第3話∶新婚旅行(カモフラージュ)の馬車は、甘美な密室につき
「……あの、リュカさん。一つ質問してもよろしいでしょうか」
「なんだい? 僕の愛しいハニー」
「その呼び方をやめろと、出発前から三百回くらい言っているのですが」
王都の城門を抜け、街道をひた走る馬車の中。
私は、額に青筋を浮かべながら隣の男を睨みつけた。
私たちの表向きの設定はこうだ。
『地方で織物業を営む若手実業家の夫と、その妻。新婚ホヤホヤで、これから愛の温泉巡り旅行に向かうバカップル』。
……誰が考えた設定だ。国営放送の脚本家か。
「仕方ないだろう。僕たちは『お忍び』なんだ。王子と司書だとバレたら、暗殺者やら王宮の追っ手やらがわんさか湧いてくる」
「それはわかります。私が聞きたいのは、この馬車のことです」
私は、私たちが乗っている乗り物を指差した。
外見こそ、商人風の幌馬車に偽装されている。
だが、内装がおかしい。
最高級のビロード張りのソファー、衝撃を完全に吸収する魔導サスペンション、そして壁には冷えたシャンパンが常備された魔導冷蔵庫。
何より、馬がいない。
この馬車は、車体底部に埋め込まれた「高出力魔導エンジン」によって自走する、最新鋭の**『魔導車両』**なのだ。
「なんで最新の軍事用試作車両が、商人の馬車なんですか! これ一台で小さなお城が買えますよね!?」
「安全性と快適性を追求したらこうなったんだ。それに、これなら君と二人きりになれる」
リュカは悪びれもせず、優雅にシャンパングラスを傾けた。
その服装も、いつもの騎士服ではない。上質なシルクのシャツに、ベストを着崩した「色男スタイル」だ。
悔しいが、似合いすぎている。無駄に顔が良いせいで、ただの商人が「亡国の貴公子」に見える。
「それに、この『スレイプニルIV型』なら、外の瘴気も遮断できる。……今の僕には、必要な機能だからね」
リュカの声が、ふと真面目なトーンに落ちた。
私はハッとして、彼の顔を盗み見る。
色白の肌には、うっすらと脂汗が滲んでいる。
窓の外を見れば、荒涼とした大地が広がっていた。かつては豊かな穀倉地帯だったはずだが、今は薄暗い「黒い霧」が漂い、草木は枯れ、土は紫色に変色している。
(王都の外は、ここまで汚染が進んでいたのね……)
魔導産業の発展と引き換えに吐き出される「魔力公害」。
リュカの「魔力過多症」は、この汚染された大気に反応し、彼の体内の魔力を暴走させる。彼にとって、今のこの国は巨大な毒ガス室のようなものだ。
「……辛いですか?」
「平気だよ。君が隣にいてくれるからね」
彼は強がって微笑んだが、グラスを持つ手が微かに震えているのを、私は見逃さなかった。
私は溜息をつき、諦めてソファーの距離を詰めた。
そして、彼の肩に頭を乗せる。
「……え」
「くっついた方が、魔力の循環効率が良いんでしょう? 薬だと思って我慢してください」
「……我慢するのは僕の方なんだけど」
リュカは苦笑しながらも、すぐに私の腰に腕を回してきた。
温かい。いや、熱い。
彼の体温が衣服越しに伝わってくる。
密室。振動。重なる体温。
(仕事よ、仕事。これは医療行為……!)
