第2話∶その求愛(ストーカー)は、業務妨害レベルです
「――お断りします」
私は王立図書館の書架の影で、できる限り冷徹な(つもりで裏返った)声を絞り出した。
目の前には、壁に手をついて私を閉じ込めている金髪の美青年、リュカ。
至近距離にある彼の顔は、王都の貴婦人が見れば卒倒するレベルの破壊力だが、私にとっては「平穏な日常の破壊神」に他ならない。
「えっ」
リュカが、捨てられた大型犬のように目を丸くした。
「な、なぜだ? 僕の情熱が足りないのかな? それとも君は、僕の顔が好みじゃない? もしや眼鏡フェチ? なら今すぐかけよう」
「お顔は大変造形美に優れていらっしゃると思いますし、眼鏡はどうでもいいです! 私が言いたいのは、私はしがない司書補佐だということです!」
私はリュカの腕の下をくぐり抜け、逃げるように業務用のブックワゴンを押した。
心臓が早鐘を打っている。
危なかった。彼の瞳に見つめられると、本能的な恐怖――いや、別の意味での「危機感」が背筋を走るのだ。
獲物を狙う捕食者の目。けれどそれは、食欲ではなく、もっと粘着質な渇望。
「エルマ。お願いだ、君じゃないとダメなんだ」
リュカがすがりつくように追ってくる。
彼は私の手首を掴むと、自身の額に押し当てた。
じゅっ、と音がしそうなほどの高熱。
「……っ、熱い!」
「君が離れると、また『澱』が暴れだす。君が触れている時だけ、僕の体は正常に息ができるんだ。……これでも、僕を見捨てるのかい?」
上目遣い。潤んだ瞳。乱れた呼吸。
卑怯だ。顔が良い男が弱っている姿を見せるのは、条例で禁止すべきだと思う。
彼、第二王子リュカ・アークライドは「魔力過多症」という厄介な持病を抱えている。自身の強すぎる魔力が体内で飽和し、毒となって体を蝕む奇病だ。
そして私の「他者の魔力を吸い取る(浄化する)」特異体質だけが、彼の特効薬になるらしい。
(……そんな目で見ないでよ。前世の私なら『甘えるな』って一蹴できたのに)
今の私は、平和を愛する地味な村娘(設定)だ。
私は小さく溜息をつき、周囲に人がいないことを確認してから、彼の手を強く握り返した。
こっそりと魔力循環を繋ぐ。私の体内に、彼の焼けるような魔力が流れ込んでくる。毒々しいはずのそれは、私の体内で不思議と甘い痺れに変わって霧散した。
「……はぁ、……楽になった……」
「処置完了です。これで半日は保つでしょう。さあ、お帰りください」
「嫌だ」
「即答!?」
リュカは復活した途端、いつものキラキラした笑顔に戻った。
そして、優雅に閲覧席の椅子に座り込み、分厚い専門書を開いた。
「君が『首を縦に振る』まで、僕はここで勉強しながら待つことにするよ」
「業務妨害です!」
「いいや、僕はただの熱心な利用者だ。……それにね、エルマ」
彼はふと、真剣な眼差しで窓の外を見た。
図書館の窓から見える王都の空は、今日もどんよりと鉛色に曇っている。
「この国は今、病んでいる。『黒い霧』はただの気象現象じゃない。人々の欲望を喰らって肥大化する、悪意あるシステムだ。……僕はそれを止めたい。王族としてではなく、一人の人間として」
その横顔には、嘘のない悲壮な決意があった。
私は言葉に詰まる。
知っている。この国が「魔導産業革命」という名の下に、禁忌の技術に手を染め始めていることを。
けれど、それを正すのは「勇者」の役目で、隠居希望の「元・魔女」の役目ではないはずだ。
「……私の仕事は、本をあるべき場所に戻すことです。世界の均衡を戻すことではありません」
私は逃げるように背を向けた。
背後から、「それでも、僕は待っているよ」という甘く低い声が、呪いのように鼓膜にこびりついた。
***
それから三日間。
リュカは本当に、毎日図書館に通い詰めた。
しかも、ただのストーカーではない。彼は『古代魔導工学』や『都市構造論』といった難解な書物を読み漁り、王都の地下水路図にびっしりと書き込みを行っていた。
(……本気なのね)
夕暮れ時。私は裏口から退勤し、人気のない下町を歩いていた。
今日は特売日の卵を買わなければならない。
王都の表通りは魔導灯で煌びやかだが、一本裏に入れば、スラム化した街並みが広がる。
最近、このあたりの空気が特に酷い。
腐った百合の花と、錆びた鉄を混ぜたような異臭。
呼吸するたびに、肺がチリチリと痛む。
「――おや、奇遇だね、エルマ」
背後から、聞きたくなかった(けれど少し待っていた自分がいる)声がした。
振り返ると、紙袋を抱えたリュカが立っていた。騎士服ではなく、街に馴染むラフなシャツ姿だが、隠しきれない高貴なオーラが漏れ出ている。
「……つけてきましたね?」
「人聞きが悪いな。僕も今日の夕食を調達しに来たんだ。……まあ、君の夕食が気になるのは事実だけど」
「変態」
「褒め言葉として受け取っておくよ。……それより、少し急ごうか。空気が悪い」
リュカの表情が険しくなる。
彼が指差した先。路地の奥から、不穏な機械音と、子供の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
「嫌だ! ここは僕たちのお家だぞ!」
「どけえぇ! ガキどもが!」
私たちは顔を見合わせ、駆け出した。
たどり着いたのは、古びたレンガ造りの孤児院の前だった。
そこに広がっていた光景は、ありふれた地上げの現場――などではなかった。
「な、何あれ……?」
私が絶句したのも無理はない。
悪徳商人らしき太った男と、チンピラたちがいるのは予想通り。
だが、彼らが操っていたのは、重機ではない。
蒸気機関と生物の筋肉が融合したような、高さ三メートルほどの**「自律式魔導重機」**だったのだ。
赤黒い蒸気を吐き出しながら、巨大な鉄のアームを振り上げている。その中心には、脈動する紫色の魔石が埋め込まれていた。
(禁忌指定の『生体魔導兵器』!? なんでこんな街中に!)
