記憶喪失
ふと、瞼に光が刺す。
家の、自分の家の匂いが鼻腔を擽る。
体を柔らかく包む感触から、僕はベッドの中で眠っていたのだと言う事に気が付いた。
「うぅーん……」
抱き枕に抱き着いて、微睡みの中で布団と一体化する。
ああ。実に気持ちいい。この抱き枕も、ちょうどいい暖かさ、柔らかさで眠気を促進してくれる。
こんなに質の良い抱き枕なんて買っていたかなあ。
「ふふふ、積極的ね」
おや、この枕は喋る機能までついていたのか。
現代の技術では出来なくは無いが、わざわざそんな機能の付いた抱き枕は売ってなかったはずだ。
それにしても良い抱き枕だ。なんだかいい香りもするし、手触りなどすべすべもちもちとしていて、まるできれいな肌の様だ。
……肌?
ゆっくりと瞼を押し上げると、女性が居た。
どうやら、僕が抱き枕だと思って抱き着いていたのはこの女性だったようだ。
「ゴプェ」
変な声出た。
パニックに陥りながら掛け布団を吹き飛ばして飛び起き、床に頭を打ち付けながらベッドから退散すると、女性はのっそりと上半身だけ起こし体にタオルケットを巻きつけながらこちらを見た。
深い深い翡翠の眼が僕を射抜く。
前にも、同じような綺麗な目を見た。
そう、現乃さんだ。
現乃実咲。
この人について僕が知っていることは殆どない。
美少女であることと、名前くらいしか知る由もない。
そして、彼女は僕の事を何も知らない。
僕が記憶を消したから、名前すら知らないはずだ。
「固まってないで戻ってきて」
「うぇっ!? あ、ああごめん。そっ、それで何で君は僕のベッドに入っているのかな?」
しかも裸で。
「あら、ダメだった……?」
悲しげな顔を作って問うてくる現乃さん。
そ、そんなにしょんぼりしなくても!
嬉しいか嬉しくないかで言うと、小躍りするぐらい嬉しい。
「いいいいや、そんなことは無いけどやっぱり初対面なのにこういうのはいけないと思うんだきっちりとお互いを知り合ってからじゃないと!」
「あら、知り合ったら良いの?」
無表情に首をかしげる彼女。
取り敢えず、ほぼ全裸で僕のベッドの上に座り続けるのは止めてほしい。
目のやり場に困る。タオルケットからはみ出ている足が凄い気になるんだ。なんで、あんなに艶めかしいんだ。
そして、相手のペースに乗せられている気がする。
ベッドに居た理由すらわからないのに話が進んでいる。
「知り合うも何も、君の名前すら知らないし。第一、初対面だよ? 僕からしたら名前より先にこの状況を説明してほしいよ」
「……確かに、なぜこうなったか位は説明しなくちゃね」
「あと、初めまして、もだよ」
「そうね」
そう言うと、彼女は居住まいを正し、ベッドの上で正座しつつ全くの無表情で、声だけは心底楽しそうに挨拶してくれるのだった。
「初めまして、理崎想也君。また会いましたね」
頭を下げた彼女――現乃実咲の銀の髪がさらり、と揺れた。
◇
「あの後、どうなったの?」
「あの後、って?」
「海と内宮さんが寝ちゃった後」
「貴方が怪物たちを一瞬で殺害して、私に変なこと言って記憶を消そうとして、いきなり倒れたじゃない。それともその後の事?」
「…………そうだよ」
「それなら――」
結論から言うと、僕たちは助かったようだ。
僕が意識を失った後も、現乃さんは特に記憶を失ったりする事も無く、僕の事を介抱してくれていたそうだ。三時間ほどたって内宮さんと海が目を覚まし、僕が倒れていることと怪物が消えてることについて一悶着あったみたいだけど。そして、次の日の朝、救援要請を受けてERCから救助機が飛んできた。
機体が落下する前に救難信号を出していたらしい。
海と内宮さんの説明を受けてなお、怪訝な表情を浮かべていたERC職員も、B+ランクのクリスという人が全く同じ状況説明をしていたと言う事で取り敢えずの納得をしてくれたらしい。まあ、後で今回の現場をさらに追加調査することが決定したらしいが。
クリスさんって誰だ。大剣持ってた人か。
