第5章 勇気 ⑤
「シャルール・フレイム!」
呪文は杖の先で小さな火の玉となり…鉄格子に降り注いだ。
しかし…
「駄目だわ…何度やっても、びくともしない」
レードルは、むすっと溜息をついた。
「ほかの魔法は、試してみたの」
「ええ、もちろんよ。でも…どれもまったく効かないの」
クランが鉄格子をつついている…レードルは腕組みをして考え込んでいた。
ノウェムに羅針盤を送ってしまった今、ターメリックたちにできることはノウェムの到着を待つことと、自力で脱出する手段を考えることの2つしかない。
「姫様の魔法が効かないとは…これは、ただの鉄格子ではないのかもしれないな」
クィントゥムが呟いた、そのとき…
外の廊下から、足音が聞こえてきた。
ターメリックは「ノウェム君かなぁ」と顔を明るくしたが、クランが「違う」と首を振った。
「わからないの、ターメリック。靴音が全然違う…別人だよ」
クランには、ノウェムの足音がわかるらしい。
そうこうしているうちに、靴音の主が現れた。
…濃緑色の髪が、薄暗い闇と同化している。
「お久しぶりですね…お加減は、いかがですか?」
クレソンの表情からは、相変わらず感情が読み取れなかった。
ターメリックたちが黙り込む中、クィントゥムが前に出た。
「ちょうどよかった。クレソン殿に鉄格子を開けていただこうと思っていたところだ」
「申し訳ありません。さすがの私でも、捕らえておいた者どもを逃がしてやるという芸当は到底できることではございませんので」
まったく表情を変えないクレソンに、ターメリックが詰め寄った。
…今だから、聞いておかなければならない。
「クレソンさん…ぼくの父は、無事でしょうか」
答えてはもらえないかと思ったが、クレソンは無表情ながらも喋り始めた。
「サフランさんなら、まだ地下牢にいらっしゃいましたよ…私がこの国に来る前のことですが」
「ということは…生きているんですね」
「私の記憶が正しければ、サフランさんはマスカーチ公国の魚屋が入れられていた牢屋にいらっしゃるはずです」
マスカーチ公国の魚屋…その言葉に、椅子に腰掛けていたクランが「ノワール先生…」と呟いた。
クレソンは小さく頷くと、
「皇帝を神と崇めるスパイス帝国に他国の宗教を持ち込んで、大臣だったカイエン様の機嫌を損なったのです…彼は処刑されて当然でしたね」
あなたのお父様も、そうならなければよいですが…そう言い残して立ち去ろうとするクレソンに、
「…お前が殺したんだな」
憎悪の念が込められた低い声が浴びせられた。
クランが素早く鉄格子の隙間から手を伸ばし、クレソンの胸倉を掴んだ。
ターメリックが止める暇さえなかった。
「僕の…僕たちの先生を返せっ!」
小柄なクランが背伸びをしてバランスを崩した。
クレソンの服に負担がかかったらしく…襟元から布の破れる音がした。
すると、無表情だったクレソンの眉間に一瞬だけシワが寄った。
「クラン!落ち着くんだ!」
クィントゥムが間に入らなければ、何が起こっていたかわからない…
クレソンは衿のシワを直すと、黙って鉄格子の前から立ち去っていった…
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地下牢の影で、ノウェムは身を隠して様子を窺っていた。
クレソンとターメリックたちの会話を聞いていたのだが…まさかクランが怒りを露わにするとは思ってもみなかった。
あいつ、いつも何考えてるかわかんないから…怒ると怖いや。
途中まで一緒だったコーヒーミルとフィオは、グリシーヌと直接話をするためにノウェムと二股の道で別れた。
そこからノウェムは、ひとりで羅針盤の光を辿って地下牢へと辿り着いたのだ。
しかし…
地下牢の前を立ち去ったクレソンが、ノウェムの隠れているほうへと歩いてきてしまった。
「え、おい、嘘だろ…!」
ノウェムは慌てて来た道を戻り始めた。
しかし、足音を立てずに戻ろうともクレソンも同じ道を歩いてくるので、まったく逃げられない。
これじゃあ、鬼ごっこと変わんねぇよ!
