第1章 真実 ⑤
気がつくと、そこは寝台の上だった。
ターメリックは驚いて身体を起こした。
…あたりを見回してみる。
小さな部屋の片隅で寝ていたらしい…後ろの窓からは、浜辺と海が見える。
2階の、南に面した窓のようだ…太陽が見えるので、もう午後なのだろう。
枕元の小さな机には、あのとき砂浜で拾った剣が置いてあった。
鞘はペパーの剣を受けたはずだが、頑丈らしく傷ひとつない。
右側の壁に目を向けると、大陸の地図が目に入った。
放物線の形をした、モンド大陸。
東端が、鉱山を抱える大国スパイス帝国。
帝国内の北東に位置する独立国家、テロ湖に浮かぶ島国プレルーノ王国。
スパイス帝国の西隣には、商人たちの小国マスカーチ公国。
その西には、マスカーチ公国を属国とする、漁業と観光の国ヌフ=ブラゾン王国。
そして西端には、大陸一の面積を誇る農業大国パン王国がある。
その西岸、一部の森林と夕日の浜辺一帯を占めるのが、クリスタニアと呼ばれる神の領域…クリスタン教信者の聖地である。
「ここ、どこだろう…」
首を傾げたターメリックは、左腕に包帯が巻かれていることに気がついた。
そういえば痛みも引いている…軽い怪我ですんだようだ。
…だれが治療してくれたのだろう。
考えているうちに、目線は左へと逸れていった。
ターメリックは、枕元の剣に手を伸ばした。
銀細工に付着していた細かい砂が、きれいに拭き取られている。
赤くて丸い宝石も、輝きを増したようだ。
…抜いてみよう。
ターメリックは柄を握ってみた。
「……」
剣は何も言わず、あたりは静まりかえっている。
…やっぱり、あのときのは空耳だったのかな。
ターメリックは、ゆっくりと剣を抜いた。
大きさは、まるで誂えたかのようにターメリックにぴったりだった。
光り輝く刀身には、驚いて口を開けている自分の姿が映っていた。
「うわぁ…まるで鏡だ…」
窓からの光を受けて、刀身は透き通るように輝く。
ターメリックは、剣をためつすがめつして見続けた。
楽しくなって、ひとりでポーズを決めていると…正面から強い視線を感じた。
いつの間にか…部屋の扉が開いていた。
…そこに、少年が佇んでいる。
こげ茶の髪を首の後ろでまとめた少年は、瑠璃色の瞳を見開いていた…幼い顔に、緊張の色が見える。
…もしも目の前に鋭利な刃物を振りかざしている人間がいたら…だれでも驚くはずだ。
気がついたときにはもう、少年の姿はなかった。
「叔父さーん!!」
少年は絶叫を残して走り去ってしまった。
「あっ、待って!違うんだ、これは…」
ターメリックは剣を鞘に収めて寝台を降りようとした。
しかし…
知らない場所をうろつくのには、少し抵抗があった。
穏やかな海も、眩い日の光も、心地よい波の音も知っている。
けれどもここは…
スパイス帝国ではない。
もちろん朝日の浜辺でもない…ターメリックは、不安を感じていた。
改めて、今までのことを思い出してみる。
あのとき、ペパーの攻撃を受け止めようとした自分は、鋭い光に目を閉じてしまった。
そこで、強い力に跳ね飛ばされて…
……
後のことは、まったく覚えていない…いったい、何が起きたのだろう。
腕を組んだターメリックは、眉間にシワを寄せていた。
そのとき…
「おはよう。身体の具合は、どうかね?」
男がひとり、扉の向こうに現れた。
薄茶の髪を馬の尾のように結い、薄桃色の法衣をまとっている。
ターメリックの父サフランと同年代くらいだろうが、にこにこと笑っているためか険しい表情のサフランよりも若く見えた。
「驚いたよ。浜辺で行き倒れを見つけたのは、何年ぶりかな」
男は枕もとの椅子に腰掛けると、机の上に戻されていた剣をちらと見た。
そして納得したように頷くと、ターメリックの手を取った。
「クリスタニアへようこそ、ターメリック・ジュスト君。私は神の使い、カメリア・ジョアンだ。真実の剣に選ばれた君が無事に使命を達成できるよう、クリスタン神様とともに協力させてもらおう」