聞いてみると、海たちが目を覚ました後くらいに全身ボロボロで彼女たちの前に姿を現したおっさん、と言う事が分かった。ここだけ聞くとめちゃくちゃヤバいおっさんだけど、内宮さんが生きて居られたのはこの人のお蔭らしいので、密かに感謝しておく。
歯磨き洗顔その他諸々をし終えてからリビングに移動して、お茶を片手に事の顛末を聞き出す。
全裸にタオルケットを巻きつけただけの姿のままにするのは僕の目に良くないので何かを羽織ってもらおうと思ったが、洗ったせいで今は履くものが何もないとか言い始めたので僕の服を着てもらうことにした。何ていうか、倒錯的な感じがするね。
「なるほどね……」
「あの後起きた事と言えばこの位ね。私の戸籍が無いとかいろいろ騒ぎになったけど」
「ええっ! 大丈夫だったの?」
「なんとかなったわ」
そんななんとかなった、で済まされるような軽い問題じゃないと思うんだけど。
まあいいか。
それ以外に聞きたいことが山ほどあるし。
どうやって落下したVTOL機から脱出したのか、とか。
どうして僕の能力が効かないのか、とか。
いつから僕の部屋に居たのか、とか。
なぜ僕のベッドの中に入り込んでいたのか、とか。
特に最後の問は重要だ。実に重要だ。
時間ならたっぷりとある。
「……じゃあ、君の事を聞こうかな」
そう言うと、彼女はビクッ、と体を震わせた。
え、何。そんなに予想外だった?
「わかったわ。私の事を話す。理崎君が帰ってきたらね」
「ん? 帰ってきたら?」
「理崎君、能力技術高等専門学校っていうのに通っているんでしょう?」
「いやまあその通りだけど、今日は日曜日だから学校ないし」
「今日は月曜日よ、理崎君。貴方は丸々一日二十四時間寝てたのよ」
「え、マジで」
「マジよ」
えっ、マジ、ちょっ、今何時だ! 8時!? やばい遅刻だ!
椅子が倒れるのも構わずに立ち上がり、制服を引っ掴む。
クソッ! なんで制服にはボタンが多いんだ!
鞄の中身を入れ替えて、カギを持って家を飛び出す。
「行ってきます!」
「いってらっしゃい」
……ばれない程度に強化使うか。
実は地球にあるミッドガルドならともかく、宇宙ステーション内で保持能力をみだりに使うことは禁止……とまでは行かないが、かなり褒められた行為ではない。
攻撃系の保持能力を発動すると言う事は、言うなれば安全装置を外した銃を片手に歩いているようなものだ。そんな危険な事がまかり通る訳がない。
これは、攻撃系の能力に限った話ではあるけども。
僕がやろうとしている強化は白に近いグレー、と言ったところか。
傍目からしたら、強化しているかどうかなんてわからないからね。強化の度合いにもよるけど。難点と言えば、少し目立ってしまう事だろうか。
速度だけを求めるなら、屋根の上を飛び移りながら移動するのが一番早いけど、悪目立ちもいいとこだ。
だからばれない程度に、走っても息が上がらない心肺機能と、足に疲れがたまりにくいような強化を施しておく。
これ位なら遅刻もしないだろうし、目立たないギリギリのラインかな。
そういえば、昨日走って逃げているときは、後ろに現乃さんが乗っていたんだよなぁ。
柔らかかったな…………おおっといけないいけない。そんなことを考えて居る場合じゃなかった。
すこし顔が赤くなるのを感じつつも、急いで学校へと向かった。
「想也。今までなにやってたんだ?いくら連絡しても反応が無いから心配してたんだぞ」
「おはよう、海。今日の朝まで寝てたんだよ。目を覚ましたのは二時間くらい前でね、連絡されてたのを知ったのも今なんだ。許してよ」
「まあ、別に何とも無いなら良い。それよりも、少し聞きたいことがあるんだが……」
学校について、海が発した第一声がこれだ。多分、怪物たちがどうなったか、だよね。雑魚ならともかく、自分が逆立ちになっても勝てないような相手が寝て起きたらきれいさっぱり居なくなってるんだから、そりゃ疑問に思うだろう。眠らせたのは僕だけど。
さて、どう説明しようか。
僕も眠ってしまって居て、僕もよくわからないと答える。コレが第一案。
しかし、コレはアウトだ。海と内宮さんが同時に目を覚ましたのに僕だけが目を覚ましていないのは不自然すぎる。
