霧に包まれた道
私は幽霊もUFOも見たことはない。あるのはこんな経験ばかりだ。
私は昨年まで県内のA市に車で通勤していた。A市へのルートは幾つか存在するのだが、最短ルートである国道は平日混雑することが多いため、抜け道として広域農道を、そこも混雑するときには、さらにその抜け道として、名もなき田んぼの中の一本道を利用することが多かった。これはそこで起こった出来事である。
それは10月のある日であった。その日は急ぎの仕事が大変多く、職場を出たのは夜の8時過ぎになっていた。かなり疲れてはいたが、先刻までかなり降っていた雨が止み、濡れずに車まで移動できたのは僥倖であった。北の空には星が輝いていたのを良く覚えている。
だいぶ遅くなってしまったため、帰宅を急ぐ私は、定番の広域農道ルートを選択した。ところが、こんな日に限って大型車が法定速度にも達しないスピードで走っているため、こんな遅い時間だというのに数珠つなぎの渋滞である。しかも車が連なりすぎていて、追い越しをかけることもできない。
これではこちらに来た意味がない。さらなる抜け道である田んぼの中の一本道を行くにしても、あと3kmほどは我慢が必要である。私はうんざりしながら状況の変化を待っていた。
疎らに存在していた民家の影も尽き、周囲が田んぼだけになったころから、霧が出始めた。
北から東にかけての空は晴れて星も見えるのだが、西から南にかけての方角は先刻までの雨の影響が残っているのか、非常に見通しが悪い。普段であれば、田んぼの先にA市の市街地の灯りや、JR線沿いに建ち並ぶ民家の影が見えるのだが、この日は一切それを見ることはできなかった。
まるで、今走っている広域農道を挟んで左右が別の世界になったような不思議な感覚だった。
そして、抜け道の入り口に着いたとき、道の先は50m先も見通せないような漆黒の霧に覆われてしまっていた。
この霧の中を通るのは危険だ。数年前に用水路に車ごと転落して亡くなった方がいたという話を耳にしていた私は、即座に抜け道を行くのを諦めた。
事故を起こしてからでは遅いし、そもそも、こんな霧の中では相当速度を落とさないと走れない。徐行運転をするのなら抜け道を走る意味はない。そんなことをするくらいなら、大通りをゆっくり走った方がよっぽどマシだ。
そうして、私は霧の中に入ることなく家に帰り、妻から多分にお小言を頂戴したのであった。
これで終わっていればただの苦い経験談で済んだのだが……。
問題は翌日に起こった。
職場に着いた私は、上司であるK氏に昨日の霧の話をした。
K氏は1時間ほどゴルフの打ちっ放しをするのを毎日の日課にしていたのだが、いつもの練習場はあの霧に包まれていた方角にあった。そのため、私より1時間ほど早く職場を出たK氏は帰宅時によほど難渋したのではないか。そうと考えて、軽い気持ちで尋ねたのだ。
ところが、K氏はいぶかしげで、私が何を話しているのか理解できていない様子である。不思議に思って詳しく聞いたところ、K氏曰く、昨晩、雨が上がってからはずっと晴れていたはずで、霧など一切見なかったとのこと。
……時間差があったせいか?
いや、だだっ広い平地で、あれだけの大きさ、濃さの霧が5分や10分で湧いたり晴れたりすることは考えられない。
……方角が違ったせいか?
いや、あの練習場を出るときには、必ずあの田んぼの方角を向く。少し離れていて気にならないことは考えられるが、少なくても『晴れている』ように見えるはずがない。
2人の話は平行線で、決着が付く見込みもなかったため、話を「不思議ですね」で強引に終わらせた。
結局、今も霧の正体は謎のままだ。
私には見えてK氏には見えなかった霧。あれは一体何だったのだろうか。
ちょっと珍しい霧を見ただけなのかもしれない。ただ、あの霧の深さ、暗さは尋常の物とは思えなかった。K氏との対話があったせいもあるが、少なくても私は、あの霧の中に分け入ったとして、無事に出てこられたようには思えない。
あの霧は私を異界に招くための門だったのではないか。似たような経験を2回もしてきたため、ナーバスになっているだけなのかもしれないが、私にはそう思えてならないのだ。
よろしければ評価をお願いします。
明日もう1本投稿します。