Act.9 博愛期ダイナ葬
○若樹クルミの見聞 四
ぼくは別にアザミ先輩と二人きりで夏祭りに来たとか、そういうわけではないよ。たしかに、アザミ先輩と話しながらいろんなところを見て回ったけど、それは男子サッカー部と女子サッカー部合わせて十人くらいが一緒になって動いている中での話だよ。それでも十分に、ぼくは楽しんでいるけどさ。
アザミ先輩は意外と甘いものが好きなことがわかった。焼きそばや焼きトウモロコシにはほとんど目もくれず、綿あめやかき氷の店に次々と入った。だから、ぼくもそれに付き添って、他のサッカー部員の列から少し遅れて、二人で甘いものを買っては列の最後尾に戻るのだ。ついでに、みんなが素通りした金魚すくいとかも見て回っていたから、確かに二人きりと誤解されたのかもしれない。
「金魚好きなの?」「はい」「私もよ」「ぼくは尻尾が大きくてひらひらしたのが特に好きです」「どうしてかしら」「優雅だからですかね」「私は小さい金魚がぴろぴろ尾を振って泳いでいるのを見るのが好きかな。かわいいもの」
そんなどうでもいい会話の内容だったのに、夏祭りが終わったあともすぐに思い出すことができた。後日、同じクラスの福島百恵さんに密かに問い詰められたのは、この光景だけを見られたからなのだと思う。
「夏祭りくらいだからね、こんなに甘いもの食べるの」
綿あめを口に含みながら、アザミ先輩が言い訳するようにそう言ったのが可笑しかった。
「甘いものも、歩きながら食べるとカロリーオフなの」
そういう冗談を言ったりもするんだ。ぼくはアザミ先輩の新しい一面を見て嬉しくなった。
するとその時、どこからともなく男の声がした。
あらあら、見た目通りのお坊ちゃんですね。その程度の会話だけでこの夏祭りを終わらせてもよいのです?
それは悪魔のような声であり、たしかに耳をかすめた気がしたけれど、アザミ先輩の話を聞いている内にすぐに忘れた。
杏子飴の屋台を見つけた時は、サッカー部のみんなで並んだ。サッカー部らしく、ボールに見立てた丸い物を持ってみんなで写真を撮るのが慣わしなのだそうだ。
すると、前の男子たちが何かに気が付いて騒ぎ出した。
「お」「おお」「なんてこったい」「眼福」「万福」「胸もぷくぷく」「ぷくの反復横跳びだね」
ぼくはみんなの背が邪魔をして見えなかった。
「何かあったの?」
「お子様のクルミちゃんにはまだ早いと思うが教えてやろう」ぼくを茶化すことを忘れない同学年の友達が言った。
「君野木実先輩が前に並んでいるんだ」
周りの男の人達の視線が、前方からやがて左に逸れ、後方へ向いた。終始、君野木実という人の姿を目に写そうとしているのだ。男の子っていうのは、スケベなことに反応を示す全自動センサーが常備されているから困る。ぼくも、ちらりと横目で見た。たしかに、そのお乳はすごかったし、おしりも小ぶりなスイカのように丸くてぱくりと食べたくなった。
でも、アザミ先輩の方がカッコイイもん。
「夏祭りも楽しんだし、今度はプールに行きたいわね。」君野木実という人の隣の女の人がそう言った。
「あー、プールはもう行ったんだよね」と君野木実が答えた。ぼくの頭の中に、アザミ先輩と一緒に滑ったウォータースライダーのことが浮かんできて、急に頬が赤まる気がした。
「一人で?」
君野木実の隣の女の人が、口をとがらせていた。
「まあね」君野木実は恥ずかしげもなく言った。「でも、面白い奴と会ったし、つまらなくはなかったよ。」
「何それ、ナンパされたってこと?」
「全然違うから」
「え、それいつのことなの?」
「夏休みの初めよ」
そんな二人の会話なんか、アザミ先輩で胸いっぱいのぼくの耳になんか入らない。
三黒紗伊子の見聞 十二
「おー、B級映画ヒロイン三黒ちゃんじゃないか!」
夏祭りの喧騒の中でも一際目立つ声が前方の方から聞こえてきたので、私はそちらを向きました。すると、先日共に旅をした赤出ミーコ先輩が、外国人の男性や他にも数人の高校生の男女を引き連れてこちらに向かって来るではないですか。
「外国人じゃないね、あの人はきっとハーフだよ。あのエメラルドの瞳は外国の血だろうけど、鼻筋がジパング」弟がそう分析しました。弟が言うのならそうなのでしょう。他の方々は映画部の人と思われました。
「さっき後輩君にあったよ。三黒ちゃんは会った?」赤出ミーコ先輩はニコニコとした明るい表情で聞きました。
「ええ。とてもヘンテコな格好でした」
「おうおう、あれはヘンテコだったな」そう言って今度はけらけらと笑います。
空っぽになったベビーカステラの茶袋をふりふりしながら、百恵が横目で私と赤出ミーコ先輩を見比べました。
「二人って何か、通ずる点、みたいなものがあるんですか?」
「通ずる点?」と赤出ミーコ先輩が小首を傾げました。「特にないんじゃない?」