自分に言い聞かせる私の心臓が、車のエンジン音よりうるさく鳴っているのは、きっと気のせいだ。
***
王都を出て数時間。
魔導車両は順調に街道を爆走していた。
本来なら馬車で三日かかる距離を、半日で踏破するスピードだ。
だが、その「目立ちすぎる速度」が仇となったらしい。
「――ヒャッハーー!! 上等な『箱』が走ってんじゃねぇか!」
突然、汚い拡声器の声が響いてきた。
窓の外を見ると、土煙を上げて並走する集団がいた。
彼らが乗っているのは馬ではない。
車輪のついた鉄製の猪――**『鉄猪バイク』**だ。蒸気を噴き出しながら走る二輪の魔導機械に跨った、モヒカン頭の男たち。
いわゆる、街道強盗団(ヒャッハー系)である。
「チッ……『黒鉄盗賊団』か。質の悪い連中だ」
「な、なんですかあれ! 世界観が違いませんか!?」
「最近の流行りだよ。廃棄された魔導機械を改造して乗り回してるんだ」
リュカが舌打ちをして、懐から短銃型の魔導具を取り出した。
しかし、その顔色は最悪だ。長時間の移動と、車外から漂う濃厚な瘴気に当てられ、彼は立っているのもやっとの状態に見える。
「リュカさん、無理しないで!」
「平気だ……これくらい、蹴散らしてやる」
リュカが窓を開けようとした瞬間、車体に激しい衝撃が走った。
ドガァァァン!!
「うわっ!?」
「きゃあ!」
鉄猪バイクの一台が、車体に体当たりをしてきたのだ。
さらに、別のバイクから鎖付きのアンカーが射出され、馬車の屋根に突き刺さる。
「止まれ止まれぇ! 身ぐるみ剥いでやるぜ! 中の女も上玉だなぁ!」
下卑た笑い声。
車両が大きく傾き、私はリュカの上に倒れ込んだ。
リュカが苦しげに呻く。
(……ああ、もう)
私の堪忍袋の緒が、プツンと切れる音がした。
せっかくの新婚旅行(仮)で、静かに観光できると思っていたのに。
空気は悪いし、乗り物は揺れるし、柄の悪い騒音公害まで湧いてくる。
私の「平穏」を、どこまで邪魔すれば気が済むのか。
「……リュカさん。窓、開けますよ」
「え? でも、外は瘴気が……」
「関係ありません。三秒で片付けます」
私はリュカをソファーに押し戻し、あえて分厚い眼鏡を外した。
視界がクリアになる。
同時に、腹の底から魔力が湧き上がってくる。
私は窓を全開にし、並走する盗賊団に向かって、司書らしく事務的な口調で告げた。
「あの。図書館では静かにしていただけますか?」
「あぁ? なんだこの女……ぎゃはハハ! 説教かよ!」
盗賊の一人が、鉄パイプを振り回して近づいてくる。
私は冷めた目でそれを見つめ、右手を掲げた。
イメージするのは、日々の業務。
乱雑に置かれた本を、ジャンルごとに仕分ける作業。
『この本は歴史』『この本は哲学』『この本は――廃棄処分』。
私は、高速で走る盗賊たちを「対象物」としてロックオンした。
「空間分類魔法・『自動仕分け(オート・ソーティング)』――指定:燃えるゴミ」
パチン、と指を鳴らす。
その瞬間、世界がバグった。
「あ……?」
盗賊たちの体が、強制的に「座標移動」させられた。
彼らは自分たちの意思とは無関係に、まるで透明なベルトコンベアに乗せられたかのように、空中に整列させられる。
そして、私の指定した「ゴミ捨て場」――はるか上空の彼方へ、物理法則を無視したベクトルで射出された。
「う、うわぁぁぁぁぁ!?」
「なんで空に落ちてくんだぁぁぁ!?」
キラーン。
空の彼方で、数個の星が光った。
残されたのは、主を失って転倒し、爆発四散する鉄猪バイクたちだけ。
「……ふぅ。分類完了」
私は眼鏡をかけ直し、窓をピシャリと閉めた。
埃を払うように手を叩き、振り返る。
