第7話 後悔と変化
「───あなたが勇者じゃなければ」
無意識に口から、その言葉が漏れる。
目の前にいる彼の表情が曇る。
やめろ。
それは……間違っている。
分かっていても、私の行動は抑えられなかった。
体の制御が何故か効かなかった。
「どうして、こんな時間まで起きてるの?」
日が昇る前、何度か目が覚めたことがあった。
その度に、外に出ると勇者の姿があった。
私は、一度だけ勇者にそう尋ねたことがあった。
「いや……魔族が襲ってくるかもしれないから」
勇者は頼りなさそうな顔で、頭を掻きながらそう言った。
「はぁ? 馬鹿じゃない? ここは街中だし、夜に襲ってくるなんて有り得ないでしょ……」
私は勇者の言ってることが理解できず、呆れて自分の部屋に戻った。
彼の持っている剣に、まだ新しい血液がこべり着いていることに気づかず。
あの時、気づいていれば。
あの時、少しでも話を長く聞いていれば。
1番軽蔑している男に守られていることに、気づいていれば。
10年間、彼が一度も意識を深く落とすことがなかった理由に気づいていれば。
「───勇者の死亡が確認されました」
その未来は変えられたかもしれない。
「……っ!!!」
バッと反射的に体を跳ね起こす。
慌てて辺りを見渡す。
私のすぐ横には、小さな寝息を立てる少女の姿があった。
そういえば、一緒にこの子と眠ったんだった。
お風呂に入ってから、あの子をとても眠そうな目をしていたから、もう寝ようと言ったんだった。
そして、一緒に寝ようと提案したの私だった。
少女の不安を少しでも和らげたかったのだが、どうやら逆の立場になってしまったようだった。
夢から覚めた時の酷く沈む気持ちは、少女の顔を見た瞬間に中和された。
「ごめんね。こんな私で……」
私は少女にそう謝り、少女の体を抱き締めた。
何故か、この子を抱き締めると安心する。
あの日……パーティーが壊滅して以来、ずっと騒がしく鳴り響いていた雑音は聞こえなくなった。
私は、この子を使って安心を得ていた。
「うう……」
少女の可愛らしい寝顔を眺めていると、少女は苦しそうに唸り始めた。
だ、大丈夫なのかしら……起こしてしまったかしら。
そのことに、私は少しの不安を覚える。
「……うう……フェリシア……みんな……ごめん……」
少女は苦しそうに、そう寝言を呟いた。
私はそれを聞いた瞬間、何故か左目から一滴の大粒の涙が流れた。
理由は分からなかった。
でも、不思議と辛くも悲しくもなかった。
「……え? フェリシア……?」
その涙が流れ終わり、枕まで落ちた瞬間だった。
あまりに大きな違和感が頭を過ぎる。
この子はフェリシアと言った。
そして、確か……起きている時もフェリシアと1度言っていた気がする。
フェリシアさんの家……と確かに言っていた。
そして、私は一度もこの子に名前を教えていなかった。
少なくとも記憶の限りは。
「どうして……私の名前を……?」
私はあまりに初歩的な、ずっと前に気づいていなければおかしい事に気づいた。
『──じゃあね。勇者様』
昨日、ノアは少女に向かってそう言った。
少女はその言葉に激しく動揺していた。
私には、その意味を少したりとも理解することは出来なかった。
しかし、今となっては……少し分かる気がした。
もしも、そうであるのなら、私は、
「考えすぎ……かな」
私はそう呟いて、目を閉じた。
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目が覚めると、暖かい感触を全身で感じた。
「……ん?」
朧気な意識の中、その感触の正体を探る。
「……あっ」
視線を少し落とすと、白い腕が自身の腰に絡まっていた。
これは、フェリシアの……。
少女はそう考えると、背後の感触の正体も検討がついた。
悪夢の終りとしては、最高の状況だった。
少女は前向きに、この素晴らしい状況を受け入れることにした。
「もう1回寝るか」
勇者の頃は、寝るなんて考えられなかった。
少なくとも、意識を薄める程度で、少しの物音ですら起きれるレベルでないと命がいくつあっても足りなかった。
でも、今日昨日と完璧な眠りにつけた。
それだけで、俺の心は満たされた。
そして、今となっては二度寝という睡眠の中でも最強の気持ちよさを感じる事も出来る。
これも全て、性転換魔法をぶちかましてくれた魔王のおかげである。
もしかして、魔王は俺のことが好きなのか?
そう勘ぐってしまうほど、願ったり叶ったりの状況だった。
「幸せじゃ……」
少女はそう呟くと、ゆっくりと目を閉じ、また眠りについた。
『────カンカンカンカン!』
少女が眠りに落ちようとした次の瞬間、鐘の爆音が鳴り響いた。
一気に少女は睡眠から覚醒へ引き上げられた。
勇者の頃のように無意識に、体が動く。
すっと立ち上がって、剣を探してしまう。
ここまで油断していたことに、自動的に罪悪感を覚える。
「い、いや……大丈夫だ」
少女はその罪悪感を、ブンブンと頭を揺らして振り払う。
「用事ができたわ」
どうやら、少女と同じくフェリシアもすぐに目が覚めたようだった。
さっきまでの平穏は、何事も無かったかのようだった。
フェリシアは必要最低限の動きで服装を整え、己の愛剣を取り出した。
「……行くんですか?」
少女は不意にその言葉が漏れてしまう。
何故か、寂しいという感情が言葉になって零れた。
「ごめんね。行かなきゃ」
フェリシアは少女の頭を撫でると、それからは少女に見向きもせず家を出た。
「そりゃそうか……鐘の音は襲撃されたって意味だからな」
バタンと扉が閉まる音を聴きながら、少女はそう呟いた。
一人だけになった家で、少しの間呆然と立ち尽くす。
あれだけ苦手だったフェリシア。
いつの間にか、少女にとってフェリシアは大切な人になっていた。