「……?」
…何を言われているのか、さっぱりわからなかった。
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夕日の浜辺に建つ、頑丈な石造りの小屋…それが、神の使いの住まう家であった。
浜辺の北に広がる穏やかな森の中に、クリスタン神の神殿がある。
クリスタン神は、そこで毎朝決まった時間にお告げを残す。
その声を聞くことのできる人物が…神の使いであるカメリア・ジョアンであった。
クリスタン神のお告げは、その日の天候といった小さなものから、フィリアを授かりにクリスタニアを訪れる人の数といった大きなものまで様々である。
しかし…
今日のお告げは、今までにない種類のものだった。
『伝説の剣に選ばれし者、来る。名は、ターメリック・ジュスト』
クリスタン神話において、伝説の剣が持ち主を選ぶということは、竜の王イゾリータの復活が近いということ。
…つまり、この世界に危機が迫っているということ。
来るべき時が来てしまったのか…
いったい、どこの国で起こったことが原因なのだろう…
カメリアが神殿で眉間にシワを寄せていると、なにやら騒々しい足音が聞こえてきた。
……
「浜辺のほうから、人が倒れていると甥のクランが呼びに来てね。それで、浜辺に倒れている君を見つけた…というわけだよ」
カメリアは、窓の外を指差して説明した。
「……」
ターメリックには、到底信じられなかった。
ここが、クリスタニア…?
確かに強い力で飛ばされたけれど、朝日の浜辺から夕日の浜辺までは結構な距離がある。
一瞬で移動するなんて…ありえない!
しかし、カメリアはターメリックの様子を気にすることなく続けた。
「倒れて、意識のない君が抱えていた剣…それが動かぬ証拠となった。真実の剣を見るのは初めてだが、伝説の剣だけあって美しいものだね」
「伝説の剣って、クリスタン神話に出てくる剣ですよね。まさか実在するなんて…」
ターメリックの言葉に、カメリアは「何を言っているんだ」という顔をして、
「クリスタン神様は友情や仲間を司る神として、嘘や偽りをとことん嫌っておられる。それゆえに、クリスタン神話はすべてが史実…この世界の歴史そのものなのだ」
…そう言った。
「本当ですか」と問うターメリックの声はかすれていたが、カメリアは「当たり前だろう」と、怪訝な顔で答えた。
ターメリックは、呆然とするしかなかった。
「ということは…神話に出てくる竜の王イゾリータも実在のもの…ですか」
「もちろんだ…君は、本当にクリスタン教信者なのか?」
「…ごめんなさい…」
眉を寄せるカメリアの前で、ターメリックは恥ずかしさで小さくなっていた。
今さら、父に対する申し訳ない思いが胸を締めつけている。
…どうして、もっと真剣に話を聞いてあげなかったのだろう。
神話を本気で信じていた父のことを馬鹿にするなんて、自分のほうがよっぽど馬鹿じゃないか。
「…知らなかったんです、何もかも…」
せっかく搾り出した言葉も、下手な言い訳にしか聞こえない。
こんなことなら、もっと父の話に耳を傾けたり、物知りな信者に教えてもらったことを覚えておけばよかった…
項垂れるターメリックを見て、カメリアは「なるほどな」と頷いた。
「本当に駄目なことは、知らないことではない。知ろうとしないことだ…君は知ろうとしなかったことを反省しているようだから、私が何か言う必要はなさそうだね」
「……」
「まだ信じられないという気持ちは、痛いほどよくわかるよ。だれしも、大昔に書かれた神話が実際に起こったことだと聞かされれば、そんな顔になるさ…さて、少し喋り過ぎたかな。次は君の話を聞かせておくれ」
「ぼくの話…ですか?」
顔を上げたターメリックに、カメリアは真剣な表情を向けた。
「君のターメリックという名前は、スパイス帝国のものだね。あそこはクリスタニアと離れているせいか、近況が入りにくい国なのだ…いったい何が起こったのか、教えてくれないかね」
つづく