「ヒャハハ! 最新式の中古品だが、威力は抜群だぜぇ! 潰せ! 更地にして工場を建てるんだ!」
商人が狂ったように叫ぶ。
彼の目もまた、紫色に濁っていた。魔道具から漏れ出る瘴気に精神を汚染されているのだ。
ゴーレムの鉄腕が、孤児院の薄い壁を破壊しようと振り下ろされる。
その下には、逃げ遅れたシスターと子供たちがいた。
「――させるかッ!」
風のような速さで、リュカが飛び出した。
彼は腰に差していた剣を抜き放ち、ゴーレムの鉄腕とシスターの間に割り込む。
ガギィィィン!!
金属音が火花を散らす。
リュカは一撃を受け止めたが、その重さに膝が沈む。
普通の人間なら即死する威力だ。それを剣一本で受け止めるなんて、さすが王子。
だが、様子がおかしい。
「ぐ、ぅ……ッ!?」
「兄ちゃん、いい剣を持ってるが……顔色が悪いぜぇ?」
ゴーレムから噴き出す赤黒い蒸気。
あれは高濃度の「瘴気(魔力毒)」だ。
魔力過多症のリュカにとって、あれは猛毒のガスを吸い込むに等しい。
リュカの顔から血の気が失せ、剣を持つ手が激しく震え始める。
「リュカさん!」
「来るな、エルマ……! 子供たちを連れて、逃げ……ろ……!」
彼は叫んだが、その口端から鮮血が流れる。
限界だ。彼の中の魔力が暴走し始めている。
ゴーレムが、邪魔なリュカを排除しようと、もう一本のアームを振り上げた。
(あ、これ死ぬわ)
私の脳内会議は、コンマ一秒で終了した。
平穏? 隠居? そんなものは、生きているからこそ楽しめる道楽だ。
目の前で、私に「生きていてほしい」とすがった男がミンチになるのを黙って見ている趣味はない。
「……はぁ。本当に、手のかかる王子様」
私は眼鏡を中指で押し上げ(これはスイッチだ)、買い物袋を地面に置いた。
そして、リュカの背中へ向かって、静かに、しかし鮮烈な殺気を込めて歩き出した。
「おじさんたち。この時間は図書館の閉館後なので、静かにしていただきたいのですが」
私が呟くと同時に、商人が嘲笑う。
「あぁ? なんだその貧相な女は。ついでに潰しちま……」
商人の言葉は続かなかった。
なぜなら、私が**「人差し指を唇に当てた」**瞬間、世界から音が消えたからだ。
――静寂魔法『サイレント・ライブラリー(館内はお静かに)』。
半径五十メートル以内の音の振動を強制的に停止させる、図書館員専用(大嘘)の空間支配魔法。
音が消え、パニックになる男たち。
ゴーレムの駆動音すら消え失せる。
私はその隙に、リュカの襟首を掴んで後ろへ放り投げた。
「え、ちょ、エルマ!?」
「下がっていてください。少し『お掃除』しますので」
「掃除!?」
私はゴーレムの前に立つ。
見上げるような鉄の塊。不快な瘴気を撒き散らす粗大ゴミ。
ああ、本当に腹が立つ。
せっかくの卵の特売日だったのに。この鉄屑のせいで台無しだ。
「汚らわしい。本棚の埃よりも質が悪いわ」
私は右手の手のひらをゴーレムに向けた。
イメージするのは、攻撃魔法ではない。
前世で面倒くさがりの私が編み出した、究極の家事魔法。
散らかったゴミを一点に圧縮し、異空間のゴミ捨て場へ転送する生活の知恵。
「生活魔法・奥義――『断捨離』」
キュイン、と空気が歪む音がした。
次の瞬間、ゴーレムの中心に「擬似ブラックホール」が発生した。
といっても、星を飲み込むような大げさなものではない。
ただ、対象物を「サッカーボール大」に圧縮するだけの、ささやかな空間湾曲だ。
グシャ、メキ、ベコンッ!!
