第6話∶その共同作業は、あまりに劇薬につき
「素晴らしい……! これぞ我が最高傑作、人体魔力循環炉だ!」
吹き飛ばされたハッチの向こう、広大な地下工場にガランド伯爵の狂喜の声が反響した。
蒸気とオイルの臭い、そして何より鼻をつくのは、濃縮された魔力の腐臭だ。
カプセルに閉じ込められた数百の人々は、意識を奪われ、ただ生きるためだけの魔力を残して搾取され続けている。その光景は、整然と並ぶ「本棚」のようでありながら、そこにあるのは知性への冒涜だった。
(……許せない)
私の内側で、かつて『災厄の魔女』と呼ばれた頃の、冷たく鋭い怒りのスイッチが入る音がした。
本を傷つけることと、人の尊厳を踏みにじること。私の中ではどちらも同義の重罪だ。
「伯爵。貴様のやっていることは、国の根幹を腐らせる反逆行為だ」
リュカが剣を構え、毅然と言い放つ。
だが、その足元はわずかにふらついていた。この空間に充満する高濃度の瘴気が、彼の「魔力過多症」を急速に悪化させているのだ。
「反逆? これは進化だよ、殿下! 脆弱な平民どもをエネルギーリソースとして有効活用し、国を富ませる。これこそが為政者の務めではないかね?」
ガランド伯爵が、背中に接続された巨大な機械アームを広げた。
彼の肉体はすでに半分以上が機械化されている。心臓部分には、あの温泉街で見たものと同じ、不気味に脈動する紫色の魔石が埋め込まれていた。
「排除せよ! 殺戮魔導人形たち!」
号令と共に、天井から無数の黒い影が落下してきた。
手足が鋭利な刃物になった、蜘蛛のような多脚型オートマタ。その数、およそ五十体。
カカカカカッ、と不快な駆動音を立てて、私たちを取り囲む。
「エルマ、下がっていろ……!」
リュカが前に出る。
剣閃が走り、先頭のオートマタが一刀両断される。
さすがは王子、剣の腕も超一流だ。しかし――。
「ぐ、ぅ……ッ!」
二体目を斬った瞬間、リュカが膝をついた。
口から、どす黒い血が溢れる。
(限界だわ。外の瘴気を取り込みすぎて、体内の魔力循環がショートしかけてる)
オートマタたちが、弱った獲物を狙って一斉に飛びかかる。
「――『貸出禁止』です」
私は床を蹴った。
形状記憶魔導シルクのドレスが、流星の尾のように煌めく。
身体強化魔法による超加速。オートマタたちの刃がリュカに届くコンマ一秒前に、私はその間に割って入った。
「邪魔だッ!」
魔法は使わない。この距離なら「物理」の方が速い。
私は右手に魔力を纏わせ、迫りくる機械人形の顔面を裏拳で殴り飛ばした。
ゴギャァン!!
鋼鉄の頭部がひしゃげ、ボウリングのピンのように後続の機体を巻き込んで吹き飛ぶ。
「な、なんだその馬鹿力は!? 貴様、ただの女ではないな!?」
「ええ、ただの司書です。荒っぽい利用者の対応には慣れていますので」
私は倒れたリュカを背中で庇いながら、眼鏡の位置を直す仕草をした。
「エルマ……すまない、身体が……」
「喋らないでください。熱が上がっています」
リュカの身体は、触れずともわかるほど高熱を発していた。
このままでは、彼の魔力が暴走して自壊するか、あるいは周囲を巻き込んで大爆発を起こす。
この地下工場でそんなことが起きれば、カプセルの中の人質たちは助からない。
(どうする? 広範囲魔法で敵を一掃するのは簡単だけど、人質がいる以上、派手な爆破は厳禁。精密な魔力操作で、敵だけを無力化しなきゃいけない)
しかし、私の魔力も無限ではない。
これだけの数のオートマタを相手にしながら、工場全体のシステムを停止させ、人質を解放し、リュカの治療をする。
……ワンオペにも程がある。
「クックック、動けまい? そこの王子はもう爆発寸前の爆弾だ。下手に魔法を使えば誘爆するぞ?」
ガランド伯爵が勝ち誇ったように笑い、自身の機械アームから極太のレーザー砲門をこちらに向けた。
充填音が響く。
「終わりだ。国を憂う悲劇の王子と、その愛人はここで心中だ!」
絶体絶命。
思考を高速回転させる。何か、手は。
その時、私のドレスの裾を掴む手があった。
「……エルマ。……僕を使え」
リュカだった。
焦点の定まらない瞳で、けれど確かな意志を宿して私を見上げている。
「僕の魔力を……全部、君に預ける。君なら、制御できるはずだ」
「な……本気ですか!? あなたの魔力量は規格外です。直結すれば、私の回路だって焼き切れるかもしれないんですよ!?」
「信じてるよ。……君は、僕の運命だからね」
彼は熱に浮かされたように笑うと、私の手首を引き寄せ――その手首の内側、血管が浮き出る場所に、自身の唇を押し当てた。
「――接続。……すべて、君にあげる」
ドクンッ!!
