第5話∶仮面舞踏会は、ドレスコードが「魔性」につき
「……リュカさん。帰っていいですか」
「ダメだよ。まだ入り口にも立っていない」
私は、馬車の窓ガラスに映る自分を見て、深く絶望していた。
舞台は、この地方を治める領主、ガランド伯爵の屋敷。
今夜、ここで大規模な「仮面舞踏会」が開かれる。
私たちは、温泉地で拾った「魔力搾取機」の製造元を突き止めるため、新婚旅行中の富豪夫婦に扮して潜入することになったのだが。
「なんでしょう、この布面積の少なさは。予算不足ですか?」
私が身に纏っているのは、ドレスと呼ぶにはあまりに前衛的な代物だった。
素材は、王都の最新技術で作られた**「形状記憶魔導シルク」**。
魔力を通すと発光する特殊繊維で、私の夜空のような髪色に合わせ、深い紫紺から鮮やかな星屑の銀色へとグラデーションを描いている。
背中は腰まで大胆に開き、スリットは太ももまで入っている。動くたびに、まるで天の川が揺れるように煌めくのだ。
「予算は潤沢だよ。これは僕の見立てだ」
リュカが、隣で満足げに微笑んだ。
彼もまた、白を基調とした燕尾服に、金糸の刺繍が入ったマントを羽織り、物語の王子様そのものの出で立ちだ(まあ、本物の王子なのだが)。
「君の魔力回路の放熱効率を考えたら、これくらい露出があった方がいい。……それに」
彼は私の腰に手を回し、耳元で囁いた。
「君のその白い肌を隠すなんて、宝石を泥で塗るようなものだ。……本当は僕だけが見ていたいけれど、今夜は特別に『僕の女』だと周囲に見せつけてやる必要がある」
彼の瞳の奥が、暗く濁っている。
出た。この男特有の、愛という名の独占欲。
「……はぁ。早く終わらせて、ジャージに着替えたいです」
「さあ、行こうか。今夜の君は、世界で一番美しい『兵器』だよ」
私たちは仮面――蒸気機関のフィルター機能が付いた、真鍮とクリスタル製の**「防毒舞踏仮面」**を装着し、夜会へと足を踏み入れた。
***
会場である大広間に一歩入ると、そこは異様な熱気に包まれていた。
「おお、素晴らしい蒸気圧だ!」
「今夜の魔導ライトの輝きは格別ですわね!」
着飾った貴族たちが、シャンパングラスを片手に談笑している。
だが、その光景は通常の舞踏会とは決定的に異なっていた。
会場の天井には巨大な真鍮のパイプが張り巡らされ、そこからシューシューと白い蒸気が噴き出している。
給仕をしているのは人間ではない。ゼンマイ仕掛けの**「自動人形」**たちだ。
ギギ、ガガ、という駆動音と、優雅なワルツが不協和音を奏でている。
(……空気が悪い。最悪だわ)
私は仮面の下で顔をしかめた。
噴き出している蒸気には、微量の「精神昂揚剤」と「魔力毒」が含まれている。
ここにいる貴族たちは、自分たちが毒を吸わされ、ハイになっていることに気づいていない。
爛れた退廃の美。
それが、この国の魔導産業革命の成れの果てだ。
「……気持ち悪いね」
リュカが、私だけに聞こえる声で呟いた。
彼の仮面の下の瞳は、氷のように冷徹だ。
「国民から搾取した魔力を燃料にして、こんな悪趣味な人形遊びをしているとは。……ガランド伯爵、万死に値する」
リュカの腰に差した剣(今日は儀礼用の細剣に偽装している)に、彼の手が伸びそうになる。
私はそっとその手を抑えた。
「落ち着いてください。まずは証拠となる『工場の入り口』を探すのが先です」
「……ああ。そうだね。君がそばにいると、冷静になれる」
リュカは私の手を握り直し、恋人の顔に戻った。
