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ミクロサイキック 弾丸編  作者: 髙橋三乃瑠
5/10

Act.5 黄色い春

○先輩の見聞 十


「人が人じゃなくなる瞬間って、いつだと思う?」

 数年前、中学生の時の担任の先生がそんな質問した。頭の足りない俺たちは頭上にクエスチョンマークを浮かべ、キョロキョロと周りをうかがったわけだ。そんなとき、一人の女の子が言った。

「夢を見ている時です」

 ふむ、面白い考えだね、と先生が言って、話は終わった。手を挙げた少女は、次の春頃から姿を見なくなった。クラスの中でもほとんど関わったことがなく、俺の脳内メモリには今現在、その子の声が思い出されていない。彼女を見なくなってからしばらくして、俺はその子が本当に実在していたのか、怪しむようになった。俺がただ、学校に通っている夢を見ていて、その夢の中の学校にだけ現れた、想像の女の子なんじゃないかって思ったのだ。初めてそう考えた時、ぶるっと肩が震えたのを今でも覚えている。ただ、彼女の言葉の文字列だけはどうしてか頭の片隅にあり、つい、考えてしまう。夢を見るとどうして、人が人じゃなくなるだろうかと。

 そんなわけで、夢に見て、夢を見た話をしよう。他人の見た夢の話ほどつまらないものはない、とはよく言われるが、全くその通りだと思う。しかし、見てしまって、覚えてしまっている夢というのは、どうも誰かに話したくなるものである。普段から人との交流を断っている一匹狼のような奴も、この衝動には勝てず、珍しく人の輪に入ってしまう。

「それは、阿呆らしいラブロマンスさ」

 俺は語り出す。これは荒唐無稽なホラ話でもあり、猿芝居の舞台袖に立つ阿呆の妄想でもある。しかし、見る人が見れば、偉大で、壮大な、真実の愛を求めた物語でもある。

唐突に新作映画の制作企画が始まったのだった。



題名『黄色い春』   脚本:辰野正一門


「あんたってさ、告白したこととかあるの?」

 駅前のファミリーレストランの一角で、彼女はテーブルに頬杖を突きながら僕を見て聞いた。

「……結婚の申し出なら、したことがあるよ。」

「それ、保育園の時に私に言ってきたやつのこと? たしか、ほっぺを叩いたっけ」

 うん、と僕は肯く。

「あんなの告白に含めないでよ」と、彼女は呆れた。

 お待たせいたしました、と若い女性の店員が僕らの間に二つのかき氷を置いた。僕はかき氷をまじまじと見つめて、口を開いた。

「この、水が凝固た物質を削ったものが、四七〇円する。世の中、不思議だ。」

「いや、シロップもあるから。シロップこそかき氷の本質なのよ?」

 彼女が別皿に注がれたマンゴー味のシロップを指さす。「今みたいな、わけのわからない発言をするから、誰とも付き合えないんだよ」彼女はそう言って、クヒヒヒと笑った。だから僕はムッとして言い返す。

「君もまだ、誰とも付き合ってないよね?」

「あー」

 まあ、そうよ。文句ある?

 とぅるるるー、と、彼女はマンゴーシロップをかき氷にかけた。フワフワな白い氷が、黄色く染まっていく。それは、いつかの日か遠い昔に見た光景に似ている。

「まるで、捕まえたテントウムシにオシッコされて、手が黄色くなるみたいだね」

「いや、きたねえよっ!!」

 彼女は時々そうやって、言葉を少し荒げる。原因は、ほぼ僕にあるのだろう。


 彼女は黄色が好きだ。だからかき氷はたいていマンゴーかレモン味を選び、飲み物はリアルゴールドを選ぶ。好きな花は? と聞けばタンポポと答え、好きな景色は? と聞くとイチョウ並木と答える。