「先輩が映画部だったから、たまたま知り合ったのですものね。」と私も言いました。
すると辺り男性方の視線が突如、私の後方、とある一点に釘付けとなりました。
「あら、ミーコも来ていたの。あなたって映画のことばかり考えているから、こういったイベントには興味ないと思っていたけれど」
透き通るような美しい声の女生徒がそう言って赤出ミーコ先輩に話しかけます。手にはかじりかけの杏子飴を持っています。しかし私の視線は、その隣を歩く、君野木実先輩の方を無意識に向いているのです。そのマーベラスな体つきにはまことに惚れ惚れし、同時に見上げるほど高い壁を目の前に創造します。あの壁、高跳びの要領で越えられるかしら。壁に突撃して終わりかしら。そう無謀な想像に陥ります。そしてふと、フラッシュバックするように、七月に弟と行ったプールの日のことが思い出されました。お互い、その場から動いていないはずなのに、私を置いて遠退いて行く先輩と君野木実先輩の二人の姿が脳内フィルムに焼き付けられていました。
「何だか不服ね。私だって夏祭りくらい普通に楽しむから」
そう言った赤出ミーコ先輩の背後にいる映画部員や、その肩にかけるカメラバックや三脚に目を向けながら、君野木実先輩が、くくくと笑いました。「どこかの誰かさんとは違うって言いたいわけね」
先輩のことだと、私はすぐにわかりました。
「はあ、まさか、私があの子と同じような目で見られるなんてね」赤出ミーコ先輩は力が抜けたように言います。
「ねえ、それ誰のこと?」君野木実先輩の隣の人がそう聞きましたが、二人は答えません。
「三黒ちゃん、この人のこと知ってる?」赤出ミーコ先輩がこちらを向いて、君野木実先輩を紹介するように話し出しました。
「可愛いくせに闇が根深いのよ」
君野木実先輩の一学年の頃のまだあどけなかった様子から、荒れた二学年時代に起きた百人切り事件のことまで、赤出ミーコ先輩は私に教えてくれます。けらけらと笑いながら話すのでまるで笑い話みたいですが、周囲で地獄耳を澄まして会話を盗み聞いていた男子生徒たちの背筋が凍っていくのを感じます。
「百人切り事件、ですか」
私は思わずそう口にしました。
「さっきも少し、その話をしたわね」と君野木実先輩の隣の女生徒も会話に入り、二学年時代の百人切り事件の詳細が語られます。
「木実は告白され続けた結果、いろいろと思考が変わり続ける期間があったのよ」
その中でも特に目立ったのが、声をかけて来た男性と片っ端からお茶をしに行くようになった白亜紀期ならぬ博愛期。それがちょうど昨年の夏休みから文化祭の終わりにかけてだったそうです。
「博愛期なんて命名しているけれど、ちゃらちゃらしたものでも、ロマンチックなものでもなかったけどね。もちろん、白亜紀みたいにダイナミックなものでもない。ただ、野蛮ではあった。行われていたその所業の真相は、面倒な輩を木実の方からおびき出して切り捨てる。ひたすらこの行為繰り返しよ。己に好意を抱く人間がいなくなるまで、こいつは恋殺を続けた。慈悲も無かったわ」
赤出ミーコ先輩が検事になりきった物言いで君野木実先輩の犯行を述べました。切り捨てられたのは、同学年よりもむしろ、先輩たちの方が多かったそうです。
「俺が射止めて魅せるんだっていう男の不細工な誉れの現れよね」と君野木実先輩の隣の女生徒が呆れた顔をしました。そのような心境の元、当時の三年の男子生徒たちは後輩に圧をかけ、我先にと君野木実先輩へ突撃したと言います。歴代最高峰の池照という方を墓標に添え、君野木実先輩はついに誰とも付き合わず、お茶をすることもしなくなったそうです。
「『誰も彼もイマイチなのよ』とか木実は言ってたけれど」と木実先輩の隣の女生徒が言い、
「ただ単に、男への我慢に限界がきて、火山が噴火したのよ」と赤出ミーコ先輩が続けました。「博愛期は終わり、恐竜は絶滅した。自分から始めておいて世話ないわ」
「いいえ。恐竜がいたなら、博愛期は別の終わり方をしたはずよ。フラれた彼らは木実にとって、周囲を飛び交う羽虫に過ぎなかったの」
君野木実先輩の隣にいる女生徒が軽やかな表情で言ってのけました。透き通る美しい声でそう言ってのけました。男子生徒を「羽虫」と評したその不条理な言葉が、ダイヤモンドのように輝くのでした。
男など、飛んで火に入る夏の蟲
by蚊不可・フランツ
いつだったか先輩がフチなし眼鏡を光らせながら、君野木実先輩に群がる男性方をそう適当に称したことを思い出しました。「奴らは蚊だ、虫けらだ」と、突撃して散って行った殿方を先輩は笑い者にしていた卑屈な笑みが脳裏に浮かびます。
恋に敗れた三年生たちは、そのショックから立ち直れず、そのまま受験に失敗し、アスガム高校の大学進学率を例年の五割まで落とすこととなったのです。それが百人切り事件の結末でした。