ノウェムはひたすら静かに地下道を走った。
曲がり角を右左と交互に曲がって、クレソンをまくことにしたのだ。
「……」
しばらく行ったところで、壁際に身を寄せた。
耳を澄ませると、そこには静寂が満ちていた…足音は聞こえない。
「危なかったぁ…」
ほっと安堵の息をつく…また羅針盤を辿れば、牢屋まで戻ることができるだろう。
しかしその前に…扉を開ける鍵を持っていかなければならない。
「くっそぅ、どこにあるんだ鍵…とりあえず、歩くか」
歩きながら考えよう…牢屋を壊す道具も見つかるかもしれない。
ノウェムが一歩踏み出した、そのとき…
「ここは地下道という名の迷路です…一生ここで暮らしたいのであれば、むやみやたらと歩くこともおすすめしますよ」
目の前には…まいたはずのクレソンが無表情に立ち塞がっていた。
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「…まさか、コーヒーミルさんがあたしのことを覚えていてくださるなんて、思ってませんでした」
「私ね、あの日のことは何から何まですべて覚えているの。もしもレードル姫様の身に何かあったら、護衛を担当していた私は責任をとって死ぬつもりだったから…自分の死んだ日は、しっかり覚えておかないとね」
フィオは、コーヒーミルとともにリーヴル城内の物置部屋へ向かって地下道を歩いていた。
父ラモーによると、そこから謁見の間に出られるという…
なぜ父は、リーヴル城内に詳しいのだろう…気になったが、今はそれどころではなかった。
コーヒーミルがフィオに「10年ぶりね」と声をかけたからである。
10年前、旅行中だったパン王国の第3王女が迷子になってしまった。
そのとき、道端にうずくまっていたレードルを連れて、緊迫するキィオークの前に現れたのがフィオであった。
…それを、コーヒーミルが覚えていたのである。
「あのとき、フィオちゃんがレードル姫様を連れきてくれてなかったら、何が起こっても不思議ではなかったでしょうね…本当に、ありがとう」
「あ、あたしなんて、何もしてませんよ!ただ、姫様の安全を考えて行動しただけですから」
「それだけで立派なものよ…あ、そうそう、レードル姫様にいちごジャムをくれたのは、フィオちゃんでしょう?あの日以来、姫様は一日に何瓶も召し上がっていらっしゃるのよ」
「そ、そうなんですか…!?」
「ええ、飽きないのが不思議なくらい…でも、フィオちゃんのことは覚えていらっしゃらないみたいなの。ごめんなさいね」
「あはは、仕方ないです、レードル姫様は幼かったんですから。あたしも、それで構いません」
「…ねぇ、フィオちゃん」
コーヒーミルの真剣な表情に、フィオは思わず姿勢を正した。
「そんなにレードル姫様のことが好きなら、勇気の剣に選ばれし者として、一緒に旅立ってはもらえないかしら」
「…そのお話は、先ほどもお断りさせていただいたはずです。勇気の剣が選んだのはあたしですけど、あたしには」
「勇気のない人間は、こんなところに来ようとも思わないはずよ」
コーヒーミルの声が反響した。
フィオは、声もなくコーヒーミルを見つめていた。
このあたしに…勇気が…?
そのとき…地下道付近から、何やら騒がしい話し声が聞こえてきた。
フィオとコーヒーミルは、慌てて入り組んだ壁際に身を隠した。
リーヴル城に勤める兵士たちの声が聞こえる…どうやら、城内への出口は近いようだ。
彼らの話し声に耳を傾けてみると、スパイス帝国の軍勢が城下町まで押し寄せている、ということがわかった。
どうやらクレソンが『ヌフ=ブラゾン王国によるパン王国への宣戦布告』を国王に迫っているらしい…
「大変ですよ!早く謁見の間に行って、グリシーヌ陛下を説得しないと!」
このままでは、自分の国がなくなってしまう。
勇気の有無なんて、いつでも考えられること…今は急がなければ!
フィオは地下道を駆けていった。
後ろからコーヒーミルも追いかけてくる。
自分にしかできないこと…やってみる価値はありそうだ。
つづく




