第3章 叡智 ①
クィントゥム・ジョアンは、物心ついたときから伯父の治める国で暮らすようになっていた。
スパイス帝国第6代皇帝オレガノ…
クィントゥムの伯父は、一国の権力者であった。
両親はヌフ=ブラゾン王国の漁師だったそうだが、クィントゥムが幼い頃に流行病で亡くなっていた。
クィントゥムは、遠い親戚の家をたらいまわしにされて幼少期を過ごしていた。
その後…父の兄がスパイス帝国の皇帝として即位したことを知り、スパイス帝国を訪ねたのである。
伯父は、大のクリスタン教嫌いとして有名だった。
しかし…クィントゥムの頭の良さに一目置いていたのか、とやかく言うことはなかった。
クィントゥムは伯父に許されて、宮殿で暮らすようになった。
そして、図書室にある本を片っ端から読破していった。
友人なんていらない…味方は知識だけでいい。
クィントゥムは、無知な仲間より博識な孤独を選んだ。
同じ年頃の少年は、だれも近寄ってはこなかった。
…いや、例外がひとりいた。
『クィントゥム・ジョアン君、こんにちは。ぼくはターメリック・ジュスト。よろしくね』
宮殿の中庭、木陰で『クリスタン神話』を読んでいたときのことだ。
スパイス帝国でも珍しい黄色の髪をなびかせて、幼い少年が右手を差し出していた。
…握り返してやると、とても嬉しそうに笑った。
『ぼくのお父さんがね、君はとっても物知りだから、いろいろ教えてもらえって言うんだ…その本のお話、聞かせてほしいなぁ』
物知り、という言葉がクィントゥムを有頂天にした。
おかげで、年下に君付けで呼ばれた不愉快さも吹き飛んだ。
自分の知っていることを話したくなってきたので「いいよ」と答えると、黄色い髪の少年は喜んでクィントゥムの隣に腰を下ろした。
…それからクィントゥムは、ターメリックに自分の知識を教え続けた。
ターメリックは話を聞くものの、興味があるのかないのか、その日に教えたことを次の日には忘れていた。
…クィントゥムは、確実にターメリックを格下に見ていた。
友達ではない…
と、一線を引いていたのだ。
それから、数年の月日が流れた頃…
クィントゥムの伯父、オレガノ皇帝が崩御した。
宮殿の爆発事故に巻き込まれたのだ。
オレガノが他人に触らせないほど気に入っていた高価な鍋が火元であったことから、オレガノの不注意による不幸な事故として片付けられた。
そして新皇帝には、当時大臣であったガラムマサラが選ばれた。
オレガノの甥であるクィントゥムは、元々スパイス帝国民ではなかったため後継者として話に上がることもなかった。
ガラムマサラは比較的クリスタン信者に寛容であった。
しかし、クィントゥムは宮殿にい居づらくなり…旅に出ることにした。
伯父の本は読み尽くしていたし、もっと他国の歴史についても学びたかったのだ。
それに…
クィントゥムは伯父の事故死に納得していなかった。
旅に出れば、真相がわかるかもしれない…
クィントゥムは、その日のうちにスパイス帝国を去った。
…このことは、だれも知らない。
クィントゥムには…別れを告げる友達などいなかったからだ。
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パン王国のパントリー地方には、南から順にスプーン村、フォーク村、ナイフ村が点在している。
そして、広大な麦畑を縫っていくと、その先には王都タジンがある。
ちなみに、3つの村があるのは南パントリー地方、王都タジンを中心とするのは北パントリー地方である。
南パントリー地方では、主に農作物の生産を行っている。
小麦など、3つの村が共同で生産する作物がほとんどだが、ひとつの村でしか生産できない作物もある。