三メートルの巨体が、内側に向かって一瞬で圧壊した。
鉄も、蒸気機関も、魔石も、全てが逃げ場を失い、私の手のひらサイズのみすぼらしい鉄球へと変わり果てる。
「……は?」
静寂魔法を解除すると、商人たちの間の抜けた声が響いた。
私は足元に転がった鉄球(元・最強兵器)を、つま先でコンコンと蹴った。
「不法投棄は犯罪ですよ。回収して帰ってくださいね」
「ひ、ひぃぃぃぃッ!?」
「ば、化け物ぉぉぉッ!」
商人と手下たちは、腰を抜かしながら這うように逃げ出した。
後に残されたのは、静まり返った孤児院と、呆然とする子供たち。
そして。
「……すごい」
背後から、熱っぽい声がした。
振り返ると、リュカが地面に座り込んだまま、私を見上げていた。
その顔色はまだ青白いが、瞳だけは爛々と輝いている。恐怖ではない。崇拝と、興奮と、そしてどうしようもない情欲の色だ。
「あんな高密度の空間圧縮を、無詠唱で……? しかも『掃除』の一言で片付けるなんて……」
リュカがふらりと立ち上がり、私に近づいてくる。
私は後ずさった。
まずい。今の魔法は、さすがに「物理」や「司書の嗜み」で誤魔化せるレベルではない。
「あ、あの、これはですね、ちょっと空気の圧力を変えただけで……」
「エルマ」
言い訳しようとする私の口を、彼の手のひらが塞いだ。
いや、塞いだのではない。
彼は私の頬を両手で包み込むと、逃げ場をなくして、額と額をゴツンと合わせたのだ。
「っ!?」
「もう誤魔化さないでくれ。……限界なんだ」
彼の呼吸が荒い。
瘴気を吸い込んだせいで、体内の魔力暴走がピークに達しているのだ。
彼の肌から伝わる熱が、私の肌を焼くほどに熱い。
「君の魔法を見たせいで、余計に……昂ぶってしまった。責任、取ってくれるよね?」
「せ、責任って……んぐっ!?」
彼は私の返事も待たず、私を強く抱きしめた。
そして、首筋に顔を埋め、深く、貪るように息を吸い込んだ。
「はぁ……っ、いい匂いだ。君の魔力が、僕の中に入ってくる……」
ゾクリ、と甘い電流が背骨を駆け抜ける。
これは治療だ。わかっている。
でも、彼の腕の回し方は、治療と呼ぶにはあまりに強引で、男性的すぎた。
耳元で聞こえる濡れた吐息。私の腰を引き寄せる強い腕。
「エルマ。契約しよう」
彼は私の首筋に唇を寄せたまま、悪魔のように囁いた。
「僕の『専属浄化師』になってくれ。報酬は、この国の全て……いや、僕の全てだ」
「……お断り、します……」
「君に拒否権はないよ。……だって君はもう、僕に『正体』を晒してしまったんだから」
彼は顔を上げ、とろけるような笑みを浮かべた。
それは王子様の笑顔ではなく、獲物を罠に嵌めた詐欺師の顔だった。
「君がこの力を隠したがっていることは知っている。もし僕のプロポーズを断るなら……『王立図書館の司書が、禁忌兵器を一撃でスクラップにした』と、明日の新聞の一面に載ってしまうかもしれないな?」
「脅迫ですか!?」
「求愛だよ。……必死なんだ、これでも」
彼は私の手を取り、その指先に口づけを落とした。
今度は、薬指に。
「一緒に来てくれ、エルマ。この歪んだ国を正すには、君のそのデタラメな掃除能力が必要なんだ」
「……っ」
逃げ道は塞がれた。
それに、悔しいけれど。
私の鼓動は、恐怖だけじゃなく、期待で早鐘を打っていた。
こんなに真っ直ぐに、私の「力」ごと私を欲しがってくれた人は、前世を含めても彼が初めてだったから。
「……条件があります」
「何でも言ってくれ。離宮でも、宝石でも」
「違います! あくまで『協力者』です! 私が飽きたら、すぐに契約解除ですからね!」
精一杯の強がり。
リュカは、まるで世界で一番の宝物を手に入れた子供のように破顔した。
「交渉成立だ。……愛してるよ、僕の最強の共犯者」
こうして私は、平穏な生活という名の「退路」を断たれ、魔力中毒の王子様と共に、歪んだ国を「掃除」する旅に出ることになったのだった。
(続く)




