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第1章 真実 ①

『いいか、ターメリック…この世界の平和は、すべて仮初めの平和なのだ』



ターメリック・ジュストの父サフラン・ダリオは、熱心なクリスタン教信者であった。


『竜の王イゾリータが封印され、何百年の月日が流れた…しかし、いつまた封印が破られるかわからん。そのときはふたりでクリスタニアへ向かい、クリスタン神様にお救いいただこう』



…そんなこと言われてもなあ…



ターメリックは心の中で呟いた。


唯一の肉親である父には申し訳ないと思いつつ、ターメリックはクリスタン神を心から信じられずにいた。



神話として書かれていることが実際に起こったことだなんて思えないし、どうしてそこまでクリスタン神を信じられるのかわからない。


ただでさえ、このスパイス帝国ではクリスタン教信者は疎まれているというのに。



「父さん。スパイス帝国の神は皇帝なのだから皇帝を崇めよ、とペパー団長に言われたけれど、ぼくはどうしたらいいのかな」



夕食後のひとときに、重苦しい話を持ち出したくはなかった。


けれど、ターメリックは思い切って今朝のことを話してみた。



サフランは、息子の淹れた紅茶を一口飲んで顔をしかめた。


もちろん紅茶の味にではなく、話の内容に…である。



「ペパー団長はカイエン大臣びいきだが、まさかそこまで言うとは…残念だ」


「カイエン大臣はクリスタン教を嫌っているから、ペパー団長も命令されて言わされたんだと思うよ…で、ぼくはどうするべきかな」


「決まっているだろう」



サフランは紅茶を飲み干すと、ターメリックを睨んだ。



「お前は、これからもクリスタン教信者として生きていくのだ。これは父親の言葉ではなく、スパイス帝国外交官の命令である…わかったな」



鋭い眼光を前に、ターメリックは消え入りそうな声で「はい」と返事をした。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



