第7章 平和 ②
何もかも思い出した今…何よりも憎いのはカイエンではなく、何も知らずに手を貸していた自分自身だ。
アクアは地下牢に放り込まれ、壁際で自己嫌悪に陥っていた。
地下の最奥に位置する牢屋は意外と広い。
確かここは、あの風変わりな青年が収容されていた場所だ。
そして現在…ここにはアクアのよく知る先客がいた。
「薄暗くてよく見えんが…そこにいるのはペパー殿ではないか?…カイエンの右腕が、なぜこのような場所にいる」
明かりのない地下牢で、黄色い髪が目立っていた。
「いったい、どうしたというんだ。何があったのか、聞かせてくれないか」
ようやく心が落ち着いてきたアクアは、ぽつぽつと今までのことを語り始めた。
マスカーチ公国の英雄アクア・シメオンの悲しき過去…
スパイス帝国大臣ペパーの苦悩…
地下牢の先客サフラン・ダリオは、黙ってアクアの言葉に耳を傾けていた。
すべてを語りつくしたとき…サフランは大きく息をついた。
「まさか、あなたが英雄アクア・シメオンだったとは…クリスタン教信者なら知っていて当然の人物に、こんなところでお目にかかれるとは思わなかった。何もかも、カイエンの仕業だったのだな」
「はい…」
「カイエンのあの目は、すでに人のものではない。竜の王イゾリータの復活が近づいている証拠だろう…アクア殿も、早く仲間のもとへ行かねばなるまい」
「!…」
驚くアクアに、サフランは表情を変えず、
「私はクリスタン教信者だ。これくらい知っていて当然だろう…その黄緑色の宝石がついた剣は確か、平和の剣ではなかったかな」
伝説の剣の中でも新しい、平和の剣。
…その昔、平和の剣に選ばれた青年セントオ・ジュリアンは、伝説の剣を持つ7人の中でもいちばんの長寿で、クリスタン教を世界に広く布教したといわれている。
アクアは知識量の豊富なサフランに頷いてみせた。
サフランは満足そうに笑みを浮かべた。
「やはり、伝説の剣は英雄を選ぶものなのだな。しかし…なぜ真実の剣ではないのだろう。英雄には仲間を率いるリーダーとなってもらうべきだろうに」
「……」
「ん?どうされた、変な顔をして」
外界と遮断されているサフランは知らないのだ。
…自分の息子が、真実に剣に選ばれたことを。
アクアは壁にもたれて話し始めた。
「実は、私以外の6人はすでにスパイス帝国へ向かっているところなのです。私も、6人とは顔見知りです」
「おぉ、そうか!それで…リーダーは頼りになりそうな御仁かね?」
「そうですね…最初は、なんて弱そうな奴なんだと思っていましたが…どうやら仲間たちからは好かれているようです。今では彼らのおかげか、頼もしいリーダーになっていますよ」
「ほう。アクア殿の話し方からして、リーダーは年若い青年といったところかな」
微笑むサフランに、アクアも少し口角を上げてみせた。
「はい…黄色い髪の、少年です」
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…いったい、どれくらい走り続けただろう。
ターメリックは、いつの間にか城下町東地区へと入り込んでいた。
ひどい砂埃で視界が悪い…咳き込みながら、それでも進んでいく。
…足が勝手に、懐かしい場所を目指していた。
宮殿へ続く道へ出ると…倒壊した家屋の前で、ふくよかな女性が途方に暮れていた。
そこは、ターメリック行きつけのパン屋であった。
「ローズマリーさん…」
名前を呼ばれたパン屋のおかみは、突然現れた近所の少年を前に大きく目を見開いた。
「ターメリック…!」
ローズマリーは、茫然自失のままターメリックの手を優しく握りこんだ。
そして…感情を爆発させた。
「あんた、今まで何してたんだい!?どこを探してもいないから、サフランさんと一緒にお城に閉じ込められたのかと思っていたよ!まったく、心配させないでおくれよ…っ!」
最初は怒りを含んでいた声も、次第に涙声になった。
ターメリックは「ごめんなさい」と頭を下げた。
そのとき…
倒壊したパン屋の近くに、倒れた兵士の姿が見えた。
ローズマリーがターメリックの視線に気がついて顔を伏せた。
「あの人はね…危うく店の下敷きになるところだったあたしを助けてくれた、命の恩人だよ」
兵士は、すでに亡くなっていた…
その顔を見た瞬間…
「…!」
ターメリックの心臓は凍りついた。
この人は…!
