表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/10

第8話:王都決戦、司書の怒りは鋼鉄をも砕く

 王都アークライドの朝は、甘いバターの香りと、不穏な鉄の匂いで幕を開けた。

 私の司書室に不法侵入した「元・教え子の王子様」は、事もあろうにエプロン姿でフライパンを握っている。

「エルマ、おはよう。昨夜の禁書区画でのデートは刺激的だったね。……はい、あーん」

 差し出されたのは、黄金色に輝くフレンチトースト。

 昨夜、私の部屋の扉を物理的に粉砕した男の言葉とは思えない。私は無視して、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。

「リュカさん、扉の修繕費を請求してもいいですか。……あと、ヴィクトール卿が言っていた『アークライドの回路』の件、悠長に朝食を食べている場合ではないはずです」

「分かっているよ。だからこそ、今のうちに栄養を摂っておかないと。……これから僕たちは、この街の『システム』そのものと戦うことになるんだから」

 リュカの瞳が、一瞬だけ鋭利な刃物のような冷徹さを帯びた。

 彼が差し出したフレンチトーストを渋々口に運ぶ。……悔しいことに、絶品だ。愛という名の重すぎるスパイスを除けば、これまでの人生で食べたどの宮廷料理よりも美味しい。

「……甘すぎます」

「そう? 僕は君がもっと甘い声を出すまで、隠し味を増やすつもりだけど」

 さらりと吐かれた台詞を無視し、私は窓の外を見やった。

 王都の中央にそびえ立つ蒸気時計塔。その周囲に張り巡らされた真鍮のパイプから、今朝は見たこともないような「真っ黒な蒸気」が噴き出していた。

 それは、ヴィクトールが持ち去った設計図の完成形――王都全体を巨大な「魔法陣」へと変貌させる儀式の合図だった。

***

 一時間後。

 王都の平和は、轟音と共に崩れ去った。

 ズゥゥゥン……!!

 地響きが王立図書館を揺らす。窓ガラスが悲鳴を上げ、並べられた本たちが棚から零れ落ちる。

 私は、床に散らばった貴重な初版本を拾い上げながら、心の底から沸き上がる「怒り」を感じていた。

「本を……。書架を汚す者は、万死に値します」

 図書館の外へ出ると、そこは地獄の入り口だった。

 石畳が割れ、地下から巨大な鋼鉄の触手――魔力搾取用の極太パイプが、生き物のようにのたうち回っている。

 空を覆うのは、黒い霧。

 街中のオートマタたちが一斉に機能を狂わせ、住民たちを襲い始めていた。

「エルマ! 右だ!」

 リュカの叫びと共に、黄金の剣閃が私の視界を横切った。

 私を背後から狙っていた多脚型の戦闘用オートマタが、一瞬で四分五烈になる。

 今日のリュカは、王家の正装の上に重厚な魔導甲冑を纏っていた。

「ヴィクトールの狙いは王宮の地下にある『心臓メイン・ボイラー』だ。街中の回路から吸い上げた魔力を一点に集中させ、人為的に『特異点』を作ろうとしている」

「……それで死者を蘇らせるか、あるいは神にでもなるつもりですか。古典的な悪役の思考回路ですね、あの爺さんは」

 私はドレスの裾を大胆に引き裂き、動きやすいように膝上まで短くした。

 前世で培った戦いの本能が、静かに、けれど確実に熱を帯びていく。

「リュカさん。私は正面からボイラーへ向かいます。あなたは……」

「僕も行くよ。君を一人で行かせるわけがないだろう。……それに、君の『本気』を、一番近くで見ていたい」

 彼は私の腰を引き寄せ、騒乱のど真ん中で額を合わせた。

 戦場に似つかわしくない、甘い温度。

「死なせない。君の未来は、僕の所有物なんだから」

「……所有権の侵害で訴えますよ。後でね」

 私たちは、噴き出す蒸気と鉄の破片が舞う王都を駆け出した。

***

 王宮地下、巨大ボイラー室。

 そこはもはや、機械室ではなく「内臓」の中のようだった。

 壁一面に蠢く黒い導線。中心には、数万人の王都住民から奪われた魔力が、紫黒色の巨大な球体となって脈動している。

「……遅かったね。アークライドの出来損ないの王子、そして……災厄の魔女」

 ボイラーの天辺に、ヴィクトールが立っていた。

 彼の肉体は、すでに『深淵の蛇』の呪いによって異形のものへ変わり果てている。背中からは鋼鉄の羽が生え、眼窩からは赤黒い魔力が溢れ出していた。

「見てごらん。この美しい回路を! 知識とは溜め込むものではない。このように一気に燃焼させ、新しいことわりを作るための燃料なのだ!」

「……それが、あなたの結論ですか」

 私は、静かに一歩前へ出た。

 足元の床が、私の怒りに呼応してひび割れる。

 司書として、そして魔女として、彼の言葉は万死に値する侮辱だった。

「知識を燃料にするですって? ……本というものは、誰かが生涯をかけて綴り、誰かが大切に守り抜いてきた『命』の集積です。それをただのまきのように扱うなんて。……ヴィクトール卿、あなたは司書の敵です」

 私は右手を高々と掲げた。

 リュカが私の意図を察し、自身の左手を私の右手に重ねる。

「繋げ、エルマ。僕の魔力を、君の怒りに変えてくれ」

 ドクンッ!!