「踊ろうか、エルマ。壁の花でいるには、君は美しすぎる」
私たちはホールの中央へと滑り出した。
音楽は、自動演奏オルガンによる激しいマズルカ。
リュカのリードは完璧だった。
強引なようでいて、私の歩幅をミリ単位で計算し、流れるようにステップを踏ませてくれる。
回転するたびに、私のドレスが光の粒子を撒き散らす。
周囲の視線が、一斉に私たちに集まるのがわかった。
「誰だ、あの二人は?」
「見たことがない。だが、あの女……凄い魔力光だ」
「なんて美しい……」
ざわめきが広がる。
リュカはそれを見せつけるように、わざと私を深く抱き寄せ、背中の開いた部分に手を這わせた。
指先の熱が、直接肌に伝わる。
「……っ、リュカさん、手つきがいやらしいです」
「役得だよ。……見てごらん、周りの男たちが君を見て涎を垂らしている。今すぐ全員の目をくり抜いてやりたい気分だ」
「物騒なことを言わないでください」
その時だった。
人垣が割れ、一人の女性がこちらへ歩み寄ってきた。
真紅のドレス。扇子で口元を隠しているが、その目は怒りで吊り上がっている。
この屋敷の主、ガランド伯爵の令嬢――ベラドンナだ。
「お待ちになって!」
甲高い声で音楽が止まる。
彼女は私の目の前で立ち止まり、頭のてっぺんからつま先まで品定めするように睨みつけた。
「どこの馬の骨か存じませんが、随分と目立ちたがり屋なメス猫ですこと。わたくしの夜会で、主役より輝くなんてマナー違反ですわよ?」
「……これは失礼いたしました。あまりに照明が暗いもので、つい自前で発光してしまいました」
私が無表情で(仮面越しだが)皮肉を返すと、ベラドンナの顔が沸騰したやかんのように赤くなった。
「なっ……! 無礼な! お父様の開発した『魔導蒸気ランプ』を愚弄する気!?」
「事実を申し上げたまでです」
「この……ッ!」
ベラドンナは、近くの自動人形から、なみなみと注がれた赤ワインのグラスをひったくった。
ベタだ。あまりにもベタな展開だ。
次の瞬間、彼女はそのグラスの中身を、私のドレスめがけてぶち撒けた。
「あら、手が滑りましたわ〜!」
赤黒い液体が、スローモーションで私に迫る。
このドレスは魔導繊維だ。ワインのシミがつけば、魔力伝導率が下がってただの布切れになる。何より、洗濯が面倒くさい。
リュカが庇おうと動くより早く、私は「職業病」を発動させた。
(本を汚すなんて、司書として許せませんね)
私は右手をかざした。
使うのは防御魔法ではない。
王立図書館で、古文書の修復に使われる極めて繊細な技術の応用。
「書物修復術式・『液体分離』」
ヒュンッ、という音がして。
空中にぶち撒けられたワインが、私のドレスに触れる直前でピタリと静止した。
いや、静止したのではない。
ワインの成分が、空気中の水分と分離され、無数の美しい「赤い真珠」となって空中に固定されたのだ。
表面張力を魔法で極限まで強化し、液体を固体のように扱う技術。
「……え?」
ベラドンナが口を開けて固まる。
「粗相ですよ、お嬢様。……貴重なワインを無駄にしてはいけません」
私は指先を指揮者のように振った。
すると、空中に浮かんだ数百の「赤い真珠」が、きらきらと光りながらベラドンナの頭上へと集まり――そして、一つになった。
巨大なワインの球体が、彼女の頭上でぷるぷると震える。
「ひっ、い、いや……!」
「お返しします」
パチン、と指を鳴らす。
魔力制御を解除。
バッシャァァァァァン!!
