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第7話:王都の毒花と、禁じられた書架の囁き

王都アークライドへ戻る豪華馬車の揺れは、昨夜の地下工場の喧騒が嘘のように穏やかだった。だが、私の隣で「執務で徹夜明けの聖人」のような顔をして居眠りを決め込んでいるリュカの寝顔は、ちっとも穏やかではない。

「……すぅ、……エルマ、……逃がさない、よ……」

寝言まで独占欲の塊か、この男は。

私は溜息をつき、膝の上に広げた古びた魔導書に視線を戻した。しかし、活字は上滑りするばかりだ。昨夜、ガランド伯爵を暗殺した「黒い針」。そして現場に漂っていたあの「黒い霧」の不快な波長。

それらは私の前世――『災厄の魔女』として、世界を恐怖で読み解いていた頃の記憶の澱を、じりじりと刺激していた。

(あの魔力の指向性……ただの暗殺者じゃない。あれは、かつて私が滅ぼしたはずの禁忌結社**『深淵のアビス・サーペント』**の残党か?)

魔力を「知恵」ではなく、単なる「消費燃料」としか見なさない彼らは、かつて世界の魔力を枯渇させようとして私に灰にされたはず。もし彼らがこの国の「魔導産業革命」の歯車に紛れ込み、裏で糸を引いているのだとしたら。この国の繁栄そのものが、巨大な生贄の祭壇へ続くレッドカーペットだということになる。

王都の帰還:静かなる宣戦布告

王都に到着した私を待っていたのは、渇望していたはずの「平穏な司書の日常」ではなく、山のような招待状と、突き刺さるような「監視の目」だった。

伯爵の夜会でドレスを星屑のように発光させ、赤ワインを宝石に変え、あろうことか鋼鉄の気密ハッチを「物理(拳)」で粉砕した謎の富豪夫人の噂は、スチーム機関の伝声管よりも速く社交界を駆け巡っていたのだ。

「エルマさん! 無事だったんですか!? 温泉街が半分消し飛んで、伯爵邸が『物理的に開館』されたって噂ですよ!」

王立図書館の受付に滑り込むなり、後輩の司書たちが血相を変えて飛んできた。

「ええ、まあ。ちょっとした出張お掃除が、予定より少しだけハードだっただけです」

「殿下と一緒にいたっていうのは!? 結婚して潜入捜査してたって本当ですか!?」

「それは人違いです。私はただの、地味な、背景と同化した司書ですから。……返却期限の過ぎた本、ありますか? 整理してきます」

私は無表情を鉄壁の盾にしてカウンターの奥へ逃げ込んだ。だが、現実は私に「延滞」を許さない。

私のデスクには、真っ黒な封筒に金色の蝋で不気味な紋章が刻印された一通の手紙が置かれていた。

> 『親愛なるエルマ・ラズワルド閣下(あるいは、偉大なる先達へ)』

> 今宵、王宮図書館の「禁書区画」にてお待ちしております。

> 貴女がかつて、世界から隠した「物語の続き」の話をしましょう。

> ――王宮筆頭魔導師、ヴィクトール・フォン・シュタイン

>

私はその手紙をシュレッダーにかける代わりに、指先から出した微弱な火精サラマンダーの火で灰にした。

ヴィクトール。現国王の側近であり、リュカに「力の使い方」を教えた師でもある男。そして、この国で唯一、私の「正体」の尻尾を掴みかけている、食えない老いぼれだ。

深夜の邂逅:禁書区画の秘密

深夜。閉館後の王立図書館は、数千年の知識という名の魔力が静かに呼吸する、巨大な墓標のようだ。

私は、隣室のリュカによる「監視という名の夜這い(あるいは添い寝の強要)」を、特製眠り薬入りのハーブティーで鮮やかに回避し、王宮の最深部、禁書区画へと足を踏み入れた。

そこは、空気そのものが水銀のように重い。

棚に並ぶのは、表紙が人皮で装丁されたものや、絶えず呪詛を呟き続ける生きた魔導書たち。司書としての本能が「分類コードがデタラメだ」と叫ぶが、今は拳を握って抑える。

「……相変わらず、知性への冒涜のような書架ですね。ヴィクトール卿」

闇の奥から、カツン、カツンと一定のリズムで杖をつく音が響いた。

「おやおや、手荒な挨拶だ。かつてこの国を焦土に変えかけた『災厄の魔女』様が、今ではしがない司書のふりとは……滑稽を通り越して、もはや芸術的ですらある」

現れたのは、白髪を厳格に整えた老人。この国の魔導技術の父と呼ばれる男だ。

「……その呼び名は五百年前に捨てました。今の私は、返却期限に厳しいだけのエルマです」

「だがね、エルマ君。君が守ろうとしているこの平和は、脆い。見てごらん。これがこの国の真の姿、**『アークライドの回路』**だ」

ヴィクトールが広げた図面には、王都アークライドを中心とした巨大なネットワークが描かれていた。地下に張り巡らされた蒸気パイプ。それは都市の血脈ではなく、住民から微量の魔力を常時吸い上げるための「触手」だ。