 昨夜よりも深い、魂が溶け合うような接続コネクト

 リュカの膨大な黄金の魔力が、私という「回路」を通り、純白の光へと変換されていく。

「いいでしょう。……特別閲覧権限、最終段階解放。……全館の静粛を命じます」

 私の背後に、光り輝く巨大な「本の幻影」が出現した。

 それは、私が前世から持ち越した唯一の遺産。世界の事象を記録し、定義し直すための究極の魔導書――『真理のアーカイブ』。

「な、なんだその魔力は!? 災厄の魔女の力は、五百年前に封印されたはず……!」

「封印した本を読み返すのは、司書の特権ですから」

 私はヴィクトールを見据え、その指をパチンと鳴らした。

「司書奥義・【全書返却オール・リターン】!!」

 王都全体に、澄み渡る鐘の音が響き渡った。

 それは、奪われたものを、本来あるべき「場所」へと強制的に戻す概念魔術。

 ヴィクトールの回路に蓄積された膨大な魔力が、逆流を始める。

 紫黒色の球体がひび割れ、中から溢れ出した魔力が、光の蝶となって人々の元へと帰っていく。

「ば、馬鹿な! 私のシステムが、上書きされるだと!? 誰がこんな記述を……!」

「私が書きました。……今、この瞬間に」

 光の奔流の中で、ヴィクトールの機械化された肉体が、紙片のように崩れていく。

 彼は信じられないものを見るように私とリュカを交互に見つめ、最後に自嘲気味に笑った。

「……そうか。知識を守るだけではなく、書き加える者が現れたのか……」

 轟音と共に、巨大ボイラーが沈黙した。

 黒い蒸気は消え去り、地上には再び、澄み渡った王都の青空が戻りつつあった。

***

 瓦礫の山となったボイラー室で、私は膝をついた。

 魔力を使い果たし、視界が白く霞む。

「……エルマ、大丈夫か!?」

 リュカが私を抱きとめる。

 彼の魔導甲冑はボロボロで、頬には切り傷がある。それでも、その瞳は私を映して、世界で一番甘く、そして真剣に揺れていた。

「……疲れました。もう、一歩も動けません」

「よくやった。……本当に、君は僕の自慢の司書だ」

 彼は私の額に、深い、深い口づけを落とした。

 魔力同調の余韻で、肌が触れ合うたびに火花のような刺激が走る。

 リュカの手が、私の短くなったドレスの裾から覗く太ももに、無意識に、けれど熱く触れた。

「……エルマ。一つ、白状していいかな」

「なんですか。……不吉な告白なら、閉館後にしてください」

「君が戦っている姿を見て……最低なことに、猛烈に独占欲が湧いてしまったんだ。こんなに格好良くて、美しくて、恐ろしい君を、やっぱり僕だけの部屋に閉じ込めておきたい」

 彼は私の首筋に顔を埋め、熱い吐息を漏らした。

 甘い。蕩けるような熱。

 戦いが終わった後の静寂の中で、彼の独占欲が牙を剥く。

「……『貸出禁止』だって、言ったじゃないですか」

 私は弱々しく笑い、彼の首に腕を回した。

 心臓が、自分のものではないような速さで脈打っている。

「……延滞料金、本当に……高くなりますよ」

「ああ。君が一生かけても返しきれないくらい、僕を愛してもらうことにするよ」

 王宮の地下。崩れた鉄屑の間で、私たちは重なり合った。

 それは、世界を救った英雄のキスではなく、ただ一人の男と女が、互いの存在を確認し合うための、あまりにも激薬のような儀式だった。

***

 数日後。

 王都は復興の活気に包まれていた。

 ヴィクトールの遺した『アークライドの回路』は、リュカと私の監修のもと、魔力搾取ではなく「生活支援」のためのクリーンな魔導機関へと再構築されることが決まった。

 そして。

「エルマ・ラズワルド。君を、アークライド王国の『初代王宮司書長』、兼……僕の婚約者として、改めて指名する」

 王立図書館のバルコニー。

 リュカが、王都の住民が見守る中で、私に膝をついて指輪を差し出していた。

 

「……司書長としての仕事は受けますが、婚約者の方は再考を求めます」

「却下だ。これは君が僕の魔力を使い果たしたことに対する、永久的な賠償責任だよ」

 リュカは悪戯っぽく微笑み、私の指に、深い紫紺色の宝石がはめられた指輪を滑り込ませた。

 

 周囲からは割れんばかりの拍手と歓声。

 私は溜息をつき、けれど、隠しきれない微笑みを浮かべて彼の手を取った。

「……私の人生という本に、勝手な書き込みをしないでください。……王子様」

「いいや、これから二人で書いていくんだよ。……最高にハッピーな、続き(エピローグ)をね」

 王都を吹き抜ける風が、新しい物語の始まりを告げるように、本棚のページを優しくめくっていった。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