第1章 真実 ④
海路であれば、大陸の最西端クリスタニアへは数日で辿り着けるといわれている。
ターメリックは陸沿いの航路を想定し、停泊させてくれそうな国を考えていた。
かなり危険だが、陸路よりは断然速いはずだ。
…急がなければ。
ようやく、岩陰から小船が見えてきた。
「あっ、思っていたより大きい船だ!」
やわらかい砂浜に足をとられながらも、ターメリックは小船に駆け寄った。
小船といっても、男性がふたり乗っても余裕のある大きさだ。
風向きも風速も文句なし…これなら大丈夫。
ターメリックは小船に手をかけた。
そのとき…
岩陰から飛び出した影が、目にも留まらぬ速さで斬りかかってきた。
「うわっ!」
ターメリックは攻撃をよけて尻もちをついた。
…斬られた前髪が数本、風に流されていった。
「いい天気だ…船旅には、もってこいだな」
濃紺の髪が風に揺れている…
髪と同じ色の澄んだ瞳は、眼光鋭くターメリックを睨みつけていた。
「ペパー団長!ど、どうしてここに…」
「クリスタン教信者のお前なら、父親に言われてクリスタニアへ向かうだろう…どこかで船の情報を聞いて、海路を使う可能性もある。だから俺は、お前がここへ来る前からこうして見張っていた」
「…あなたも、カイエンの味方なんですか」
「俺はカイエン殿が剣士団長であった頃からの家臣だ…今さらわかりきったことを聞くな」
スパイス帝国剣士団長ペパーは、ターメリックの額に剣を突きつけた。
…みなぎる殺気に、ターメリックは思わず生唾を飲んだ。
「…最後に聞く」
ペパーは、ターメリックを見据えて問いかけた。
「お前は、カイエン殿による世界の私物化について、どう思う」
「……」
ターメリックは、少し考えてから言葉を紡いだ。
「どんな理由があろうと…世界を征服するなんて、馬鹿げたことだと思います」
「……」
「ぼく自身、戦争がどんなものなのかよくわかりません。でも、今まで必死に避けてきたのだから、よっぽど悲惨なことなんだっていうのはわかります…世界を征服して平和を目指すのなら、もっとほかに方法が」
「馬鹿なことを言うな!」
ペパーの払った剣がターメリックの左腕をかすった。
…破けた袖口が血に染まり、ターメリックは苦痛で顔を歪めた。
「お前は知らないのか。平和な世界じゃ生きていけない職業の人間だっている。そういう奴らのために、カイエン殿は戦争を起こすんだ…ほかの職業に就けない奴らにとっては、このほうがいいに決まっている!」
「仕事がないから戦争をするなんて、それこそ馬鹿げているじゃないか! 仕事がないなら、探しに行けばいいんだよ!」
傷口を押さえて叫んだ。
その言葉に…ペパーは冷笑した。
「ないなら探しに行け、か…いつぞやに処刑された男も同じことをほざいていたな」
「ぼくの師匠である、ノワール先生の言葉です…ご存知でしたか」
「知っているもなにも、奴を処刑したのは大臣であったカイエン殿だからな…今思えば、あいつも馬鹿だったな」
「…馬鹿…」
「奴と同じ思想のお前も、同罪にあたる。今すぐ奴のいる場所へ送ってやろう!」
振り下ろされたペパーの剣を、ターメリックは危ういところでかわした。
空を斬った剣が大岩に当たって鈍い音を響かせる。
…と、とりあえず、城下町まで逃げよう…
陸路でもかまうものか…
…父の願いを叶えなくては。
ターメリックは砂浜を駆け出した。
しかし…やわらかい砂浜は怪我人にも容赦しなかった。
足が埋まり、うまく走れない。
さらに、砂中に何かが埋まっていたらしく…
ターメリックは盛大に転んだ。
「いてて…」
足元に目をやると、一振りの剣が朝日に照らされていた。
柄の部分で赤い宝石が輝いている。
「逃げても無駄だ、ターメリック・ジュスト!」
気がつくと、ペパーが近くに迫っていた。
ターメリックは間合いを取ろうと走り出した。
ペパーは余裕をみせてゆっくりと近づいてくる。
「この剣…使えるのかな…」
ターメリックは、改めて剣を手に取ってみた。
茨と王冠の銀細工でできた鞘、名前もわからない赤い宝石…
なぜ、こんな高価そうなものが、人気のない寂れた砂浜に埋もれていたのだろう…
「いいものを拾ったようだが、お前には使えないだろうな」
ペパーが薄笑いを浮かべて近づいてくる。
帝国内でも名の知れた剣の使い手と、腰に剣を差したことすらない下っ端剣士。
…力の差は、一目瞭然だ。
「でも…やってみないとわからないよね」
ターメリックは剣の柄に手をかけた。
それと同時にペパーが駆け出した。
…そのとき…
抜いてはならぬ!
