第5話 フェリシアの異変
「そ、その……あまり聞きにくいんだけど、帰る家はある?」
長い沈黙を破ったのは、フェリシアの気まずそうな一言だった。
「家ですか……? な、無いです……」
少女は俯きながらそう答えた。
まぁ、そういう設定です……。
すると、フェリシアが小さく笑みを浮かべた。
「良かった。なら、私の家に住まない?」
フェリシアはそう言って、少女の瞳を見た。
少女は、「良かった」という少し気がかりな発言よりも、フェリシアの家で暮らせるという異常事態に困惑する。
フェリシアの家で暮らす……?
つい最近までは、信じられない話だ。
しかし、今の俺はか弱き少女だ。
フェリシアの家で暮らすというもの、悪くないかもしれない。
どうやらフェリシアは、『少女の姿の俺』には優しいようだ。
であれば、俺にメリットしかない提案だ。
少女はそう考えて、ぶんぶんと頭を縦に振った。
「ありがとう」
フェリシアは返答を聞くと、少女を再び優しく抱擁した。
少女の鼻腔に、フェリシアの匂いが満ちる。
フェリシアは苦手だった。
でも、こんなに優しくされると……。
ふへへへ。
少女は、既にフェリシアの優しさに堕ちかけていた。
「身体も悪いところは見つからなかったらしいわ。きっと、このまま体調が良ければ、明日には私の家を案内するわね」
フェリシアは少女の長い髪を撫でる。
少女は無意識に気持ちよさそうに目を細める。
あっ、やばい。
幸せかもしれない。
少女は人生で感じる数少ない幸せに浸る。
「私が食事もお風呂も寝る時も一緒に手伝うからね……。もう大丈夫だから」
フェリシアは狂気的とも受け取れる感情を少女に向ける。
幸せを感じていた少女の脳は一時停止する。
お風呂の時も寝る時も……?
流石に過保護というか、そこまではしなくて良くないか?
「い、いやそこまでは……」
少女はそう言いながら、フェリシアの目を見る。
その瞬間、少女の背にゾクッと言い知れぬ悪寒が走る。
フェリシアの紅い瞳は黒く濁っていた。
「私はキミを幸せにしないとダメなの。それが私にできる唯一のことだから」
フェリシアは少女にとって意味不明な発言をする。
平坦なトーンで発せられる言葉とは逆に、底知れぬ覚悟がフェリシアにはあった。
どうして、そこまで少女に固執しているのか。
それは少女自身は知る由もなかった。
「──ああ、ここにいたんだね」
すると、ガチャっと扉が開く音と同時に、とある少年が扉の向こうから現れた。
そして、少年はフェリシアと少女を見ると、小さく笑った。
少女は、この少年を知っていた。
この少年はノア。
勇者パーティーの一員で、よく分からない立ち位置の少年だった。
主力に数えられていながら、魔術とも剣術とも言えない微妙な能力を有していた。
つまり、戦闘に関しては、ノアは実力を全く見せなかった。
それは隠していたようにも思えた。
そして、何故か勇者の指示には従順で、勇者を勇者様と呼ぶ唯一のパーティーメンバーだった。
この通り、得体の知れない存在であるノアとの再会に、少女はあまり喜べなかった。
「生きてたんだね。フェリシア」
ノアは少女の寝ているベットと方へ近づくと、そう言ってフェリシアを見下ろした。
「え、ええ……おかげさまでね」
フェリシアは引き攣った笑みで答える。
「ところで、その子は?」
ノアは少女の方を見て尋ねる。
「魔王城で倒れていた子よ。私が引き取ることにした」
フェリシアは簡潔に答えた。
少女はその問答を、ただ見ていることしか出来なかった。
やばい。
勇者パーティーのメンバーに会うと、緊張というか萎縮してしまうなぁ。
少女はそんなことを思いながら、頼りの綱であるフェリシアの顔をじっと見つめる。
「それが、貴方の決断なんですね。……我々はその決断を支持します」
ノアは少女の耳元で、小さくそう呟いた。
少女は驚愕でビクッと大きく体を震わせる。
フェリシアの顔を見ていたせいで、ノアの表情は分からなかった。
それでも、ノアは俺の正体を見破っている……?
そうとしか思えない発言に、身が凍るような思いになる。
「何してるの? その子をあまり驚かせないで」
その瞬間、フェリシアは腰の剣を抜き、ノアの喉元の近くで止める。
フェリシアのあまりの剣さばきに、危うく心臓が止まりそうになる少女。
ノアは全く意に介していないようで、ただフェリシアを一瞥するだけで全く動かなかった。
それにしても、俺がちょっと怖がったら、剣まで抜いて守ろうとしたのか?
フェリシアさん……なんか変だよな?
少女はフェリシアの異常な過保護に少し……いや大きな違和感を覚える。
「そうだ。魔王は倒されたとはいえ、まだ四天王は全員無傷で残ってると情報があった。近いうちに反撃されるかもね」
ノアは少女の元から離れながら、そう言った。
「四天王が残ってる……? し、四天王は他国の勇者に討伐されるはずでしょ……」
そうだ。
フェリシアの言う通り、世界最大の国家である王国の勇者は魔王を討伐する。
そして、第二の国家である共和国、第三の国家である連邦、第四の国であるエルフ族の国、第五の国である亜人連合。
王国の他に、この4つの国から勇者が排出される。
そして、その4人の勇者には四天王の討伐を任される。
しかし、今回は違うのか?
フェリシアはノアの言葉に疑心暗鬼になる。
「今代の勇者は全員揃って無能だ。だから四天王討伐すら不可能だろうね。その理由もいずれ分かる」
ノアはそう言って、扉の方へ歩いた。
「まぁ、まだ希望はある」
ノアは視線を少女に向けると、ニコッと笑う。
「じゃあね。勇者様」
ノアはそう言って、扉の向こうに消えた。
「え───」
バレた。
そう、少女は悟った。