第二案は一緒に居た女の子が倒してくれた、と言う。これも、当然ながら駄目。
現乃さんがどうやって海と内宮さんに自分の事を説明したのか聞いてないから、現乃さん関係の話をするとボロが出る可能性が高い。
時間さえあれば、もっと話を聞いておけたのに。
戸籍が無い事が問題になっていたし、何とかなったとは言っていたものの、僕への追求が現乃さんにまで及んでしまう事はのは現状で一番避けるべきだろう。
ていうか、帰ってからやるべき事が増えたな。戸籍がない女の子をどう扱うかも考えないと。
どうするべきか。
いっそのこと怪物達は全部僕が殺したとでも言おうか。何言ってんだこいつって思われるだけかな。冗談だと思われるかもしれない。
まあ、もしもだけれど、仮にそれを信じてもらえたとして一体どんな顔をされるか分かったもんじゃない。
「それは……後でね。ほら、授業が始まるから」
「……わかった」
捻り出した答えは、取り敢えずの先送り。
教科担当の先生が教室に入ってきたと同時に、学生たちが席に着き始める。皆、思い思いの場所に着席する中、僕は先週と同じように、一つだけ空いていた真ん中の列の一番後ろの席に座った。
一二時間目の現国も三四時間目の数学も問題なく過ごした。
そして、昼休み開始直後。
何と、僕は先生に呼び出しをくらった。
わざわざ一井先生が直々に教室まで来て、だ。
「よう、理崎。ちょっと一緒に来てくれねえか」
「あ、はい。わかりました。ちなみに、なぜですか?」
「お前ら土曜日に合同依頼を受けて、島の調査に行ったって聞いたんだがよ。お前ら以外全滅だったらしいじゃねえか。そんで、生き残りに事情聴取って訳だ。詳しい話はまた後でな」
先生に連れられて、教室を後にする。
助かった。教室の中に居たら、朝の続きをしなくちゃいけないし。
にしても、授業終了の鐘がなると同時に教室に入って来るとか暇してるな、先生。
クラスメイト達の視線が集中したが、気にしないことにした。
先生の後をついていくと、職員室の隣にある十畳程度の応接間の様な部屋に通された。
茶色のソファがガラスのテーブルを挟んで二つ向かい合わせで並べられていて、床はしっとりとしたカーペットが敷かれている。
壁には題名からして難しそうな本がぎっしりと詰まった本棚と、アラビア数字だけの質素なカレンダーが掛かっているだけで、全体的に落ち着いた雰囲気の部屋となっていた。
奥のソファに腰かける二十代くらいの男性がわざわざ立ち上がってからテーブル越しに挨拶してきた。
「こんにちは。ワタクシ、人材派遣会社ERC問題対策チームの藤堂明と申します。この度は、こちらの不手際でご迷惑をおかけしてしまったようで、誠に申し訳ありません」
「ああ、いえ。どうも」
「立ち話もなんですので、どうぞお掛け下さい」
促されたので、空いている方のドアに近いソファに腰かける。
思ったより沈み込むな、このソファ。
「で、お話って何でしょうか?」
「予想はついていらっしゃると思いますが、お話しさせていただきます。まず、今回の依頼での生存者は貴方、理崎想也様。及びそのパーティメンバーである八雲海様、内宮一葉様。そして、他のパーティのクリス・ローランド様。この四名……さらに、女性の方が一名。これで間違いありませんか」
「はい。間違いないです」
「それと――ああ、いえこれは本筋からは少し外れてしまうので、お答え出来ない場合はそれでもかまいません」
「はあ」
女性の方。多分これは現乃さんだろう。
やっぱり、当たり前ではあるが把握されている。
それにしても、どうやって切り抜けたんだ。
ERCの方で全て管理されている依頼の情報からして、行きに居なかった人間が帰りに居たらどうやってもごまかせないと思うんだけど。
「その、女性の方なんですが……」
「何でしょうか」
「名前を教えて頂けないでしょうか」
「…………?」
「その…………非常にお恥ずかしい話ではありますが、先日――つまり、あなた方が依頼を受注した後、ERC本部内でちょっとした騒ぎがありまして。実は現在、ERC登録者のデータが一部失われてしまっていて……」