剣から女性の声が聞こえてきた。
ターメリックは思わず剣を見つめた。
「つ、剣が喋った…!って…抜くなってどういうことだよ!」
よくわからないが、剣に出鼻をくじかれてしまった。
そこへ、ペパーが狙いを定めた。
音もなく剣が振り下ろされる。
こちらが剣を構えている暇はない。
ターメリックは咄嗟に剣を盾にして受け止めようとした。
すると…
眩い光がふたりを包み込んだ。
「うわぁっ…!」
…光は剣から発してるらしい。
ターメリックは固く目を閉じた。
それから…まるで磁石が反発するかのような強い力で、ターメリックは海の彼方へ投げ出されてしまった。
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「もしも目の前に〈それ〉がないのなら、自分で探しにいけばいい…簡単なことだよ」
…5年前、その青年はスパイス帝国へやってきた。
黒い髪、黒い瞳、黒いローブ…
母国マスカーチ公国で稼業の魚屋が長続きせず、クリスタン神の研究に没頭するようになり…
世界各地を旅して回るため、自らの趣味である茶道具の売買によって生計を立てていた、風変わりな青年…
彼がターメリックの師匠…ノワールである。
その頃、第6代皇帝オレガノの崩御による政権交代で、宮殿内はざわついていた。
兵士団長だった父サフランは、家に帰る暇もなかった。
そして…ターメリックと仲のよかったクリスタン教信者の友人も、政権交代が原因なのか帝国内から姿を消した。
…ターメリックは、いつもひとりぼっちだった。
ノワールは…そんな少年に声をかけた。
自らが行動を起こせば、ひとりぼっちにはならない…と。
ターメリックが嬉しくなって名前を名乗ると、ノワールは目を丸くして驚いていた。
『君が、ターメリック…ジュスト、なのか』
初対面のはずなのに、ノワールはなぜか嬉しそうだった。
幼いターメリックは首を傾げていたが、ノワールはすぐに「なんでもないよ」と笑った。
『これからは、僕がそばにいるからね』
それ以来、ターメリックはノワールの後をついて歩くようになった。
いつでも一緒にいて、ターメリックの質問に答えたり、他愛ない話に耳を傾けたり…
ふたりは、まるで先生と弟子のようだ…城下町のだれかがそう言った。
ターメリックは、青年を「ノワール先生」と呼ぶようになった。
しかし…
人生には、出会いと別れがつきものである。
…楽しい日々も、長くは続かなかった…
ある日突然、ノワールは宮殿の地下牢へ投獄された。
スパイス帝国では皇帝が神である。
それなのに、信者でもないノワールはクリスタン教を研究している…
大臣だったカイエンは不審に思っていたようだが、ノワールは「自分の好きなことをするのに理由はない」と、常々言っていた。
スパイス帝国の皇帝を神とせず、信者でもないのにクリスタン教の研究を続けている…
もしや、クリスタン教信者を集めてこの国を乗っ取るつもりなのではないか…
ガラムマサラ皇帝はカイエンの考えに怯えていた。
そして…
ノワールの処刑が決まった。
処刑については、様々な噂が飛び交っていた。
そして、他国にいるカイエンの部下はノワールを恨んでいた。
つまり…彼が入れ知恵したというのが信憑性の高い情報であった…
ノワールは、処刑の前日にターメリックを地下牢へ呼んだ。
師匠の運命に、ターメリックは大泣きした。
しかし…
ノワールは優しく微笑んでみせた。
「ひとりぼっちになってしまうから、といって泣くのはやめなさい。大切な人がいなくなっても、君には仲間がいる…自分が動けば、きっと見つかるはずだよ」
この言葉は、今でもターメリックの胸に残っている。
下っ端雑用係として一日のはじめに地下牢を掃除するのは、ノワールとの日々を思い出すためでもあった。
つづく