「この街そのものが、巨大な搾取機になろうとしている。……『あの方』、すなわち再臨を目論む『蛇』の王によってね。驚くべきは、この回路の最終目的地だ。王宮そのものが、巨大な儀式の核になるよう設計されている。君なら、これが何を意味するか解るだろう?」

猛毒の誘惑と、王子の乱入

「それを止めるために、私に協力しろと? 司書に休日出勤を強いるのは、労働基準法への挑戦ですよ」

「いいえ。貴女の『心臓(魔導核)』を貸していただきたい。伝説の魔女の純粋な魔力があれば、システムを逆転させ、この国を神の領域へと押し上げられる。……人々の魔力を吸い上げるシステムを、逆回転させればいいのだ」

ヴィクトールの瞳に、知性を焼き切った狂信的な光が宿る。

彼は杖を掲げた。禁書区画の魔導書が一斉に開き、ページから「絶望」という名の黒い触手が溢れ出す。

「お断りします。私はもう、誰の動力源バッテリーにもならないと決めているんです。本を読みたいだけの人生なんですよ、私は」

私は身体を低くし、拳に魔力を充填した。ドレスの袖が、臨界点に達した魔力でバチバチと鳴る。

だが、その時。

「――僕の司書を、勝手に『貸出予約』しないでくれるかな。ヴィクトール」

背後の大扉が、物理的な衝撃波と共に吹き飛んだ。

そこには、眠り薬を根性(あるいは愛の執着)で分解したらしいリュカが、黄金のオーラを纏って立っていた。その貌は、いつもの甘ったるい王子様ではない。真の支配者――「アークライドの獅子」の顔だ。

「リュカさん!? なぜここに……ハーブティーは完璧だったはず!」

「エルマ。……君が僕に内緒で深夜の密会に出かけるなんて、あとでたっぷりと『再教育(お仕置き)』が必要だね」

彼は私の隣に音もなく降り立ち、抜刀した。剣先から放たれる熱気が、禁書区画の澱んだ冷気を一瞬で焼き払う。

「ヴィクトール卿。貴方の『進化』への執着は、もはや国家反逆罪に等しい。……それと」

リュカは私の腰を強引に引き寄せ、ヴィクトールに向けて傲然と言い放った。

「彼女の正体が魔女だろうが、化け物だろうが、僕には関係ない。彼女は僕の司書で、僕の専属プライベートだ。貴様のような枯れ木に一文字たりとも読ませていい存在じゃない」

「……殿下。愛は人を盲目にすると言いますが、もはや狂気ですな」

ヴィクトールが苦笑いし、指を鳴らした。

床から黒い霧が噴き出し、彼の姿を包み込む。

「今夜はここまでにしておきましょう。ですが、エルマ君。貴女の物語は、まだ一文字も書き換わっていない。……逃れられぬ結末へ向けて、着実にページをめくっているのですよ。この設計図の『完成形』がもたらす結末を、特等席で見守るといい」

霧が晴れた時、老人は図面を抱えたまま消えていた。

残されたのは、静まり返った禁書区画と、息を切らした私、そして――妙に熱を帯びた瞳で見つめてくる王子だけだった。

嵐の前の、誓い

「……リュカさん。いつから気づいていたんですか? 私が、まともな人間じゃないことに。……世界を滅ぼしかけた、汚れた魔女だと」

私は視線を逸らし、震える声で尋ねた。彼が求めているのは「有能で地味な司書」であって、血塗られた伝説そのものではないはずだ。

だが、リュカは私の手をとり、その手首の内側――脈打つ場所へと深く、印を刻むように唇を寄せた。

「エルマ。君が何者でも、僕が愛しているのは、今ここで僕のために怒り、僕の魔力を受け止めてくれる、この温かい『君』だ」

彼は私の眼鏡を外し、その奥にある「魔女の瞳」を真っ直ぐに見つめた。

「君の過去は、僕がすべて買い取る。……だから、君の未来は、僕に独占させてくれないか?」

「…………」

返事をする代わりに、私は彼の胸元に顔を埋めた。

魔力同調の余韻か、それとも別の感情のせいか、彼の鼓動が自分の心臓の音のように響く。

「……延滞料金、一生かかっても払いきれないほど高くなりますよ」

「ああ、望むところだ。利息もたっぷりつけて、僕が一生かけて徴収し続けるよ」

王都の地下で蠢く巨大な闇。ヴィクトールの裏切り。そして「蛇」の再臨。

平穏な生活は、もう蜃気楼の向こう側かもしれない。

けれど、この最強に迷惑で、最強に愛の重い「相棒」がいれば、どんなバッドエンドの書物だって、結末を物理的に書き換えていける気がした。

「さあ、帰ろう、エルマ。……明日の朝食は、僕が作る。お詫びのフレンチトーストだ。毒は……愛という名のスパイス以外は入っていないから安心していい」

「それが一番、胃もたれしそうで怖いです。……ところで、私の部屋の『警報魔法』をどうやって破ったんですか?」

「愛の力だよ(※扉ごと物理で吹き飛ばした)」

「……弁償してくださいね。給料天引きで」

王都の夜は、まだ明けない。

だが、閉ざされた禁書区画の静寂の中に、二人の足音だけが新しい物語を綴るように響き渡っていた。


(続く)

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