心臓を直接鷲掴みにされたような衝撃が走った。
リュカの唇から、奔流のような魔力が私の中に流れ込んでくる。
それは今までのような「治療」のための緩やかな移動ではない。ダムが決壊したような、暴力的で、それでいて甘美なエネルギーの濁流。
「あ、ぐぅっ……!?」
熱い。熱すぎる。
彼の魔力は、黄金色に輝くマグマのようだ。
私の紫紺の魔力と混ざり合い、視界が白くスパークする。
(ああ、もう! めちゃくちゃなんだから!)
でも、不思議と恐怖はなかった。
彼の魔力は「暴走」したがっているのではない。「行き先」を求めていたのだ。
そして今、そのハンドルは私の手にある。
全身の血管が脈打ち、ドレスが発光現象を起こしてまばゆい光を放ち始めた。
私の背中に、あふれ出した魔力が光の翼となって展開する。
「な、なんだその光は!? 魔力量が上昇している……!? 計測不能だと!?」
ガランド伯爵が狼狽して後ずさる。
私は、自分の中に満ちた無限に近いエネルギーを感じていた。
これなら、いける。
このふざけた工場を、丸ごと「書き換える」ことが。
「リュカさん、少しの間、意識を同調させます。……振り落とされないでくださいね」
「望むところだ……!」
私はリュカを抱き寄せたまま、右手を高々と掲げた。
目指すのは破壊ではない。強制的な正常化。
図書館情報学の粋を集めた、概念魔術の展開。
脳内に、巨大な図書館の検索システムをイメージする。
対象:この空間に存在する全ての魔導回路。
コマンド:初期化。
「王立図書館・特別閲覧権限行使――」
私の声に合わせて、空間の魔力が振動する。
リュカから供給される莫大な魔力が、私の構築した複雑怪奇な魔法陣を一瞬で編み上げていく。
「全システム、強制シャットダウン。及び――『返却期限切れ(オーバーデュー)』」
カッッッ!!!!
私の掌から放たれたのは、破壊の光ではない。
すべてを白く染め上げる、静寂の波動だった。
波動は工場全体を透過していく。
壁を抜け、機械を抜け、人々の身体を通り抜ける。
パリーン、パリーン、パリーン……!
無数の音が重なった。
それは、オートマタの動力炉が砕け散る音。
カプセルを拘束していたロックが外れる音。
そして――ガランド伯爵の身体に埋め込まれていた魔石が、粉々に砕け散る音だった。
「が、あ、あああああ!? わ、私の力が……システムがぁぁぁ!?」
伯爵の機械アームが、糸の切れた操り人形のように落下する。
工場内のすべての機械が、その機能を停止した。
だが、魔法はそれで終わりではない。
「返却」の名の通り、機械からあふれ出した魔力は、本来の持ち主――カプセルの中の人々へと、優しい光の粒子となって戻っていく。
「……完了」
私は小さく息を吐き、腕を下ろした。
光が収束する。
静寂が戻った工場で、立っているのは私とリュカだけだった。
「……はぁ、はぁ。……やったのか?」
腕の中で、リュカが荒い息をつく。
その顔色は、先ほどまでの死相が嘘のように健康的だった。余剰魔力をすべて放出したおかげで、彼にとっても最高デトックスになったらしい。
「ええ。物理的な破壊は最小限に、魔導回路だけを焼き切りました。……あなたが無茶なパスを繋ぐから、危うくこの一帯がクレーターになるところでしたよ」
「はは……でも、最高の気分だ」
リュカはふらつきながらも立ち上がり、私の腰に腕を回した。
その瞳が、熱っぽく私を見つめる。
戦闘の高揚感か、魔力同調の余韻か。今の彼は、いつにも増して色気がだだ漏れだった。
「君と繋がった瞬間……魂が溶け合うかと思った。あんな感覚は初めてだ」
「……誤解を招く言い方はやめてください。単なるエネルギー譲渡です」
「いいや、あれは愛の共同作業だ」
彼は私の額に、コツンと自身の額を合わせた。
至近距離。
互いの魔力の残滓が、パチパチと静電気のように火花を散らす。それが妙に心地よくて、私は身じろぎすらできなかった。
「お、おのれ……! 私の夢を……!」