 高校一年の秋、校外学習にて、僕らは進学する意味も気力も見出さぬままに、とある国立大学に足を踏み入れたことがある。各々の生徒は、とりあえず好きな学部の校舎に散らばり、いろんな授業を見て回った。その中で彼女は一人、一本の歩道をひたすらに往復していた。教育学部棟を出て体育館に向かった所でぶつかるそのT字路には、数十本のイチョウの木が連なっている。左右をイチョウで仕切られたその歩道は、まるで別世界のように黄色く、そして、ギンナン臭い。その臭さゆえに行き交う人は足早に過ぎ去っていくのだが、彼女だけは違った。ひらひらと舞い落ちる葉に目を奪われ、悶えるほどの異臭に鼻を奪われているのだ。歩道を歩く彼女が立ち止まり、ほうきで集められたのであろう落ち葉の山を両わきから抱えるようにして持ち上げた。そして、めいイッパイに空へ投げる。パタパタとイチョウの葉が小鳥のように宙を自在に飛んだ。彼女はとても楽しそうである。

 そんな阿呆な姿を世間に晒し回る彼女のことを、どうして僕はこんなに愛おしく思ってしまうのか。世の中、不思議だ。

 きっと、たった今、彼女の進学先はこの国立大学に決まったことだろう。彼女はすでにイチョウ並木のとりこである。そうなると僕は、割と計画的に勉学に励む必要がある。数学の先生が発する日本語ではない何かを解読し、古典の先生が話す、それこそ日本語ではないお話に熱心に耳を傾け、その上、お家で復習せねばなるまい。


 しかし、僕の予想をはるかに超える出来事が起きた。三年生に上がる前、三月の初めに、彼女は忽然と姿を消したのである。「さよなら」も聞かなかった。そして、言えもしなかった。


 彼女が消えてから一カ月が経って、僕は高校三年生になった。彼女が消えたことは、学校ではさほど話題に上がらなかった。僕はそれが不思議でならない。ホレておいてなんだが、あんな変な女をさっぱり忘れられる神経がおかしいと思う。しかし、クラスメイトの脳内には、受験戦争の開戦を告げるファンファーレしか響かないようだ。

 今年の春は例年よりやけに寒いらしく、夕方にもなると手袋が欲しくなるほどだ。帰り道、最寄り駅から降りて家へ向かう前に、本屋によることにした。改札を出てエレベーターを降りると、遅咲きの桜が出向かえた。電灯の明かりが薄桃色の花びらを白く光らせる。率直に、綺麗な夜桜だと思う。春である。正真正銘の春である。

 しかし、どうしてか、僕は春を感じられないのだ。彼女がいないからだろうか。それもある。だけれど、それだけではない気がした。

「な、ないのか」

 目的の漫画の最新刊が、その本屋には売られていなかった。ショベルカーやクレーンなどといった、工事に使う重機を武器化して戦うという稀有な世界観のバトル漫画なのだが、どうやら小さな本屋にも置かれるほど人気のある漫画ではないらしい。表紙に描かれるショベルは、それは素晴らしい黄色っぷりであり、彼女も楽しげに読んでいたのに残念だ。仕方なく家に帰ると、皿に盛られたチキンライスがテーブルに並んでいた。ケチャップを炒めた香ばしい匂いが鼻をフンフンさせるのである。漫画を買えなかった憂いが、いささか晴れた。でも何か足りない気がした。

 何だろう、何かがおかしい気がする。しかし、何がおかしいのかがわからなかった。考えても一向にわからないので、消えた彼女を想いながら、僕は寝た。

 その夜、僕は夢を見た。真夜中の草原で、一匹の獣が駆けていく姿を遠くに見た。姿はあまりよく見えないが、金色に輝く黄色い毛並をしているのはわかった。ふとその獣は立ち止まると、やや細長い顔を草原に埋める。三角に尖った耳がピクッと動いていた。その姿は何かを食べているようにも見える。再び顔を上げた獣の口元から、何かがぼとりと落ちた。一瞬しか目に映らなかったが、僕にはそれが人の腕のように見えたのである。


 翌日の帰りも、何か違和感を抱えたまま帰路に着いた。

 桜は今日も綺麗に咲いている。風に吹かれて、花びらがちらちらと舞う。彼女はどんな花が好きだっただろうか。ふとそんなことを考えて、いやいや、とかぶりをふった。

「タンポポの他に無いだろう、ずっと前から知っているじゃないか」

 何を間抜けたことを考えたんだ。彼女の好きな花を忘れるなんて言語道断である。そう思った直後、唐突に今まで気になっていた違和感の正体を掴んだ気がした。視線を桜から移し、道路わきの草むらへと落とす。

 ……ない。

 次に、人の家の庭をちらりと覗き込む。

 …………ない。

 近くの公園を細部までくまなく見渡す。

 けれど、…………ない。

「タンポポが、一つも咲いていない」

 この時期に、そんなことってあり得るのか?