それらは村同士が高値で売買したりするので、村同士の仲が険悪になることもあるらしい…
ターメリック、クラン、ノウェム、クィントゥムの4人は、夕日が畑を黄金色に染める頃、パントリー地方南端のスプーン村に到着した。
スプーン村の村長兼南パントリー地方長老のディッシャーという、足腰の丈夫な老人が4人を笑顔で迎えてくれた。
彼はノウェムと知り合いらしく、宿泊場所まで確保してくれていたので、ターメリックたちは揃って頭を下げたのだった。
「…まさか、自分が生きている間に竜の王イゾリータが復活するかもしれないとは…思ってもみなかったな」
クィントゥムが思案深げに腕を組むと、ノウェムが人懐っこい笑みを浮かべた。
「オレたちは、ターメリックの知り合いが仲間だっていうことに驚いたけどなぁ」
黄昏どき、4人は宿屋の一室でテーブルを囲んでいた。
クリスタニアからやってきたターメリックたち3人は、新しく見つけた仲間であるクィントゥムに今までのことを説明した。
幼い頃からクリスタン神話を熟読してきたクィントゥムは、すでに自分の使命を理解しているようだった。
「さすがはクィントゥム君!竜の王イゾリータのこと、最初から知っていたんだね」
「いや、私も半信半疑だったんだ…これを手にするまではね」
クィントゥムは、愛用しているという鈴のついた長めの杖を取り出し、その場で振って見せた。
ー。
軽やかな鈴の音とともに、杖は見覚えのある剣へと姿を変えた。
ノウェムが「お~」と低い声で感動し、ターメリックとクランは剣を見つめた。
「クィントゥム君が魔法を使えるなんて、知らなかったよ」
「旅に出てから独学で習得したんだ…魔法を使うには、自分に合った物を手にする必要がある。私の場合は、その剣を手にしたときだけ魔法を使うことができた。だから魔法で杖の形にしてあるんだ」
「クィントゥムさん。これ、ちょっと持ってみてもいいですか」
「ああ、かまわないよ」
クランが剣を手に取った。
鞘には、茨と王冠の銀細工…柄の部分には、水色の宝石。
ターメリックは、古びた羊皮紙で宝石の名前を確認した。
「叡智の剣と、アクアマリンか…綺麗な水色だね」
「何年か前、パン王国とヌフ=ブラゾン王国の国境あたりを歩いていたとき、木の枝に引っ掛かっていたのを偶然見つけてね…まさかとは思ったが、昔から本で読んで知っていたので、すぐに叡智の剣だとわかった。私には抜くことができなかったから、持ち主が現れるまで魔法を使う杖にしていたのだが…」
クィントゥムはクランから剣を受け取ると、鞘から抜いてみせた。
「数日前から抜けるようになってね。竜の王イゾリータが復活しようとしている、と考えていたところだ…まさか、スパイス帝国で起こった皇帝殺害が原因だったとは…」
叡智の剣は、不思議な光沢を放っていた。
鏡のような真実の剣とも、自ら発光する光の剣とも違う、独特の輝き…
「これ…螺鈿細工だ…!」
ノウェムが目を丸くしている。
クィントゥムは螺鈿を優しく撫でた。
「叡智の剣は、持ち主の知識を力に変える…螺鈿独特の輝きは様々な知識が集結したもの、といわれているんだ。私も今まで様々な本を読んできたが、剣が螺鈿で覆われていることは知らなかったよ」
「あのぅ…らでんって?」
「貝殻の裏の光沢を切り取って貼り付けた装飾だよ」
困った顔のターメリックに、クィントゥムは簡単に答えた。
ターメリックは貝殻を思い浮かべて「ああ!」と納得した。
「ありがとう、クィントゥム君」
「…うん…」
クィントゥムは暗い表情で頷いた。
なぜだろう…違和感を覚える。
少なくとも…ターメリックの知っているクィントゥムではない。
スパイス帝国にいた頃は、もっと楽しそうに説明してくれて、鼻高々だったというのに…
月日が彼を変えてしまったのだろうか…
つづく