「……ええっと、その、それってかなり不味くないですか?」
ERC登録のデータが消えることは非常に危険だ。
分かりやすく言えば、クレジットカードと銀行の口座が同時に消えた、といった感じか。
さらに、自分のランクも消える。
これが世に出回ったら、確実に問題になる。
「いえ! 現在は復旧作業もほぼ終わっております。ランクと銀行口座は別で管理されているのですが、今回のトラブルではランク関係と、登録時の個人情報が失われただけでしたので、殆ど問題は有りません。ですが……失われた個人情報の復旧を進めているうちに、どうやっても復元できないデータが少数見つかりまして……」
「と、言うと?」
「トラブル発生から4分以内に依頼を受注した登録者のデータが消失――正確には、ランクと個人情報のみが消失してしまいまして、その方たちには個別に対応させていただいております。その為、消えたデータと銀行口座のデータを照らし合わせて名前を割出しているのですが、銀行口座を作っていない人が一名だけおりまして……」
「それが、彼女だと言う事ですか」
「ええ、理崎様が意識を失っている間に理崎様、内宮様、八雲様、ローランド様のデータは復旧することが出来ましたが、その女性は口座を作っておらず、さらに、記憶喪失となっているためデータの復旧が出来ませんでした」
「僕が眠ってる間にそんなことが……」
現乃さんが言っていた、なんとかなったってこの事か。
そもそも、現乃さんって記憶喪失だったのか。
僕が記憶を消す前から、記憶が無かったってことか?いや、どのタイミングで記憶を失っていたのか分からない。
ていうか、藤堂さんが僕に彼女の名前を聞く理由が分からないな。
「彼女が唯一覚えていることが、理崎様と一緒に住んでいた、と言う事だけでしたので理崎様が目を覚ますまで待っていた、という訳です」
「そ、そうですか。えっと彼女の名前は現乃実咲です」
その情報間違いだよ!
「ありがとうございます! 助かりました!」
「い、いえ、お役にたてたようで何よりです。他にお話はございますか?」
「おっと、私としたことが忘れるところでした。データ関係はほんのついでの話です。もちろん他言禁止ですよ?」
「はい、わかってます」
現乃さんめ、なんで僕の家に住んでたとかいうんだ。
自分の家があるだろ。
「本題はこちらなのですが……あの島で、何があったんですか」
やはりと言うべきか。
今回の依頼のランクがC-と言うのはどう考えてもおかしかった。
特に、今回の依頼はC-ランク以上の保持者がそれなりに多かったのだから、ほぼ全滅なんてことは有り得ないはずなのだ。
僕の感覚で言えば、怪物たちのほとんどがDランク、所どころに居た蛇と虎がそれぞれC-とB-ランク、熊はAAは下らない強さだった。パッと見、あの蟷螂だけは別格でヤバかった。Sランクはあるんじゃないかと思ってる。
とは言え、この事でERC側を訴えたりは出来ない。そもそも、こういう危険性を孕んだ仕事であることは伝えられているし、そうしたことに関して一切の責任を持たない、と明文され、説明されてから承知の上で結んだ契約だ。
「どうもこうも、大量の怪物に追い回されてただけですよ」
「それについては、ローランド様、内宮様、八雲様からも同様の回答を得られています。問題は、どうやって大量の怪物から何時間も追い回されておきながら生きて帰れたのか、と言う事です」
どうやってと言われても。
僕が島に居る怪物全てを殲滅したからだけど。
「実は、つい先ほどERCの調査班が件の島の調査結果を知らせてきたのですが」
「はい」
「不可解な事に、怪物達と争った形跡は証言と一致し、怪物たちが居たであろう痕跡も残っているのに、怪物たちは存在していなかったそうです」
「……はい」
「まだ調査開始から一日なので暫定的な結果となっているのですが、仮にこの状態が続くとするとこちらとしてはほとんどお手上げです。生存者の証言だけが頼りとなってしまっている現状でして、何か覚えていることは有りませんか? どんなに些細な事でもいいので」