その時、瓦礫の山からガランド伯爵が這い出してきた。
機械化された四肢は動かず、ただの中年男性のみすぼらしい姿に戻っている。
「許さんぞ……! この計画には、『あの方』も関わっているのだ! 貴様らごときが歯向かっていい相手では……!」
「――『あの方』?」
リュカの目つきが鋭くなる。
やはり、黒幕がいる。この地方領主一人で扱える技術レベルではなかった。
「誰だ。名を言え」
リュカが剣を突きつける。
しかし、ガランド伯爵が口を開こうとした瞬間。
ドシュッ。
乾いた音がして、伯爵の眉間に黒い針が突き刺さった。
「が……?」
伯爵は目を白黒させ、そのままどうっと倒れ伏した。
絶命している。
「口封じか!」
リュカが即座に周囲を警戒する。
天井の梁の上。そこに、黒いローブを纏った人影が一瞬だけ見えた。
『……今回は見逃してやろう、アークライドの忌み子と、正体不明の魔女よ』
風に乗って、加工された不気味な声が届く。
次の瞬間、影は黒い霧となって消え失せた。
「逃げられたか……」
リュカが悔しげに剣を収める。
私は、消えた影のあった場所を睨みつけた。
(あの気配……まさか)
心当たりがあった。
前世で私が戦った、魔王軍の残党。あるいは、それよりももっと古い、根源的な闇の気配。
平穏な老後を夢見る私にとって、最も関わりたくない種類の「因縁」だ。
「……エルマ」
リュカが私を呼ぶ声で、思考が現実に引き戻された。
彼は倒れた伯爵には目もくれず、私を強く抱きしめた。
「無事でよかった」
「……無事じゃないですよ。ドレスはボロボロですし、魔力は空っ穴ですし」
「ドレスなんて、いくらでも買ってやる。……君さえいれば、僕は」
彼は私の顎を持ち上げ、今度こそ逃がさないという目つきで顔を近づけてきた。
瓦礫の山。気絶した人々。壊れた機械。
ロマンチックのかけらもない廃墟の中心で、王子様は求愛モード全開だ。
「今回の働きに免じて、一つ願いを叶えてあげよう。……キスがいい? それとも、もっと深い……」
「却下します! 今すぐ帰って、お風呂に入って、泥のように眠る! それが私の願いです!」
私は彼の手を振りほどき(内心、心臓が爆発しそうだったのは秘密だ)、スタスタと出口へ向かった。
「あっ、待ってくれよエルマ! 混浴なら僕も賛成だ!」
「誰が言いましたか!?」
背後からついてくるリュカの足取りは、来た時よりもずっと軽やかだった。
こうして、温泉街を蝕んでいた「魔力搾取事件」は幕を閉じた。
だが、それは同時に、国を覆う巨大な陰謀の入り口が開いたことを意味していた。
私の「平穏な隠居生活」は、遠のくどころか、もはや蜃気楼のように霞みつつあった。
***
翌朝。
事件の後始末を近衛兵と地元警察に丸投げし、私たちは馬車で王都への帰路についていた。
車内は静かだ。
私は本を読み、リュカは窓の外を眺めている。
一見すれば、倦怠期の夫婦のようだが、空気感は以前とは明らかに違っていた。
リュカが、隣に座る私の小指を、そっと自分の小指で絡め取ってくる。
私が振り払おうとすると、寂しそうな顔をするので、仕方なくそのままにしているのだ。
「……ねえ、エルマ」
「なんですか」
「王都に戻ったら、夜会用のドレスを新調しよう。今度は、もっと露出の少ないやつを」
「それは賛成ですが、なぜ?」
「あの姿を他の男に見せるのは、やっぱり心臓に悪いからね」
リュカは私の小指に口づけを落とし、悪戯っぽく微笑んだ。
「君は、僕だけの専属司書だ。……『貸出禁止』だからね」
昨夜の私のセリフだ。
顔から火が出るかと思った。
「……延滞料金、高いですよ」
精一杯の減らず口を叩いて、私は本に視線を落とした。
文字が、全く頭に入ってこない。
窓の外。
王都の方角から流れてくる風には、まだ微かに「黒い霧」の匂いが混じっていた。
物語は、まだ終わらない。
そして私の「地味な暮らし」への挑戦も、まだまだ終わらせてはもらえそうになかった。
(続く)




