第二話 夏の匂いは君だった
元々夏が好きだった。鮮やかで、心を照らしてくれるその色が。
それはなんでもない、いつもと同じ日になる筈だった。
私は境内で一人佇み、浮世の声を聴いていた。
――突然袖の先を引っ張られて、目を見張った。
『夏』がいたのだ。こんなに鮮やかな夏の気を纏っている者は初めて見た。彼が子どもだからというのではなく、そういう特性の者なのだと悟った。
強い光だった。林の緑に包まれて、佇む彼はエネルギーにあふれていた。間違いなく夏は彼自身であり、毎年の夏の気を連れてくる者の正体を私は知ったのだ。
「どこに住んでるんだい?」
「あそこ」
彼は街の中の一つの家を指した。
「本当に人間なのか……」
にわかには信じ難かった。
――神社に祀られる者は、神社に仕える者に力を貸すことがある。そうして彼らは魔を見たり、魔を祓ったりする不思議な力を使うことができるのだが、基本的には私達は彼ら以外と関わってはならない。それは、目に見えない世界の暗黙のルールだ。
だが、人間側が元々見えるのなら、こちら側がすることが悪事でないのなら、多少は許される。たとえ彼が今人間として生きているのだとしても、本質が精霊なら干渉してもそれ程問題はない筈だ。私のことも見えているし。
守ってやりたい。
そんな欲に駆られた。
本当はそんなことをしなくても、彼が自分の気で魔を振り払えるのは分かっている。ただ、そうしたかった。勝手ではあっても。
「彼の心をあげようか」
「お前だけを見つめるように助けてやろうか」
「お前が彼の隣にいれるように力を貸そう」
なんていう甘言に、私は耳を貸さなかった。魔の誘いに乗ればどうなるかなんて、考えるまでもなく分かっていたからだ。ただその内の狐がしつこく彼に付きまとうことが許せずに、彼に憑こうとすることが許せずに、奴を滅茶苦茶にしてやりたいと思った。
なつきに気付かれず、悟られず、隠密に仕事を終わらせた筈だった。しかし彼に執着した私の心の隙に、狐は巧妙に入り込んだのだろう。
夕暮れに染まる彼に惹きつけられて、私の方から足を踏み出してしまった。
紺藍の髪が揺れて、蒼色の瞳が私を捉える。
「……綺麗だ」
重なった言葉は美しく、黄金よりも輝いていた。
それを思い出で終わらせればよかったものを、私は欲してしまった。この強い夏の気を浴びていたい、側にいたい、隣にいてほしいと。本当の姿でなく偽りの姿で前に出たのは、きっとそういうことだ。
それが馬鹿だった。
私の心に入りこんだモノによって増幅したその気持ちは止まることなく、私を、彼を縛り付ける。
私だけを見てほしいと彼に掛けた夢はもう、ただの呪いだ。
はらったつもりで慢心していた私の、以前から彼にあった執着……それにかぶりついた狐は私から離れない。魔というものは敏感に、ひとの心の欲を見つけ気を食い荒らすのだ。
それでいいとは思えない。徐々に私の世界の色が薄くなっているのは分かっている。けれど、それでもなつきと離れるのは耐え難い。