エピローグ.思い出は美しくない
穏やかな春風にのんびりと窓の外を眺める。調合の終わった精油を瓶に小分けしていると、若い女神官ミリーが慌てた様子で治療院に駆け込んできた。
「大変です、レイラ様!」
「どうしたの?」
振り返らずに答えると、とたとたと小走りでミリーは私の側に駆け寄り、一通の手紙を差し出してくる。首を傾げていると、ミリーはあわあわとしながら口を開いた。
「元王子のリチャードさんからです」
「えぇ……?」
困惑した声を出しながらそれを見つめると、ミリーは早く開封するように急かしてくる。全く気乗りせず、小分け作業を中断して手紙を開封した。
「なんて書いてあるんですか?!」
「私に会いたいそうよ」
盛大に溜め息を吐いて手紙を机の上に置く。正直全く会いたくない。今更何の用があるのかしらと疑問に思いながら立ち上がった。
「神官長に相談してくるわ。ミリー、小分け作業を代わってもらえない?」
「分かりました!どうなったか教えてくださいよ〜?」
ミリーのお願いに構わないわよと答えて、手紙を携えて神官長の元へ急ぐ。面倒なことにならなければいいのだけれどと、若干の不安を抱えながら短い春の日差しの中を走った。
結局、神官長はリチャード元殿下の訪問を受け入れることにした。返事は神官長が出してくれたので、私は特に何もすることはなく、いつも通りの日常を過ごす。初夏の日差しになった頃に、元殿下がこの神殿に到着した。
「わぁ。おじいさんですが、美形ですね」
こっそりと木陰からミリーと元殿下たちの一団を観察する。確かに年老いた。美しかった髪の毛もほとんどが白髪に変わり、顔にもシワが深く刻まれている。雰囲気も随分と落ち着いたものに変わっていた。身に着けている服は貴族のものには劣るが、庶民の礼服よりも良いものだなとぼんやりと眺める。
「あ!移動しますね」
「えぇ、行きましょう」
コソコソと二人で元殿下たちを追いかけた。神殿から離れ、静かな柵に囲まれた場所に神官長は彼らを案内する。門を開いて中に入り、ある一角に到着すると元殿下は膝を付いた。
「あぁ……そんな、レイラ……」
ボロボロと泣き崩れる元殿下に若干引きつつ、ミリーに小声で話しかける。
「何であの人泣いてるの?」
「え!レイラ様のお墓に案内されたからですよ!」
心底驚いた顔でミリーがそう言ったので私は首を傾げた。
「愛し仔が成人したら伴侶の元に逝くのを知らなかったのかしら?」
「普通の人は知りませんよ、レイラ様!」
愛し仔は短命だ。20歳になるとこの世を去り、魂の状態で天界で伴侶と過ごす。天界に居られる期間は魂の状態によって違う。そうか、一般には知らされていないのかと思いながら、ミリーとこしょこしょと内緒話をしていると、元殿下の嗚咽が酷くなったのでそちらに視線を向ける。私の前々世の墓標に縋り付いて泣いているので、気持ち悪さから鳥肌が立った。
「気持ち悪い……」
「レイラ様……。あ!あれじゃないですか?おばさんたちがよく言ってる、男は過去の女を美化するってやつです」
ミリーの言葉に頭が痛くなる。勝手に思い出を美化して浸らないで欲しい。私は全く楽しい思い出なんてなかったわよと指先でこめかみを押さえた。
「今、レイラ様が出ていったら、オバケと勘違いして腰を抜かしますかねぇ?」
なかなかに刺激的ないたずらを思い付いたミリーはいししと笑う。いい性格してるわ、この子と考えてながら、フフッと小さく笑って口を開く。今の私は16歳。彼の思い出の中のレイラに近い年だろう。
「嫌よ。あの墓碑みたいに抱きつかれたらどうするの?」
「それは、嫌ですね」
「そうなったら、夜の神が今度こそ世界の半分を滅ぼすかもね」
ひええと震え上がるミリーを見て私は小さく笑った。まだ泣き続ける元殿下を見ても何とも思わない。私はもういいかなと、ゆっくりと立ち上がると神殿に向かって歩き出した。
「あ!レイラ様」
「行きましょう。今日のお祈りの時間になっちゃう」
きっとディアン様はこの様子を見ているはずだ。機嫌が悪いだろうなと考えていると、柵を挟んで泣きながら背中を震わせる殿下を一瞥して真っ直ぐに神殿を目指す。神殿に近づくと、前々世の私が安眠の為に調合したスウィートオレンジとラベンダー、フランキンセンスの香りが漂ってきた。
神殿に着くとミリーと別れて、私は祈りの間へ向かう。初夏の日差しが眩しいなと考えながら、今日も漆黒の扉の前に立った。
お読みいただきありがとうございました。
短く!完結に!と書き始めましたが、なかなか終わらず挫けそうになりましたが、久しぶりに作品を完結できたので感無量です。