を辿る。
遠い遠い昔のアニメの区分が現在になって追いついて来た、とも言える。
時代が追いついた、みたいな。
人の趣味はそれぞれってことで。
男は誰でも一つは深い業を抱えて生きているのだ。
ブツを隠すついでに部屋をサラッと掃除しておく。
床にあるものを片付ける程度しかしてないけどそれなりに見えるようにはなった。
そこまで綺麗好きというわけでは無いし、この程度でいいだろう。どうせまたごちゃごちゃと床に物が散乱して汚くなるだろうし。
少し広くなったように見える部屋に空虚感を感じつつ現乃さんの待つリビングへと向かう。片付けることは他にもたくさんあるのだ。
「ごめんね、待たせちゃって」
「別に大丈夫よ」
リビングのテーブルには、現乃さんが銀の髪を指で弄びながら澄ました顔で腰掛けていた。澄ましているというよりはただ無表情なだけかもしれないが。
僕は聞きたいことが山のように積もっているが、果たして記憶を失っているらしい現乃さんが僕の望む答えを覚えているだろうか。
仮に覚えていなくても、思い出す可能性はある。そのためには会話によって刺激を与えねばなるまい。身も蓋もないなんの変哲もない言葉の交わし合いから、芋づる式に記憶が引っ張り出される事だってあるのだ。
兎にも角にもコミュニケーションを取らないことには始まらない。
現乃さんの対面に座り、話を切り出す。
「あー、えっと、元気?」
「まあ、元気ね」
「あ、そう。……今日は僕が学校行ってる間何してたの?」
「特に何かをしていた訳じゃないわね」
「そ、そう」
「…………」
「…………」
言葉のキャッチボール終了。
テーブルの上に沈黙が居座る。
……気まずい!
元々、女の子と話すのはあまり得意じゃないんだ。その上、相手は美少女。緊張して話す事なんて頭から飛んで行ってしまう。
しかも、現乃さんがあまりに無表情に素っ気なく対応するせいで、何故か僕が悪い事をした気分になる。
恐らく高校受験の時以上の緊張を持って必死に頭を働かせる。が、単語が浮いては消え、くっ付いては離れ、文になった瞬間に解ける。
僕ってここまで喋れなかったっけ。
沈黙の針が僕の時間感覚を狂わせる。
僕、挙動不審になってないかな。
あれ?目っていつもどう動かしてたっけ?ちゃんと真ん中についてる?て言うか顔どうなってる?口とかいつの間にか空いてたりしてないよね?等々、会話の事が頭に残りすらしなくなってきた頃。
実際にはほんの二十秒にも満たない僅かな会話の空白に終わりの鐘を鳴らしたのは現乃さんの方だった。
鳴ったのは鐘ではなく、現乃さんの腹の虫だったが。
「……ちょっと早いけど夜ご飯にしようか」
「うん」
無表情だった顔に赤みが差した気がした。
「嫌いな食べ物とかある?」
「別にない」
「そこまで料理が得意な訳じゃないから、あんまり期待しないでね」
僕が出来るのはただ炒めたり煮たりする程度の事で、手の込んだ料理は作れない。
なので、肉と野菜を軽く炒めた物を作り、冷凍してあった白米を電子レンジで温めてリビングへ持っていく。
現乃さんの首から上が僕の手の中の夕食に釘付けになっていた。
目と夕食が糸で繋がっているかの様にくっ付いて離れず、テーブルの上に置かれるとそのまま固定された。
現乃さんが心持ち前傾姿勢になってる気がする。
「こんなものしか作れないけど、良かったら食べて?」
「いただきます!」
僕が言い終わるや否や、現乃さんが勢いよくご飯にがっついた。
いや、がっついたと言うと下品だろうか。
あくまでも上品に、一口一口丁寧に、箸を綺麗に使って、猛烈なスピードで皿の上の食材たちを平らげていった。
現乃さんは主菜だけでなく、茶碗の中の白米も残さず食べ切った。
僕の茶碗には手のつけられていない白米がこんもりと盛られたままだ。
「…………」
「…………」
何故だろうか。
軽く二人前分は食べたというのに僕の持ってる茶碗に視線が固定されているように見えるのは。
「あー、まだ作れるけどどうする?」
「……お願いしてもいい?」
台所に戻って、新しく料理を作る。
そして、現乃さんの所へ持っていくとあっと言う間に皿から消える。
それを何回も繰り返し、冷蔵庫の中の食材が全て無くなった事を現乃さんに伝えると、「久しぶりに食べた……でも……まだ……食べれ、る……」などと恐ろしい事を呟きながら机に突っ伏して寝てしまった。
三日分は有った食材を全て食べつくしたうえでそんなことを言うのだから信じられない。
一体、あの細い体の何処に消えていくのだろうか。
すやすやと安らかな寝息を立てて寝ている現乃さんを起こす訳にもいかない。
毛布を持ってきて、そっと現乃さんの肩に掛ける。
規則正しい静かな呼吸を邪魔しない様に少しだけ顔を覗き込む。
「……めっちゃ気持ちよさそうに寝てる。寝てる時は仏頂面って感じじゃないんだけどな。って、話聞くの忘れちゃった。……まあ、明日でいいか」
今日でなくてはいけないなんて決まりは無い。
そんなことより、寝顔を観察する方が大事だ。
美少女は何をしていても様になる。ただ寝てるだけでもそれは変わらない。イメージ的に美少女と言うよりは美女って感じだが、あどけなさの残る寝顔を見ているとまだまだ子供らしさが残っているな、なんて思う。
眉間にシワを寄せたような、どことなく不機嫌な感じが無くなっていて何とも愛らしい。
ご飯を凝視する現乃さんの如く見つめ続けること数十秒。
現乃さんがふっ、と微笑んだ気がした。
「ちょ、うぇ!?やべっ、声でちゃった。起きては……無いね。……あー、風呂入って寝ないとなーもう寝よっと」
誰に見られているわけでもないのに言い訳をしながらその場を離れる。
ゆっくりとお湯に浸かって疲れを取り、明日に備える。風呂上がりに、現乃さんの分の歯ブラシなどをテーブルの上に置いてから自分の部屋に戻る。
明日も学校だし、今日のところは早めに寝るとしよう。
変に緊張していたせいで、眠気に襲われるのは布団に潜り込んだ直後だった。
僕が眠りに落ちる寸前まで考えていたのは、現乃さんの顔。見間違いの筈の笑みが、どうしても頭にこびりついて離れなかった。
無表情でいるよりも笑っていた方が良いよね。
そう思いながら、目を瞑った。
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