第6話 久しぶり
「そ、そのっ、あ、あれは違くて……」
少女はノアのセリフに激しく動揺する。
フェリシアに何とか弁解しようと言葉を紡いでも、頭が追いつかず支離滅裂な発言になってしまう。
「どうしたの? 別にキミは勇者じゃないのよね?」
フェリシアは優しげな口調でそう尋ねた。
「う、うん。そ、そうだよ……」
少女は少し罪悪感を覚えながらもそう答えた。
「ふふっ、キミのことを勇者様って……ノアにはキミがどんな風に見えてたんでしょうね」
フェリシアは微笑みながら少女の頬を触る。
「……でも、キミが本当に彼なら」
フェリシアはそう言って、少女の顔を虚ろな瞳で見つめる。
少女は言葉の意味が理解出来ず、ただフェリシアの顔を眺めることしか出来なかった。
****
1日後。
少女は一晩を前線基地の医療室で過ごし、その後、フェリシアが少女を迎えに来てくれた。
フェリシアは少女を自宅に案内しようと、背に少女を抱えた。
少女は元パーティーメンバーにおんぶされるという特異な状況に、少し罪悪感を覚えていた。
「もうすぐ着くからね」
フェリシアは背に乗っている少女にそう告げた。
少女は嬉しくもあるが、複雑そうな顔でコクリと頷いた。
「そ、その、フェリシアさんの家って……他の誰か住んでたり……」
少女は不安そうにフェリシアに尋ねる。
「私以外はいないわね。キミが2人目の住人よ」
フェリシアは少女の心配を払拭してくれた。
よ、良かった。
フェリシア以外、人は住んでないらしい。
ん?
それは良いことなのか?
少女は疑問を覚えた。
「着いたわよ。ここが私の家」
フェリシアはそう言って、少女を家の玄関まで運んだ。
少女はフェリシアの自宅を見ると、少し違和感を覚えた。
フェリシアは世界最高の剣士であり、王国軍の中の地位もほぼ最上級に近い。
そのはずなのに、家はそこら辺の家と変わらなかった。
てっきり、少女は豪邸が目の前に現れると思っていた。
少女は普通の家が現れたことに、安堵する。
フェリシアはそんな少女を尻目に、玄関の扉を流れるような手つきで開ける。
そして、少女を家の中に連れ込んだ。
「ふふっ、風呂に暫く入ってないでしょ?」
フェリシアは少女のことを背から降ろし、玄関の段差に座らせると、そう尋ねた。
「え、あ、まぁ……入ってないです……」
少女はそう答えた。
少女自身は2日間ほど風呂に入っていない。
そして、勇者であった期間を含めると、もう5年くらいは風呂に入っていない。
ほとんどは水を浴びる程度か、布で汚れを拭き取る程度だった。
風呂に入れる。
それは少女にとって、当たり前のことではなかった。
「じゃあ、まず風呂に入りましょうか。着いてきて」
フェリシアは優しくそう告げると、少女の手を掴み、家の奥へ入って行った。
****
立ち込める湯気と鼻腔をくすぐる石鹸のいい匂い。
周りの温度は暖かく、久しぶりに感じる雰囲気に、少女は少し興奮していた。
浴槽に貯められたお湯。
体を洗って、少女は勢いよく飛び込んだ。
「ああ、ぎもぢいい……」
少女は湯船の中で、そう声を漏らした。
小さくなってしまった体のおかげで、浴槽にすっぽり埋まることが出来た。
「温度はどう?」
すると、浴室の扉がガラガラっと音を立てて開き、外からフェリシアが入ってきた。
「えっ!? な、な、なんで……入ってきて……」
少女は急なフェリシアの乱入に混乱する。
大きなバスタオルを巻いてはいるものの、フェリシアの姿は到底直視できるものではなかった。
少女はフェリシアの方を見ないように、両手で目を覆った。
「……? どうして? 女同士じゃない。気にすることないわよ」
フェリシアはいつもの笑みで、そう少女に言った。
しかし、少女は複雑な経緯があるんだよと心の中で訴えた。
フェリシアはそんな少女を気にも留めず、体を洗い始める。
フェリシアのふんふんと無意識に口から出る鼻歌が聞こえてくる。
それに風呂の温度が適度で、どんどん気持ち良くなる。
それも相まって、徐々に少女の意識が朧気になった。
****
フェリシアは体を洗い終わり、少女の浸かっている浴槽にゆっくりと入る。
少女は眠そうな表情で、水面にその可愛らしい顔を浮かべていた。
少女の顔はとても整っており、肌も陶磁器のように白くきめ細かかった。
どこかの貴族の娘なのかと疑ってしまうほどに、少女は美しかった。
この美しさであれば、魔族が1ヶ月もの間命を奪わなかったのも理解ができた。
「それにしても──」
フェリシアは少女に『綺麗な肌をしてるわね』と言いかけた。
しかし、フェリシアは言葉を喉に押し込めた。
ふとフェリシアの目に映ったのは、少女の傷だらけの体だった。
衛兵兵は健康に問題は無いと言っていたが、それが信じられないほど少女の体には痛ましい痕跡があった。
どうして……こんな少女に、こんなにも痛ましい傷が?
疑問がフェリシアの頭を埋める。
「ねぇ、魔族に攫われたってのは……どれくらい前なの?」
フェリシアは少女にそう尋ねる。
「え? そ、そうですね……。い、1か月前とかですかね」
少女はあははと笑いながら適当に返答にした。
魔族に攫われて1ヶ月……?
普通はもう10回は殺されてもおかしくない期間だ。
きっと、この少女は魔族のお気に入りだったのだろうか?
長く生かし、できるだけ楽しめるように……。
それも1ヶ月という考えるだけでも恐ろしい期間を。
その適当な返答は、フェリシアの胃をキリキリと痛めた。
それと同時に、この子の精神の強さに驚いた。
「ごめんなさい。私達が……不甲斐ないばかりに」
フェリシアは大人として、少女に対して大きな負い目を感じた。
あれだけ辛い目に遭いながら、これだけ逞しく生きている少女に、より一層その気持ちは強くなった。
フェリシアは無意識に少女の背を抱き締めた。
「えっ、あっ……そ、そのっ……」
少女は何やら激しく焦り始める。
きっと、人に抱き締められるのが久しぶりで、胸が苦しいのだろう。
フェリシアは少女の心情を読み取り、更に抱擁に力を入れた。
「もう誰にも傷つけさせないからね」
フェリシアは覚悟を己に刻みつけるかのように、少女にそう約束した。