深夜、ターメリックは寝台に寝転がって天井を見つめていた。


目が固いので、寝付くまでに時間がかかる体質である。


…おかげで、毎日寝坊する始末。


しかも、今日は父の言葉…ではなく外交官の命令が頭から離れず、目が冴えてしまって眠れそうにない。



なぜ父は、そんなにクリスタン教にこだわるのだろう。


ぼくには気の合う友人なんて一人もいないこと、知らないわけじゃないだろうに。


…まさか、これからぼくに友人ができるなんて思っているのだろうか。


いやいや、いくらスパイス帝国が広いからって、この髪の色じゃ友達なんてできやしないな。



…ぼくはこのまま、ずっとひとりだ。



窓からは爪のような三日月が見える。


ターメリックは瞼を閉じた。


…当分、眠れそうになかった。

……



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



広い世界の片隅に存在する、モンド大陸…その東岸がスパイス帝国である。


大陸には大小6つの国があるが、スパイス帝国は大陸の四分の一を占める大国であった。


大きな争いのあった名残か、皇帝の住む宮殿を囲むように城壁がそびえている。


そして、城壁の外には城下町が広がり、朝は市場で賑わっている。


人々は、そこで毎日の食料を調達する。


スパイス帝国は農業や漁業に向かないため、食料品はすべて輸入に頼っている。


そのかわり、大陸にひとつしかない鉱山の金属を加工して、他国に輸出していた。


この経済活動によって、第七代皇帝ガラムマサラの治世は安定していた。



…しかし、争いがなくなったことで、職を失った者たちも少なからず存在していた…




近頃のスパイス帝国は、この時期特有の長雨にやられていた。


やまない雨に、人々の気分まで湿気ってしまいそうな日々が続いていた。


しかし…その日は朝から見事に晴れわたり、雲ひとつない空が広がっていた。


若者たちは喜び勇んで鉱山へ行き、何かがおかしいと天候を怪しむ老人たちを、鼻で笑っていた。



…5日ぶりの青い空の下、ひとりの少年が市場を駆け抜けていた。


服装は宮殿を守る剣士のものだが、腰に剣はない。


風になびく少し長めの髪は、輝く金色というよりも、のっぺりとした黄色であった。



「あら、ターメリックじゃないか。今日も寝坊かい?」



通りに面したパン屋から、ふくよかな女性が顔を出した。


少年は足を止めて、にっこりと微笑んだ。



「おはよう、ローズマリーさん。今日も二度寝しちゃって、朝ごはん食べてないんだ」


「まったく、あんたって子は。そんなんだから、2年も宮殿で働いているのに、下っ端の雑用係なんだよ」



ローズマリーが呆れてため息をつくと、ターメリックは唇を尖らせた。



「雑用係じゃなくて宮殿を守る剣士だって、毎日言っているじゃないか。ほら、制服だって着ているんだし」


「腰に剣も差さないで、何が剣士だね。サフランさんも、呆れているんじゃないのかい?」


「父さんは知らないよ。剣は、必要ないから持っていないだけさ。ローズマリーさんが持っていないのと同じことだよ」


「はあ…」


「世界は平和なんだ。人を傷つけて争いを起こす剣なんていらない。父さんだって、きっとそう思っているはず…って、大変だ! 朝礼に遅れる!」



慌てて駆け出そうとしたターメリックを、ローズマリーが呼び止めた。



「朝ごはん、食べてないんだろう? あんたの好きなたまごサンド、持って行きな。いつもより、おまけしておいたからね」


「うわぁ! ありがとう、ローズマリーさん! ぼく、このたまごサンドが大好きで」


「わかったから早く行きなさい!」



ローズマリーに急かされたターメリックは、たまごサンドの入った紙袋を抱えて走っていった。



「スパイス帝国外交官の息子だっていうのに、自覚がないのかねぇ」



その呟きは、市場の喧騒にまぎれて消えていった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



スパイス帝国の宮殿には、5つの主な役職がある。



まず、すべての事柄においての決定権を持つ「皇帝」が神として君臨し、その下に内政を取り仕切る「大臣」と外政を取り仕切る「外交官」がいる。


大臣の下には「剣士団」、外交官の下には「兵士団」が直属してはいるものの、主な違いはほとんどない。


ただ、争いの絶えなかった時代に剣士は城内、兵士は城外を守っていたので、今でも兵士は城下町の見回り、剣士は城内の管理や皇帝の身の回りの仕事を担当することが多い。



第7代皇帝ガラムマサラは皇帝に即位する際、大臣には剣士団長だったカイエンを任命し、外交官には兵士団長だったサフランを任命した。


サフラン・ダリオ…ターメリック・ジュストの父である。


この「ダリオ」や「ジュスト」というのは、クリスタン神から授かったフィリアという名前である。


フィリアは、クリスタン教信者の証であり、誇りである、とサフランはよく口にしている。



クリスタン教信者は、モンド大陸に30分の1ほど存在しているといわれている。


しかし、スパイス帝国の神は皇帝であるため、クリスタン教信者はあまりよく思われていない…昔は、職業によって差別が生じることもあったという。


現在、差別は少なくなってはきているものの、用心のためフィリアを隠して生活している信者もいるという。


ターメリックが宮殿で働くことになった際、父サフラン直属の部下である兵士になれなかった原因も、ここにあるようだ。


しかし…ターメリック本人はあまり気にしていない。


それよりも、寝坊癖のせいで大好きなたまごサンドを走りながら食べられるようになった自分を褒めてやりたかった。



「…あぁ、おいしかった! …あ、もうひとつ入ってる!」



ターメリックは、紙袋を覗いて歓声を上げた。


そのまま、兵士の立つ城門へ向かう。


平和であるためか…見張りの兵士はいつもひとりであった。



「おはようございます!」


「……」



ターメリックが声をかけても、兵士はまったく動かない。


…こんな日々が、もう2年も続いている。



いつものように通り過ぎようとして、ふと立ち止まった。


手にした紙袋には、たまごサンドがひとつ入っている。



「…よかったら、これどうぞ」


「……」



紙袋を差し出したものの、兵士は黙ったままこちらを見向きもしない。



「あー、えっと…」



ターメリックは差し出した紙袋をどうしようかと迷った挙句、兵士の剣に引っ掛けて走り出した。



「とってもおいしいですから! ぜひ食べてくださいね!」



あんなところに立っていたら、絶対お腹がすくに決まっている。


…あ、でも…


たまごが苦手だったかもしれないな。


走りながら、ターメリックは暢気にそんなことを考えていた。



つづく

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