 不意に昨日の晩御飯が思いうかんだ。オムライスではなく、ただのチキンライスだった。普段なら溶いて平たく焼かれた卵がのっているはずなのだ。オムライスは、母の大好物である。チキンライスに卵をのせないはずがない!タンポポだけじゃない。卵も無くなっているのだ!

 確かめるべく、来た道を引き返して駅近くのスーパーに駆け込んだ。

 いつも卵を売っている場所に辿り着く前に、僕は異変に気が付いた。一見、何の変哲もないスーパーに見えるが、やはりおかしいのである。店の果物コーナーにバナナがない。レモンやグレープフルーツ、ゴールデンキウイもない。飲料水売り場の方を見ると、リアルゴールドも無ければ、レモンティーもない。

言いようのない不安がじりじりと僕に詰め寄って来るようだった。それでも、他の客は何も感じるところなく、買い物をしているのである。僕は怖くなって早々にスーパーを出た。

 スーパーを出た先で、信号が点滅していたので足を止めた。歩道側ではなく、車道に設置された信号が点滅していたので、足を止めてしまったのだった。その信号は二色で出来ていた。

「世界から、黄色が消えている。」

 つぶやいた瞬間、そいつは姿を現した。ぬらりとした白い生物がマンションの階段から這い出して来たのだ。全長一メートルほどのそいつは、トカゲのような頭を持ち、首筋にはエラがある。その脇にヒレのようなものがついているのだが、そのヒレはやけに歪で、人の手の形に似ていた。ずう体はずんぐりと丸みをおびており、尾は金魚のように大きくひらりひらりとしていて、何故かじっとりと水に濡れている。前足はなく、腹を地面に擦り付けたまま、後足だけで這うように地面をゆっくりと進んでいた。明らかにこの世の生き物ではない。

 ゾクゾクゾクと、虫が背筋を登って来るような感覚に襲われ、心が激しい動揺に震え悶える。しかし、身体は微塵も動かない。硬直したまま、その一点だけを見つめ続ける。白いずう体のそいつは、マンションの敷地から這い出すと、ぬらり、ぬらりと、暗い路地を奥へ進み、遠ざかっていく。その時、僕のすぐ横で「カアッ」とカラスが鳴いた。すると白いずう体のそいつが、ぴたりと動きを止め、その場にたたずむ。そして、ゆっくり、ゆっくりと、徐々に白い顔をこちらへ向け始める。じとりとぬるい空気が頬をかすめる。カラスは羽ばたいて、夜の闇に消えた。冷たい嫌な汗が眉間を流れていく。ざわ…………、ざわ…………、ざわ…………と、空気がかすかに震える。白いずう体は動かさず、白い頭だけが、ぐにりとねじれ、こちらを向いた。喉元で息が詰まり、脳がしんしんと冷えていく。こちらをむいた白い顔には、眼が無かった。楕円型の白い顔の中に、大きく横に割けた口がわずかに開かれている。しかし眼がなくとも、じっとりと、こちらを伺うような感覚だけは、感じる。目で見られるような視覚的なものとはまた違う。むわっと湿る空気で身体を包み込まれ、空間ごと何かに囚われているような、そんな不気味な感覚だった。

 しばらく、息も出来ない無言の時間が続いたが、やがて、白い顔は再び前を向いた。ぬらり、ぬらりと、這いつくばって進んでいく。すると、白いずう体がよじれるようにして震えはじめた。そして、そいつの身体を覆っていた白色がじわりと別の色に滲んでいくのが見えたかと思うと、白いずう体は目にうつらなくなった。

 保護色だ。

 そう心でつぶやいた。自分の体の色をまわりの風景と同じ色にする、カメレオンなどが持つ能力だ。生き物が自然の中に潜むために、長い年月と進化を重ねながら身につけた、生き延びるための技である。白いずう体だったこいつは、より精密に、まるでデジタルの映像のように体の色を変えたのだ。