重力に従って落下したワインの塊が、ベラドンナの頭から豪快に炸裂した。
真紅のドレスが、さらにどす黒い赤に染まり、セットした髪が濡れ鼠のようにへばりつく。
「きゃぁぁぁぁぁぁッ!! わ、わたくしのドレスがぁぁ!!」
「あら、手が滑りました」
私が冷淡に告げると、会場が一瞬静まり返り――次の瞬間、リュカが噴き出した。
「くっ……あはははは! 最高だ! 君は本当に最高だよ、エルマ!」
「笑い事じゃありません。行きますよ」
ベラドンナが悲鳴を上げて発狂している隙に、私たちは混乱に乗じてホールを抜け出した。
***
「……で、どこに向かえばいいんですか」
私たちは人気のなくなった廊下を早足で進んでいた。
背後からはまだ騒ぎが聞こえるが、自動人形の警備兵たちが向かっている気配はない。どうやらベラドンナの癇癪の相手で手一杯らしい。
「あのお嬢様から漂っていた『魔力搾取機』独特の匂い……あれを辿ればいい」
リュカが鼻を利かせながら先導する。
たどり着いたのは、屋敷の最奥にある書斎だった。
重厚なオーク材の扉。鍵がかかっているが、私が指先で鍵穴に触れ、「解錠」と呟けば、カチャリと音がして開いた。
中は、一見すると普通の書斎に見えた。
だが、私の目は誤魔化されない。
壁一面の本棚。そこに並んでいる本の配置が、「デューイ十進分類法」でも「王立図書館分類法」でもない、デタラメな並び順になっている。
司書として、これほど不愉快なものはない。
「……許せません。本をインテリアか隠し扉のスイッチとしか思っていない配置です」
「エルマ、怒るポイントが独特だね」
私は憤慨しながら、特定の一冊――『蒸気機関の歴史』という分厚い本を抜き取った。
予想通り、ガコン、という重い音が響く。
本棚が左右に割れ、その奥に現れたのは、木製の隠し部屋などではなかった。
プシューーーッ……。
冷たい蒸気が漏れ出す、鋼鉄製の**「気密ハッチ」**。
まるで潜水艦か、巨大金庫の入り口のような、重厚な金属の扉。
中央には、複雑な魔導ロックと、生体認証パネルがついている。
「ビンゴだ。……この地下に、例の工場がある」
リュカがハッチに手を触れる。
「だが、このロックは王家の宝物庫レベルだ。解析には時間が……」
「リュカさん」
「ん?」
「私、今夜は機嫌が悪いんです。変なドレスを着せられ、ワインをかけられ、本棚を冒涜されました」
私はドレスの裾をまくり上げ、右足でドン! と床を踏み鳴らした。
身体強化魔法、フル充填。
鍵開け? ハッキング? そんな面倒なことはしない。
この扉の向こうにある「悪意」を、物理的に粉砕するだけだ。
「ちょっと下がっていてください。……『開館時間』です」
私は右の拳に、全魔力を集中させた。
紫色の稲妻がバチバチとドレスの周囲に走る。
リュカが「うわぉ」と言いながら楽しそうに後退する。
「お邪魔しまぁぁぁぁぁすッ!!」
ズドォォォォォォォン!!!
私の正拳突きが、鋼鉄のハッチを捉えた。
複雑なロック機構など関係ない。扉そのものが蝶番からひしゃげ、砲弾のように内側へと吹き飛んだ。
轟音と共に舞い上がる土煙。
その向こう側に広がっていたのは――地獄のような光景だった。
巨大な地下空間。
無数のパイプが血管のように張り巡らされ、その中央には、数百人の人々がカプセルの中に閉じ込められている。
彼らから吸い上げられた青白い魔力が、中央の巨大な炉へと送られている。
「……なっ」
リュカの表情から、笑みが消えた。
「人間を……燃料にしているのか……?」
その時。
地下空間のスピーカーから、割れたような笑い声が響き渡った。
『ようこそ、招かれざる鼠ども。……いや、素晴らしい魔力を持った特上の燃料と言うべきかな?』
奥の暗闇から、巨大な影が動き出す。
それは、全身を機械化した男――ガランド伯爵と、彼が操る対人用戦闘兵器『殺戮魔導人形』の群れだった。
「さあ、舞踏会の続きと行こうか。……死のダンスをな!」
私は拳を構え直し、隣のリュカを見た。
彼は仮面を外し、投げ捨てた。
その素顔は、怒りに燃える美しい「王」の顔だった。
「エルマ。……全力でやっていい」
「言われなくても。このふざけた施設、更地に変えて差し上げます」
煌めくドレスと、王子の剣。
地下工場を舞台に、私たちの本当の「お掃除」が幕を開ける。
(続く)




