表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四季残響  作者: 匿名記号
夏の残光

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/8

夏の河川敷

大学の課題は「夏の光を撮れ」


教授はそう言ったが、光なんて、簡単に掴めるものじゃないと思う。

 蝉の声が遠くで鳴いていた。

 アスファルトの照り返しが足元から立ちのぼり、世界全体がゆらゆらと揺れて見える。


 カメラのファインダー越しに見える街は、どこか色が抜けたようだった。

 シャッターを切っても、思うように「光」が掴めない。


「……んー、イマイチだな」


 つぶやいてから、海斗は肩にかけたカメラバッグを下ろした。

 そのとき、通りの奥に古い看板が目に入った。


『タカジョウ写真館』


 薄れた文字と色褪せたフィルムのマーク。

 昭和の香りが残るような木の扉。

 まるで時間が止まった場所みたいだった。


 扉を押すと、チリン、と小さなベルが鳴った。

 中はひんやりとしていて、かすかに薬品と古紙の匂いがした。


「すみません、営業中……ですか?」


 奥から現れたのは、白いシャツにデニムのエプロンを着た女性だった。

 長い髪を後ろで束ねていて、目元には少し影がある。


「ええ、一応。現像と引き伸ばし、まだ続けてるんです」

「撮影も頼めるんですか?」

「昔はね。今はもう、父がいないから」


 静かに笑ったその表情に、どこか止まった時間を感じた。


 話を聞くうちに、女性の名前が高城たかじょう 美空みそらだとわかった。

 亡くなった父がこの写真館を一人で切り盛りしていたらしい。

 いまは閉めたままの暗室で、時々古いフィルムを現像しているという。


「光を受け継ぐって、難しいですね」

「でも、あなたがまだここにいる。光を受け継ぐって、あなたがここにいることだと思います」


 驚いたような、納得したような顔が印象的だった。


「でもね、開店休業状態なんだよね、古い機材、直せる人がいなくて……」

「もしよければ、手伝いましょうか。僕、カメラ専攻なんで」


 思わず口にしていた。

 美空は目を瞬かせ、それから柔らかく笑った。


「本当に?助かります。フィルムが、光を吸い込まなくなってて」

「それは困りますね。夏なのに」


 冗談めかして言うと、美空も少しだけ笑った。

 その笑顔は、まるで曇りガラス越しの太陽みたいに淡かった。


 作業を始めると、古い機材たちはまるで眠りから覚めるように音を立てた。

 現像液を注ぐと、かすかな酸の匂いが立ちのぼる。

 光と闇が交差する暗室の赤い照明の中で、美空は言った。


「父が撮った最後のフィルム、まだ現像できていないんです」

「理由があるんですか?」

「……怖いんです。現像して、もう本当に終わってしまう気がして」


 その言葉に、海斗は手を止めた。

 現像槽の中で、ぼんやりと浮かび上がっていく像を見つめながら、終わりという言葉が静かに胸に刺さった。


 日が傾く頃、古いカメラの修理が終わった。

 試し撮りをしてみようと、美空を店の前に誘う。


「こっち、少しだけ光がきれいです」

「私なんか撮っても、映えませんよ」

「いえ、今のこの光が撮りたいんです」


 シャッターを切った瞬間、夕立の匂いが風に混じった。


 バラバラと雨が降り出し、美空は慌てて店内に駆け戻る。

 海斗も後を追いながら、カメラの中に残る熱を、胸の奥で感じていた。


 濡れた髪を乾かしながら、現像室の前に立つ美空の横に立ち優しく微笑む……現像室の扉を開ける美空。


 緊張した面持ちで美空は現像液にフィルムを浸す。


 現像したフィルムの中に、見覚えのない写真が一枚混じっていた。


 桜並木の下で、笑う男女。

 春の陽射しの中、風に髪をなびかせている。


 ──その写真は、明らかに古いものだった。

 日付は、十年以上前。

 なのに、不思議と“今”に繋がっている気がした。


「これ……もしかして、お父さんが?」

「ええ。でも、この二人……誰なんでしょう」


 美空は写真を見つめ、静かに息を呑んだ。

 光の粒が写真の表面を滑っていく、まるで、過去の誰かが今を照らしているように……。


「……ありがとう」


 誰に向けた言葉なのだろう。美空自身……?亡き父だろうか……なんとなく、どちらでもない。そう感じる遠い響きだった。


 夕立が上がったあと、西日に照らされた店内で、美空がぽつりと呟いた。


「父がね、いつか”春の残響展”っていう展示をやりたいって言ってたんです」

「春の残響……?」

「人の想いが季節を渡る音。そんな意味だって。少し変でしょ?」


 海斗は首を振った。


「いい名前だと思います。写真も、そういうものかもしれません」


 その言葉に、美空が目を細めた。


 窓の外では、街灯がひとつ、またひとつと灯っていく。

 夏の残光が、ゆっくりと夜に溶けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