 変色して風景に溶け込んだそいつだが、まだ路地の奥を歩いているのがわかった。静かに息をひそめて目の前を見つめていると、視界の風景の一部が時おり、光を屈折させるように歪むのだ。

世の中、不思議だ。なんて、そんな言葉では収まり切らない恐怖がそこにいたのだった。



○先輩の見聞 十一


「なに、この話。全然ラブロマンスじゃないじゃん」

 映画部部長の赤出ミーコ先輩がそう言って脚本を机に置いて、椅子の背もたれに寄りかかった。

「ミーコ先輩、だからやめましょうって言ったんですよ!」

 がちゃがちゃムキー!と騒がしく怒りを訴えるのは、俺と同じく二年生の脇屋空太郎という男である。

「こいつの考えるストーリーはハチャメチャで実現不可能なものばっかりなんです!」

 空太郎が俺をジロリとにらんで言った。だが、ミーコ先輩は空太郎の言葉に耳を傾けはしない。

「でもホラーか。悪くない、というか、楽しみだ。」とミーコ先輩は少し考えるようにしながらつぶやいた。

「いや、ホラーじゃなくて、ラブロマンスです。」と俺はすかさず答える。

「え、この企画、通るんですか?」

 空太郎のあいた口が塞がらないので、ミーコ先輩がガッチンと力ずくで閉じた。

「しかし、この白いずう体のモンスターはどうするよ、後輩君。我が映画部に優秀なCGクリエイターはいないぞ?」

 俺はちらりと空太郎を見て言った。

「それはもう、枕をこいつの腹に包帯で巻き付けて、地べたを這いずり回ってもらうしかないかなと思っています。」

「私も、それくらいしか思い浮かばなかったが」とミーコ先輩が言うと、空太郎の口が再び開いた。ミーコ先輩は空太郎には目もくれず、指先で頬をかいている。

「しかし、そうなると後輩君よ、・・・・・」

 ミーコ先輩はその先の言葉を濁した。だが、俺にも言いたいことはわかっているのである。

「そうなると、人には見せられない駄作が生まれます。」

 はあ、と自然に溜め息が漏れて、俺とミーコ先輩の視線が空太郎にうつる。開いたまま塞がらない空太郎の口をミーコ先輩がガッチンと閉じた。空太郎はあいた口が戻るやすぐに、再び口を開いて言った。

「俺のせいで失敗するみたいな雰囲気、それ違くない?」

 まあ、そこらへんは置いておくとして、とミーコ先輩が話題を進めた。

「この話、ラストはどうなるんだ?」

「また夢を見るまで、俺にもわかりません。」と俺は堂々と答えた。

 来年やってくれ、とミーコ先輩が脚本を宙に投げた。ペラペラな紙たちが俺をあざ笑うかのようにゆらゆらと揺れていた。



○若樹クルミの見聞 三


「けもみみ!」

「萌え!」

「おめめ!」

「くりくり!」

「しっぽ!」

「ふさふさ!」

「「「かっわいー!」」」

 きゃあきゃあと、夏休みに黒ギャル化した女子たちが騒ぐ中で、ぼくは必死に訴えた。もう止めてくれ、と訴えた。

「んーーー!!んっんっんっーーーーーー!!」

 しかし、今は声にならない声しか出せないので、誰もぼくのピンチには気が付かない。

 若樹クルミは、人生で初めてクルミを二〇個、同時に食べた。そのせいで、ほっぺたはパンパンに膨らむ。鼻からはクルミの欠片が出てきそうだし、目には涙の粒が浮かんできている。それなのに周りの黒ギャル化女子ときたら、「まんまるほっぺた超カワイイ」「つぶらな瞳に乾杯」「リスだわ、リスがここにいるわ!」「おーけい、写真とろ!一〇〇万枚はとろ!!」などと言いだして、ぼくに口の中のクルミを飲み込むことを許してくれない。