取り敢えず、僕らが乗っていた輸送機が撃ち落とされた所から一通りの出来事を話す。
藤堂さんはメモを取りつつ相槌を打ちながら、疑問に思ったところを質問してきた。
それに一つ一つ答えつつも、嘘を混ぜ込んでおくことは忘れない。
実際にどんな感じで襲撃されたのかは知らないから、墜落現場辺りの出来事はクリスって人と内宮さんに聞いてほしい。
多少の憶測が入っていることも伝えつつ、蟷螂と熊の怪物に襲撃された所まで話し終える。
結構時間かかってしまったが藤堂さんからは、怪物の情報を貰ったから良しとしよう。
まず、あの影から他の怪物を出してきた熊の怪物。
ERCは<アーマーベア>と呼称しているとのことだ。僕が見たような、鎧を着込んだ熊の怪物で、個体差も有るが大体Bランク帯の怪物らしい。
もうちょっと捻れば良いのに、とも思ったが名前から造詣がパッとでて来るっていうは結構大事かもしれない。基本的なモンスターは名前から形が想像できる呼称にする決まりでも有るんだろうか。
話を戻す。
藤堂さんによると、アーマーベアに怪物を生み出すような能力は無いらしい。
僕が見たのは変種じゃないだろうか、と言われた。
変種と言うのは、簡単に言えば……基本プラスアルファの存在、とでも言えばいいかな。
同種類の怪物とは姿形が変わっていたり他にはない能力を持っていたり等々、レアな存在だ。
環境に適応する為の進化の結果だと言われているが、結局のところ発生条件は分かっていない。
ただ、これがアーマーベアの変種の能力なのか、それとも狼などのアーマーベアの影に入っていた側の能力なのかは分からない。
もし、狼の能力ならブラッドウルフの変種だろうとも言っていた。
次に、蟷螂の怪物について。
現在発見されている蟷螂型の様な怪物に3メートル越えの個体は存在せず、どれだけ大きく見積もっても2メートル程度。蟷螂型はランクで言えばB-もあれば良い方の様だ。
3メートル近い大きさなら確実に変種、もしくは固有種だろうとのことだ。
固有種とはつまり……ユニーク個体、とでも言い換えようか。
環境への適応結果としての進化が変種ならば、固有種は突然変異だ。
突然変異だけあって変種以上にレアな存在で、滅多な事では出会えない。
しかも固有種の強さは通常種や変種を軽く凌駕する。
変種や固有種から剥ぎ取れる素材は良い防具や良い武器になるので結構高値で取引される。
良い武具にならなくとも、「珍しい」と言うのはそれだけで値段が付く。
もし、蟷螂の怪物の素材を少しでも持っていたとしたら、今後十年は遊んで暮らせるほどの大金に変えられるとも言われた。
怪物の素材はERCで買い取って貰う事が出来るのだが、大まかな値段設定はその怪物のランクに依存する。
基本的にランクの高さは危険度の高さを意味し、危険であればあるほどその素材は世に出回りにくく、結果的に希少価値が高くなる。勿論、ランクが低くても入手難度が高い素材もある。
特に、新発見の素材などは驚くほどの高値がつくことがある。
いつの世も経済は需要と供給によって成り立っていると言う事だ。
「…………申し訳ないんですが、そこから先は何も覚えてないんです。突然意識を失ったと思ったら起きたのは今日の朝で、そんなことになっていたなんて知りもしませんでした」
「……そうですか、お時間を取らせてしまって申し訳ありません」
「いえ、こちらこそお力になれず申し訳ないです」
「……では、私はこれで。何か思い出した事などがあればこちらまでご連絡ください」
彼はそう言って立ち上がり、名刺をテーブルの上に差し出してドアに向かった。
スーツの独特な残り香が室内に舞う。
……何とか誤魔化せた、というか気付かれなかったかな?
「ふぅー」
ソファに体重を預けて、大きなため息一つ。
ああ、せっかくの昼休みなのにご飯食べてないや。学食は混んでるだろうしなぁ。
ドアの閉まる音を聞きながら、僕が考えて居たのはそんな呑気な事だった。
お読みいただき有り難うございます。