「好き勝手にべらべら話すなよ」
君野木実が隣の女生徒と赤出ミーコ先輩を睨みます。そして大きく溜め息をつきました。
「せっかくの夏祭りなのに、機嫌が悪そうだね」
赤出ミーコ先輩が隣の女生徒の方を見ると、「また感じ取っちゃったみたいよ」と透き通った声で応えました。
「何を感じ取ったのですか?」私がその透き通る声をもつ女生徒に聞きました。
「告白の気配を感じ取ったのよ。木実には、四カ月以内にその男が告白して来るかどうか知る力があるの。」
「ひかり、なんで勝手に話す」君野木実先輩は手に負えない、と言った様子で彼女の名を言いました。
「その力、後輩君にも使ったわけ?」
赤出ミーコ先輩が聞くと、君野木実先輩が一呼吸ためるようにしてから「ああ」と言いました。
「あいつは、いいね」
そこで初めて、君野木実先輩は表情を明るくして答えました。
「あいつには、全く反応しなかった」
うん、あいつは、いいねえ。
そう言った君野木実先輩の笑顔が、他の人にどう映ったのかわかりません。ですが、私には彼女の笑みが、野苺を口にふくむ可憐な乙女の笑みのように見えたのです。
「もしかして、先輩への反応がなかったのは、君野木実先輩が自分から告白するからなのではありませんか?」
私は自分でそう口にして、何故だか気落ちした感覚になりました。
しかし、周りでは花が満開に咲いたかの如く笑いが起きたのです。
「そんなわけないでしょうに」と、ひかり先輩が笑いを止められないまま言います。「本当、面白いことを言うのね。」
「しかたないじゃないか、三黒ちゃんは木実のことなんてよく知らないのだから」と言いながら、赤出ミーコ先輩も笑いが止まりません。
私は自分の発言が恥ずかしくなって頬が火照る想いでした。
「はあーあ、久しぶりにこんな笑ったわ」
ひかり先輩が綺麗な声で満足そうに言うと、何だか場が和んだ様に思われました。
「じゃあ、私は帰るわね。母がまだまだ厳しくて、門限二十時なのよ。」
そう言ったひかり先輩に、君野木実先輩がうなずきます。
「あ!」と今度は赤出ミーコ先輩が声を上げました。「小津野、またいなくなってやがる」
じゃあ、と片手を挙げると、赤出ミーコ先輩は颯爽とその場から消えました。
「まだ、射的してないよ」
弟がそう口を開いたのをきっかけに、私たちも、その場を後にしました。
去り際、君野木実先輩と目が合いました。と言うよりも、君野木実先輩が私の方をじっと見ていたのだと思います。さっと視線を下げ、小さく会釈すると私は弟の手を引いて神社の境内の方へ身体を向けました。
先輩への反応がなかったのは、君野木実先輩が、自分から先輩に告白するからなのではありませんか?
そんなわけないでしょうに。
先ほどの会話が、再び私の頭の中で流れてきました。そんなわけないと言っておりましたが、もし、そんなわけあったなら、私は、どうしたら良いのでしょう。
「敵わないよ」「え、何に?」「あの人は敵なの」「どういうこと?」「あの人は敵であり、無敵なのよ」「つまり?」「私に出る幕はない」
出る弾幕はあれどね。
境内へ繋がる、ぐるぐるとしたミステリーサークルのような傾斜の林道を、私は思考までぐるぐるさせながら歩くのでした。
しばらく歩いていると突然、横の茂みの中から、ぞろぞろと数人男子生徒の集団が出てきました。木々の葉っぱを髪の毛や服に着けているのはもちろんのこと、息は切れ切れで、汗の量もすごいです。
「僕らにはきついぜ」「休みたい、体力皆無」「気力も皆無」「おバカ、ここからが大事なのだ」「奴は逃げられない」「そういう手はず」「我々も捕まえに行かなきゃ」「それにしてもだ」「あの人はすごいな」「あのなりでよくあそこまで身軽になれるもんだ。」「場数を踏んでいるんだよ」「僕らの一七年間は無益だったね」「そんな悲しいこと言うなよ」「どうであれ」「彼には尊敬の意を表すね」
口々にそんなことを言いました。なるほど、鬼ごっこでもしているのでしょう。確かに広いこの地での鬼ごっこは、さぞ楽しいのだろうなと思います。その後、なにやら小声で話し合うと、何故か再び茂みの中へ戻っていきました。今度は四方に散らばったみたいです。
ぱしゃ、と音がした方向を見ますと、小さな女の子が、今にも泣き出しそうに目を潤ませていました。異様な男たちの姿に気を取られ、手に持っていたかき氷を落としてしまったみたいです。私はその女の子の眉間にねらいを定め、銀色の拳銃の引き金を引きました。放たれた銀の弾丸が女の子の眉間を貫いた時、彼女はとうとう泣き出しました。
時々、嫌になっちゃいますよ。
泣き出した女の子を見た弟が、私のくるぶし辺りを蹴飛ばしてきましたが、私は構いませんでした。