 八月も第三週に突入し、アスファルトニガム高校では今、文化祭の準備が盛んに行われている。ぼくらのクラスも擬人化動物園を開園するために、いろいろな準備を進めていた。教室をサバンナエリア、森林エリア、家畜エリアの三つに分け、それぞれのエリアで木々や草花などの装飾を施し始めている。動物役になった人たちは、なりきる動物の歩き方やエサの食べ方などを研究し、アピール方法を考えなければならない。ぼくもその一人であり、今はクルミをたくさん口の中に蓄える真似をしていた所だったのだけれど、女子に見つかってしまって写真撮影会になってしまった。

 そんな騒がしいクラスのなかで、ぼくには目もくれない女の子がいた。三黒紗伊子さんだ。三黒さんは真夏の暑い教室の中で、全身をもこもこの茶色い服で覆わせ、ひたすらシャドウボクシングをしている。三黒さんは、カンガルー役に立候補しており、ぼくたちと同様、動物のものまねの練習中だ。汗をぽたぽたと垂らしながら、彼女はジャブと右ストレートを繰り返していた。彼女はすごい、一生懸命だ。何が彼女をそうさせるのかわからないが、カンガルーよりも力を込めてパンチを繰り出すのだ。でもぼくは知っている、カンガルーが得意なのは、パンチよりもキックなのだ。

「またボクサーが減量してるよ」

 廊下を通る隣のクラスの男子たちが立ち止まり、一人がそう言った。

「あれ以上脂肪を無くしてどうするんだ、おっぱいが無くなっちゃうよ」と言ってゲラゲラ笑うのが聞こえて来る。するとぼくの写真を撮っていた黒ギャル化女子の一人が扉に近づき、あっかんべえをする。そして思いっきり扉を閉めた。

 そういった小さなトラブルに、三黒さんは気がつかない。ただ、ひたすらに、集中して、カンガルーを演じるための練習に励むのだ。それを見て、クラスの皆は小さく微笑む。

「確かに変な子だけどさ、馬鹿にされると腹立つのよね」

 扉を閉めた女子がそう言って戻ってきた。

「んんん、んんんんん。」

 ぼくも、そう思う、と言ったつもり。扉を閉めた女子にはどうやら伝わったらしく、「クルミちゃんはえらい子だねえ」と言って髪をワシャワシャとされた。


「クルミちゃん、ちょっと相談があるのだけど、いいかな?」

 そう話を持ちかけてきたのは、垂れ幕担当の男女二人組だ。アスファルトニガム高校の文化祭では、クラスごとに出し物の宣伝を織り込んだ垂れ幕を作ることになっている。各クラス、技巧を凝らした彩り豊かな絵や、熟考された謳い文句をぶら下げるので、文化祭当日に全ての垂れ幕が校舎の屋上からかけられている光景は、なかなかに目を見張るものがある、らしい。僕も見るのは今年が初めてだ。

「うちのクラスの垂れ幕なんだけど、メインにさ、クルミちゃんの絵を描きたいんだよね。いい?」

 垂れ幕担当の女の子はそう言って目を輝かせた。反対に、ぼくの目はうっすらと淀む。

「ぼくの絵?」

 何か、恥ずかしいことになる予感がする。垂れ幕担当の女の子の瞳からキラキラ光るビームが放たれ、ぼくのほっぺたを焼き焦がしそうである。

「そう、リスになったクルミちゃんが、餌付けされているところを描くのよ。クルミちゃんが頬を赤くしてもじもじ恥じらいながらも、あ~んしてもらって、木の実を食べさせてもらう場面をね、それはもう鮮明に、華やかで愛らしく、天使の画法をもってして描くのよ」

 きっと傑作が出来上がるに違いないよ! 女の子はそう凄んでいる。ぼくは恥ずかしいを通り越して圧倒されていた。

「ま、そういう事だから、よろしくな」と男の方の垂れ幕担当に言われると、何だかもう、ぼくが了承したよう雰囲気になっていた。

「え、せめて、キリッとした眼にしてもらっても良い?」

 女の子は首を傾げ、何も言わずに去っていった。すると隣で黒ギャル化女子たちがニカニカと笑う。

「やったねクルミちゃん、メインだってよ!」

「すごいよ、マンガで言ったらヒロインね!」

 どんよりしたぼくをよそに、三黒紗伊子の拳がどんどん鋭くなっていく。


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