「片付きましたよ、リュカさ……」
言葉は続かなかった。
リュカが、虚ろな目で私を見つめていたからだ。
いや、見つめているのではない。
彼の瞳孔は開き、呼吸は荒く、全身から湯気のような魔力が立ち上っている。
限界だ。
戦闘の興奮と、窓を開けた際に入り込んだ瘴気で、彼の魔力過多症が完全に暴走している。
「リュカさん!?」
「……エルマ……」
彼がふらりと立ち上がり、私に倒れ込んできた。
支えようとした私は、そのままソファーに押し倒される形になった。
重い。熱い。
目の前にある彼の顔は、苦痛に歪んでいるが、それ以上に――危険な色気を帯びていた。
「だめだ……抑えられない。君が、欲しい」
「ちょ、待っ、今は移動中で……!」
「君が魔法を使うから……その輝きに、僕の中の何かが弾けたんだ」
理屈になっていない。
けれど、今の彼に言葉は通じない。
彼は獣のように私の首筋に噛み付いた。
「ひゃっ!?」
痛みはない。甘噛みだ。
だが、そこから猛烈な勢いで、彼の体内の「暴走した魔力」が私の中へ流れ込んでくる。
それはキスや抱擁よりも、もっと直接的な「魂の粘膜接触」だった。
「ん、ぁ……っ! 入って、くる……!」
「受け入れて。僕の全てを。……君の綺麗な魂で、僕を浄化してくれ」
彼の指が、私のシャツのボタンを外しにかかる。
冷たい手が肌に触れ、そこから火傷しそうな熱が伝播する。
抵抗しなければ。そう思うのに、力が入らない。
彼の魔力があまりにも甘く、濃密で、私の「魔女」としての本能が、その極上の魔力を貪り食うことを喜んでしまっているからだ。
(だめ。これじゃ治療じゃなくて、共依存だわ……)
狭い車内。揺れるソファー。
逃げ場のない密室で、私たちは互いの魔力を貪り合った。
それは、外から見れば「新婚夫婦の情熱的な一幕」にしか見えなかっただろう。
実際は、命がけの魔力治療なのだが。
***
「……到着しましたよ、旦那様、奥様」
御者(変装した近衛騎士)の声で、私はハッと我に返った。
窓の外には、湯煙の立ち上る温泉街が見えている。
第1の目的地、温泉郷『ミストラル』だ。
「……はぁ、はぁ。助かったよ、エルマ」
リュカが私の胸元から顔を上げた。
その顔色は、すっかり健康的なピンク色に戻っている。瞳も理知的な光を取り戻していた。
対する私は、服は乱れ、髪はボサボサ、顔は真っ赤。
どう見ても「事後」です。本当にありがとうございました。
「……最低です。物理で殴っていいですか」
「ごめん。でも、君のおかげで力がみなぎっている。……最高の『補給』だった」
リュカは満足げに唇を舐め、私の乱れた襟元を丁寧に直してくれた。
その指先が、名残惜しそうに私の鎖骨をなぞる。
「今夜は宿で、ゆっくり休もう。……もちろん、同じ部屋でね」
「別室を希望します!」
「無理だよ。ここは『カップル限定』の温泉宿を予約してあるから」
彼はニッコリと笑い、私の手を引いて馬車を降りた。
温泉街の入り口。
そこには、「歓迎! 黒い霧に負けるな! カップル割引実施中」という、涙ぐましい垂れ幕がかかっていた。
そして、その温泉街の空気が――どこか淀んでいることに、私は気づいてしまった。
(……温泉の硫黄の匂いじゃない。これは、もっと生臭い……)
リュカの手を握る力が強くなる。
彼も気づいているのだ。この観光地もまた、何者かの悪意に侵食されていることに。
「行こう、エルマ。まずはひとっ風呂浴びて……それから『害虫駆除』だ」
「……はいはい。追加料金、請求しますからね」
私は眼鏡を指で押し上げ、覚悟を決めた。
平穏な新婚旅行(仮)は、どうやら前途多難――どころか、波乱万丈の予感しかしない。
(続く)