「…あたしはね、自分で言うのもなんだけど…記憶力だけは人よりいいんだよ」
息を乱すターメリックに、ローズマリーは語り始めた。
「だからね、あたしは自分の店に一度でも来てくれたお客さんの顔は絶対に忘れないのさ。でもね…この兵士さんは初対面のはずなのに、瓦礫の下で言うんだよ」
『あなたの作る美味しいたまごサンドを食べることができてよかった…ありがとう』
「あまりに突然だったから、あたしは驚いて返事ができなかったけど…兵士さんは満足したようでね…眠るように息を引き取ったよ」
仰向けに寝かされた兵士の身体には、そこらじゅうに痛々しい外傷が残されていた。
しかし…その表情は安らかであった。
『今朝のたまごサンド、とても美味しかったです。ご馳走様でした』
…気がつくと、涙が頬を伝っていた。
「そうかい、あんたたちは友達同士だったんだね」
ローズマリーの言葉に、ターメリックは激しく首を振った。
「お城で助けてもらったのに、ぼくはこの人の名前も知らない。ぼくの命の恩人でもあるのに、ぼくは彼を救えなかった…!」
何が伝説の剣に選ばれし者だ…!
身近な人をひとりも救えないなんて、普通の人間以下じゃないか!
ぼくは、いったい何のためにここへ来たんだ…!
自己嫌悪に襲われ、唇を噛んだ。
口の中で血の味が弾ける…痛みなんてなかった。
そのとき…
「おーい!ターメリックー!」
仲間たちの声が聞こえてきた。
どうやら、リーダーを探して城下町を右往左往していたらしい。
真っ先に駆け寄ってきたのは、一国の王女であった。
「ひとりで行動してはいけないわ!もし何かあったら、いったいどうするつもりなの!?」
「レードル姫様のおっしゃるとおりです。ターメリックは、あたしたちの大切なリーダーなんですから!」
「ターメリック、逃げたって何も変わらないよ…私たちは、逃げださずに戦わなければならないんだ」
クィントゥムの言葉に、ターメリックは目を伏せて頷いた。
様子を見ていたローズマリーが嬉しそうにクィントゥムへ駆け寄った。
「クィン坊ちゃん…!あらまぁ、久しぶりだこと!元気にしていたかい?」
「…お久しぶりです、ローズマリーさん」
「あらぁ、見ないうちに大きくなって!すっかり、格好いいお兄ちゃんになっちゃったねぇ」
懐かしがるローズマリーに、クィントゥムは微笑んでいた。
「そうかい。クィン坊ちゃんはターメリックと一緒にいたんだね…ふたりとも、昔から仲がよかったもんねぇ」
ローズマリーの笑顔に、ふたりは顔を見合わせた。
クィントゥムが自尊心の塊だった昔の自分を思い出したらしく、苦笑いを浮かべた。
そして、咳払いをした後、
「ローズマリーさん。この国の現状を、簡単に教えていただけますか」
そう問いかけた。
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カイエンが第8代皇帝として即位した日から、スパイス帝国は破滅への道を爆走していた。
まず、カイエンの即位を不満に思う兵士が宮殿内で反乱を起こした。
そして…それが城下町にまで飛び火した。
スパイス帝国民たちは、カイエンの下僕として高額の税金を死ぬまで納め続けるか、それに抗い反逆者として死んでいくかの二択を迫られた。
こうして兵士団とともに剣士団と戦う国民が現れ、現在も抗争が続いているという。
「なるほど…すっかり、物騒な国ってかんじだね」
「予想内の展開といったところだが…やはり、自分の目で見ると悲惨さが際立つな」
街道沿いに横たわる怪我人が、宮殿に近づくにつれて多くなる。
クィントゥムが心苦しさから唇を噛んでいた。
荷台はローズマリーに預けてきたが…もちろん羅針盤はターメリックの胸ポケットに入っている。
まっすぐ宮殿を目指して、前進あるのみ…
まずは地下牢にいる父を救出したい…
ターメリックがそう告げると、仲間たちは「最初からそのつもりだ」と声を合わせた。
礼を言って頭を下げると、鼻の奥が少し痛かった。
宮殿の入口は手薄で、橋の上はおろか門前にも人影は見えなかった。
しかし…
最初に踏み込んだターメリックは、宮殿内の様子に目を見張った。
「違う…!ここから、間取りが変わってる!」
「な、なんだって!?」
「おそらく、カイエンの仕業だろう…この先、地下牢や謁見の間までの道が迷路になっている、ということか」
「えっ。それって、宮殿で働いていたターメリックがいても道案内できないってことですか?」
「…そういうことだね」
一同は暗い顔で俯いた。
しかし…ターメリックだけは違った。
「大丈夫だよ。だって…ぼくたちには羅針盤があるから」
「羅針盤?」
「想像したくないことだけど…アクア・シメオンさんはきっと、父さんと同じ場所にいると思うんだ」
「そうか…マスカーチ公国での任務が失敗に終わり、記憶を取り戻したことがわかって地下牢行きか」
クィントゥムがターメリックの持つ羅針盤を覗き込んだ。
ここから放たれる黄緑色の光を辿っていけば、必ずアクアとサフランのいる地下牢へ行くことができる。
「それじゃあ、先に進もう…みんな、準備はいいかい?」
ターメリックの言葉に仲間たちは頷き、宮殿内に突入した。
つづく




